浄土宗とは。 浄土真宗と浄土宗の違い

浄土宗の宗派とは|西山派と鎮西派の成り立ちや教義の違いはどこに?

浄土宗とは

浄土宗の開祖『法然』 法然は1,133~1,212年を生きた僧侶です。 豪族の子として生まれた法然は、13歳の時に比叡山に登ります。 しかし、権力闘争に明け暮れる先輩僧侶たちに嫌気が差して、18歳で下山。 その後は叡空という師のもとで修業をしながら、様々な経典を読み漁ります。 そして見つけたのが、観無量寿経でした。 そこには念仏『南無阿弥陀仏』を唱えているだけで、極楽浄土に行けると書かれていたのです。 これがあれば、お金も知識もない大衆も救えると確信した法然は、浄土宗を開宗するのでした。 浄土真宗の開祖『親鸞』 親鸞は1,173~1,263年を生きた僧侶です。 下級貴族の家に生まれた親鸞は、9歳で出家します。 その後、比叡山で修行をしますが、堕落しきった先輩僧侶たちに失望します。 29歳で比叡山を下山し、法然の元へ向かうのでした。 そこで、先に阿弥陀如来の功徳を学んでいた法然から教えを受け、浄土真宗へと発展させていきます。 浄土宗と浄土真宗の違い 法然と親鸞は師弟関係であり、仲が悪いわけではありません。 なので両宗派とも本尊は阿弥陀如来ですし、経典は浄土三部経です。 違った点は阿弥陀仏を言葉にするか、心で想うかです。 浄土宗は『専修念仏』|言葉で南無阿弥陀仏と唱える 浄土宗の教えは、『南無阿弥陀仏(阿弥陀様に帰依します)』と唱えれば、誰もが極楽浄土に往けるという『専修念仏』です。 これまでの仏教は、一部の僧侶だけが修行によって悟りに至るもので、一般大衆を救うことはありませんでした。 しかし、この『南無阿弥陀仏』のおかげで、浄土宗は広く大衆に広まっていきます。 その理由は以下の2つです。 知識が不要• 誰でもカンタン 一般庶民の中には文字が読めない人もたくさんいました。 そんな人たちに経典を読ませる事は不可能です。 また、日々の暮らしだけでも大変なのに、追加で修行の時間を割くことも不可能でした。 つまり、これまでの仏教は大衆にはできない宗教だったのです。 ここに革命をもたらしたのが法然でした。 法然は元は比叡山出身の高僧です。 そんなエライお坊さんが 『南無阿弥陀仏って唱えるだけで、みんな極楽浄土に往けるよ』と言ったのです。 日々、老病死に苦しんでいた大衆からしたら、スーパースター到来だったのではないでしょうか。 しかし、この教えはとても危険な側面を持っています。 言葉をそのまま受け取ってしまうと、誤った解釈をされてしまうのです。 他力本願:他人のチカラで、自分の願いを叶える• 悪人成仏:悪いことをすれば、仏になれる 素直に意味を考えると、このようになりますよね。 しかし、この認識は不正解です。 間違えると危険なのでもう一回。 不正解です。 正解は・・・• 他力本願:他力とは阿弥陀仏のチカラのこと。 阿弥陀仏を信じれば極楽に逝ける。 悪人成仏:善人は自分で何でもできると思っている。 悪人はそれができない。 それなら、悪人の方が他力を信じる。 ニュアンス的にはこんなところです。 このような難しい哲学なので、親鸞の教えは間違って伝わりまくります。 親鸞が生前にまとめた『歎異抄(たんにしょう)』という哲学書は、誤解を招くとされ本願寺の書庫に隠されました。 その後、本願寺第八代門主の蓮如がこの本を読み感銘を受けますが、やはりリスクを警戒して再び書庫に戻されます。 そして800年もの時を経て、親鸞という偉大かつ聡明な僧侶の考えが公開されたのです。

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浄土宗の教え・末法の悪人も他力念仏1回で救う究極の救済力

浄土宗とは

そういった意味では、浄土真宗も浄土宗の一派である。 とは言うものの、親鸞には開宗の意志はなく、実質的な開祖は彼の曽孫(ひ孫)・覚如(かくにょ)である。 なお、浄土真宗は「真宗」とも言うことがあり、かつては「 一向宗(いっこうしゅう)」「 門徒宗(もんとしゅう)」とも呼ばれていた。 主な教え 浄土宗の教えといえば、 専修念仏(せんじゅねんぶつ)である。 専修念仏とは、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることをいう。 浄土宗では、これ以外の修業は一切必要ないとしている。 他方で浄土真宗の教えといえば、 絶対他力(ぜったいたりき)の思想である。 絶対他力とは、すべてを阿弥陀如来に任せることをいう。 浄土宗は念仏という 行いを重んじている一方、浄土真宗では阿弥陀如来への 信心を重んじていると言える。 また浄土真宗では、開宗当初から 肉食妻帯(にくじきさいたい)を認めていたのも特徴である。 今でこそ僧侶であっても肉を食べ、結婚することができる。 しかし、これが許可されたのは明治5年(1872)のことであり、それ以前は浄土真宗と修験道(しゅげんどう)くらいでしか認められていなかった。 葬儀について 葬儀への考え方 両者の葬儀における大きな違いは、授戒・引導の儀式の有無である。 そもそも浄土真宗では、人は死と同時に阿弥陀如来によって極楽浄土へと導かれる(往生即成仏)と考えられている。 よって葬儀において、死者の成仏を願う必要はないため、 授戒(仏門に入る者に戒律を授けること)・ 引導(死者が悟りを開けるよう、法語を唱えること) の儀式は行われない。 葬儀はあくまでも、故人の徳を偲ぶために行われるものとされているのである。 他方で浄土宗の葬儀では、 授戒・引導の儀式が行われる。 焼香のマナー 浄土宗の葬儀においては、焼香は 基本的に3回(地域や寺院によって異なる場合あり)とされている。 親指・人差し指・中指の3本の指で香をつまみ、その手を仰向けにする。 そしてもう片方の手を下から添え、 額に押しいただいてから香炉にくべる。 他方で浄土真宗の焼香の仕方は、内部の宗派(代表的なのは「本願寺派」「大谷派」、他にも「高田派」「興正派」「佛光寺派」などいくつかの宗派がある)によって異なっている。 まず本願寺派ではつまんだ香は 額に押しいただかず、そのまま1回だけ香炉にくべる。 また大谷派でもつまんだ香は 額に押しいただかず、そのまま2回香炉にくべる。 ただし、こちらも地域によっては異なるため、気になる場合はあらかじめ確認しておくことが望ましい。

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浄土真宗と浄土宗の違い

浄土宗とは

名称 [ ] における「浄土真宗」 親鸞の著書に記されている「浄土真宗」・「真宗」(・「浄土宗」)とは、宗旨名としての「浄土真宗」(「浄土宗」)のことではなく、「浄土を顕かにする真実の教え」であり、端的に言うと「法然から伝えられた教え」のことである。 自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できたことを生涯の喜びとした。 宗旨名としての「浄土真宗」 宗旨名として「浄土真宗」を用いるようになったのは親鸞の没後である。 過去には、「 一向宗」、「 門徒宗」とも通称された。 英訳は、浄土真宗本願寺派では Jodo Shinshu とし、・では Shin Buddhism としている。 教義 [ ]• 親鸞が著した浄土真宗の根本聖典である『』の冒頭に、の出世本懐のである『』 が「真実の教」であるとし、(以降「如来」)の()と、本願によって与えられる名号「」をの真実の教え「浄土真宗」であると示し、この教えが「本願を信じ念仏申さば仏になる」というの一節で端的に示されている。 親鸞は名号を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ順う心が発った時に往生が定まると説いた。 そして往生が定まった後の称名念仏は、「我が名を称えよ」という阿弥陀仏の願い(第十八願)、「阿弥陀仏の名を称えて往生せよ」という諸仏の願い(第十七願)に応じ、願いに報いる「報恩の行」であると説く。 そのことを「信心正因 称名報恩」という。 念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行・善行)としては捉えない。 このことは名号となってはたらく「如来の本願力」(他力)によるものであり、我々のはからい(自力)によるものではないとし、絶対他力を強調する。 なお、親鸞の著作において『絶対他力』という用語は一度も用いられていない。 『』「愚禿悲歎述懐」に、 「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」 「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」 「蛇蝎奸詐のこころにて 自力修善はかなうまじ 如来の回向をたのまでは 無慚無愧にてはてぞせん」 と、「真実の心」は虚仮不実の身である凡夫には無いと述べ、如来の本願力回向による名号の功徳によって慚愧する身となれるとする。 教義の詳細に関しては、宗派による教義の差異に留意の上、以下の項目を参照のこと。 本願力回向(・)• 本尊は、一仏である。 ただし、高田派及び一部門徒は形式である阿弥陀如来・・を本尊とする。 習俗 [ ] 他の仏教宗派に対する浄土真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、がない点である(明治まで、表立って妻帯の許される仏教宗派は真宗のみであった)。 そもそもは、「一般の僧侶という概念(世間との縁を断って出家し修行する人々)や、世間内で生活する仏教徒()としての規範からはみ出さざるを得ない人々を救済するのが本願念仏である」と、師法然から継承した親鸞が、それを実践し僧として初めて公式に妻帯し子をもうけたことに由来する。 そのため、浄土真宗には血縁関係による血脈 と、師弟関係による法脈の2つの系譜が存在する。 与えられるもではなく、と言う。 浄土真宗は、ただ阿弥陀如来の働きにまかせて、全ての人は往生することが出来るとする教えから、多くの宗教儀式や習俗にとらわれず、報恩謝徳のとを大事にする。 を行わないのも大きな特徴である。 また合理性を重んじ、作法や教えも簡潔であったことから、近世には庶民に広く受け入れられたが、他の宗派からはかえって反発を買い、「」(とは真宗の信者のこと)などと揶揄される事もあった。 また真宗は、(「南無阿弥陀仏」の・絵像・木像)の各戸への安置を奨励した。 これを安置するのに関しての「決まり」が他の宗派に比して厳密である。 荘厳は各宗派の本山を模していることから、宗派ごとに形状・仏具が異る。 仏壇に本尊を安置し荘厳されたものを、真宗では「御内仏」と呼び、考え方としては「寺院のレプリカ」「ミニチュア寺院」を各家庭にお招きしたものであり、教義として先祖壇や祈祷壇として用いるものではない。 真宗の本山には、そのいずれにおいても基本的に、本尊阿弥陀如来を安置する本堂(阿弥陀堂)とは別に、宗祖親鸞の真影を安置する御影堂がある。 真宗の寺院建築には他にも内陣に比べて外陣が広いなど、他宗に見られない特徴がある。 また各派ともに、宗祖親鸞聖人の祥月命日に、「 」と呼ばれる法会を厳修する。 その旨は、求道・弘教の恩徳と、それを通じて信知せしめられた阿弥陀如来の恩徳とに報謝し、その教えを聞信する法会である。 またこの法会を、年間最大の行事とする。 ただし、真宗各派でその日は異なる。 (詳しくは、を参照。 ) 依拠聖典 [ ] 正依のは、「 」である。 の著作についても重んじる。 中でもの『』は、師である法然が「三経一論」と呼び、「浄土三部経」と並べて特に重んじた。 親鸞は、『仏説無量寿経』を『大無量寿経』『大経』と呼び特に重んじた。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 ウィキソースに の原文があります。 浄土三部経 『 』 訳 『 』 訳 『 』 訳 七高僧論釈章疏 親鸞の思想に影響を与えたの注釈書など。 造 『』全十七巻の内、巻第五の「易行品第九」 姚秦鳩摩羅什訳 造(婆藪般豆菩薩造) 『 』(『 浄土論』・『 往生論』) 後魏訳 撰 『 』(『 浄土論註』・『 往生論註』) 『讃阿弥陀仏偈』 撰 『安楽集』 撰 『』(『観経疏』、『観経四帖疏』、『観経義』) 『往生礼讃偈』(『往生礼讃』) 『法事讃』 『般舟讃』 『観念法門』 撰 『』 撰 『 』(『 選択集』) 撰 『 』(『 教行信証』) 『』 『』 『』(『入出二門偈』) 『浄土三経往生文類』(『三経往生文類』) 『如来二種回向文』 『尊号真像銘文』 『一念多念文意』 『唯信鈔文意』 「」 『』 『』 『』 名称について [ ] 開祖親鸞は、釈尊・へと継承される他力念仏の系譜をふまえ、法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え 」を継承し、さらにその思想を展開することに力を注いだ。 法然没後の弟子たちによる本願・念仏に対する解釈の違いから、のちになどからの批判を受ける事につながる。 なお、親鸞は生前に著した『』において、法然(源空)について「智慧光のちからより、本師源空あらはれて、浄土真宗ひらきつゝ、選択本願のべたまふ」と述べて、浄土真宗は法然が開いた教えと解した。 親鸞は後()に関東を拠点に布教を行ったため、関東に親鸞の教えを受けた門徒が形成されていく。 親鸞の没後に、親鸞を師と仰ぐ者は自らの教義こそ浄土への往生の真の教えとの思いはあったが、浄土真宗と名乗ることはの否定とも取られかねないため、当時はただ真宗と名乗った。 ちなみに浄土宗やでも自らを「浄土真宗」「真宗」と称した例があり、また時宗旧一向派(開祖)を「」と称した例もある。 近世には浄土宗からの圧力により、から「浄土真宗」と名乗ることを禁じられ、「一向宗」と公称した(逆に本来「一向宗」を公称していた一向俊聖の法統は、本来は無関係である時宗へと強制的に統合される事になる)。 親鸞の法統が「浄土真宗」を名乗ることの是非について浄土真宗と浄土宗の間で争われたのが3年()から15年にわたって続けられたである。 明治5年()から各府県へ「一向宗名ヲ真宗ト称セシム」 が発せられ、ここに近代になってようやく「(浄土)真宗」と表記することが認められたのである。 歴史 [ ] 詳細はも参照。 親鸞時代 [ ] 詳細は、を参照。 蓮如の登場まで [ ] 親鸞の死後、親鸞の曾孫にあたる(-)は、等を根拠として親鸞の祖廟継承の正当性を主張し、(別名「大谷本願寺」)を建てて本願寺三世と称した。 こうした動きに対し、親鸞の関東における門弟の系譜を継ぐ七世の(-)など他の法脈は、佛光寺やなどを根拠地として、次第に本願寺に対抗的な立場を取ることになった。 この頃の浄土真宗は、佛光寺や専修寺において活発な布教活動が行われ多くの信者を得たが、本願寺は八世蓮如の登場までは、天台宗の末寺として存続していたに過ぎなかった。 蓮如の登場〜石山合戦 [ ] の後期に登場した本願寺八世の(-)は、当時の民衆の成長を背景にと呼ばれる組織を築き、人々が平等に教えを聴き団結できる場を提供し、また親鸞の教えを安易な言葉で述べた『御文(御文章)』を著作し、一般に広く教化した。 この事により本願寺は急速に発展・拡大し、一向宗と呼ばれるようになった(逆にこの他の真宗各派は衰退することとなる)。 この講の信者の団結力は、蓮如の制止にもかかわらず施政者(大名など)に向かった。 中世末の複雑な支配権の並存する体制に不満を持つ村々に・土豪が真宗に改宗することで加わり、「」と呼ばれる一郡や一国の一向宗徒が一つに団結した一揆が各地で起こるようになる。 そのため、この後に加賀の例で記述するような大名に対する反乱が各地で頻発し、・など多数の大名が一向宗の禁教令を出した。 中でも、のは明治時代まで禁教令を継続したため、南九州の真宗信者は講を組織し秘かに山中の洞窟で信仰を守った()。 やがて(-)が起こり、当時にあった本願寺の根拠の北、で東軍・西軍に分かれての内乱が生じると、専修寺派の門徒が西軍に与したに味方したのに対し、本願寺派の門徒は越前の大名の仲介で、文明6年()、加賀を追い出された前守護で幸千代の兄である東軍のに味方して幸千代を追い出した(つまり、加賀の一向一揆は、最初は真宗内の勢力争いでもあった)。 しかしその後、本願寺門徒と富樫政親は対立するようになり、2年()、政親が一向宗討伐軍を差し向けると、結局政親を自刃に追い込んで自治を行うまでになった(ただし一族のは一向一揆に同情的で、守護大名として象徴的に居座っている)。 その後、門徒の矛先はに奪われていた吉崎の道場奪回に向けられ、北陸全土から狩り出された門徒が何度も朝倉氏と決戦している。 一方、畿内では、吉崎より移った蓮如が文明14年()に建立した、京都が本拠地であったが、その勢威を恐れたは日蓮宗徒と結び、元年()8月に山科本願寺を焼き討ちした(真宗では「」、では「」)。 これにより本拠地を失った本願寺は、蓮如がその最晩年に建立し(5年、)居住した大坂石山の坊舎の地に本拠地を移した()。 これ以後、大坂の地は、城郭にも匹敵する本願寺の伽藍とその周辺に形成されたを中心に大きく発展し、その脅威は時の権力者たちに恐れられた。 11年()にが畿内を制圧し、となったと対立するようになると、本願寺十一世の(-)はに味方し、元年()9月12日、突如としてを攻めていた信長の陣営を攻撃した()。 また、これに呼応して各地の門徒も蜂起し、の一揆()は尾張のを攻め滅ぼしている。 この後、顕如と信長は幾度か和議を結んでいるが、顕如は義昭などの要請により幾度も和議を破棄したため、長島や越前など石山以外の大半の一向一揆は、ほとんどが信長によって根切(皆殺し)にされた。 石山では開戦以後、実に10年もの間戦い続けたが、8年()、信長がによる仲介という形で提案した和議を承諾して本願寺側が武装解除し、顕如が石山を退去することで石山合戦は終結した。 (その後、石山本願寺の跡地を含め、がを築造している。 ) このように一向一揆は、当時の日本社会における最大の勢力のひとつであり、戦国大名に伍する存在であったが、真宗の門徒全体がこの動きに同調していたわけではない。 越前国における本願寺門徒と専修寺派の門徒(高田門徒・)との交戦の例に見られるように、本願寺以外の真宗諸派の中にはこれと対立するものもあった。 京都に再興 [ ] 秀吉の時代になると、天正19年()に、顕如は京都中央部(京都七条堀川)に土地を与えられ、本願寺を再興した。 、石山退去時の見解の相違等をめぐる教団内部の対立状況が主因となり、これにの宗教政策が作用して、顕如の長男である(-)が、家康から本願寺のすぐ東の土地(京都七条烏丸)を与えられを分立した。 これにより、当時最大の宗教勢力であった本願寺教団は、顕如の三男(-)を十二世宗主とする本願寺(西) と、長男教如を十二代宗主とする本願寺(東) とに分裂することになった。 後の宗教再編時には、に対し宗教団体として公的な名称の登録を行う際、現在の浄土真宗本願寺派のみが「浄土真宗」として申請し、他は「真宗」として申請したことが、現在の名称に影響している。 また、長い歴史の中でなどと結びついた、浄土真宗系のも存在している。 宗派 [ ] 現在、加盟の10派ほか諸派に分かれているが、宗全体としては、日本の仏教諸宗中、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)、信徒を擁する。 所属寺院数は、開山・廃寺により変動するため概数で表す。 真宗十派(真宗教団連合) [ ] 真宗教団連合は、親鸞聖人生誕750年・立教開宗700年にあたる(大正12年)、真宗各派の協調・連携を図る為に、真宗各派協和会として結成された。 加盟団体は以下の10派であり、「真宗十派」といわれる。 真宗教団連合加盟宗派 宗派名 本山 通称 本山所在地 所属寺院数 西本願寺 京都市下京区 約10,500 東本願寺 京都市下京区 約8,900 高田本山 三重県津市 約640 京都市下京区 約390 京都市下京区 約500 滋賀県野洲市 約200 五分市本山 福井県越前市 約60 鯖江本山 福井県鯖江市 約70 中野本山 福井県福井市 36 横越本山 福井県鯖江市 21 お東騒動により分派した宗派・団体 [ ] 宗派・団体名 本山・本部 通称 本山・本部所在地 所属寺院数 東京都台東区 浄土真宗大谷本願寺派 京都市山科区 嵯峨本願寺 大谷本願寺 京都市右京区 その他の宗派 [ ] 単立寺院・無寺院教団 宗派名 本山 通称 所在地 所属寺院数 (浄土真宗別格本山) 稲田の草庵 茨城県笠間市 単立 大網門跡 茨城県東茨城郡 単立 (形式的に) (鹿児島県霧島市) 明治以降に分派した宗派・団体 宗派・団体名 本山・本部 本山・本部所在地 所属寺院数 新潟県上越市 14 横浜市鶴見区 27 北海道小樽市 1 方今道平等院 石川県鹿島郡 6 (浄土真宗浄光寺派) 福岡市東区 2 本願寺 門徒の本願寺 北海道北見市 福井県福井市 34 神奈川県鎌倉市 単立 華光会館 京都市南区 親鸞会館 富山県射水市 大菩提寺 熊本県荒尾市 他に、があるが、元々の寺院が独立したものであり、教義的に浄土真宗との関連は薄い。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 親鸞における「法然から伝えられた教え」とは、法然を宗祖として伝えられた現在の「」の教義とは異なる。 そもそもの没後、門弟たちの間での教義に対する解釈で微妙な違いが生じており、の主観としては自らが法然の教えの正当な後継者であった。 は、当時より宗派の正式名称に「浄土真宗」の文字を用いる。 『大無量寿経』など浄土経典は、親鸞在世当時では釈尊自説と考えられていた。 現代ではは、として後年制作されたものとされている。 、「文献」・「解説」を参照。 狭義で、血縁関係による法脈継承を「血脈相承」と用いる場合もある。 広義では、法脈を師僧から弟子へと次々に相続してゆくことをさす。 (「 第二版」三省堂、1999年を参照。 ただし中にはの僧侶であるが、自坊にの祭壇を設けて戦勝祈願を行っていた。 『観無量寿経疏』の各巻題は、『観経玄義分 巻第一』・『観経序分義 巻第二』・『観経正宗分定善義 巻第三』・『観経正宗分散善義 巻第四』である。 『法事讃』…上巻の首題は、『転経行道願往生浄土法事讃』、尾題は『西方浄土法事讃』で、下巻は首題・尾題ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』である。 『般舟讃』…首題は『依観経等明般舟三昧行道往生讃』、尾題は『般舟三昧行道往生讃』である。 『観念法門』…首題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』、尾題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』である。 「選択」は、浄土真宗では「せんじゃく」と発音する。 (浄土宗では、「せんちゃく」。 現在の、など。 現在の、など。 50ヶ寺以上、所属寺院を有する宗派。 出典 [ ]• 541「浄土真宗」より引用。 「浄土真宗」『国史大辞典』 吉川弘文館。 「浄土真宗」『世界大百科事典』 平凡社。 として用いる。 にて検索• として用いる。 平成14年現在、10,464ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 『』2007年9月1日付を参考。 本山が2007年11月に実施した、門徒戸数調査の対象寺院数より。 対象寺院数は、8,871ヶ寺(別院、教会を含む)。 開山・廃寺により変動するため寺院数は、約8,900ヶ寺とした。 平成14年現在、636ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 平成14年現在、390ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 平成14年現在、497ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 平成14年現在、199ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 平成14年現在、61ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• 平成14年現在、71ヶ寺。 (千葉,2005年、243ページより)• (千葉,2005年、243ページより) 参考文献 [ ]• 中村 元、他『岩波仏教辞典』、2002年、第二版。 瓜生津隆真、細川行信『真宗小事典』、2000年、新装版。 名畑應順『親鸞和讃集』岩波書店〈ワイド版岩波文庫〉、2001年。 中村 元・・ 訳注『浄土三部経(下)』岩波書店( 青306-2)、1990年。。 千葉乗隆『 浄土真宗』、2005年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 浄土真宗本願寺派• - 真宗大谷派• - 浄土真宗本願寺派の学説の一つ。 外部リンク [ ]• - 新宗教系も含めて22宗派と数える場合がある。 - 文学者のと僧侶のによるリレー形式の真宗入門 この項目は、に関連した です。

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