蜘蛛 です が なにか 11。 蜘蛛ですが、なにか? 11(馬場翁) : カドカワBOOKS

楽天ブックス: 蜘蛛ですが、なにか? 11

蜘蛛 です が なにか 11

その勇者は戦い続けることをやめなかった。 悩み続けることも、やめなかった。 アニメ化企画も進みつつ、前巻で二桁の大台に乗った書籍版『蜘蛛ですが、なにか?』。 (見た目)人間不在という攻めた表紙も過去のこと、(たぶん)純粋な人間しかいない、ついでにストーリー上で主人公もほぼ不在、というサイドストーリー的な巻になります。 「赤」と「青」。 「勇者」と「魔王」。 「陰に立ち並ぶ廷臣」と「背を任せるに足る戦友たち」。 命を摘み取るため、大切な人を取り戻すために手を伸ばした「魔王」のための物語が十巻であったとするのなら。 ここ十一巻は命を守るため、大切な人々に手を差し伸べるために戦った「勇者」のための物語でした。 イラスト担当の輝竜司先生が企図して対になるようにデザインした表紙絵は「読者の知るその先」に繋がるラストシーンを含め、これからの怒涛を演出します。 両巻ともにシリーズ全体としては「救済」と「破局」が混然一体となり、終わりと始まりを両立させる一大イベント「人魔大戦」に向けた前振りと準備の回です。 けれど、単なる説明と場繋ぎでは終わらせない、そのような意志を感じましたね。 流石にここから読み始める方はそんなにいらっしゃらないとは思いますが、少し振り返りも加えながら紹介するとしますね。 当然ネタバレ全開です。 ご容赦ください。 このシリーズ、五巻までは全体の主人公であり、「魔」に与する「私」視点と「人」を守護する勇者「シュン」のふたつの視点からなる変則的な構成になっていました。 その上、時間軸としては「私」視点が古く、「シュン」視点が新しいものになっています。 「シュン」視点で駆け足気味に「人魔大戦」を終わらせ、後から悠々と追いつく「私」視点といった構図なのです。 この十一巻では「シュン」の兄であり、先代勇者である「ユリウス」の半生を追いかけながら一気に時間軸の帳尻を合わせていく、そういった意味で必要な巻でした。 実を言うと、この作品世界は長く続く戦乱と「転生」に仕掛けられたトラップの末に、疲弊し尽くしたという前提があったりします。 崩れ落ちる寸前の世界だと知ってしまえば「冒険」だの「最強」という言葉が虚しくなると感じたりもしました。 そんなどうしようもない世界に生まれながらも理想を追い求め、人々の安寧のために傷つき、その手を血で染めながら戦い続けた先代勇者「ユリウス」は気高く、眩しかった。 彼と彼の仲間たちは作者の得意とする軽妙なノリも時々は混じるけれど、キャラクター自体は奇をてらわない王道のものです。 この辺、面白味がないかなと思っていた自分を恥じたい。 ちゃんと全員のキャラを立ててきています。 各人の得意分野で役割を分担して、足りないところを補い合って強敵を打ち倒すバトルが好きです。 この作品は、世界観に奥行きが足りないこその物語と思っていましたが、それはそれと多種多様な性質を持つモンスター戦を目にするのは初期路線のリフレインのようでもあり、好きです。 トップグループに入る人間の「常識」の範囲内だからこそ、文字通り「人外」な主人公との戦い方との違いもわかっていいですし。 なにより、一番の特徴はユリウスの悩み続けながらもけして足を止めない姿勢と、必要とあれば命を奪うことも辞さない覚悟ですね。 この辺を弟のシュンと比べてみると、残酷なまでに「勇者」としての格の違いが浮き彫りになってしまう。 加えて、そうするしか選択肢がなかったとはいえ、与えられた真実に飛びつくかそうでないか、対比が効いていてむごいんです。 もちろん、ユリウス自身も理想主義者であるがゆえに甘さも引きずっている部分もあるんですが、意外と周囲を見てるんですよね。 未熟さをカバーしてくれる大人も少数ながらちゃんといますし、時間的余裕も弟と違って十分に与えられていました。 冗談抜きでメインヒロイン(?)として読者の癒しになってくれているロナント爺さんも変わらず己の道を暴走する傍若無人っぷりを発揮しつつ、師としてちゃんとユリウスのことを導いてくれます。 ギャグキャラとしての側面も持ちながら、ちゃんとした我と哲学を持たせて茶番では終わらせない真摯さが好きだったりします。 師事した期間自体は短くとも、六巻からの、ユリウスが六歳の時から育んできた関係性は強かった。 大人と言えば、帝国軍部の重鎮であり過去編限定の出演となってしまった「ティーバ」の退場も光ります。 もちろん生前も仕事をしてくれていたわけですが、判断の速さから地雷を踏んでしまいました。 あたかも悪しきにも良きにも転ぶという運命の多面性を表しているようですが、誰かの不幸は誰かの幸運でもあるわけで。 ただひたすらに小物だけど、慎重派でもある巨悪「ポティマス」に油断と慢心の芽を植え付けました。 十巻で主人公が打った手といい、最終的な身の破滅へとつなげていく説得力を生んでいますね。 偶然が働いた部分も大きく、誰が当事者すべての内心を窺い知ることができようかと思えば、こればかりは読者が胸の内に仕舞い込むしかないわけですが。 だからこそ、彼の復讐は彼ひとりだけのものなのでしょう。 「答え」を自明のものとして描いているのに、同時に読者に悟ってもらうという書き方に見惚れました。 敷居の低さと裏腹に、難易度の高さから賛否が分かれ気味な多視点ライトノベルの真髄を味わった気がします。 実際のところ、初出のWEB版で大筋は定めたにしてもよくぞここまで多層的な物語を構築できたと思います。 書籍はそこからの加筆、そして全編書き下ろしが当然となったのが現状ですが、改めて結末や展開を分岐させるかのように伏線を張りつつ、て回収してきています。 特に大きいのがロジックとして「勇者」と「魔王」という立場は対等に戦えるってところですね。 これは単に戦闘というだけでなく、世界の行く先を左右する力を持ちうるかというところにまで至ります。 世界の崩壊と大切な人に迫る死を前にして、正解の出ない対立項にどう答えを出すか? 「魔王」は「主人公」の手を借りつつ、自分なりのやり方を見つけて動いています。 ならば、勇者はその前に立ち塞がるものとして相応の覚悟と意志が求められるわけです。 そこに予定調和を許さずに盛り上がりを期待する誰かさんの思惑も加わっています。 「勇者」を定義することはここに来て必須でしょう。 そして、勇者「ユリウス」はそこにひとつの答えを導き出しました。 だからこそ道半ばで斃れることが義務付けられてしまったのかもしれません。 彼なら「世界の真実」を突き付けられてもなんとか向き合っていけそうな安心感がありましたから。 果たして弟であり、望まずとも兄の遺志を継ぐことになってしまった「シュン」に託して大丈夫かという危惧が生まれるわけです。 けれど、生き方は人それぞれで見方も違う、けれど貫き通したならば侮蔑はそうそう混じることがないと、主人公の観方からして一貫しているんですよ。 誰にとは言いませんが、蔑ろにすることは許されないと思います。 シュンに無様を晒されたらその保証はないのでなんとも、やきもきしますが、その辺の危うさを不確定要素と考えると面白いってのは、神の視点に毒されすぎているかも……? まぁ、先を心配し過ぎても仕方ないわけです。 ちなみに、今回「おっ!」となった演出なんですが、間章や幕間と並んでこぼれ話のような形で挟まれる「そふぃあちゃん日記」ですね。 ここまで読んできた読者にとっては自明なわけですが、メインキャラのひとりである「ソフィア・ケレン(根岸彰子)」も歩を同じくして成長しているわけで。 シュン視点だと絶対的な壁として立ち塞がった吸血姫も、主人公の時空だと残念な汚れキャラなわけで。 この小説が『蜘蛛ですが、なにか?』なんだと思い出させてくれます。 ほぼシリアスで今回の本編が進む中、緊張の糸をゆるませる彼女の残念な成長記録が繰り広げられます。 ここまでの珍道中を思い出すこと必然ですね。 決めるところはしっかり決めるとしても、ゆるいとこも見せて過度の緊張を与え過ぎないってのエンタメの基本ですから。 この辺の詳細はWEB版で語られるのですが、書籍版で彼女はなんかいろいろ吹っ切れているので思春期のあれやこれはたぶんなく、無自覚の内に逆ハーレム築いたりしても特に本筋と彼女のメンタルには関係ありません。 すっ飛ばしたがゆえ、逆に強者の残酷さも浮き彫りになったと言うのは穿ちすぎた見方かもしれませんけどね。 実のところ、そうと知らないものから見ると「魔王」もその影として振る舞う「主人公」も怖いんですよ。 全て知っている読者としては結構な無理を重ねた演出であることがわかるんですが、外から見るとやはり理解できない。 肝心なところで「共感」を拒み、この感情と願いは私だけのものだと突き放してくる、孤高さと気高さに惹かれるのも確かなんです。 その辺りは十巻で語らせていただいたので興味が許せばどうぞ。 「女性」で「王者」として働く「魔王」。 「男性」で「英雄」として戦う「勇者」。 この対比が利いた作品も珍しくありませんが、「蜘蛛」を冠したこの作品では結局干戈を交えることはないのだと思います。 だからこそ、何者にも侵されることがなく、ただ残酷な「現実」のみに立ち向かった勇者の純粋さが際立つわけです。 イラストも仲間たちとの和気藹々とした日常の一幕が多く、幼少から青春、最期の日まで彼らが共に駆け抜けた記録として機能しているように感じます。 次はきっと残酷な結末が待ち受ける「人魔大戦」。 予定調和じみた「死」を事前に知っているからこそ散っていった命を悼む準備は整えられるでしょう。 いよいよ翻って既刊を読み返してみてもいいかもしれません。

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蜘蛛ですが、なにか? 11巻(ラノベ)は無料のzip、rar、漫画村で配信されてるの?

蜘蛛 です が なにか 11

悩み続けることも、やめなかった。 アニメ化企画も進みつつ、前巻で二桁の大台に乗った書籍版『蜘蛛ですが、なにか?』。 (見た目)人間不在という攻めた表紙も過去のこと、(たぶん)純粋な人間しかいない、ついでにストーリー上で主人公もほぼ不在、というサイドストーリー的な巻になります。 「赤」と「青」。 「勇者」と「魔王」。 「陰に立ち並ぶ廷臣」と「背を任せるに足る戦友たち」。 命を摘み取るため、大切な人を取り戻すために手を伸ばした「魔王」のための物語が十巻であったとするのなら。 ここ十一巻は命を守るため、大切な人々に手を差し伸べるために戦った「勇者」のための物語でした。 イラスト担当の輝竜司先生が企図して対になるようにデザインした表紙絵は「読者の知るその先」に繋がるラストシーンを含め、これからの怒涛を演出します。 両巻ともにシリーズ全体としては「救済」と「破局」が混然一体となり、終わりと始まりを両立させる一大イベント「人魔大戦」に向けた前振りと準備の回です。 けれど、単なる説明と場繋ぎでは終わらせない、そのような意志を感じましたね。 流石にここから読み始める方はそんなにいらっしゃらないとは思いますが、少し振り返りも加えながら紹介するとしますね。 当然ネタバレ全開です。 ご容赦ください。 このシリーズ、五巻までは全体の主人公であり、「魔」に与する「私」視点と「人」を守護する勇者「シュン」のふたつの視点からなる変則的な構成になっていました。 その上、時間軸としては「私」視点が古く、「シュン」視点が新しいものになっています。 「シュン」視点で駆け足気味に「人魔大戦」を終わらせ、後から悠々と追いつく「私」視点といった構図なのです。 この十一巻では「シュン」の兄であり、先代勇者である「ユリウス」の半生を追いかけながら一気に時間軸の帳尻を合わせていく、そういった意味で必要な巻でした。 実を言うと、この作品世界は長く続く戦乱と「転生」に仕掛けられたトラップの末に、疲弊し尽くしたという前提があったりします。 崩れ落ちる寸前の世界だと知ってしまえば「冒険」だの「最強」という言葉が虚しくなると感じたりもしました。 そんなどうしようもない世界に生まれながらも理想を追い求め、人々の安寧のために傷つき、その手を血で染めながら戦い続けた先代勇者「ユリウス」は気高く、眩しかった。 彼と彼の仲間たちは作者の得意とする軽妙なノリも時々は混じるけれど、キャラクター自体は奇をてらわない王道のものです。 この辺、面白味がないかなと思っていた自分を恥じたい。 ちゃんと全員のキャラを立ててきています。 各人の得意分野で役割を分担して、足りないところを補い合って強敵を打ち倒すバトルが好きです。 この作品は、世界観に奥行きが足りないこその物語と思っていましたが、それはそれと多種多様な性質を持つモンスター戦を目にするのは初期路線のリフレインのようでもあり、好きです。 ���ップグループに入る人間の「常識」の範囲内だからこそ、文字通り「人外」な主人公との戦い方との違いもわかっていいですし。 なにより、一番の特徴はユリウスの悩み続けながらもけして足を止めない姿勢と、必要とあれば命を奪うことも辞さない覚悟ですね。 この辺を弟のシュンと比べてみると、残酷なまでに「勇者」としての格の違いが浮き彫りになってしまう。 加えて、そうするしか選択肢がなかったとはいえ、与えられた真実に飛びつくかそうでないか、対比が効いていてむごいんです。 もちろん、ユリウス自身も理想主義者であるがゆえに甘さも引きずっている部分もあるんですが、意外と周囲を見てるんですよね。 未熟さをカバーしてくれる大人も少数ながらちゃんといますし、時間的余裕も弟と違って十分に与えられていました。 冗談抜きでメインヒロイン(?)として読者の癒しになってくれているロナント爺さんも変わらず己の道を暴走する傍若無人っぷりを発揮しつつ、師としてちゃんとユリウスのことを導いてくれます。 ギャグキャラとしての側面も持ちながら、ちゃんとした我と哲学を持たせて茶番では終わらせない真摯さが好きだったりします。 師事した期間自体は短くとも、六巻からの、ユリウスが六歳の時から育んできた関係性は強かった。 大人と言えば、帝国軍部の重鎮であり過去編限定の出演となってしまった「ティーバ」の退場も光ります。 もちろん生前も仕事をしてくれていたわけですが、判断の速さから地雷を踏んでしまいました。 あたかも悪しきにも良きにも転ぶという運命の多面性を表しているようですが、誰かの不幸は誰かの幸運でもあるわけで。 ただひたすらに小物だけど、慎重派でもある巨悪「ポティマス」に油断と慢心の芽を植え付けました。 十巻で主人公が打った手といい、最終的な身の破滅へとつなげていく説得力を生んでいますね。 偶然が働いた部分も大きく、誰が当事者すべての内心を窺い知ることができようかと思えば、こればかりは読者が胸の内に仕舞い込むしかないわけですが。 だからこそ、彼の復讐は彼ひとりだけのものなのでしょう。 「答え」を自明のものとして描いているのに、同時に読者に悟ってもらうという書き方に見惚れました。 敷居の低さと裏腹に、難易度の高さから賛否が分かれ気味な多視点ライトノベルの真髄を味わった気がします。 実際のところ、初出のWEB版で大筋は定めたにしてもよくぞここまで多層的な物語を構築できたと思います。 書籍はそこからの加筆、そして全編書き下ろしが当然となったのが現状ですが、改めて結末や展開を分岐させるかのように伏線を張りつつ、て回収してきています。 特に大きいのがロジックとして「勇者」と「魔王」という立場は対等に戦えるってところですね。 これは単に戦闘というだけでなく、世界の行く先を左右する力を持ちうるかというところにまで至ります。 世界の崩壊と大切な人に迫る死を前にして、正解の出ない対立項にどう答えを出すか? 「魔王」は「主人公」の手を借りつつ、自分なりのやり方を見つけて動いています。 ならば、勇者はその前��立ち塞がるものとして相応の覚悟と意志が求められるわけです。 そこに予定調和を許さずに盛り上がりを期待する誰かさんの思惑も加わっています。 「勇者」を定義することはここに来て必須でしょう。 そして、勇者「ユリウス」はそこにひとつの答えを導き出しました。 だからこそ道半ばで斃れることが義務付けられてしまったのかもしれません。 彼なら「世界の真実」を突き付けられてもなんとか向き合っていけそうな安心感がありましたから。 果たして弟であり、望まずとも兄の遺志を継ぐことになってしまった「シュン」に託して大丈夫かという危惧が生まれるわけです。 けれど、生き方は人それぞれで見方も違う、けれど貫き通したならば侮蔑はそうそう混じることがないと、主人公の観方からして一貫しているんですよ。 誰にとは言いませんが、蔑ろにすることは許されないと思います。 シュンに無様を晒されたらその保証はないのでなんとも、やきもきしますが、その辺の危うさを不確定要素と考えると面白いってのは、神の視点に毒されすぎているかも……? まぁ、先を心配し過ぎても仕方ないわけです。 ちなみに、今回「おっ!」となった演出なんですが、間章や幕間と並んでこぼれ話のような形で挟まれる「そふぃあちゃん日記」ですね。 ここまで読んできた読者にとっては自明なわけですが、メインキャラのひとりである「ソフィア・ケレン(根岸彰子)」も歩を同じくして成長しているわけで。 シュン視点だと絶対的な壁として立ち塞がった吸血姫も、主人公の時空だと残念な汚れキャラなわけで。 この小説が『蜘蛛ですが、なにか?』なんだと思い出させてくれます。 ほぼシリアスで今回の本編が進む中、緊張の糸をゆるませる彼女の残念な成長記録が繰り広げられます。 ここまでの珍道中を思い出すこと必然ですね。 決めるところはしっかり決めるとしても、ゆるいとこも見せて過度の緊張を与え過ぎないってのエンタメの基本ですから。 この辺の詳細はWEB版で語られるのですが、書籍版で彼女はなんかいろいろ吹っ切れているので思春期のあれやこれはたぶんなく、無自覚の内に逆ハーレム築いたりしても特に本筋と彼女のメンタルには関係ありません。 すっ飛ばしたがゆえ、逆に強者の残酷さも浮き彫りになったと言うのは穿ちすぎた見方かもしれませんけどね。 実のところ、そうと知らないものから見ると「魔王」もその影として振る舞う「主人公」も怖いんですよ。 全て知っている読者としては結構な無理を重ねた演出であることがわかるんですが、外から見るとやはり理解できない。 肝心なところで「共感」を拒み、この感情と願いは私だけのものだと突き放してくる、孤高さと気高さに惹かれるのも確かなんです。 その辺りは十巻で語らせていただいたので興味が許せばどうぞ。 「女性」で「王者」として働く「魔王」。 「男性」で「英雄」として戦う「勇者」。 この対比が利いた作品も珍しくありませんが、「蜘蛛」を冠したこの作品では結局干戈を交えることはないのだと思います。 だからこそ、何者にも侵されることがなく、ただ残酷な「現実」のみに立ち向かった勇者の純粋さが際立つわけです。 イラストも仲間たちとの和気藹々とした日常の一幕が多く、幼少から青春、最期の日まで彼らが共に駆け抜けた記録として機能しているように感じます。 次はきっと残酷な結末が待ち受ける「人魔大戦」。 予定調和じみた「死」を事前に知っているからこそ散っていった命を悼む準備は整えられるでしょう。 いよいよ翻って既刊を読み返してみてもいいかもしれません。

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その勇者は戦い続けることをやめなかった。 悩み続けることも、やめなかった。 アニメ化企画も進みつつ、前巻で二桁の大台に乗った書籍版『蜘蛛ですが、なにか?』。 (見た目)人間不在という攻めた表紙も過去のこと、(たぶん)純粋な人間しかいない、ついでにストーリー上で主人公もほぼ不在、というサイドストーリー的な巻になります。 「赤」と「青」。 「勇者」と「魔王」。 「陰に立ち並ぶ廷臣」と「背を任せるに足る戦友たち」。 命を摘み取るため、大切な人を取り戻すために手を伸ばした「魔王」のための物語が十巻であったとするのなら。 ここ十一巻は命を守るため、大切な人々に手を差し伸べるために戦った「勇者」のための物語でした。 イラスト担当の輝竜司先生が企図して対になるようにデザインした表紙絵は「読者の知るその先」に繋がるラストシーンを含め、これからの怒涛を演出します。 両巻ともにシリーズ全体としては「救済」と「破局」が混然一体となり、終わりと始まりを両立させる一大イベント「人魔大戦」に向けた前振りと準備の回です。 けれど、単なる説明と場繋ぎでは終わらせない、そのような意志を感じましたね。 流石にここから読み始める方はそんなにいらっしゃらないとは思いますが、少し振り返りも加えながら紹介するとしますね。 当然ネタバレ全開です。 ご容赦ください。 このシリーズ、五巻までは全体の主人公であり、「魔」に与する「私」視点と「人」を守護する勇者「シュン」のふたつの視点からなる変則的な構成になっていました。 その上、時間軸としては「私」視点が古く、「シュン」視点が新しいものになっています。 「シュン」視点で駆け足気味に「人魔大戦」を終わらせ、後から悠々と追いつく「私」視点といった構図なのです。 この十一巻では「シュン」の兄であり、先代勇者である「ユリウス」の半生を追いかけながら一気に時間軸の帳尻を合わせていく、そういった意味で必要な巻でした。 実を言うと、この作品世界は長く続く戦乱と「転生」に仕掛けられたトラップの末に、疲弊し尽くしたという前提があったりします。 崩れ落ちる寸前の世界だと知ってしまえば「冒険」だの「最強」という言葉が虚しくなると感じたりもしました。 そんなどうしようもない世界に生まれながらも理想を追い求め、人々の安寧のために傷つき、その手を血で染めながら戦い続けた先代勇者「ユリウス」は気高く、眩しかった。 彼と彼の仲間たちは作者の得意とする軽妙なノリも時々は混じるけれど、キャラクター自体は奇をてらわない王道のものです。 この辺、面白味がないかなと思っていた自分を恥じたい。 ちゃんと全員のキャラを立ててきています。 各人の得意分野で役割を分担して、足りないところを補い合って強敵を打ち倒すバトルが好きです。 この作品は、世界観に奥行きが足りないこその物語と思っていましたが、それはそれと多種多様な性質を持つモンスター戦を目にするのは初期路線のリフレインのようでもあり、好きです。 トップグループに入る人間の「常識」の範囲内だからこそ、文字通り「人外」な主人公との戦い方との違いもわかっていいですし。 なにより、一番の特徴はユリウスの悩み続けながらもけして足を止めない姿勢と、必要とあれば命を奪うことも辞さない覚悟ですね。 この辺を弟のシュンと比べてみると、残酷なまでに「勇者」としての格の違いが浮き彫りになってしまう。 加えて、そうするしか選択肢がなかったとはいえ、与えられた真実に飛びつくかそうでないか、対比が効いていてむごいんです。 もちろん、ユリウス自身も理想主義者であるがゆえに甘さも引きずっている部分もあるんですが、意外と周囲を見てるんですよね。 未熟さをカバーしてくれる大人も少数ながらちゃんといますし、時間的余裕も弟と違って十分に与えられていました。 冗談抜きでメインヒロイン(?)として読者の癒しになってくれているロナント爺さんも変わらず己の道を暴走する傍若無人っぷりを発揮しつつ、師としてちゃんとユリウスのことを導いてくれます。 ギャグキャラとしての側面も持ちながら、ちゃんとした我と哲学を持たせて茶番では終わらせない真摯さが好きだったりします。 師事した期間自体は短くとも、六巻からの、ユリウスが六歳の時から育んできた関係性は強かった。 大人と言えば、帝国軍部の重鎮であり過去編限定の出演となってしまった「ティーバ」の退場も光ります。 もちろん生前も仕事をしてくれていたわけですが、判断の速さから地雷を踏んでしまいました。 あたかも悪しきにも良きにも転ぶという運命の多面性を表しているようですが、誰かの不幸は誰かの幸運でもあるわけで。 ただひたすらに小物だけど、慎重派でもある巨悪「ポティマス」に油断と慢心の芽を植え付けました。 十巻で主人公が打った手といい、最終的な身の破滅へとつなげていく説得力を生んでいますね。 偶然が働いた部分も大きく、誰が当事者すべての内心を窺い知ることができようかと思えば、こればかりは読者が胸の内に仕舞い込むしかないわけですが。 だからこそ、彼の復讐は彼ひとりだけのものなのでしょう。 「答え」を自明のものとして描いているのに、同時に読者に悟ってもらうという書き方に見惚れました。 敷居の低さと裏腹に、難易度の高さから賛否が分かれ気味な多視点ライトノベルの真髄を味わった気がします。 実際のところ、初出のWEB版で大筋は定めたにしてもよくぞここまで多層的な物語を構築できたと思います。 書籍はそこからの加筆、そして全編書き下ろしが当然となったのが現状ですが、改めて結末や展開を分岐させるかのように伏線を張りつつ、て回収してきています。 特に大きいのがロジックとして「勇者」と「魔王」という立場は対等に戦えるってところですね。 これは単に戦闘というだけでなく、世界の行く先を左右する力を持ちうるかというところにまで至ります。 世界の崩壊と大切な人に迫る死を前にして、正解の出ない対立項にどう答えを出すか? 「魔王」は「主人公」の手を借りつつ、自分なりのやり方を見つけて動いています。 ならば、勇者はその前に立ち塞がるものとして相応の覚悟と意志が求められるわけです。 そこに予定調和を許さずに盛り上がりを期待する誰かさんの思惑も加わっています。 「勇者」を定義することはここに来て必須でしょう。 そして、勇者「ユリウス」はそこにひとつの答えを導き出しました。 だからこそ道半ばで斃れることが義務付けられてしまったのかもしれません。 彼なら「世界の真実」を突き付けられてもなんとか向き合っていけそうな安心感がありましたから。 果たして弟であり、望まずとも兄の遺志を継ぐことになってしまった「シュン」に託して大丈夫かという危惧が生まれるわけです。 けれど、生き方は人それぞれで見方も違う、けれど貫き通したならば侮蔑はそうそう混じることがないと、主人公の観方からして一貫しているんですよ。 誰にとは言いませんが、蔑ろにすることは許されないと思います。 シュンに無様を晒されたらその保証はないのでなんとも、やきもきしますが、その辺の危うさを不確定要素と考えると面白いってのは、神の視点に毒されすぎているかも……? まぁ、先を心配し過ぎても仕方ないわけです。 ちなみに、今回「おっ!」となった演出なんですが、間章や幕間と並んでこぼれ話のような形で挟まれる「そふぃあちゃん日記」ですね。 ここまで読んできた読者にとっては自明なわけですが、メインキャラのひとりである「ソフィア・ケレン(根岸彰子)」も歩を同じくして成長しているわけで。 シュン視点だと絶対的な壁として立ち塞がった吸血姫も、主人公の時空だと残念な汚れキャラなわけで。 この小説が『蜘蛛ですが、なにか?』なんだと思い出させてくれます。 ほぼシリアスで今回の本編が進む中、緊張の糸をゆるませる彼女の残念な成長記録が繰り広げられます。 ここまでの珍道中を思い出すこと必然ですね。 決めるところはしっかり決めるとしても、ゆるいとこも見せて過度の緊張を与え過ぎないってのエンタメの基本ですから。 この辺の詳細はWEB版で語られるのですが、書籍版で彼女はなんかいろいろ吹っ切れているので思春期のあれやこれはたぶんなく、無自覚の内に逆ハーレム築いたりしても特に本筋と彼女のメンタルには関係ありません。 すっ飛ばしたがゆえ、逆に強者の残酷さも浮き彫りになったと言うのは穿ちすぎた見方かもしれませんけどね。 実のところ、そうと知らないものから見ると「魔王」もその影として振る舞う「主人公」も怖いんですよ。 全て知っている読者としては結構な無理を重ねた演出であることがわかるんですが、外から見るとやはり理解できない。 肝心なところで「共感」を拒み、この感情と願いは私だけのものだと突き放してくる、孤高さと気高さに惹かれるのも確かなんです。 その辺りは十巻で語らせていただいたので興味が許せばどうぞ。 「女性」で「王者」として働く「魔王」。 「男性」で「英雄」として戦う「勇者」。 この対比が利いた作品も珍しくありませんが、「蜘蛛」を冠したこの作品では結局干戈を交えることはないのだと思います。 だからこそ、何者にも侵されることがなく、ただ残酷な「現実」のみに立ち向かった勇者の純粋さが際立つわけです。 イラストも仲間たちとの和気藹々とした日常の一幕が多く、幼少から青春、最期の日まで彼らが共に駆け抜けた記録として機能しているように感じます。 次はきっと残酷な結末が待ち受ける「人魔大戦」。 予定調和じみた「死」を事前に知っているからこそ散っていった命を悼む準備は整えられるでしょう。 いよいよ翻って既刊を読み返してみてもいいかもしれません。

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