たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味。 総合: アートを楽しく−アートを身近に楽しんで頂けたら

考察の杜 聖句

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

Xsun Ver. 分断しちゃったらごめんなさい。 「八ヶ岳ラリリンピック」 2020. 26sun Count0. 早起き? 英国でも広がる感謝の拍手 首相も王子も午後8時一斉に アマゾン。。 いけすか。 くしゃみ鼻水。 鼻の奥が痛い。 ラジカセ! ごみ収集車にごみを投げ込んで走り去る自転車のおっさん。 作業員の人たちは普段ごみだけじゃなくてごみ人間も見てるのね。 肉屋のおじさん。 100円サンドイッチを買いに行ったら棚が空っぽ。 食パンの入荷が2時間遅れてるらしい。 最初に作ったのは売り切れたらしい。 セブン。 S水さん。 0831。 録画した絶メシロード。 また潜ってる。 ライター。 インフルエンザ流行の世界線。 初音ではなく。 バターといえば世界の料理ショー。 食べる前からおいしいの表現がいいね。 実験的? バゲット。 レバーペースト。 閉じこもり生活のアドバイス、宇宙飛行士から潜水艦艦長まで つまり晴耕雨読。 渋滞大好き。 しりとり。 S木先生結婚。 基礎英語1。 Cーちゃん魔女の宅急便最後まで見たらしい。 パンチラ。 スーツ。 コート。 ネクタイ忘れた。 ファミマ。 1307。 04GB。 1314。 空いてる。 四ツ谷。 1339。 空いてる、かな。 I田くんだっけ? 2時くらい。 05GB。 コーンマヨパン。 三重県。 片付けなくてよかったー。 面白い恋人。 カレーパン。 リポビタンD。 K畑さん。 今日行く元気ないなあ。 帰っていいのかな…? 夜行バスに若者次々 「東京出られなくなる」 週末控え、予定早め帰省 頭痛い。 9時過ぎくらい。 2121。 四ツ谷。 屋根なかった。 めっちゃ歌ってる。 2135。 あの人がS林さん…。 明日行きたくない…。 おやしらずつう。 折りたたみ傘。 みその。 藤浪と食事の女性2人も感染 バッタ。 せが四郎。 長期政権。 怒号層圏。 つまりオリンピック延びたからのんびりいきましょ〜。 ミラクル三井。 ハードディスク破損、か。 7月5日、7月6日。 うれしかった、か。 石山アンジュさん。 ちょっとT本くんに似てるな。 不在着信。 S戸さん。 SMS。 3月27日 眠い休みたい。 オロナイン。 インド。 コート。 新しいコンバース。 ぱぱす長蛇の列。 915。 空いてる。 金曜か。 「『モーニングショー』は、羽鳥さんと玉川さんがプロレスをしているところが人気なんですよ。 主婦に人気があってベビーフェイスの羽鳥さんに対し、ヒール 悪役 の玉川さんが噛みついてバトルをする。 彼からすれば、コロナウイルスによる混乱も、「ほら、僕の言った通りじゃない」と言いたいのだろう。 0944。 麻婆豆腐。 なるほど。 1,100。 スパムおにぎりツナマヨと鶏からしょうゆをY井さんへ。 郵便局。 1321。 13時半くらい。 リポビタンD。 さやま茶。 りんごジュース。 会議長そう。 お喋りが下手な私。 婦人警官2人。 予行演習? みその。 俺がなだめられた感じ? 家じゃなかった。 T本くん先に帰す。 4,780。 寝てる。 風のクロノアではなく。 3月26日 眠い。 915。 遅くはないか。 麻布十番をホームグラウンドに、後輩芸人らと西麻布や銀座ではしご酒を楽しみ、飲み会の最後にはクラブやガールズバーなど女性が接待する飲食店に繰り出すのが定番だ。 ばかなことしたな…。 まだか。 0945。 女性SP? ベーコンエッグパン。 パイナップル。 A元くん残留。 新型コロナ 夏に終息の公算小 背表紙。 穴がやばい。 106時間。 スパムおにぎりツナマヨ。 鶏からしょうゆ。 たまご入りマカロニサラダ。 あまね。 あまり早くなかった。 耳が痛い。 1257。 1時過ぎくらい。 タフマン。 アンパンおいしい。 タフマン。 疲れた。 I上くん送別会? 舗装工事。 タクシー。 新年会。 7,420。 チーズバーガー、ペヤングそばめしおむすび。 0130。 起きてた。 3月25日 早起き失敗。 この論文はその後、ほどなくして削除された。 そして、肖教授らも消息を絶ってしまった。 あれ、Fいる。 F、先生への手紙紛失。 こいつぁ春から延期がいいわえ。 デニッシュ。 トラピスト修道院。 卒業文集。 リスペクト。 F卒業式。 私鉄沿線97分署。 機械油? 3時間休暇。 1238。 1303。 優先席。 バイブレーション。 ロビー。 前任不明。 13時半くらい。 詰められる。 M崎くん。 最悪な経歴だな。 珈琲貴族エジンバラ。 仮面貴族マスカラス。 言えない。 カレーパン。 素晴らしい? タフマン。 全世界。 名前が悪い。 鎌倉ではなく。 ノー3密? バッテリーではなく。 本当だ…。 崩壊するから? 1時くらい。 浮かない。 タクシー。 元気な運転手さん。 セブン。 チーズバーガーとチーズのブリトー。 0137。 寝てる。 3月24日 FC修了式。 目障り。 コート。 冷える。 ぱぱす行列短め。 95GB。 915。 国民の外出を3週間にわたり原則禁止する封鎖措置を命じた。 「必須ではない」店舗とサービスは閉鎖され、3人以上の集会は禁じられる。 優先席。 0945。 98GB。 ベーコンエッグパン。 たっぷりフルーツミックスカップ。 ゼムクリップ。 ミルミルとミルミルS。 休暇簿。 野菜ジュース。 冷たくしてしまった。 鶏からしょうゆ。 スパムおにぎりツナマヨ。 だって調べても分からないんです。 もしかしたら国の専門家会議を先取りで大阪の職員が手に入れたのかもしれない」とくぎを刺していた。 PMより」 郵便局。 1321。 13時半くらい。 急に換気。 タフマン。 大手まんぢゅう。 さやま茶。 エリーゼ。 2334。 女子大生? 四ツ谷。 2347。 鹿番長。 やっぱ感じ悪いなたいが。 仕事できるつもりなのか? 終電上がりか。 みその。 笑い袋おばさん。 厚揚げ。 納豆オムレツ。 高いな…。 インド、21日間全土封鎖 隣のおじさんがはんぺんバターくれた。 千鳥足の同業者。 かーぺっ。 3月23日 眠い眠い眠ーい。 起動した。 『YAWARA! 』の主人公である猪熊柔のモデルとして広く知られ、劇場版『YAWARA! (実写)』(1989年、東宝)にはカメオ出演している。 傘なし。 910。 0941。 たっぷりフルーツミックスカップ。 91時間。 野菜ジュース。 1313。 チャージ。 K川さん。 トイレ。 ドア落ちないかな。 13時半くらい。 エリーゼ。 体調不良? お腹痛い。 ルマンド。 アルフォート。 T本くんカツ丼。 2315くらい。 お先にー…。 2334。 四ツ谷。 2347。 みその。 葉玉葱。 靴磨き。 初日に7,000円。 メールチェック。 マーケットプレイス。 3月22日 眠いー…。 何が起こるか分からないなら、100日後に転けるバイクが初日に転けるとか。 マンリキ野郎。 ハイリキ野郎。 入間くん4、ツーリングマップルR関東甲信越。 111933。 マツモトキヨシ。 コーラない。 ファンタグレープとか。 1130。 近所を一周。 666。 リム曲がってるな。 フォークのシールにひびが。 気休めにワセリン塗っとこ。 ミートソース? ミートは? チーズ。 恐らく、演奏終了後すぐに、自分が日本一の器ではないことが分かったのだろう。 今日はT本くん。 チェリオ。 ポテチ。 寝ちゃった。 T固まる。 メガクラスター。 ギガクラスター。 テラクレスタ。 武漢の新たな感染者 当局発表「ゼロ」に疑問の声 熊本…。 第三部四室。 ヤクルト。 台湾すげーな。 リポビタンD。 落ちた…。 メトロポリス ヤマダ電機本社延期。 3月21日 土曜。 早起き失敗。 8時半。 くしゃみ鼻水。 ルーシーがメイド服。 グレープ? 100円サンドイッチ。 録画した絶メシロード。 車中泊er。 俺もバイク黙って買ったけど…。 ドライブインのお爺さん堤幸彦演出的。 1話のお母さんも。 来週も北陸篇。 今週もお疲れ様でしたがなかった…。 せとか? ちょっと寝ちゃった。 行かねば。 行きたくない。 サンドイッチとヤクルト。 スーツ。 念のためコート。 暖かい。 高校の桜も開き始めた。 敷地の桜は満開。 ぱぱすトイレットペーパー入荷。 1320? 1343。 サンドイッチキープ。 2時くらい。 A達くん。 さやま茶。 おかき。 JM先生。 かりんとうなくなっちゃった…。 鳩サブレー。 サンドイッチ。 さやま茶。 なお、同人が声優業界及びアイドル業界に席をおいているかも知りませんが、声優又はアイドルではないと推測しております〉。 あ、A辰さんお疲れ様です。 2045くらい。 歯間ブラシ。 はー…。 2100。 職場に行く元気なし。 四ツ谷。 2113。 「安倍首相、麻生大臣。 改札の位置が戻ってる。 みその? じゃないよね。 みその。 キャベジン? おでん。 トリック1の第5話ってどこかの国の総理大臣といっしょだと思うんだ。 茄子味噌炒めうまい。 タイムリー。 あの寿司屋なくなっちゃったんだ…。 私が決断しました大会が終わりませんね。 北から西にながれていく感じがまた。 同業者。 新聞屋さんなくなっちゃった。 いい建物だったのになあ。 ダッフィー。 春分の日。 事件から10日後の1995年3月30日午前、静岡市高松(現・駿河区)の海岸。 運転席と助手席で男2人が寝ている。 窓をたたいても反応はなかった。 車内には無造作に詰まれた数十もの段ボール。 その一つに張られた郵送用シートがふと目に入った。 宛先は熊本県波野村(現・阿蘇市)。 疲れた様子の2人は顔を上げ、観念したような、ほっとしたような表情を浮かべた。 NHKが宅配業者と提携したら。 ぺちゃくちゃ。 オーバーシュート。 ローバージャパン。 ビーバーシーラント。 バナナシュート裁判。 あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう。 人ごみを避けて出かけたら地方振興にもなると思うんだけど。 デニッシュ。 小さな旅。 栗駒山。 山っておいしいね。 風強そう。 ホース。 全裸監督シーズン2いつから? 上司は2017年に他社から中途採用された。 パッド。 タイヤ。 焼きそばにじゃがいも。 わーい。 寝ちゃった。 4時過ぎ…。 ピエール瀧「全裸監督2」続投 ヤクルト。 ここの交差点好き。 近所を一周。 ガソリンスタンドの店員さんマスク。 やっぱり緊張。 09リットル。 あれ、そんなに入った? 17:08。 16,300. 1キロ。 CRM。 警察多い。 パンダ。 敷地の桜は満開。 高校はまだ咲いてない。 予定だった人。 せとか? 春巻きとか。 支配人の吉田康博はキャバレー一筋62年。 「沼地だった頃」から歌舞伎町を知る。 特に男はね。 私の主観ですけど、そういう経緯があって歌舞伎町は『東洋一の歓楽街』になった。 その波に乗って、キャバレーができました。 俗にいう大箱というお店。 大箱とは、数百人規模のホールがあって、女の子がたくさんいる店。 言ってみれば、一度にたくさんの人が遊べる場所です。 時代は大箱を必要とした。 やる気さえあれば、履歴書も性別も身分も国境も関係ないんです。 そんな時代だったんです。 今は時代が変わって、彼らと付き合ってはいけない。 だから私も時代の流れに合わせたんです。 警察関係の人とは、今も昔もお付き合いがある。 ざまあ見ぃ。 ジョンソン・エンド・ジョンソンの綿棒の棒がさらに強くなった。 武藤彩未 日本橋三井ホール延期。 もみの家ではなく。 3月19日 眠い。 布団に入ったあとの記憶がない。 T修了式。 デニッシュ。 イギリス復活するかもね。 雰囲気の仕事を雰囲気ない人がやってる。 行かねば。 まだコート。 夜は雨? 1時間休暇。 福祉グループ? 青い帽子のピヨピヨ軍団。 33R。 1012。 意外と人いる。 座れた。 批判受け IOCやや後退の声明 1043。 Y井さん。 N野さん出張。 A立くんは何だっけ。 たっぷりフルーツミックスカップ。 PPって何? 妄想…。 あんぱん。 中国メディアによりますと、ロンドン発上海行きのビジネスチャーター便の片道航空券は価格が約270万円にまで高騰しましたが、即完売したということです。 ヨーロッパから中国への直行便は運休が相次いでいて、価格高騰が続いてます。 2022でいいじゃない。 メジャー? メジャーセカンド? 暖かい。 シャツの人たち。 郵便局。 800? 1321。 13時半くらい。 頭脳労働ガル。 やっぱり感じ悪い。 ちょっとK井さんみたい。 俺は許さない。 食べ物の恨みは恐ろしい。 鵺の鳴く夜は恐ろしい。 帝国ホテルのお菓子。 クリームチーズパン。 2615くらい。 タクシー。 チーズバーガーとブリトー。 0254。 3月18日 眠いなー…休みたいなー…。 スイカ甘い。 T今日まで自宅学習? C自転車でピアノ。 バイク屋さん開いてる。 ぱぱす行列。 915。 唐田が好き? ミスターミニット時短営業。 あった。 0947。 ベーコンエッグパン。 たっぷりフルーツミックスカップ。 なごや嬢苺ショコラ。 野菜ジュース。 カップヌードルカレー。 ミルミル。 ミルミルS。 アールノート。 暖かい。 1313。 ドーナツ買わず。 13時半くらい。 2020。 ふわふわ。 刃向かう。 いらねーよ。 2315くらい。 2325。 四ツ谷。 2339。 いいなあ。 みその。 200フォロワー? ピーマン。 SMDさんモリさんに返信。 S藤さんK子さんに返信。 あ、どっちも自転車だな。 しょぼいなあ。 DASADA? カウンターのおじさん。 「コロナについてはNASAが全部知っているが隠している。 コロナには3種類ある。 大中小と。 」 生ビール? いやーしかし本当に末端の労働者なんだと痛感。 カカオ農家がチョコを食べられないみたいな。 そういう意味ではM本さんN田さんたちと大差ないな。 3月17日 眠いー。 名前何だっけ。 デニッシュ。 やっぱり1話いいな。 行かねば。 イパネマ。 ベートーベン2。 1時間休暇。 意外と寒い。 1012。 優先席。 1041。 N野さん出張。 野菜ジュース。 パイナップル。 わくわく北海道1。 パンデミックを止めるためには「検査、検査、検査」=WHO 「女優、女優、女優! 」 三田佳子 カップヌードルみそ。 眠いなあ。 1325。 1時半くらい。 課の送別会ではなく。 ピーチジュース。 オレンジジュース。 カップカレーうどん。 山梨大教育学部付属中1年で甲府市在住の滝本妃さん(13)が、マスク約600枚を手作りし、17日に山梨県庁で長崎幸太郎知事に手渡した。 眠いー。 アスパラドリンク。 ちょっと効いた。 25:15くらい。 タクシー。 便利ですねえ。 7,340。 セブン。 ブリトー。 0156。 届いてる。 Tこピアノ。 愛知県愛知郡東郷町北山台2丁目。 米で行われたなでしこジャパンの遠征試合に帯同していた サーティーン? 3月16日 眠いー。 休みたい…。 桜が咲いてる。 915。 そのため、母親は、作文の一部削除の件をTwiterにつぶやいた。 同時期に、北海道新聞、朝日新聞、共同通信に連絡した。 たっぷりフルーツミックスカップない。 0945。 挨拶なし。 A立くん内示。 35、12。 500円。 スパムおにぎり ツナマヨ。 鶏からしょうゆ。 おしまい。 野菜ジュース。 国境の町。 コーヒー。 チリトマトヌードル。 ペレファ・カフェまで、実家から3時間半くらい。 自宅から6時間半くらい。 休暇簿。 行きたくないなー。 風が冷たい。 1317。 チャージ。 ロビー。 もう疲れてる。 13時半くらい。 面白い恋人。 JMSS普通にいる。 両毛線…。 せとかゲット! アスパラドリンク。 バナナ。 せとか。 25時くらい。 タクシー。 セブン。 チーズバーガーとチーズのパン。 0139。 首相「卒業式ぜひ実施して」 野党「もう終わっている」 前島亜美。 アルミック缶Rではなく。 3月15日 早起き失敗。 有名私立大を主席で卒業して歯科医となり、これまで「仕事一筋」だったという。 「亡くなったお父さんは公務員で、お母さんはフラダンスの先生。 Aさんは次男坊で、孝行息子ですよ。 一人で暮らす母親のためにお洒落な一軒家を建てています。 趣味は車で、外車に乗っている。 昔から派手好きなところはあって、結婚する前は代官山や青山に住んでいたそうです。 記者を見つけると頭を下げて、物腰柔らかに対応した。 「ちょっとした言葉がすごい影響がでてしまうので……」。 そう語ったA氏は、スマホを取り出して、準備していた文面を読み上げた。 「世の中が一番大事なときに医療従事者の一人として本当に申し訳ないとおもっています。 なんか花田優一みたい。 メールボックス…。 仏 生活必需品以外の全店休業 ムカついてきた。 100円サンドイッチ買いにいこー、と思ったら今日土曜じゃないのか…。 デパートの売り場で「これで食べたらおいしいだろうな……」と奮発して買い求めた プラグまあまあ狐色。 イリジウムに戻す。 かからない…。 チョーク引くの忘れた。 フリース寒い。 GSX-R1100? 近所を一周。 疲れが。 焼きそば。 自転車。 入間くん3巻。 ラジコンマガジン4月号。 133434。 マツモトキヨシ。 体温計もないのか。 1346。 DS7? 四万温泉いいね。 行かねば。 ジープを縦にした高さ。 ボトムズ。 ニトムズ。 ウイルス的に復活の日。 偏見的にブルークリスマス。 デマ的にノーライフキング。 肺炎的にLove Letter。 焼肉の匂い。 ナップス。 CB1100Rの暴走おっさん。 本がなくなった? エアクリあった。 アップガレージ。 2りんかんスルー。 だみやん。 ローター落札。 21落札。 髭剃る。 松本か。 3月14日 土曜。 おさるのジョージ。 ヤクルト。 デニッシュ。 バナナヨーグルト蜂蜜。 録画した絶メシロード。 自転車のラック。 立ってしないと。 加須渡良瀬。 雨上がり。 北関東 南東北 は安心の不安感。 ジャガイモとソース。 焼きそばとコーラ。 アンパンと牛乳? 加須と駄菓子屋? 相席の男性はもし長期放送だったら再登場しそう。 ガッデムでいうとタクシードライバー。 私は現金歓迎って書いてあるガソリンスタンドが好きだ。 コーヒー。 たばこ。 トイレ。 こういったちょっと尖った回は、トリック1でいうと6〜8話? 帰り道はいつも。 次回は出張? 楽しみ。 雨音あまね。 スーツ。 クラークス。 雨風寒い手袋。 咳してるおじさん。 1326。 四ツ谷。 屋根が途切れてるんだ…。 みんな咳するよね。 1351。 14時ちょい過ぎ。 ソロデビュー。 1600ではなく。 今無理ですか。 狭山茶。 1900ではなく。 8時前リリース。 ヤクルト。 最後になっちゃった。 電話…。 N田さん。 23時過ぎ。 やんでる。 明日は少し乗りたいなあ。 2315。 四ツ谷。 人件費を削る話。 2332。 優先席。 な玩具を手がけるドイツ企業「ウーマナイザー」は14日までに、自社製品の販売が急増していると報告した。 もしかして少子化対策になってる? みその。 たくわん。 おにぎり。 するのかなあ。 結構混んでるな。 みんな退屈の限界? ディアーか。 PCX全然乗ってないのね…。 アキバも雪だったのか。 アイスリボン後楽園大会ではなく。 ゆるケットVol. 15 環七マルチスタジオではなく。 Miiya Cafeではなく。 3月13日 石川・輪島で震度5強 あ。 メールがいっぱい。 ヤクルト。 とにかく歯だ。 川遥 上和香 マイティ 上 接客していない女性。 中央通りの記事。 Friday the 13th。 シャツの人もいる。 巻き髪。 ぱぱす行列長っ。 916。 向こうからしても、ホレた女と一緒になりたいから、そりゃ、かわいがりますよ。 でも、女に対する愛情が失せたら、 たっぷりフルーツミックスカップない。 0948。 チーズのせベーコンエッグパン。 打合せ・・・? 地元紙スクラップ。 落ち着くのだけはつまらないな」と言われたんです。 私にはその発想はなかった(笑)。 鶏からしょうゆ。 スパムおにぎり ツナマヨ。 1321。 乗ったー。 ナンバー買わず。 ヤクルト。 ピンチ。 ごめんね…。 クロワッサン。 リカバリー。 おつかれさま。 カツオ。 27時くらい。 タクシー。 セブン。 カップ麺。 私はチーズバーガー。 0342。 3月12日 眠い。 起きる。 風強そう。 晴れたこと。 メール。 ヤクルト。 せとか。 コーヒー牛乳。 1時間休暇。 ピヨピヨ。 小学生男子。 KLX。 ラック空っぽ。 1012。 優先席。 あ、頭痛はなくなったな。 やめて。 調査兵団。 1042。 59GB。 たっぷりフルーツミックスカップ。 打ち合わせ。 休暇簿。 草つけて。 コブラ。 こむら。 メロンパン。 なんで昼休みに打ち合わせ。 Y井さんからチョコ棒。 人工呼吸器メーカー特需? 外の空気。 1313。 ロビー。 H岡さん。 切られた。 今日は電車で帰れそう。 シャワー。 22時前くらいだ。 T本くんとみその。 キリン。 2,000円もらった。 身の上話は待った方がいいね。 頭痛い。 晴れたこと。 準備しないと。 くしゃみ。 Fたまご。 T起きた? C自転車でピアノへ。 T寝た? 916。 休校中、公園行ってもOK 文科省見解「症状なければ」 今? 0947。 ベーコンエッグパン。 アラームセット。 ミルミルS。 ピーチミックス。 野菜ジュース。 頭痛い…。 ミックスサンド。 パイナップル。 りんご。 ギター。 モーリス。 郵便局。 1321。 アラーム。 PM2:46。 アラーム。 俺だけ? MNG くん。 大学を卒業。 ダブルチェック? やっぱりI原さん。 雰囲気。 26時くらい。 タクシー。 間違えた。 戻らないのか。 セブン。 ブリトーとチーズバーガー。 02:31。 おでんはほぼ一年中。 Tアニメ。 WHO パンデミックと表明 3月10日 二度寝。 ヤクルト。 炭酸レモン。 せとか。 あまね。 ワイドショーのコメンテーターにネット企業の社長出すなよ。 顔がもうウハウハじゃん。 みんなそれ見て本当に楽しいの? テレビも同じだけどさ。 明るい。 916。 ストレッチ? 歌川国芳? コシヒカリと人気二分! かつてシェア2位の「ササニシキ」、なぜ見なくなった? BE FREE! 羽賀研二。 ほとんど降ってない。 0950。 もうこんな時間か。 ベーコンエッグパン。 たっぷりフルーツミックスカップ。 ミルミル。 野菜ジュース。 フィルター。 クリア。 鶏からしょうゆ。 カップヌードルカレー。 八戸ではなく。 Y井さんすいません。 1325。 13時半くらい。 バタバタしてるっぽい。 待ってた? 狭いなあ…。 いなかっぺ大将ではなく。 でかいの。 疲れた…。 間違えた。 2315くらい。 2329。 四ツ谷。 2339。 首相がイベント自粛の延長要請 10日間程度 みその。 厚揚げ。 いつ収録したんだ? 納豆オムレツ。 マックか。 タクシーか。 世界が終わるなら、それでもいいよ。 疲れた…。 届いた。 習近平主席「ウイルス抑え込んだ」 武漢訪れアピール 延期が厳しいなら去年やったことにしよう。 3月9日 眠い。 行きたくない。 休みたい。 修復失敗。 外付ハードディスクを外す。 起動した。 車は始動して感動。 パソコンは起動して感動。 911。 途中から座れた。 この瞬間から中国はパニックに突入し、1月23日には武漢封鎖に踏み切ったが、もう遅い。 それまでに500万人に及ぶ武漢市民が武漢から脱出し、中国全土に散らばっていった。 その習近平のご機嫌を損ねてはまずいと、習近平に忖度した。 マカオを管轄するのは中国政府 北京 の全人代 全国人民代表大会 常務委員会で、この委員会が、マカオがこのような措置を取ることを許可したということは、安倍首相が同様の英断をしても問題はなかったことを意味する。 0944。 ベーコンエッグ。 パンたっぷりフルーツミックスカップ。 野菜ジュース。 コーヒー。 カップヌードル2コ買って「お箸は1膳でよろしいですか」って2膳くれよそんなに食べないよ何そのクリームソーダにストロー2本の逆みたいなの。 カップヌードルカレー。 入金あり。 12:06。 ヨーグルト。 買わず。 13時半くらい。 あ、間違えた。 載ってる。 説明…? あ、間違えた。 指示が変わった。 ごめん。 2315くらい。 2329。 四ツ谷。 2339。 真っ暗。 みその。 空いてる。 ヤバマン。 t-Ace? 世界の料理ショーみたいなものかな? 豚キムチ。 ポテサラ。 コロナか。 人がいないなあ。 本当に東京? タップ。 エコバッグ。 外付ハードディスクを接続。 目覚まし時計。 3月8日 早起き失敗風味。 眠いー…。 寝ていたい。 新型コロナウイルス感染が確認されて山梨大付属病院(山梨県中央市)に入院している20代男性会社員がウイルス性髄膜炎で重症となっていることが7日、分かった。 新型コロナによる髄膜炎が確認されたのは国内で初めてで、世界的にも珍しい。 あまね。 人形焼。 マズシーナ姫。 水瀬いのり。 キラメンタイ。 石が意思を!? なんだあの浅田飴の缶みたいなブレスレットは。 俺「そっから出んの!? ショベ郎。 地獄ラグビー。 行かねば。 レガシィってノーマルでもうるさいんだな。 ひとりで群馬へ。 R2がなくなった。 物置小屋の戸が外れそう。 3回目くらいで始動。 4発回ったっぽい。 近所を一周。 自動車税 納税証明書。 封筒 お金。 段ボール 車検セット。 ガムテープ。 駐車場ガラガラ。 ジムが休みだからか。 銀106さんに挨拶。 リアスポイラーたててる。 黒いセローかっこいい。 珍出現。 50号だなあ。

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「たとえ明日、世界が滅びようとも……」

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

[政治・選挙・NHK253] 入管法改正をめぐる安倍政権のデタラメ…外国人の奴隷労働拡大を狙う一方で官邸が法務省の外国人共生対策を潰していた!(リテラ 赤かぶ 1. : : [485] 安倍政権は、人手不足をカバーするために外国人労働者を大量に受け入れるつもりだが、もし「入管法改正案」が実施されたら日本人の賃金が大幅にダウンすることが分かった。 まったく正気の沙汰とは思えないだろう。 そのおかげで日本の防衛費が現在の2倍の11兆円超に達する。 これは対GDP比2%に当たる額で、いずれ社会保障費を圧迫することは必至だ。 日米首脳会談(9月26日)の後、トランプは得意気にこう語った。 安倍晋三は唯々諾々と従った。 安倍政権での防衛予算の要求額は7年連続で増額している。 目玉となったのは陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(陸上イージス)だ。 2基分の取得関連費2352億円が盛り込まれた。 最終的に米国への支払い総額は4664億円になるが、新型の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」(1発約40億円)の代金は含まれていない。 1基24発だから計48発で約1900億円。 さらに、基地建設費なども含めれば8000億円近くに達する見込みで、どんどん値が膨らんでいる。 イージス・アショアはもともと自衛隊が求めてもいなかったものを、安倍政権が押し付けた形だ。 2013年の「防衛計画の大綱」にも「中期防衛力整備計画」にも入っていなかった。 13年の「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」に入っていなかったイージス・アショアを含めて高額兵器をどんどん購入するアベ。 奴隷外交ではますます足下を見られるだけだ。 日本はアメリカの貯金箱ではない。 対米従属を根本的に見直すべきだろう。 ) - Yahoo! ニュース — 落合洋司🇯🇵Yoji Ochiai 承詔必謹 yjochi 配備されるのは秋田県と山口県。 北朝鮮が弾道ミサイルを発射してハワイに向かう軌道が秋田、グアムに向かう軌道が山口。 配備先も米ミサイル防衛局の勧告を受けた。 日本は莫大なお金を払い、米国の防波堤になる。 これは対GDP比2%に当たる。 そのおかげで日本の防衛費が将来的に、現在の2倍の11兆円超に達する可能性が出てきた。 これは対GDP比2%に当たる額で、いずれ社会保障費を圧迫することは必至だ。 * * * 「私が『巨額の貿易赤字は嫌だ』とシンゾーに言うと、日本がすごい量の防衛装備品を買ってくれることになったんだよ」 日米首脳会談(9月26日)の後、トランプ大統領は得意気にこう語った。 防衛省が2019年度予算編成で概算要求した防衛費は、過去最大の5兆2986億円(前年度当初予算比2. 1%増)に上った。 安倍政権での防衛予算の要求額は7年連続で増額している。 防衛費を押し上げるのは、米政府から直接、兵器を購入するFMS(有償軍事援助)だ。 FMSの新規契約額は、今年度予算より実に70%増の6917億円に膨らんだ。 国際政治学が専門の流通経済大学法学部の植村秀樹教授が厳しく批判する。 「具体的な防衛政策や政治的な哲学があって、必要な兵器を買っているとは思えません。 ただ、高いものを買わされているようにしか見えず、納得できません」 目玉となったのは陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(陸上イージス)だ。 2基分の取得関連費2352億円が盛り込まれた。 最終的に米国への支払い総額は4664億円になるが、新型の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」(1発約40億円)の代金は含まれていない。 1基24発だから計48発で約1900億円。 さらに、基地建設費なども含めれば8千億円近くに達する見込みで、どんどん値が膨らんでいる。 イージス・アショアはもともと自衛隊が求めてもいなかったものを、安倍政権が押し付けた形だ。 13年の「防衛計画の大綱」にも「中期防衛力整備計画」にも入っていなかった。 軍事ジャーナリストの田岡俊次氏がこう指摘する。 「北朝鮮の弾道ミサイルから日本列島全域を守るには、迎撃用ミサイルを積むイージス艦2隻を配置する必要があります。 ただ、最近まで4隻しかなく、1隻は定期整備のためドックに入っているから、稼働は3隻。 うち2隻を常に洋上に出して警戒に当たらせていたのですが、乗組員には過酷な任務になっている。 それで8隻態勢にすることを13年の大綱でも決めたのです。 そこにまったく想定外のイージス・アショアが加わったのです」 イージス艦の8隻態勢は21年に完成するから、イージス・アショアは無用の長物になる。 1基にミサイル24発が定数だから、北朝鮮の数百発のミサイルに対して「抜本的に防衛力が強化された」という防衛省の説明はウソだ。 また、納期も25年というからカネをドブに捨てるような話だ。 そこから基地建設に着手するので配備はさらに遅れる。 配備されるのは秋田県と山口県だが、北朝鮮が弾道ミサイルを発射してハワイに向かう軌道の下が秋田、グアムに向かう軌道の下が山口なのだ。 「防衛省幹部は言葉を濁しますが、配備先も米ミサイル防衛局の勧告を受けたようです。 日本は莫大なお金を払い、米国の防波堤になるわけです」(田岡氏) 運用するのは陸上自衛隊だが、海上自衛隊と異なり、陸自にはイージス・システムの実績がない。 ノウハウの確立や要員育成も課題だ。 しかも、イージス・アショアのアンテナが出すレーダーは強力な電磁波で、水平線に現れるミサイルを監視するから、周辺住民に電波障害による健康被害が懸念される。 百害あって一利なしの欠陥商品なのだ。 最新鋭戦闘機F35Aも6機を916億円で追加取得する。 1機当たりの値段は12年度の96億円から約150億円に跳ね上がった。 部品の調達、メンテナンス、修理など経費に使用年数をかけてはじき出すライフサイクルコスト(総費用)は、当初より16%増えて2兆2千億円となった。 防衛省関係者がこう不安を語る。 「防衛装備品の価格は米国のロッキード・マーチンなど軍事企業の言い値です。 日本企業では調達できないので、金額を吊り上げたり、納期を守らなかったりというのが常套手段になってぼったくり状態。 トランプ氏との約束でF35Aはあと40機くらい買わされるのではないかと心配されている。 ライフサイクルコストはトータルでいくらになるのか、想像もつかない」 今年5月、自民党は新しく策定される「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」への提言を行った。 防衛費を対GDP(国内総生産)比2%まで引き上げることを主張したのである。 18年度のGDP(予測)で計算すれば、何と11兆2860億円だ。 「岩屋毅防衛相や中谷元・元防衛相ら防衛族議員の言い分ですが、防衛担当の財務省主計官もやむなしという反応だった。 近い将来、年金受給開始可能年齢を70歳超にまで引き上げると言われ、社会保障費の枯渇が心配されているご時世で、防衛費を2倍になんて安倍政権の防衛政策の無計画さを露呈している。 ) - Yahoo! ニュース — 法師 tatsuofujii こういう人のために売国奴という言葉が存在します。 未だに支持してる頭の弱い人達もね。 ) - Yahoo! 中国は様々な文化事業などを通じて、表面上は微笑みを絶やさず日本人を信用させ、長年かけて「洗脳」してきた。 中国シンパは、日本の中で対立をあおり、混乱を増幅させようとする。 が、中国の尖閣への挑発や南シナ海の独占化、チベットやウイグルへの残虐行為、さらには中国国内の民主化活動をことごとく弾圧する中国共産党に対しては、「気が付かないふり」をする。 驚くべきことだが、そこまで「洗脳」が浸透しているのである。 以下はフェイスブックに掲載された投稿ルポである。 人間の尊厳を「これでもか」といたぶり続ける中国共産党。 領土を占領し、チベットからレアメタルなど資源を奪い去る中国共産党の残酷非道ぶり。 余りの生々しさに目を覆いたくなる。 *********************************** チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ち。 尼僧との性交を強いられたり、売春婦をつれてきて僧に性交を強要。 僧が拒否すると腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたという。 神を畏れぬ獣と化した中国兵。 大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれた。 熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺された。 性暴力はひどいもので、尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話した。 捕まった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられた。 顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされた。 その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていた。 大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けた。 やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げ回り、ついに気絶した。 気が付くと水をかけられてびしょ濡れになった。 再び拷問が始まった。 電気棒を口や肛門、女性の性器に押し込んできた。 私は悲鳴を上げて再び気絶した。 電気棒は家畜に用いる電気ショック棒で、1980年代から使われ。 中国共産党の民族浄化作戦で、女性が子供を産めないようにするのが目的だ。 28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史 私が逮捕されたのは26歳の時。 300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられた。 しかし、実際には中国人看取の性欲処理係だった。 私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えた。 でも残された年老いた両親のことを思い思い留まった。 豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来た。 私たちの行為がなかったら、彼らは一カ月と生きられなかった。 中国はこれらを「亡命者の証言は虚偽」と主張していますが、複数の証言を符合させれば事実というのがわかるでしょうし、歴史的に見て中国人の手口です。 日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言の性的暴力のところは隠蔽して報道しました。 朝日新聞と岩波書店の月刊誌「世界」です。 このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害されるそうです。 ニセ人権主義者が日本に大勢潜んでいるということでしょう。 [政治・選挙・NHK253] アベ君、ダメじゃないか。 しっかりと反省し、きちんと勉強しなくっちゃ。 (澤藤統一郎の憲法日記) アベ君、ダメじゃないか。 しっかりと反省し、きちんと勉強しなくっちゃ。 2018年11月5日 澤藤統一郎の憲法日記 アベ君、キミは昨日(11月4日)明治神宮に参拝したそうじゃないか。 しかも、公用車で乗り付けて、「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書き記帳し、本殿ではしっかりと二礼二拍手一礼の神道形式の礼拝を行った。 これは、やってはいけないことだ。 キミが守らなければならない日本国憲法というルールの違反だ。 キミの大好きな教育勅語。 キミとその仲間は、「全部が間違っているのではない。 普遍性を持つ部分もある」などと言っている。 自分に都合良さそうな部分のつまみ食いはもちろんいけないが、その教育勅語をキミは読んだことがあるのかね。 いったいキミは、いささかなりとも「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ」したことがあるか。 「進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」も、ゴリゴリの私益第一主義のキミのこと、キミの信奉する勅語に照らして恥ずかしくはないか。 それはともかく、問題は「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」の部分だ。 いうまでもなく「國憲」とは憲法のことだが、勅語の時代には大日本帝国憲法で、普遍性を持つというなら今は日本国憲法を指すと考えねばならない。 この違いをキミはよく理解しているだろうか。 先日の11・3憲法集会で、体育大学の学生に憲法を教えている研究者が、「首相は憲法を理解していない。 私の生徒なら明らかに落第」とスピーチし、満場がさもありなんと肯いていた。 嘆かわしいが、国民はそのようにキミを理解しているのだ。 大日本帝国憲法は、「朕」が「臣民」に与えた法規範だ。 だから、勅語では上から目線の「朕」が「臣民」に「憲法と法律を守りなさい」とエラそうに言っている。 しかし、日本国憲法はまったく構造を異にする。 主権者国民が権力の委託先に遵守を命じた制限規範なのだ。 すべてお任せしますから、ご自由に権力の行使をしてくださいと、全面委任があったのではない。 権力の行使はこの限りでせよ、とシバリが掛けられている。 そこのところを一番大切なものとして、キミは肝に銘じなければならない。 つまり、キミは大日本帝国憲法下の教育勅語では臣民として、日本国憲法下では権力を付託されたものとして、いずれにしても「常に國憲を重んじ」なければならない立場なのだ。 キミは、日本国憲法99条によって「日本国憲法を尊重し擁護する義務」を負っている。 一瞬たりとも、このことを忘れてはならない。 キミの本心が、「日本国憲法大嫌い。 人権尊重も民主主義も平和主義も、可能な限り軽視したい」「嫌いな憲法を、私好みに変えたい」というものだとはみんなが知っている。 しかし、ことはキミの好き嫌いの問題ではない。 キミが首相という地位にある限りは、面従腹背でも、憲法を遵守しなければならないのだ。 その憲法に、政教分離を命じた20条と89条がある。 キミのために、条文を引いて、分かり易く解説しておこう。 第20条(信教の自由・政教分離) 1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 第89条(公の財産の支出・利用の制限) 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため…に、これを支出し、又はその利用に供してはならない ここには、人権としての信教の自由(信仰の自由・宗教活動の自由・宗教的強制を受けない自由)と、その人権を保障するための制度として、政教分離原則が規定されている。 政教分離は、首相であるキミに、神社参拝などしてはならない、と命じている。 そこを弁えなければ、いつまでも憲法は落第点だ。 これまで、首相や天皇の公式参拝の可否は、靖国神社について論じられてきた。 政治的、外交的、歴史的理由からのことだ。 しかし、日本国憲法の政教分離の本旨は、神権天皇制の復活を許さないことを目的とするもの。 戦前の天皇制は、天皇崇拝の宗教的な情念を臣民に注入することで、国民的規模のマインドコントロールに大きな成果を上げた。 その反省が、「政」(政治権力)と「教」(天皇を神とする宗教)との分離を命じる憲法20条である。 比喩的にいえば、人間宣言において生身の人間となった天皇を、再び神に戻さぬための、歯止めである。 だから、靖国だけではない、神社神道の本宗である伊勢神宮参拝もしてはならない。 明治天皇(睦仁)を神として祀る明治神宮参拝など、もってのほか。 キミは、参拝後、記者団に「明治150年にあたり参拝した。 日本国の平和と繁栄、安寧、皇室の弥栄をお祈りした」と述べた、と報じられている。 これは個人的イデオロギー吐露と言って済ませられる問題ではない。 「天皇を神として祀る神社に参拝して、皇室の弥栄をお祈りする」などは、憲法違反も甚だしい。 政教分離には厳格な判例がある。 岩手靖国違憲訴訟控訴審(仙台高裁)判決は、 「首相や天皇が、その公的資格において靖国神社を参拝するのは国家が他の宗教団体に比して靖国神社を特別視しているとの認識を国民に与える」ことをメルクマールとして違憲であると述べている。 また、愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決は、いわゆる目的効果論に拠りつつ、愛媛県が護国神社に合計9万円の公金を支出して奉納したことは、 「一般人がこれを社会的儀礼にすぎないものと評価しているとは考え難く、その奉納者においてもこれが宗教的意義を有するものであるという意識を持たざるを得ず、これにより県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができないのであり、これが、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないなど判示の事情の下においては、憲法20条3項、89条に違反する。 」と明快に述べている。 キミの理解のために解説すれば、こんなことだ。 明治天皇(睦仁)とその配偶者(美子)の崇敬者において、この両名が死後神になったと信じてこれを祀る信仰の自由は憲法が保障するところ。 この二柱を祭神として神社を創り運営することも、宗教法人明治神宮を組織して布教活動を行い宗教行事を行うことも、さらには国民が個人してこの宗教施設に参拝することも、いずれも憲法が大切な人権として保障している。 しかし、信仰も宗教活動も、私的なものでなくてはならない。 いささかなりとも、公権力が関わってはならないのだ。 「首相の神宮参拝は、国が明治神宮との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することができない。 これが、一般人に対して、国が明治神宮を特別に支援しており明治神宮が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、明治天皇夫妻を神とする宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないので、憲法20条3項に違反する」 キミが明治神宮に納めた玉串料は私費からということだが、「玉串料を私費から支出さえすれば、違憲を免れる」というのでは、憲法の授業での単位は取れない。 メルクマールは、「一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており右宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすもの」であるか否かなのだから。 しかも、キミの場合、その私費もの出所も、もとをたどれば税金であることを弁えねばならない。 世界に例をみないスピードで進む少子高齢化に歯止めを開けようと新設。 志やよし、である。 だが仏作って魂入れずでは何もならない。 2007年8月の初代の上川陽子から今日の宮腰光寛まで20代を数えた。 その間にも少子化は休むことなく進んでいった。 ところが、少子高齢化に対する明確なビジョンはただの一度も示されたことがない。 毎年予算だけはしっかりつくが、いつまでたっても青写真が示されない。 担当者は一体何をしているのだろう? 今年10月の第4次安倍改造内閣で少子化担当大臣に就任した宮腰は、内閣府特命担当大臣としてほかに、沖縄及び北方対策、海洋政策、消費者及び食品安全、一億総活躍、行政改革、国家公務員制度なども兼務している。 こんなにたくさんの職務を抱えて、果たして「まともな仕事」が出来るのだろうか?出来るというものがいたらあの聖徳太子も、びっくりだ。 スーパーコンピューターでもない限り、並の人間にはとうてい不可能だ。 ハッキリ言おう。 「少子化担当」などと言うのは、一時しのぎの思い付きでしかない。 世間で騒がれると安倍晋三はチャッカリ看板だけ「いただく」、中身などどうでもいいのである。 だから次から次へと新しいキャッチフレーズが飛び出す。 これまで何一つまともに解決したものはない。 無知な者は「安倍さんは常に新しいことに取り組んでいる」と驚いて拍手を送る。 すべてトリックである。 少子化に伴う人手不足の穴を埋めるために外国人を大量に迎え入れるというが、そんな「泥縄」でお茶を濁していいのか? [政治・選挙・NHK253] 片山氏の関連団体、収入また未記載 報告書の不備が続々 片山氏の関連団体、収入また未記載 報告書の不備が続々 2018年11月5日19時40分 朝日新聞 片山さつき氏の政治団体で未記載だった収支金額 片山さつき地方創生相が代表を務める政治団体「自民党東京都参院比例区第25支部」(第25支部)が、2014年と16年に収入があった少なくとも計20万円を政治資金収支報告書に記載していなかった。 片山氏側は、朝日新聞が指摘した2日付で収支報告書を訂正した。 片山氏側は10月31日付でも報告書を訂正しており、地方創生相就任後、約500万円分の政治資金の出入りが未記載だったと修正したことになる。 朝日新聞が各政治団体の収支報告書を調べたところ、元農林水産相の西川公也氏が代表を務める政治団体「幸湖会」が16年6月、10万円を第25支部に支出していた。 しかし、第25支部側にはこの収入の記載がなかった。 また「自民党埼玉県支部連合会」も14年12月に第25支部に10万円を支出していたが、第25支部側に記載はなかった。 片山氏の事務所は2日、報告書を訂正し、16年分の収入と繰越金をそれぞれ20万円増額した。 一方、「自民党神奈川県川崎市支部連合会」の報告書には、第25支部から16年に計69万円の交付を受けたと記載されていた。 第25支部の報告書ではこの支出の記載が確認できず、片山氏の事務所は取材に「記載漏れを確認したので訂正する」と説明している。 第25支部の収支で記載漏れがあった理由について事務所は「当時経理を担当していた元秘書が他界しているため確認できない」とした。 片山氏をめぐっては、口利き疑惑を報じた週刊文春が1日発売の記事で計200万円の収入の未記載を指摘。 片山氏側は10月31日付で第25支部が16年分に278万円の収入を記載していなかったと報告書を訂正していた。 この訂正にあわせ、第25支部が片山氏本人に選挙費用として支出した488万円を288万円に、翌年への繰越額約207万円を約685万円に、それぞれ修正するなどした。 このなかで、税理士らによる政治団体「TKC静岡政経研究会」から第25支部が16年6月に受け取った10万円の寄付を削除したが、同研究会の報告書には第25支部への支出が記載されたままになっている。 この点について朝日新聞が指摘したところ、片山氏側はこの寄付を確認したとして「間違っていたので、再度訂正する」としている。 政治資金規正法は政治団体に対し、すべての収入や支出の額、5万円を超える寄付については団体名などを、収支報告書に記載して届け出ることを義務づけている。 (長谷文、杉浦幹治、田内康介) 片山さつき氏が代表を務める政治団体が、少なくとも計20万円を政治資金収支報告書に記載していませんでした。 報告書の不備が次々と明らかになっています。 — 朝日新聞 asahi shimbun) asahi 国民を馬鹿にし過ぎだろ💢 このクソ安倍内閣、 を含め、どいつもこいつも真っ黒。 もう総辞職以外見当たらない。 片山氏の関連団体、収入また未記載 報告書の不備が続々:朝日新聞デジタル — ジョンレモン horiris 政治資金規正法違反が 次々と出る地方創生相片山さつき どんな犯罪行為も 訂正・撤回すれば何でも許されるのが アベ政治の流儀? 政治家としては終わっているのに 連日国会で答弁せず逃げるのも 安倍の指示? 安倍が報道させないけど マスコミに桝添のように報道させよう。 — 桐谷育雄 kiriyaikuo 西川公也の「幸湖会」が16年6月に10万円を、「自民党埼玉県支部連合会」も2014年12月に第25支部に10万円を支出していたが、記載はなかった。 「自民党神奈川県川崎市支部連合会」は、第25支部から16年に計69万円の交付が記載されていたが、支出の記載がなかった。 🖥️片山ウソツキさん、ウソはフォトショップ加工だけにしときましょうよ。 片山氏側は10月31日付で第25支部が2016年分に278万円の収入を記載していなかったと報告書を訂正していた。 「片山氏の関連団体、収入また未記載 報告書の不備が続々」 『朝日新聞』 — 木戸健太郎 kidokentaro いくら自民党の地方創生に対する意欲が低くても、もう少しまともな人材がいるでしょ・・・ こんな都会者でスネ傷だらけみたいなのを予算シーズンに当てられたら百害あって一利無し。 この言葉は当然のようで、誰も反論できない、同一労働なら賃金 体系 は同じであるのは当然と思い、反論しない。 しかし、それは相当昔の労働賃金体系、労働条件を念頭にしているから反論でないのである。 労働の現場は、小泉・竹中改革によって非正規雇用が際限ない広がりを見せている。 労働三法で守ってもらえず団結権もなく、労働組合からも除かれた存在として、定期的に解雇と雇用を繰り返される派遣社員が日本の職場を圧倒し始めることになる。 雇用者側に立つ政権がこうした条件の下で、同一労働同一賃金を唱えるとどうなるか明らかである。 企業側は低い方に合わせることになる。 正規雇用者たちの労働組合は当然のことであるが、反対する。 それに対して企業側は国民の声を背景に、労働組合側を批判するという、妙な構造が出来上がっている。 今回安倍晋三が下向いてメモを懸命に読み上げる「入国管理法改正案」であるが、もっと安い、もっと労働条件の劣悪な、雇用と解雇のハードルの低い労働力を導入するための道具である。 この道具を機能させるために、中身をほとんど検討させずに、条例でこの法律は動くことになるという、極めていい加減な法律である。 法の目的使命が、労働不足を口実に賃金を抑えることになっている使命からに他ならない。 竹中平蔵の主張する、非正規雇用関係だけにすることへの道である。 そもそ少子高齢化の深刻な社会が目前に迫る中、バブル時代の幻影に向かって、成長ばかりを目指すから人で不足なのである。 規模を縮小させ安定させてなお、人材不足なら致し方なかろうがはたして現実はどうなのか、私は酪農の現場しか知らないが、国の政策として巨大化巨大化の一本やりの政策では、人が不足するは当たり前である。 非正規雇用でこの国を満たし、そこへどうやら120万人ほどの外国労働者を見込んでいるようである。 経済企画庁の職員の試算によれば、50万人なら13.82%賃金が下がり、100万人なら24.24%下がると試算していることが判った。 120万人ならどうなるか明らかである。 この法律が、貧困層から職場と賃金を奪うことになる。 [政治・選挙・NHK253] 古賀茂明「迷走する消費増税対策 軽減税率のために貧困層、高齢者が損する」〈dot. 〉 古賀茂明「迷走する消費増税対策 軽減税率のために貧困層、高齢者が損する」 AERA dot. 東京大学法学部卒業後、旧通産省(経済産業省)入省。 国家公務員制度改革推進本部審議官、中小企業庁経営支援部長などを経て2011年退官、改革派官僚で「改革はするが戦争はしない」フォーラム4提唱者... 軽減税率の対応「早めの準備を」 大阪の商店街でPR(C)朝日新聞社 安倍晋三総理は来年10月に消費税を8%から10%に2%引き上げると宣言した。 消費税は、逆進性の高い税金だ。 所得に対する消費の割合は、貧困層ほど高い。 貯金する余裕などなくほぼ全額使ってしまうという家庭や借金したり貯金を取り崩して生活するという家庭もある。 このような家庭にとっては、消費税が2%上がると、医療費のような非課税対象以外の支出全てが2%上がり、生活苦は一気に深刻化し、生活必需品の購入や教育費も削らざるを得ず、ひどいケースでは借金を拡大しなければならない事態にもなる。 その結果、生涯かけてもほとんど貯蓄はできず、子供や孫に財産は残せない。 これに対して、富裕層では、元々所得に対する消費の割合は低く、かなりの貯蓄ができる。 2%税率が上がっても、貯蓄をほんの少し減らせば、生活を切り詰める必要はないし、その後も貯蓄を続けて、子や孫に贈与をしたり巨額の遺産を残したりできる。 つまり、格差が世代を超えて拡大していくのを消費税がさらに助長するわけだ。 そうした懸念があることは、安倍政権もわかっている。 そこで、食料品などに軽減税率を導入して8%に据え置くとともに、様々な対策メニューを導入しようと検討を急いでいる。 プレミアム商品券は、バラマキ政策を実行するために自民党と連立を組んでいる公明党のお家芸だが、これは、「天下の愚策」として経済学者からも酷評されている政策だ。 この他に住宅ローン減税の拡大、自動車関連の減税なども検討されているが、呆れたことに、国土強靭化に資する公共事業を増やすことまで検討課題になっている。 地震が起きても国土強靭化、水害が起きても国土強靭化。 そして、何と消費税増税対策で国土強靭化。 国民にとって、増税は大きな災害だから一貫性があるという冗談も聞こえてきそうだが、便乗バラマキの最たるものだ。 もちろん、これらは、来春の統一地方選と夏の参院選対策であることは、誰にでもわかる。 それにしても、何故それほどまでに大騒ぎして、バラマキをしなければならないのか。 今回は、前回の消費税増税3%に比べて上げ幅も2%と小幅だし、子育て支援などにも追加で支出することで、経済へのマイナス効果も格段に低いと政府自身が認めている。 前回は、安倍政権誕生から1年数カ月しか経っておらず、アベノミクスの効果もまだ発揮できないうちに増税してしまったので、経済がそのショックに耐えきれなかったという言い訳がなされた。 一方、今回の増税実施は、前回の増税から5年半、安倍政権誕生から6年半以上経過した19年10月に予定されている。 これだけ時間が経てば、アベノミクスの成果も大々的に開花していなければならない。 欧州などでは消費税が増税されて経済が失速することはない。 日本特有の駆け込み需要とその後の反動減という問題があると言うが、安倍総理によれば、日本経済は空前の好景気に沸いているそうだ。 これが本当なら、2%の増税などそれほど大きな問題ではないはずだ。 しかし、実際は、大問題になっている。 誰もが心配して、これほど大規模な対策が必要だということは、要するに、アベノミクスでは日本経済はほとんど強化されておらず、5年経っても2%の増税にすら耐えられない惨めな状況にあるということだ。 アベノミクス失敗を自白しているのと同じではないか。 例えば、イートインでの飲食をするなら10%、持ち帰るなら8%という線引きについて、コンビニのイートイン・スペースを閉鎖しなければならないなどということが真剣に検討されている。 さらに混乱に拍車をかけそうな対策が、中小小売店向けのポイント還元策だ。 消費税がアップすれば売り上げがダウンし、経営体力のない中小企業は経営が苦しくなる。 そこで、中小の小売店や飲食店などで消費者がクレジットカードやスマホ決済などで代金を払った場合、増税分2%分のポイントを国の財政支援で上乗せしようというのだ。 中小企業の販売低迷を防ぎ、キャッシュレス化を進める一石二鳥の「名案」として、私の古巣である経済産業省がひねり出したらしい。 私は経産省時代、取引信用課長としてカード業界を担当したこともあるが、カード業界のことを少しでも勉強した者であれば、こんなことは思いつかない。 私が課長なら、その場でボツだ。 世耕経産相の意向を忖度したのかどうかわからないが、やっぱり、経産官僚の質が相当落ちているということを露呈したというしかないだろう。 何が問題なのか。 まず、クレジットカード会社は小売店や飲食店などの加盟店を「大手」「中小」などという基準で分類していない。 だから、改めてシステムを変更して、加盟店の仕分けをしないといけないのだが、その作業はとても煩雑だ。 とても来年10月の増税時までには間に合うとは思えない。 また、経産省と財務省がカード会社に決済手数料の上限を3%台にすることを求めているのも驚きだ。 手数料は、サービス利用の対価だ。 つまり、物の値段と一緒。 アイスクリーム1個100円を90円にすれば補助金を出すというのと同じ政策。 こんな商売の核心について政府が口出しするとは、まるで共産主義ではないか。 加盟店手数料の水準は、実は消費者の行動様式と密接に関連して決まる。 日本の消費者はリボ払いやキャッシングの利用を嫌う。 毎月の収入と相談しながら支出の額を管理していく堅実な消費態度を守ろうとする人が多いからだ。 キャッシングはすなわち借金だし、リボルビングも月々の支払いを一定額以下にできるが、残高が残れば、それに高い金利が付く。 それで借金漬けになるのが怖いから、消費者は最初から、こうした方法を選ばないのだ。 そのため、リボルビングなどの金利で大きな利益を上げている欧米のカード会社などとは違い、日本のカード会社は3〜7%の加盟店手数料が収益の中心となっている。 それを3%台に抑え込めば、カード会社の収益は大幅に悪化するだろう。 そうなると、その分を取り戻そうと、利用者にリボ払いやキャッシングを強力にプッシュせざるを得ない。 その結果、カード破産者の増加にもつながりうる。 消費者の純粋な選択でそうなるなら仕方ないかもしれないが、政府の政策によってカード会社をそういう方向へ誘導するのは、消費者政策としては、全く愚の骨頂ではないか。 さらに、キャッシュレス未対応の店は、中小の中でも特に零細な店が多いのも心配の種だ。 そういうところに、事実上キャッシュレス対応を無理強いすれば、機器の導入費用や手数料負担に耐えられず、廃業に追い込まれる中小店も出てくるだろう。 私の知り合いの店では、2%のポイントのために機器の導入費用を払い、さらに売り上げの3%を手数料として取られるのなら、最初から売値を2%引き下げて売った方がましだが、それでは赤字になってしまうと悩んでいる人もいた。 問題は、これだけにとどまらない。 大企業と中小企業で税率が変わると言っても、例えば、同じコンビニでも、本社直営店なら大企業だから10%、フランチャイズ店なら中小企業で8%ということが起きる。 消費者にはわかりにくいし、店側と顧客とのトラブルも起きかねない。 また、2%のポイント還元策により、中小店舗の扱う食料品をキャッシュレスで買えば、実質6%で買えてしまうから、増税どころか、減税になってしまうという問題もあるし、ポイントの還元率がカード会社によって異なるのにどう対応するのかという問題もある。 これではいったい、何のための増税かわからない。 弱者対策というなら、軽減税率など止めて、真の弱者にピンポイントで財政支出した方がはるかに良い。 これは、具体例を挙げて考えてみれば誰にでもわかることだ。 食料品の消費税を8%に据え置けば、確かに貧困層には恩恵となる。 スーパーのセールで100グラム75円の鶏肉を400グラム買えば2%軽減の効果は6円。 本当に生活に困っている家庭にとっては6円でも確かに大きい。 一方、100グラム1500円の高級ステーキ肉400グラムを買う金持ちの家庭が受ける恩恵は120円だ。 それだけ税収が減って、社会保障などに回すお金が足りなくなる。 軽減税率を止めれば、貧困家庭の負担は6円増えるが、富裕層家庭の負担は120円も増える。 増えた税収を貧困家庭向けに集中して、例えば生活保護や貧困高齢者対策に支出する。 そうすれば、貧困家庭への支援は、単に軽減税率を入れただけの場合よりも確実に増える。 また、社会保障のカットで1000億円程度の財源を捻出する案も検討されている。 このように見て来ると、軽減税率は、貧困対策、弱者対策であるかのように宣伝されているが、実態は、全くそうではないことがわかる。 その理由は二つある。 まず、軽減税率は巨大利権の宝庫であることだ。 何を軽減税率の対象にするかは、商品サービスの売り上げに直結する。 今回は2%とその幅は小さいが、官僚や政治家は、今後消費税を15%、20%へと引き上げたいと考えている。 1回引き上げるごとに、何を軽減税率の対象にするのか、軽減幅をどれくらいにするのかなどが議論され、業界からは、強力なロビーイング・陳情が繰り広げられるだろう。 霞が関利権の拡大を目指す官僚は天下りの拡大に利用するし、利権のおこぼれに与りたい族議員もこれに群がってくる。 だから、官僚も政治家も何とか軽減税率を入れようと必死なのだ。 軽減税率を止めようという世論が盛り上がらないもう一つの大きな理由がある。 新聞社が軽減税率大賛成、というより、「軽減税率が命綱」と考えているので、これを止める議論を報じないことだ。 事実上新聞の系列下にあるテレビ局も新聞社の意向を忖度して同様の態度をとっている。 活字文化の保護振興というもっともらしい理由で、定期購読の新聞は軽減税率の対象となる予定だ。 これは、安倍政権と大手新聞の間の談合で、その代わりに、新聞は消費税増税に賛成することになっている。 新聞の販売部数の落ち込みはとどまるところを知らず、このままでは、どの社も生き残りさえ厳しい。 2%引き上げが致命傷になりかねないと彼らは恐れている。 だから、軽減税率死守というのが新聞社の考えなのだ。 政権と新聞の談合で重要な政策が決まっていると言ってもよい。 活字文化を守るというのは、印刷物を守るという意味だ。 しかし、それは、古い時代の技術を前提にした議論で、本当に重要なのは、そこに含まれている情報である。 インターネットで得られる情報も印刷物の情報と同様に価値があり、その重要性は日に日に高まっている。 ネット情報の方が新聞より早いこともあるし、新聞が政権忖度で報じない情報がネットで得られることも多い。 ならば、新聞だけでなく、スマホ利用料金も軽減税率の対象にすべきではないかという議論もありそうなものだが、そうした議論は新聞には絶対に出て来ないのだ。 そんな中で、政官財そして、マスコミも入り交って、それぞれの利権獲得のために増税を悪用しようとしている。 財政再建にもたいして貢献せず、庶民の生活向上にも貢献しない。 ただ、利権拡大のための増税というのが実態だ。 ならば、いったん中止にして、2012年の与野党で合意した「税と社会保障の一体改革」のための制度設計の議論をやり直すべきではないだろうか。 古賀茂明は消費増税と軽減税率適用を「政官財そして、マスコミも入り交って、それぞれの利権獲得のために増税を悪用しようとしている。 財政再建にもたいして貢献せず、庶民の生活向上にも貢献しない。 ただ、利権拡大のための増税というのが実態だ」と喝破する。 — Holms Holms6 来年の消費増税に景気対策が必要なのは、アベノミクスの失敗。 うーん納得です! — 梅田 光則 M100Umeda 古賀茂明「迷走する消費増税対策 軽減税率のために貧困層、高齢者が損する」 もっと税金を簡素化すべきだ。 専門家しか解らない法律はダメだよ。 多分、消費税は5%で、企業の利益処分に課税した方が確実に多いだろうな。 — boosan boosane 来春の統一地方選と夏の参院選対策である消費増税対策が迷走する最大の理由は、6年間のアベノミクスが失敗し日本経済は増税に耐えられる状況にはなっていないということ。 そんな中で政官財そしてマスコミも入り交ってそれぞれの利権獲得のために増税を悪用しようとしている。 〉|AERA dot. アエラドット アベノミクスでは日本経済はほとんど強化されておらず、5年経っても2%の増税にすら耐えられない惨めな状況にあるということだ。 — h-yamachan yamavhan 「増税対策が迷走する最大の理由はアベノミクスが失敗し日本経済は増税に耐えられる状況になっていないということだ。 そんな中、政官財、マスコミも入り交って利権獲得のため増税を悪用している。 財政再建にも庶民の生活向上にも貢献しない。 事務職は今後どこも同様の嵐が吹き荒れよう。 「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!」などと言う、植木等の歌がもてはやされた時代がウソのようだ。 *********************** ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は5日の決算記者会見で、国内で携帯電話事業を手掛ける子会社ソフトバンクについて、社員の4割を配置転換し、成長分野に充てる方針を明らかにした。 コスト削減と成長事業強化の両立を目指す。 孫氏は配置転換について「低価格化に対応しながら、通信事業の増益をコミット(約束)していきたい」と述べた。 今後2〜3年かけて行う。 (以上 時事通信) 一方、日経によると、「従来のルーティンワークに相当する仕事は、できるだけロボット化したい」と孫氏。 「孫氏によると、ロボットによって業務を効率化して通信事業に携わる社員を4割削減し、値下げの原資にするという。 」 サラッと書いてあるけど、人の仕事をロボットに代替させるという点だけ見ると、なんだか未来に生きている気持ちになる。 ニュース こんなことで価格下げるって、ひどいね。 雇用されている人は巡り巡って、消費者なのにね。 — Y. どうしてなのか? 立憲民主党に結党当時の、あの熱気、勢いはどこにもない。 なぜなのか? リベラル派の代表として期待したが・・・。 あす7日は立冬。 すき間風がいやに冷たく感じる。 立憲・枝野氏、連立政権の枠組み「膝を柔らかく構える」 2018年11月4日17時42分 朝日新聞 早稲田大で講演する立憲民主党の枝野幸男代表=2018年11月4日、東京都新宿区、中崎太郎撮影 枝野幸男・立憲民主党代表(発言録) 立憲民主党の単独政権を目指して頑張るが、自公が過半数割れをもっと早くするかもしれない。 そういうときは当然、連立政権だと思うが、どういう枠組みかを今決める話ではない。 その時点で、立憲民主党はありつづけるつもりだが、他の政党はどうなっているか分からない。 何が政治的な争点になっているかも分からないし、安全保障環境も変わっているかもしれない。 一流の野球選手は守備の時には、どこにボールが飛んでも良いように、ひざを柔らかくして構えて待つ。 これが必要であって、初めから次はここにボールが飛ぶ、なんて予想しても仕方がない。 (早稲田大での講演で) 単独政権を目指すことは悪いことではないよ。 寧ろそれぐらいのこと言ってくれないと困るんだよね。 野党共闘に対する頑なな印象を払拭したいのか… 立憲・枝野氏、連立政権の枠組み「膝を柔らかく構える」:朝日新聞デジタル — さとしん📻shin sato📷佐藤 伸🌈 shinsato0130 久米さんのラジオでも、柔軟な対応を強調していた。 野党共闘に対する頑なな印象を払拭したいのか… 立憲・枝野氏、連立政権の枠組み「膝を柔らかく構える」:朝日新聞デジタル — さとしん📻shin sato📷佐藤 伸🌈 shinsato0130 アベ氏の無知無能に比べれば枝野氏の知性は魅力だ.が,この記事を読んで危機感の希薄さにやはり心配.膝を柔らかくと言うがいつまで注目選手でいられる? 安心し過ぎてない? 立憲には固定客以外はすでに去ってしまったのが現状. — Beginner Beginne56869609 立憲・枝野氏、連立政権の枠組み「膝を柔らかく構える」:朝日新聞デジタル 正直かもしれないが留保多すぎてインパクトない話。 これ聞いて若者が、おっ政治面白そう!立憲応援しようってたぶん思わない。 安倍首相がな〜んにも考えないで任命したのだろう。 — 但馬問屋 wanpakutenshi 後藤謙次氏 私も何人も初入閣の大臣を見てきたが、ちょっと驚きのレベルだと思う。 普通、大臣はまず初めに1000本ノックぐらい想定問答を含めて訓練をする。 しかも桜田大臣は五輪担当たった一つの担務で、それほど覚える事は多くないはず。 後ろのサポートも、随分もたついている。 — 但馬問屋 wanpakutenshi 新国立競技場が財源不足で311億融資を受けていました。 この借金は大会後3年かけて返済。 更に480億円も融資を受けることも判明。 この借金完済は大会後11年先。 財源はtotoの売上金の一部です。 一体いくらになるのか、国の負担はどこまで増えるのかを桜田大臣に伺ったところ、全く答えられない状態でした。 真剣に心配します。 オリパラ関連行政シートを作り政府として管理すべきと提案。 検討との答弁ですが、どうなるか。 オリパラの基本コンセプトや大会ビジョンの質問に見当違いの答弁。 予算関連質問に答弁できず、その度に審議は中断。 大臣としての資質は皆無で任命責任も問題だが、質問に対し異なる答弁書を官僚が渡している。 官僚による大臣潰しか。 とうとう安倍も後ろを向いて指示。 さあ大変だ。 — あらかわ kazu10233147 蓮舫さんの質疑に情けない程、官僚任せの答弁。 オリンピック後の借金は国民が負担させられるのに。 移民問題も何もかもいい加減で全く将来の国民のことなど考えてない答弁でしたね。 政治理念、政策にはどこにもオリンピックの文字が一文字もありません。 (桜田五輪相)なぜ選ばれたか分かりませんが立派に任務を果たすようにしっかりと取り組んでいくつもりでございます。 (続く)— 信州の草の根の一人 qhP9VYZ9hda1dFn (続き)蓮舫議員の殆どの質問に自ら答弁できず頻繁に審議がストップ。 (蓮舫議員)1500億円だけが関連予算としていたものが8011億円まで膨れている。 8011億円と指摘された中で国の関連予算はいくらですか。 (桜田五輪相)1500円でございます、1500億円でございます。 見事なバーゲンセール大臣。 — 信州の草の根の一人 qhP9VYZ9hda1dFn 蓮舫「オリパラ関連事業シートを作って、ガバナンスをとって頂けませんか?」 桜田「レンポウさんの言う通り、検討してみたいと思っております」 蓮舫「レンホウです」 オチまでついて ってか、時々あるよね、わざと?嫌がらせ?— buu buu34 凄いよなぁ〜自民😓 「いぶし銀」どころか…いぶされすぎて灰になっちゃったような人材、よく集めたもんだなぁ〜。。。 — HarukaMinon HarukaMinon2 桜田五輪担当相、答弁後に自席に戻り吹き出る汗を拭う姿が痛々しいです。 能力も無いのに起用されたご本人が気の毒です。 瓶三にとっては「怪しい予算を通す」には適材かも知れないですが・・— ben chopmakmak この2人大臣さん笑い過ぎだよね🤨 — 里登 minmin51259379... 😂— Chisato 【RETURNS】破滅に向かって七転八倒七転八起BLUE BLOOD QfGqf30 適材適所?全員野球内閣? 四国は離れ小島大臣と共に辞任せよ。 総理の任命責任もな。 — ポンチョマニア animekaxtuteoue 情けない大臣だよ。 嫌いじゃないです。 蓮舫氏「なぜオリ・パラ大臣に任命されたと思いますか?」 桜田大臣「分りません」 蓮舫氏「東京オリ・パラのビジョンは?」 桜田大臣「分りません」 蓮舫氏「3つのコンセプトは?」 桜田大臣「分りません」 — Dr. ナイフ knife9000 NHKの7時のニュースでは自民党と公明党、おまけのように国民民主の質問者が取り上げられて蓮舫の《れ》の字も無かったです 誰が与与党の質問なんか見たいと思っているのか NHKは完全に終わりました 民放でも7時からニュースやってみたら良いのに…— k. 53:33〜 蓮舫議員、五輪関係質疑。 再生開始位置設定済み。 立憲民主党の蓮舫参院幹事長は、2020年東京五輪・パラリンピック関連の政府予算が当初見込みを超過したことを踏まえ、「いくらまで膨らむのか」とただした。 桜田氏は直接答えず、「東京都や組織委員会をしっかり支援したい」など要領を得ない答弁を繰り返したため、審議は数回にわたって中断した。 桜田氏は予算見込み額の「1500億円」を「1500円」と間違え、慌てて取り消す一幕もあった。 自民党の下村博文党憲法改正推進本部長が3日、北海道北斗市で開かれた党支部の研修会で講演。 改憲論議について「安倍色を払拭して……」と言い出した。 一方、日刊ゲンダイは下村名で各選挙区支部長に出された内部文書を入手。 「共鳴する民間団体」と協力して改憲世論を喚起するよう要請するものだ。 国民不在のまま、改憲に向けた地ならしが着々と進んでいる。 総裁選後の党役員人事で憲法改正推進本部長に就任した下村は、改憲機運を高めるための全国行脚をスタート。 3日の講演はその第1弾だ。 「いつも解釈改憲するのではなく、時代や環境の変化に応じて改正、修正すべきだ」 こう言って改憲の必要性を訴え、国会での議論活性化に向けて野党側と水面下で接触していることを明かした。 野党には「安倍首相の下での憲法改正には賛成できないとの拒否反応がある」というのだ。 下村は講演後、記者団に対して、「安倍政権の下では議論したくないと思っている人が多い。 自民党全体でしっかり対応しながら、『安倍色』を払拭していくことが必要だ」と話した。 「安倍色」を隠せば、国民も野党も改憲論議に乗ってくると考えているようだ。 改憲推進本部長に側近の下村博文氏、総務会長に腹心の加藤勝信氏、衆院憲法審の筆頭幹事に安倍首相と思想信条が近い新藤義孝氏らを起用した布陣を見るだけでも、安倍カラーは隠しようがない。 そもそも、9条に自衛隊の存在を明記するなどといった『改憲4項目』も、党の総務会で了承を得たものではないのです。 この文書では、「我が党の憲法改正案に共鳴する民間団体の要請に応え」「国民投票に向けた世論喚起を推進する連絡会議の設立」にも協力するよう求めている。 「ここに書かれている民間団体とは、言うまでもなく日本会議系の団体のことです。 安倍首相が昨年の5月3日、改憲の具体案や、2020年に新憲法施行というスケジュールを唐突にブチ上げたのも、日本会議が主導する改憲派の集会でした。 国家の根幹をなす憲法を改正するという大事業が、一団体の意向に引きずられていいのか、という声は党内にもあります」(自民党関係者) 行政府の長である安倍が改憲に前のめりになっていることには、連立を組む公明党からも批判が出ている。 憲法上、改憲を発議するのは立法府であり、首相は無権限だからだ。 公明党の山口代表も「政府は余計な口出しをしないでほしい」と苦言を呈している。 「世論調査の数字を見れば分かるように、国民は拙速な改憲を求めていない。 歴史に名を残したいというようなヨコシマな思惑で無理にやろうとするから、あちこちに矛盾が生じるのです」(金子勝氏) 日本会議と二人三脚で改憲を進めようとしたところで、「安倍色」も「安倍隠し」も、しょせんは無理筋な話なのだ。 自民党の各選挙区支部長に出された内部文書を入手。 その中身は「共鳴する民間団体」と協力して改憲世論を喚起するよう要請するものでした。 ここに書かれている民間団体とは、日本会議系団体のことをいい「一団体の意向に引きずられていいのか」という声は党内にもあると自民党関係者は言います。 その中身は「共鳴する民間団体」と協力して改憲世論を喚起するよう要請するものでした。 😠 私達から、「基本的人権、国民主権、平和主義」を奪おうとする怖い思想を持っています。 目を離せません。 — KAORU7 Kaoru201809 アベは、要請とか動員がお好きなようで・・・ 本当に改憲が必要だと感じているなら、要請など必要ない。 自信のなさの現われか。 — じばおっち BhAARZTulP7YzAD 日本国憲法が嫌いなら日本から出て行けばいい。 死ぬまで毎日ゴルフだけしてればいい。 安倍晋三は無能なアメポチ売国奴。 — アラタ@大阪人 st66arata2 安倍では無理かもという気持ちのあらわれでもある。 にしてもバカ殿様を担いだもんだぜ。 — きょう今 kimcohsky [政治・選挙・NHK253] <後藤謙次氏、答弁は驚きのレベルだ!>桜田五輪担当大臣 五輪、国の予算見込み額「1500億円」を「1500円」!! 赤かぶ 5. : : [488] 桜田義孝五輪担当大臣。 まぁ酷い。 アホ過ぎる。 蓮舫議員に質問されると、すぐに答弁出来ず、官僚にメモを渡されて答弁すると、これがまた質問とは違うところを読んでトンチンカンな答弁。 この方二階派らしい。 片山も二階派、派閥のボスを筆頭に二階派はボケとクズばかりだ。 でも、効果は無かったようです。 川俣町山木屋の子供達は減りづつけています。 事故8年目ですが川俣町は汚染されたままです。 事故後5年間(2011年3月から2016年2月)に生まれた赤ちゃんは 男の子 141人 女の子 182人 で女の子が多く生まれています(7)。 通常は男の子が多く生まれるので(9)異常な事態です。 福島の女性はお隣の宮城や茨城に比べても大変に綺麗です。 放射性影響研究所は広島や長崎で遺伝的な影響が無かった根拠の一つに生まれて来る赤ちゃんの男女比(出生性比)に異常がなかったことをあげています(11)。 さらには福島事故で設定された避難区域の全てないし大部分が「計画的避難区域」だったのは川俣町の他に飯舘村、葛尾村がありますが、どちらも川俣町と同じように事故後に女の子が多く生まれています(12)。 広島や長崎で起きて無い事が福島では起きているようです。 それでも安倍出戻り内閣は「安全」であるとして昨年(2017年)3月31日に川俣町山木屋の避難指示を解除しました(2)(5)。 復興が進められています。 2016年1月31日 屋外スケートリンク再開(13)。 2016年10月3日 山木屋診療所再開(14)。 2017年3月31日 避難指示解除(2)(5)。 2017年7月1日 安倍出戻り総理ご臨席のもと、商業施設・とんやの郷オープン(15)(16) 2018年2月 浅田真央さんがスケートリンクに来訪(17) 2018年4月 文部政務官ご臨席のもと、小中学校再開(18) 2018年10月27日 山木屋小中学校で文化祭を8年ぶりに地元で実施し(1)。 以下に川俣町山木屋の帰還者・避難者数を示します。 避難指示解除から1年7ヶ月の2018年11月1日時点で対象1,055人中で帰還は341人で(21)約3割に止まります。 以下に15歳以下の子どもの避難者数を示します。 子どもの避難者数を見ると 4年前(2014年11月)107人 今月(2018年11月) 54人(21) で、半減しています。 山木屋の子供達は帰還をあきらめ、避難先での定住を選んでいます。 スケートリンク再開も(13)、浅田真央さん来訪も(17)、学校再開も(18)、そして8年ぶりの文化祭の地元開催も(1)、効果がなかったようです。 今年再開した山木屋小学校は来年春には休校だそうです(22)。 <余談> 図表が小さいとご不満の方はこちら、図表をクリックしてください。 山木屋の子供達が戻らないのは当然の事です。 国連の報告者は福島第一原発事故で避難した子どもや出産年齢の女性について、事故前に安全とされた被ばく線量を上回る地域への帰還を見合わせるよう、日本政府に要請する声明を発表しそうです(23)。 不安なのは、避難しなかった川俣町の皆様も同じだと、思います。 川俣町の皆様は福島のリンゴを、白雪姫のリンゴ(24)かもしれないと思っているようです。 その兆候もあります(25)。 福島のリンゴは今が食べごろです(26)。 福島のリンゴは果汁が多く、甘味と酸味もほどよく調和し、完熟すると果肉に蜜が入り食味も抜群だそうです(27)。 福島県は福島産リンゴは「安全」は安全と主張しています(28)。 でも、福島県川俣町のスーパーのチラシには福島産リンゴはありません。 くだもの消費拡大委員会 27 リンゴ? 例えば、「ホウレンソウの遺伝子を豚に」「魚の遺伝子をトマトに」など日常的に行われている。 遺伝子組み換え作物は特定の除草剤をかけても枯れなかったり、害虫を寄せ付けなくなる。 そうした作物を食べた虫は腸が破壊されるというから強烈だ。 世界の遺伝子組み換え作物市場は破竹の勢いで伸びている。 「国際アグリバイオ事業団(ISAAA)」の報告書によると、遺伝子組み換え作物の耕作面積は、栽培が始まった1996年は170万ヘクタールだったが、昨年は1億8980万ヘクタール。 20年そこそこで、なんと111倍である。 米国を中心に世界の遺伝子組み換え作物市場をリードしたのは、今年6月に独バイエルに買収された旧モンサント(米)だ。 現在、遺伝子組み換えの種子で世界シェア90%を持ち、遺伝子組み換え種子と除草剤「ラウンドアップ」のセット販売を拡大してきた。 それが爆発的な普及を後押しした。 ところが、2010年代に入って、米国でも遺伝子組み換え作物の安全性や採算性に疑問の声が湧き起こる。 アジア太平洋資料センターの内田聖子氏が言う。 「除草剤を使い続ければ雑草は除草剤に耐性を持つようになるので、除草剤を高濃度にしたり、使用量を増やさざるを得ない。 これは農家の経営を圧迫します。 さらに、最大の問題は安全性。 ちょうど遺伝子組み換え作物の栽培が始まった90年代後半から、全米各地で、アレルギー、糖尿病、自閉症、不妊、出生障害などの疾患が急増したのです。 人間だけでなく家畜やペットも健康を害したのですが、飼料を『非GMO(遺伝子組み換えでない)』に替えると劇的に回復したケースが相次ぎました。 そこで遺伝子組み換え食品の表示を求める運動が全米に広がっていきました」 米国では、世論調査で90%以上が遺伝子組み換えの表示を望む中、11年には全米各地で「消費者の知る権利」を求める請願運動が起こり、「表示」を求め150万人もの署名が集まった。 翌12年、カリフォルニア州で「食品表示の義務化」を求める住民投票が行われることになったが、多国籍企業は黙っていなかった。 20年そこそこで、なんと111倍である。 日本だって昨年2月、国会が森友問題で大揺れしている最中に閣議決定された「種子法の廃止」。 農家が国民の命が危ない! - 北海道は素敵です!! - Yahoo! ブログ — 松本 美紀子 yuuta24mikiko [政治・選挙・NHK253] <後藤謙次氏、答弁は驚きのレベルだ!>桜田五輪担当大臣 五輪、国の予算見込み額「1500億円」を「1500円」!! 赤かぶ 10. : : [493] 「全く答えられていない。 検討中、検討中、検討中。 何回『検討中』と言ったか」と共産党小池書記局長。 参院予算委での政府答弁を批判。 朝日新聞。 桜田五輪相は答弁不能で立ち往生。 片山大臣は失言を陳謝。 — 山村ゆうき b4TT7UECi5lXUhp [政治・選挙・NHK253] <後藤謙次氏、答弁は驚きのレベルだ!>桜田五輪担当大臣 五輪、国の予算見込み額「1500億円」を「1500円」!! 赤かぶ 11. 前週末2日の米原油先物相場は、指標の米国産標準油種(WTI)の12月渡しが前日比0.55ドル安の1バレル=63.14ドルと約7カ月ぶりの安値で取引を終えた。 米国が日本を含む8カ国・地域を制裁の適用除外として輸入を一時的に認める方針と伝わり、イラン産原油の供給減への懸念が和らいだためだ。 WTIはイラン産原油の供給減懸念の広がりなどを背景に10月に入り騰勢を強め、3日に一時1バレル=76.90ドルとほぼ4年ぶりの高値を付ける場面があった。 その後は世界同時株安の影響などで軟調さが目立ち、10月中旬以降は1バレル=70ドルを下回って推移している。 一時的ながらも8カ国・地域にイラン産原油の輸入がある程度認められると、市場では需給の緩みが意識されて原油価格に下落圧力がかかりやすくなる。 半面、原油価格が軟調になれば、増産に動いていたサウジアラビアなどが減産に傾き、原油価格が反転しかねないとの見方もある。 これから冬場の暖房需要期に入ることも原油価格を下支えしそうだ。 みずほ証券の津賀田真紀子シニアコモディティアナリストは「WTIは当面、1バレル=55ドル〜75ドルで推移する」とみる。 イラン産原油の供給減を埋め合わせるためにサウジなどが増産に動くが、「増産するほど供給余力は低下し、突発的事象が起きたときに世界が混乱しかねない」と指摘する。 一方、原油価格の高止まりが続いたことで、レギュラーガソリン1リットル当たりの全国平均小売価格は10月22日時点の調査で160円00銭を付け、約4年ぶりに160円台に達した。 直近の29日時点の調査では9週ぶりに値下がりし、今週発表分も値下がりが予想されているが、なお高値圏にある。 対イラン制裁の再発動を踏まえた産油国の対応や中東情勢、米中貿易摩擦などを受けた原油価格の動向によっては値上がりに転じる可能性もある。 経済産業省と公正取引委員会、総務省が7月以降に非公開で開いていた有識者会議が5日、寡占と独占が進むプラットフォーマーに対し、「透明性と公正性を確保する必要がある」などと提言した。 これを受け政府はプラットフォーマーの台頭に対応したルール整備のため、年内に基本原則を決定した上で、法改正を含めた具体的な措置を年明け以降に検討する方針だ。 政府が規制の対象として念頭に置いているのは、米グーグルやアップル、フェイスブック、アマゾン・コムといった巨大IT企業。 経産省が行った取引先へのアンケートでは、「利用規約を一方的に変更され不利益を被った」と回答した企業が約86%に達するなど、有識者会議は市場支配力を背景とした取引の問題点を指摘した。 プラットフォーマーが有利な地位を利用した不透明な取引に対し、独占禁止法40条に基づく公取委の強制調査の活用も提言。 技術やビジネスの変化に対応するため、規制のあり方については「強制力を伴う法規制だけでなく、自主規制を組み合わせた共同規制も検討すべきだ」とした。 政府はプラットフォーマーをめぐる公正な取引環境整備にむけ「競争法、個人情報保護法など論点が多岐にわたる」(経産省幹部)とみている。 このため今月にもプラットフォーマーから聞き取り調査し、取引の実態解明に乗り出す。 1人は立憲民主党代表・枝野幸男だ。 1年前は希望の党騒動ではじかれた民進党議員を救うために党を起こし、今では野党第1党の党首だ。 4日の講演で「あの時、失敗の当事者意識を持っている人間が現役で最前線でやっている間に、もう1回政権交代をする。 そして今度は、少なくとも政権運営という意味では成功させる。 その責任が私にはあると思っています。 民主党政権時代の顔ぶれじゃないほうがいいという人もいるが、当時の政権中枢部などの当事者でもう1回政権交代をしないと、同じ失敗を繰り返す」。 不思議ちゃんの言うことは分からない。 「枝野は政権当時の官房長官が政治家としてのピークだろう。 今は党の純化路線と、衆院副議長・赤松広隆の敷いた路線を維持することで乗り切れると思っている。 野党の中でも浮き始めているんだろ」と、自民党の高笑いが聞こえる。 元来父親譲りのリベラル派と思っていたら、大変なことになる。 そもそも外務大臣の役割は、今どんな国とどんな話をしているのかを国民に分かりやすく伝えることだ。 ところが、外交は秘密も付きまとう。 相手があることだからだ。 そこをうまくやるのが外相の仕事。 外務省の通訳より英語がうまくても、国民に伝えられないと意味がない。 河野は会見でほとんど話さない。 一方、対韓、対露外交では首相と一緒になって同じことを言っている。 これでは安倍外交のマイナスを補うどころか、拍車をかけている。 英語はできるが、外交は務まらない不思議ちゃん。 何とかならないものか。 そういうときは当然、連立政権だと思うが、どういう枠組みかを今決める話ではない。 その時点で、立憲民主党はありつづけるつもりだが、他の政党はどうなっているか分からない。 何が政治的な争点になっているかも分からないし、安全保障環境も変わっているかもしれない。 一流の野球選手は守備の時には、どこにボールが飛んでも良いように、ひざを柔らかくして構えて待つ。 これが必要であって、初めから次はここにボールが飛ぶ、なんて予想しても仕方がない。 (早稲田大での講演で) [国際24] トランプ、イラン経済制裁を再開 日中などは原油の輸入を一時容認(ニューズウィーク) トランプ、イラン経済制裁を再開 日中などは原油の輸入を一時容認 2018年11月6日(火)08時00分 ニューズウィーク 11月5日、米国は、イランの石油や金融部門を中心に経済制裁第2弾を再開した。 イランのミサイルや核開発を制限すると共に、中東地域で高まるイランの軍事・政治的影響力を抑える狙い。 写真はイランのペルシャ湾近郊の石油生産プラットフォーム。 2005年7月撮影(2018年 ロイター/Raheb Homavandi) 米国は5日、イランの石油や金融部門を中心に経済制裁第2弾を再開した。 イランのミサイルや核開発を制限すると共に、中東地域で高まるイランの軍事・政治的影響力を抑える狙い。 今後、追加措置を取る可能性があるともけん制した。 2015年の核合意で解除された米国の制裁が復活する。 また、イランの石油、船舶、保険、銀行部門の約300の団体などが制裁対象に追加された。 トランプ米大統領は今年5月、主要国とイランが結んだ核合意について、米国が交渉したなかで最悪の合意だとし、離脱を表明した。 ムニューシン米財務長官は声明で、対イラン制裁について「米財務省が実施するかつてない規模の経済的圧力」とし、「イランが根本的に不安的化を招く行動を改めるまで、経済的孤立と経済停滞の高まりに直面することは明白だろう」との認識を示した。 声明によると、制裁対象の内訳は50のイランの銀行・傘下企業のほか、船舶輸送業界の200超の個人と船舶、国営イラン航空と、65超の航空機。 ポンペオ米国務長官は、イラン産原油の主要輸入国である日本、中国、インド、韓国、トルコのほか、ギリシャ、イタリア、台湾に対しては、180日間イラン産原油の輸入を容認する方針を明らかにした。 ポンペオ長官によると、すでに20カ国超がイランからの原油輸入を日量100万バレル超減らしているという。 また、食料品や医薬品などの人道物資の取引は制裁の対象から免除される。 イランのロウハニ大統領は「敵(米国)」がイラン経済を標的に制裁を開始したとし、「制裁の主要ターゲットはイラン国民だ」と述べた。 「これはイランに対する経済戦争」と米国を批判し、「イランは圧力に抵抗する用意ができている」と述べた。 さらに「米国はイランの原油輸出をゼロに引き下げることを望んだが、われわれは原油輸出を続け、制裁を破る」と言明した。 ポンペオ長官は「イランには選択肢がある。 無法行為を180度方向転換し、普通の国家として振る舞うか、自国経済を崩壊させるかどちらかだ」と言明。 同時に「米国はイランと新たな合意を得ることを望んでいる」と述べた。 ボルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)はフォックス・ビジネス・ネットワークのインタビューで、詳細に踏み込まなかったものの、さらなる制裁を実施する見通しを示し、「現状を上回る制裁を課す。 2015年のオバマ前政権下に実施された制裁レベルで満足することはない」と述べた。 また、国際銀行間通信協会(SWIFT)は、イランの一部銀行によるSWIFTのメッセージングサービスへのアクセスを停止したことを明らかにした。 米政府による対イラン制裁再開を受け、原油先物市場では北海ブレント先物は1ドル超上昇。 米原油先物も一時約1%上昇した。 [国際24] 米・中間選挙を前に「トランプNO」ミュージシャンが続々! ポール・マッカートニー、ガンズ・アンド・ローゼズも(リテラ) 米・中間選挙を前に「トランプNO」ミュージシャンが続々! ポール・マッカートニー、ガンズ・アンド・ローゼズも 2018. 05 米・中間選挙を前に「トランプNO」ミュージシャンが続々 リテラ ポール・マッカートニーのInstagramより(10月30日の投稿) 現在来日中のポール・マッカートニー。 昨年4月以来となる短いスパンでの来日となる今回の「FRESHEN UP JAPAN TOUR 2018」では10月31日、11月1日に東京ドーム、5日に両国国技館、8日にナゴヤドームでのコンサートが予定されている。 そんななかポールによるInstagramの投稿が話題を呼んでいる。 10月30日、彼はナンシー夫人とともに二人揃って「WE CAN END GUN VIOLENCE」と書かれたTシャツを着た写真とともに、「ここ最近アメリカで起きている悲しい銃撃事件を受けて、アメリカ国民が分別ある銃規制法案を支持する政治家に投票することを願っています」と、11月6日に行われる中間選挙に向けてのコメントを綴った。 ポールは今年3月にも銃規制を求めて開かれた全米各地で開かれたデモ「March For Our Lives」に参加している。 ポールはニューヨークのデモに赴いていたが、その場で受けたCNNの取材に「(銃による暴力を完全になくせるか)わからない。 でも、これが僕らにできることだ。 だから、僕はいまここにいる。 僕の親友の1人が、このすぐ近くで銃の暴力により殺された。 だから、これは僕にとって重要なことだ」(2018年3月26日付ニュースサイト「BARKS」)とコメントしている。 ここでポールが言及した「親友」は、言うまでもなく、1980年12月8日にニューヨークの自宅アパート前で凶弾に倒れたジョン・レノンのことである。 北アイルランドでデモに参加していた市民がイギリス軍によって射殺された「血の日曜日事件」を受けて書かれている「アイルランドに平和を(原題:Give Ireland Back to the Irish)」など一部の例外を除いて、ポールはジョンほど積極的に政治や社会について発言することはなかったし、プロテストソングに類する曲もほとんどない。 ポールがここまで直接的に政治に言及するのは、ビートルズ時代からの長いキャリアでもかなり珍しいことだが、そんな彼がここまで踏み込んだ背景には、やはり、トランプ大統領の言動や、右傾化、ファシズムの台頭が進む世界情勢を受けての危機感があるのだろう。 2018年10月31日付ニュースサイト「CINRA」に掲載されたインタビューでは、トランプ大統領について語っている。 トランプ大統領は、10月27日にペンシルベニア州ピッツバーグにあるユダヤ教礼拝所で男が銃を乱射し11人が射殺された事件の数時間後、インディアナ州での集会に出席して演説を行っているが、その際にファレル・ウィリアムスのヒット曲「ハッピー」を流したことが問題となっている。 「ハッピー」は日本でもヒットした曲なのでご存知の方も多いと思うが、非常に明るい曲調で、歌詞も〈だって僕はハッピー/幸せって本当にあるんだなという気分なら手拍子しよう〉(編集部訳)と歌ったもの。 銃乱射事件の直後に、トランプ大統領は一体どういうつもりでこの曲を流したのだろうか。 ポールは、この状況で「ハッピー」を流したトランプ大統領を、こう断じている。 「あの曲を、あの状況で流せる人間が、果たして無神経でなくてなんだろう。 トランプっていうのは、人に対する思いやりや想像力に欠けた人物だと思うね」 ちなみに、ファレル自身も「ハッピー」がそのようなかたちで使用されていることに怒りを表明。 いま最も話題となっているのがロックバンドのガンズ・アンド・ローゼズだ。 彼らは1987年発表のヒット曲「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」をトランプ大統領の集会に使用されているが、ヴォーカルのアクセル・ローズは「トランプの集会などで使用しないよう正式に要請している」としたうえで、「ホワイトハウスには、真実、倫理、モラル、共感といったものを顧みずに何でも言う奴らがいて、そいつらは本物を偽物であると言い、偽物を本物であると言う」(編集部訳/11月5日のツイート)と、明確な反トランプの姿勢を語っている。 欧米のミュージシャンのなかでは政治的な立ち位置を公言するのは珍しいことではないが、ことトランプ大統領に関しては多くのミュージシャンが批判の声を上げている。 ビヨンセ、リアーナ、レディー・ガガ、スティーヴィー・ワンダー、ロジャー・ウォーターズ(元ピンク・フロイド)、パール・ジャム、U2、エミネム、マドンナ、ケイティ・ペリー、デーモン・アルバーン(ブラー、ゴリラズ)、ナイン・インチ・ネイルズ、ケンドリック・ラマー、ジョーイ・バッドアス、ジェイ・Z、ナズ、スヌープ・ドッグ、ブルース・スプリングスティーン、グリーン・デイ……など、明確にトランプ批判を表明しているミュージシャンのリストはどこまでも続く。 そんななかでも、ここ最近もっとも影響力を発揮したのはテイラー・スウィフトだろう。 テイラーは10月6日に投稿したインスタグラムのポストのなかで、中間選挙を見据えた発言をおこなった。 インスタグラムの投稿の冒頭でテイラー・スウィフトは、〈これまで私は、政治的な意見を公にするのに気がすすみませんでした。 でも、この2年間に、私の人生や世界でも色々なことがあったことにより、いまは考えが大きく変わったんです〉と書いたうえで、共和党の現職下院議員であるマーシャ・ブラックバーンは支持できないと明言した。 テイラーはマーシャ・ブラックバーンを支持できない理由として、男女同一賃金法案に反対していること、DVやストーカーや性暴力から女性を守るための法案に反対していること、同性婚に反対していることなどを挙げ、中間選挙では民主党を支持すると表明した。 この発言の影響は大きく、テイラーによるインスタグラム投稿後の24時間で有権者登録者数が6万5000人も増えた(9月の1カ月での登録者数は19万人)。 トランプ大統領がそのような反応を示したのは、テイラーの発言がただ単にマーシャ・ブラックバーン個人の政策を批判しただけのものではないからだ。 インスタグラムのポストで直接トランプ大統領を名指ししてはいないが、先に引いた〈この2年間に、私の人生や世界でも色々なことがあったことにより〉との文言がトランプ大統領を指しているのは明らかだ(トランプが大統領選挙に勝利したのは2016年11月)。 前述のように、ポップス、ロック、ヒップホップなど、ジャンルを問わず多くのミュージシャンが反トランプの姿勢を明確にするなかで、テイラーは沈黙を貫いてきた。 その背景には、もともとテイラーが属していたカントリーミュージック業界の特殊性がある。 詳細は本サイトの過去記事に詳しいが()、カントリーではかつてブッシュ大統領批判を行ったグループ(ディクシー・チックス)が業界から干されるという大騒動が起きたことがある。 テイラーがディクシー・チックスの騒動を知らないはずはなく、これまで政治的な主張、トランプ大統領への批判を控えていた背景に、この歴史は無関係ではない。 ただ、トランプ政権下のアメリカではそういった態度は多くの批判を浴びていた。 意見を表明しないということは、現状を追認していると捉えられたのだ。 実際、政治的な意見表明、とりわけトランプ大統領の差別主義に対し態度を明確にしなかった結果としてテイラーは白人至上主義の人たちから「アーリアの女王」と呼ばれ、白人ナショナリストたちのアイドルとして祭り上げられることにもなった。 14年発表のアルバム『1989』以降のテイラーはダンスミュージックに急接近し、現在はプロパーなカントリーミュージシャンとは言い難い音楽性になっているが、それでも、今回の発言により失うファンは少なくないといわれている。 だが、たとえ大きなリスクを伴っても、テイラーは今回トランプ政権に対し批判的な態度を明らかにした。 ミュージシャンとして大きな社会的影響力をもつ立場にある人間として、人種差別、女性差別、性的マイノリティ差別にもうこれ以上沈黙を続けることはできなかったのだろう。 日本では芸能人が権力批判をすると、その内容云々以前に、「政治的な話をした」ということが猛反発を受ける。 「音楽に政治をもちこむな」などという嘆かわしい標語が一定の支持を受けるような状況にあるこの国から見ると、現在のアメリカで起きている現象はとても遠いものに思えるが、リスクに屈せず意見を表明するテイラーらミュージシャンの姿からは学ぶものが多くあるだろう。 (編集部) アメリカで凄いのはリスクを背負っても、反政権を明確にする人達が沢山いると言う事。 日本でも頑張っている人はいるが、少ない。 安倍はそれに加えて無能だ。 — Genten 000RM000 日本のミュージシャンも商売の為の歌ではなく、現実を歌い上げる本当のミュージシャンになって欲しい。 大きな社会的影響力をもつ立場にある人間として、人種差別、女性差別、性的マイノリティ差別にもうこれ以上沈黙を続けることはできなかったのだろう」 さんから— piyo piyopikopichi [政治・選挙・NHK253] 米国の対イラン制裁を黙認した日本の外交的失敗 天木直人 米国の対イラン制裁を黙認した日本の外交的失敗 2018-11-06 天木直人のブログ 「史上最強の制裁」だと豪語して全面制裁を再開したトランプの米国 に対し、中、ロシアはもとより、欧米主要国もEUも一斉に批判する 声明を発表した。 ところが一人日本は黙認した。 すなわち、菅官房長官は5日の記者会見で、「情勢を注視していく」 とだけしか言わなかった。 これは外交的な失敗である。 まず、これはイランに対する背信行為だ。 日本はイランに対しこれまで直接に伝えてきた。 イランは合意を守ってきたと。 そしてイランはこの日本の立場表明を歓迎した。 そうであるなら、今回の米国の一方的な制裁発動に対し、反対である ことを表明すべきだった。 実際のところ、中国やロシアはもとより、欧州主要国やEUも一斉に は批判する声明を発している。 イランにしてみれば、今に始まった事ではないが、日本は再び二枚舌 外交をした事になる。 しかし、外交的失敗は、イランへ背信外交にとどまらない。 日本企業にとって不利益になる外交をおかしたことこそ、失敗外交な のだ。 今度の米国の制裁は、単にイランに向けただけではない。 米国の制裁に反してイランとの取引をするすべての企業に懲罰を課す 制裁になっている。 安保理決議をはじめとした国際的な合意ならいざ知らず、一国の決定 だけで、すべての国の企業に対してイランとの取引を禁じ、それに反す る企業に制裁をくわえるなどという決定を行う傲慢な国は、米国をおい てほかにない。 そんな制裁に正当性はない。 中国やロシアは、もちろん、そんな米国の一方的な制裁には従わない し、欧州主要国はイランと特別な取り決めをして米国の制裁から自国の 企業の受ける悪影響をかわそうとしている。 そんな中で、ひとり日本だけが孤立し、日本企業が米国の制裁におび えて萎縮せざるを得ない状況を甘んじて受け入れる事になる。 自国企業を守れない外交などまともな外交ではない。 米国の対イラン制裁を、何の批判もせずに黙認した日本外交が誤りを 犯したというのは、そういう意味である(了) 関連記事 トランプ、イラン経済制裁を再開 日中などは原油の輸入を一時容認(ニューズウィーク) [政治・選挙・NHK253] <後藤謙次氏、答弁は驚きのレベルだ!>桜田五輪担当大臣 五輪、国の予算見込み額「1500億円」を「1500円」!! 赤かぶ 14. : : [497] 一代にして桜田建設をなす。 市会議員から県会、衆院議員へとのし上がる。 これぞ自民党の鑑、たたき上げ、今角栄。 だがしかし、メンチだけでは無理。 何も解らぬ五輪担当大臣。 どうせ五輪予算はこんな連中の所に行くのだろう。 — 自民党に10回凍結された元REALJAP RealJapan613A この桜田義孝ってオリパラ大臣は千葉8区選出議員なのよ。 いつも落としたいと思ってるんだけど、千葉8区の民度低くて再選されちゃうんだよね。。 この人はシラッとして鋭いところを突っ込む。 こういう「つぶやき」は目の前で起きている状況を知るには格好の参考となろう。 毎回、読むのが楽しみだ。 ************************** 【桜田五輪相の国会議論で思うこと……】である。 立民・蓮舫さんと桜田五輪相の国会でのやりとりが話題になっている。 国会中継を見ていても酷いやりとりだった。 東京五輪の理念とか基本的な質問に、独力で答えることはほとんど難しいという状況。 お付きのの官僚が耳打ちし、マーカーを記した資料を手に、なおかつ四苦八苦だ。 汗をふきながらおどおど答える姿には、とても大臣としての資質があるようには見えない。 自分が大臣に指名された理由を「分からない」と答え「指名してくれた方(首相・安倍ね)のためにがんばる」と。 「そこは国民だろう」と思わず突っ込み入れたくなる。 そんなやりとりが哀れに見えるのか、SNS上では「いじめみたいだ」とか「一生懸命答えている……」などと、大臣桜田を擁護する声も目立つ。 まぁ、お人好しだなぁとも思うが、タチが悪いなと思うのは「(質問している蓮舫は)時間と税金の無駄遣い。 もっと聞くことがあるだろう」などという人達ね。 こういう人等は自分をちょっと高いところに置いて、評論家然として言う方々ね。 自分では何もしないで評論ばかりしてる人らね。 今回のやりとり、税金の無駄遣いではないだろ。 大臣の資質がないヤツが延々大臣やることの方がどんだけ無駄なんだよ。 なぜ、自分が大臣になったかも分からないような人がやっていると分かったこと大事だぜ。 そんで、おどおどして、いい人ぶっている大臣・桜田だが、過去には従軍慰安婦問題を「(慰安婦は)商売でやっていた人たち」と言った人だ。 8000億円からの金を使う五輪(もう、この金額自体信じらんねぇけどね)をこの人に任せて良いわけないだろ(予算は1500円とも言ってたね)。 そんなことを教えてくれた質問だろう。 斜に構えているのは格好良くないぜ。 まっとうに考えてみなよ。 あ、あと在庫一掃セールをやった首相安倍の任命責任もね。 安倍首相がな〜んにも考えないで任命したのだろう。 11月末からアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれるG20(主要20か国首脳会談)で、米中首脳会談が予定されている。 それに向けてトランプ大統領は、貿易協議で想定される条件の草稿を作成するよう主要閣僚に指示した、と11月1日に報じられた。 また同日にトランプ大統領は、「習近平国家主席と(電話会談で)長い時間とても良い話し合いができた」とのコメントをツイッターで発信している。 さらに2日には、「中国とのディールを成立させる。 誰にとっても非常に公正な取引になると思う」、「(両国が)何かをしようとずっと近付いている」と発言し、米中首脳会談の場で何らかの合意がなされる可能性を匂わせている。 しかし、国家経済会議(NEC)のクドロー委員長は2日に、「中国との交渉で大きな進展はない。 合意は近くない」としている。 トランプ大統領の発言は、直前に迫った中間選挙を意識した露骨な情報戦略の要素を多分に含んでいることは否めない。 中国からの輸入品への追加関税導入は、米企業の活動や収益環境に悪影響を与えているが、トランプ政権の強硬策の奏功により、中国側が譲歩する形で貿易戦争が収束するとの期待が高まれば、中間選挙で共和党に強い追い風となる。 この点から、トランプ大統領の発言は選挙戦略の一環であり、その内容についてはかなり割り引いて見る必要があるのではないか。 少なくとも、米中首脳会談で両国間の貿易問題が一気に解消に向かうことは、ほぼあり得ないことだ。 米中貿易戦争の背景には、経済、先端産業、軍事力を巡る覇権争いがあり、両国ともに簡単には譲歩はできない。 中間選挙後に米中貿易戦争での楽観論は萎む可能性も ただし、7月にトランプ大統領と欧州連合(EU)のユンケル欧州委員長との間で成立した「一時停戦」のような合意が成立する可能性については、完全には否定できないところだ。 その時と同様に、交渉が行われている間は新たな追加関税を発動しないことを、米国政府が約束するといったことが考えられる。 さらに、来年年初から実施が予定されている、中国からの2,000億ドルの輸入品に対する関税率引き上げ(現行10%を25%とする)を当面見合わせるということも考えられる。 ただし、クドロー委員長は、米中首脳会談で一時停戦が合意されても、その後の交渉は「長く厳しいプロセスになるだろう」としている。 一方、中国側からの情報には、米中が貿易問題で何らかの合意がなされることを期待させるものはない。 5日の講演で習近平国家主席は、トランプ政権の対中追加関税措置を「近隣窮乏化の慣行」と表現した上で、それは世界的停滞につながると強く批判した。 中国のテレビ局(CCTV)は、先週の米中電話会談は、米国政府側からの要請に基づくものだったことを報じている。 トランプ政権側も、それを認めている。 つまり、電話会談の実現は中国側の譲歩を示唆するものではない。 米国政府は、米中首脳会談に向けた両国間の交渉が始まる前に、特定のテーマを示すように中国政府に働きかけたが、中国政府はそれを拒否したという。 これを受けてクドロー委員長は、「満足できるような返事を中国側から得ていない。 我々は待っている」としている。 また、11月末の米中首脳会談が、7月の米国EU間での一時停戦合意に繋がるとの見方に対して、クドロー委員長は「ユンケル委員長の訪米とは異なるもの」として、楽観論を牽制している。 こうした点を踏まえると、足もとで浮上してきた米中貿易戦争鎮静化への期待は、中間選挙後には、再び萎んでしまう可能性が十分にあるだろう。 木内 登英 [経世済民129] まもなく日本が「サラリーマン絶滅社会」を迎えることに気づいてますか では、生き残るにはどうすれば…?(現代ビジネス) まもなく日本が「サラリーマン絶滅社会」を迎えることに気づいてますか では、生き残るにはどうすれば…? 2018. ホテルや空き店舗などを活用したり、1日から数日、あるいは数週間程度の「期間限定」でオープンするレストランです。 まだ自分の店を持たない若いシェフが、少ないリスクでチャレンジするために、ポップアップレストランをオープンするケースもあります。 その中でも注目を集めたのは、世界一と称されるデンマーク・コペンハーゲンのレストラン「Noma(ノーマ)」出身のイギリス人シェフ、ジェームス・シャルマン率いる、旅するシェフ集団「One Star House Party」です。 One Star House Partyのホームページより 彼らは2年間で世界20カ国を廻り、20のポップアップレストランを営業しました。 そのうちの1カ国のネパールではレストランをエベレストのベースキャンプ(なんと標高5300メートル!)に設けることを思いつき、それを実行したのです。 15人のお客と一緒に、標高2800mのネパールのルクラ空港から、テーブルや椅子、薪、調理器具や食材を担いで、8日かけて寝食を共にしながら標高5300メートルまで登山。 そもそも飲食店とは、世界で最も歴史のある産業のひとつです。 が、長らく克服できない「宿命」を背負っていました。 それは、場所の流動性がとても低い(立地条件が悪くなっても動かすことができない)ということです。 しかし今、その常識が変わりつつあります。 腕に自信があるシェフは、ネットを駆使して「ポップアップレストラン」が可能な場所を探せば、場所を固定せず、様々な場所に出向いて料理を作ることができるようになった。 彼らはもう、「場所」という制約に縛られることはなくなったのです。 このような新しいスタイルの飲食店が続々生まれたのも、ITによって人の情報の取り方と行動が変わったからです。 ネットを通じて、ヒト、モノ、カネ、サービス、あらゆるものが、ゆるくつながっていて、その時その時でお互いのニーズに合わせて、新しいサービスを展開する。 魅力的なポップアップレストランが開催されると、その情報は一瞬でシェアされ、お客もスタッフも材料もレシピも、SNSやメッセンジャーを通じてフランクに集めたり共有したりすることができます。 そんなメリットをもつポップアップレストランが、今後飲食業界の主流になっていけば、極端な話、「店を構える」型の飲食店は姿を消してしまうかもしれません。 「店が料理人を雇う」のではなく、「料理人が店(場所)を選ぶ」時代、あるいは「店舗」をもつオーナーが、季節や時代のニーズに合わせて料理人を選ぶ時代がやってくるのです。 こうした変化が起こっているのは、飲食店だけではありません。 いま、ありとあらゆる産業の常識が、ネットの発達によって変わりつつあります。 今後、スキルや知識を持った人は、組織に属さずに、プロジェクトごとに企業を渡り歩くようなケースが増えていくでしょう。 まさに、腕のいいシェフがポップアップレストランを転々とするように、です。 大胆な予測をしましょう。 私は、一般的なビジネスにおいても、このような「ポップアップ型」の働き方が主流になってくると思います。 つまり、大組織には属さず、自分のスキルと知識を武器にして、様々なビジネスシーンを渡り歩くような働き方が主流になるということです。 反対に、大きな組織に属しながら、組織の命令で動き、組織のために働く「サラリーマン」は、間もなく絶滅するだろうと思っています。 サラリーマンは、自らが「絶滅危惧種」であることを意識し、どうやって生き伸びるかを考えなければならない時代を迎えているのです。 「サラリーマンは絶滅する」 私がそう予測する理由を説明しましょう。 同じ産業であっても、トヨタと日産とホンダ、パナソニックとソニー、三菱商事と三井物産と伊藤忠商事、電通と博報堂、野村證券と大和證券、それぞれに異なる社風があって、みんなその社風を大切にしています。 さて、皆さんは疑問に思ったことはないでしょうか。 なぜ日本企業には、それぞれの社風があるのか、と。 海外には、日本企業のように色濃い社風は存在しません(もちろんグーグルやフェイスブックにも独特の企業カルチャーはありますが、それは日本の伝統的な「社風」とは違うものであることは、お分かりいただけるでしょう)。 なぜ、日本には社風が必要だったのか。 それにはちゃんと理由があります。 第二次世界大戦で日本中が焼け野原となり、戦後の日本経済はどん底からスタートしました。 今でも品質と技術では世界一を誇るものが多いメイド・イン・ジャパンですが、戦後しばらく日本製は「粗悪品」の代名詞でした。 しかし朝鮮特需を経て奇跡的な復興を遂げたこの国は、戦後10年ほどで高度経済成長期に入り、その後1990年台前半まで成長拡大を続けました。 企業は利益を再投資して生産規模を拡大し続けたのです。 その中で、大企業はより大きくなっていきました。 少品種大量生産には兵隊が必要 人々は大量にモノを消費し、企業は大量にモノを生産する。 消費意欲が強いため、同じものを大量に作っても作るだけ売れる。 少品種大量生産の時代が長く続きました。 同じものを大量に生産しているプロセスでは、なにせ人手が必要になります。 経営者にとってみれば、全員が定時に出社して一斉に仕事をし、風邪ぐらいでは決して休まず、仕事が終わらなければ自主的に残業してくれる社員は、とてもありがたい存在です。 そんな兵隊ばかりを、とにかくたくさん揃えておきたい……そのために必要だったのが、社風だったのです。 「そこそこできる」が一番よかった 洗脳するためにはもちろん、純真無垢な方がいい。 だから新卒を採用します。 猜疑心や余計な知識がなければ、催眠術にかかってくれやすいし、集団催眠がかかったまま集団の中にいつづければ、洗脳を疑うこともない。 どんなに理不尽でも、ブラックでも、それしか知らなければ疑問を持ちにくい……。 だから日本の大企業はあえて、非合理的としか思えない新卒大量一括採用をしてきたのです。 かつての日本企業はそれでよかったのです。 少品種大量生産をしている場合には、大量に人を雇っても、工程や、役割を細分化して、一部の仕事だけを覚えさせて、黙々と同じ仕事を繰り返させておけばよかったからです。 そうやって日本の産業は高度に仕組み化されていきました。 とはいえ、人間は面白くもない仕事を延々としていると、飽きてくる生き物です。 すると次第にモチベーションが下がり、会社を批判したり、隠れて悪さをしたりする人も出てきます。 それを防ぐために、3年ほどで職場を変えさせます。 ジョブローテーションです。 そうして、広く浅く、「なんでも、そこそこ」できる便利な社員が純粋培養されます。 それで、日本のサラリーマンは幸せだったのです。 同じ社風を共有する社員同士、皆で一丸となって事業をし、ライバルと戦い、叱咤激励し合い、酒を飲んで適度なガス抜きをし、社内恋愛や紹介お見合いで親戚となり、家族ぐるみの付き合いをする。 定年まで忠実に働く代わりに、首を切られることはなく、給料は一律にある程度まで上がり、60歳まで勤め上げれば数千万円の慰労金がもらえる。 さらに、老後まで企業年金で面倒を見てくれる。 サラリーマン万歳です。 転職なんてもったいなくてできるわけがない。 欧米式が日本式を駆逐する しかし、そんな特殊な会社の仕組みが出来上がったのは日本ぐらいでした。 欧米の大手企業は、飛び抜けて優秀なプログラマーでもない限り、新卒を採用したがりません。 知識もビジネススキルもなく、マナーも知らず、手がかかり、2、3年も経たないとマトモに利益を上げてくれない若者を、大量に採用することはありえません。 GoogleやApple、Facebookなど人気企業は、能力が高く、知識と経験を積んだ、即戦力人材を採用します。 テクノロジーの先端で競争していますから、何もできない新人を育てる暇などないからです。 それらの人気企業で働くことを志す若者は、まずは自分を採用してくれる企業(中堅、ベンチャー、大手の子会社など)に低い給料で就職し、下働きをしながら経験とスキルを積み、MBAや情報系の資格を取るなどして自分の市場価値を高め、人気企業に自分をプレゼンして転職するのです。 そうして転職しながら自分の給料を上げていきます。 日本の新卒一括採用に始まる「生涯サラリーマン」制度は、もはや化石のようなもの。 世界のどこにもありません。 企業側にメリットがないからです。 大量生産大量消費社会ははるか昔に終焉し、少量多品種生産になって久しい。 多様化する価値観に合わせて次々に新しい商品やサービスを生み出していかなければならない時に、同じ会社で同じように育てられ、同じ知識と経験しかもたない画一的なサラリーマンなど、もはや使いようがないし、不要なのです。 決して誇張ではない 大量生産大量消費社会が終焉に向かっているいま、日本の大企業は、今すぐ新卒一括採用をやめたほうがいいのです。 新卒採用で同期1000人といったビジネスモデルは、もう破綻しています。 数ヶ月単位で世界のビジネスモデルが変化していくような時代に、3年かけて悠長に人を育てていく企業は、ついていけません。 人手が欲しいのであれば、中国や東南アジアやインドなどから優秀な人を採用した方が手っ取り早い。 新卒は戦力になるまでに、つまり「投資を回収するまで」に時間がかかりすぎる。 一方で、日本においても転職市場が成熟してきたことで、「一から人を育てるなら、優秀な人材を転職市場から獲得しよう」と考える企業が増えるのは必然です。 人件費や研究開発費は、「将来うまれるであろう利益の先食い」ですから、企業としても「新人」に投資する意味が薄れていきます。 Yahoo! JAPANは昨年から新卒一括採用を廃止し、通年の経験者採用に切り替えました。 賢明な判断です。 いや、とはいえ、「サラリーマンというビジネスモデルが破綻する」というのは誇張表現ではないか。 生涯雇用は破綻して転職が当たり前の世の中になったとしても、仕事をするのはあくまで社員。 サラリーマンには変わりないだろうという意見があるでしょう。 しかし、それすら変わってきているのが現実です。 世界では、様々な革新的なプロジェクトが「プロジェクトベースで集められたプロフェッショナル集団」によって行われる時代になってきています。 車を例にあげましょう。 従来の新型自動車の開発は、社員の中でも特別なメンバーだけが集められ、社外の人は決して入れないような場所で秘密裏に行われていました。 デザイナーもエンジニアも、社員にならないと参加できません。 秘密裏にことを進めるため、新型車の企画から発表まで6年ほどかかる……という世界です。 車の作り方に訪れた変化 しかし今、世界のEV 電気自動車 ベンチャーはまるで違った方法で車の開発を進めます。 世界にはテスラ社をはじめ無数のEVベンチャーがありますが、フリーランスがプロジェクトチームを組んで、大企業からお金を募って開発を行うのが当たり前になりつつあります。 世界各国のオフィスから参加する彼らは、クラウド上の3DCADシステムを使ってリモートに開発を行うので、同じ場所にすらいない。 オンラインで繋がれた3Dプリンターによって試作品の作成すらもリモートでできます。 組織の中でしか完結できなかった仕事が、いまはネットで優秀なメンバーを集めることで実行可能になっているのです。 今後、新型の自動車開発やベンチャー企業だけではなく、ごく当たり前の仕事でも、このような「クラウド型の仕事」によるプロジェクトが広まっていくことは間違いありません。 ひとつの製品を作るうえで、それを企画する人が、クラウド上で、デザイナー、エンジニア、営業マン、経理を集めて、最適なものを作っていく。 ソフトバンクの孫正義氏が40億ドルを投じたことで話題になった、「WeWork」という米ベンチャー企業があります。 これは、起業家向けのコワーキングスペース(共同作業所)を提供するサービスですが、これを利用して、オフィスを持たずに働く「集団」が急激に増えています。 会社に所属するのではなく、自分たちで組織を作って、メンバーを増やしていく。 彼らが大企業に「新しいプロダクト/サービス」を提案することもあれば、反対に、大企業が組織内の社員にではなく、彼らのような「集団」に大きな案件を発注していく……そんな生き方、働き方が主流になる時代が来るのです。 これは、まさに冒頭でみた「ポップアップレストラン」と同じ発想です。 いわば、これからの社会では「ビジネスのポップアップ化」が進んでいくのです。 こうしたやり方が一般的になっていけば、もはや会社の「兵隊」たちは必要なくなっていきます。 つまり、軍隊型の生産組織から、遊軍的な生産組織へと「生産の常識」が根底から変わっていくなかで、「組織型サラリーマン」は、日々日々必要な存在ではなくなっていくのです。 だから私は、「サラリーマンは消滅する」と予見するわけです。 実はこのことに気づいているかどうか……つまり、「サラリーマンは絶滅危惧種」であり、生き残る方法を考えなければならない、ということに気づくかどうかで、あなたの働き方、そして生き方は随分と変わっていくはずです。 今日も明日も上司の言うがまま、まさに兵隊的な働き方をしていては、10年後、いや5年後にいきなり「ご苦労さん、もう君の闘いは終わったよ」と会社に見放されることは、十分に起こりうることなのです。 会社を今すぐ辞めろ、というわけではありません。 まずは自分が「絶滅危惧種」に属しているかもしれないことを意識し、自分の働き方を、そして生き方を見直すことが必要なのです。 一刻も早く「脱サラリーマン思考」を手に入れること。 それが、これからの時代を生き延びるためには必要なのです。 では、次回以降で「脱サラリーマン思考」を手に入れるための具体的な方法についてお話していきましょう。 (構成/嶺竜一。 三戸政和氏のツイッターアカウントは ) 日本のガラパゴス化は見方を変えると日本特有の魅力にもなる。 でもサラリーマンについてはやっぱり今のままではダメだと思う。 そこで個の権利を相互扶助に保証する仕組が必要になってくるのです。 — 遠藤 翠 shakazen2011 ITにより流動化が進む中でらひと昔前の常識は非常識になりつつある。 固定化することの危険性。 常に感じていなければいけない。。。 — yuzukira miku72249075 まもなく日本が「サラリーマン絶滅社会」を迎えることに気づいてますか(現代ビジネス) - ほぼ染まっているから、島国出たら生きられないよリーマンは Yahoo! ニュース — ken aikawa コスモポリタン xliangu12 恐竜は絶滅するにキーワード変えて読むと小さい変化できるものが生き残るのは歴史の必然なのか…時代はますます進むな…— Dhon🤣 Dhon777 イノベーションを起こす会社だけではなく、ベンチャー企業や中小企業などでもスキルある経験者採用が増える、すなわち、サラリーマンが減っていくのか。 まもなく日本が「サラリーマン絶滅社会」を迎えることに気づいてますか — カズ football0321 全てが上流になれるという説は気持ちが良い。 だが下流にいたらどうなるのか?だれかがバナナやパイナップルをもぎ、ネジをつくり、接客をする。 だからこそ民主主義という集団の利害調整手段が生まれたというのに。 (谷間の百合) 本田圭佑さんに学びたい。 2018-11-06 10:36 谷間の百合 二回目の投稿です。 きょうの新聞の一面トップは「朝鮮学校の補助金半減」というものですが、これからこういう動きが加速していくのではないでしょうか。 河野外相は、韓国最高裁の判決を奇貨として、韓国批判のボルテージを上げています。 ほんとうに愚かなことです。 外交に関しては、総理以上に危険な人間です。 民間人の訴えに韓国の最高裁が下した判決に対して「日韓関係を揺るがすような大きな事件」だと言っていますが、大きな事件にしたいのは日本です。 聞くところによると、新日鉄が和解しようとしたのを、強硬策をとるように舵を切ったのが安倍政権だったということです。 総理にはことを収めようとか、話し合いをしようなどという考えは微塵もありません。 内心、これで懸案の拉致問題を先送りできるとほくそ笑んでいるのではないでしょうか。 原告は徴用ではなく募集に応募してきた人間だと言う人がいますが、日本人がみんな徴用だったのに、そうではなかったというのは、当時の朝鮮が余りにも貧しくて徴用するまでもなかったということではありませんか。 過日、本田圭佑さんがサッカー仲間の友人の紹介で朝鮮学校を訪問して大歓迎を受けたというニュースがありました。 その後、ツイッターでこう呟いています。 「どんな状況であれ良くしたいのなら自分で変わること。 自分の国しか愛せないのは悲しいこと。 国益しか考えられない政治家は今後必要とされなくなっていく。 」 自分を変えるのは至難です。 本田さんにはもともと先入観や偏見がなかったのか、それとも世界を舞台に活躍しているなかでそういうものがなくなったいったのか、或いは先の皇后陛下の文章の中にあった経験したことについて思いを巡らせるということをしてきた人だったからでしょうか。 とにかく、自分を変えることのできる人など滅多にいません。 しかし、本田さんが誤解しているのが、自分の国しか愛せない人間とか、国益しか考えられない政治家などはいないということです。 かれら(ネトウヨ)は、国を愛していませんし、政治家特に総理が優先しているのは国益ではなく私益だからです。 わたしは「悪しき在日」を排除できるのは本田さんのような人ではないかと思います。 いがみ合いや対立こそ「悪しき在日」(悪しき日本人)の温床だからです。 本田さんならそこに光を当てられるかもしれません。 [国際24] もう一つの核兵器削減条約からのアメリカ脱退は本当にロシアの恩恵になるのか?(マスコミに載らない海外記事) もう一つの核兵器削減条約からのアメリカ脱退は本当にロシアの恩恵になるのか? 2018年11月 6日 マスコミに載らない海外記事 2018年10月30日 Tony Cartalucci New Eastern Outlook そうではない。 明らかに、ロシアは、アメリカ合州国との戦争のさなかの核攻撃応酬を防ぐもう一つの条約を破棄することで、恩恵を受けることはない。 最近、卓越した反トランプ派として、イメージを一新した元アメリカ・ロシア大使のマイケル・マクフォールのようなこの中傷的言説を広めているのは、アメリカの偽左右政治パラダイムに情報を出したり、そこから取ったりしている政治挑発者だ。 ソーシャル・メディアへの投稿の一つで、マクフォールはこう主張していた。 もし配備された場合、ロシア中距離ミサイルの射程距離内になるはずのアメリカのヨーロッパ同盟諸国が、クレムリンに公的にも私的にも強く抗議していないことも認めている。 だが、パイファーは、アメリカはロシアによって開発中とされるものに対抗できるミサイルを保有しておらず、もし保有していたとしても、NATOも日本も韓国もアメリカがそのようなシステムを自国領に配備するのを認めるはずがないので、アメリカはそれを配備する場所がないと主張している。 別のワシントン離脱が、そうではないことを証明している ところが、アメリカは、既にいくつかの条約から離脱しており、同盟諸国に圧力を加え、新規開発されたミサイル・システムを、彼らの領土に配備することを可能にしたのだ。 別の冷戦時代の協定から、ワシントンの一方的離脱 - 1972年の弾道弾迎撃ミサイル制限条約を、アメリカのジョージ・ブッシュJr大統領が2002年に破棄した後 - アメリカは、ロッキード・マーチンのイージス・アショア弾道ミサイル防衛システムを開発し、ヨーロッパに配備し、韓国には、やはりロッキード・マーチンが製造した終末高高度防衛ミサイル THAAD 弾道弾迎撃ミサイル防衛システムを配備した。 ブッシュとトランプの下での一方的な条約離脱や、オバマ政権の下での弾道弾迎撃ミサイル・システムのヨーロッパと東アジア配備が、誰がホワイト・ハウスの主かとは無関係に、計画が連続していることを示しているのは明らかだ。 これら条約脱退と、それに続く、ロシアと中国を包囲するためのアメリカ・ミサイル・システム配備に加えて、両国国境でのアメリカ部隊の直接的強化が行われている。 ブリュッセルのアメリカNATO代表団からの秘密電報によれば、ヨーロッパにおける同盟の最高司令官、アメリカ海軍のジェームス・スタヴリディス提督は、リトアニア、ラトビアとエストニアという旧ソ連バルト諸国のための防衛計画を策定するよう提案した。 条約からアメリカが離脱し、ミサイルを配備し、更に別の条約を脱退して、ロシア周辺とロシア国境に更なる軍隊を配備するため、自国の国境での敵対的な武力強化に対するロシアの合理的な反応を理由にするという、明らかなパターンが浮かび上がる。 一体誰が本当に恩恵を受けるのだろう? 金の流れをたどってみよう アメリカによる中距離核戦力全廃条約でロシアが恩恵を受けるという様々な主張をした後、マクフォール自身、本当の受益者が誰かを遠回しに認めている。 より最近のソーシャル・メディア投稿で、マクフォールは、こう主張している。 ロッキード・マーチンのイージス・アショア・システムは10億ドル以上する。 ロッキード・マーチンの年間収入はロシアの年間軍事予算に匹敵する。 アメリカによる中距離核戦力全廃条約廃棄で、一体誰が一番恩恵を受けるかは明らかだ - 少なくとも金銭的には。 ヨーロッパに配備するワシントンの能力を巡るマクフォール疑問については、アメリカの弾道弾迎撃ミサイル制限条約からの離脱で証明されている通り、アメリカは、論議の多い、望まれていないミサイル・システムを開発し、ヨーロッパと東アジアの両方に、首尾良く配備できているのだ。 アメリカが中距離核戦力全廃条約から離脱さえする前に、アメリカ国防省は、それをするための中距離ミサイル・システム計画を既に開発していたのだ。 アメリカ軍は、モスクワとワシントン間の軍縮協定に配備が違反する同様なロシア兵器に反撃するための地上発射形中距離巡航ミサイルを開発していると、アメリカ人幹部が金曜日に述べた。 当局者は、まだ開発中のアメリカ・ミサイルは、もし配備されれば、中距離核戦力全廃条約に違反することを認めている。 記事は、そのようなミサイルの開発は配備されない限り中距離核戦力全廃条約に違反しないと主張する統合参謀本部戦略的能力室グレッグ・ウィーヴァー副室長の発言も引用している。 中距離核戦力全廃条約からのアメリカ離脱で、ミサイルは公然と開発し配備できるようになり - つまり誰であれ契約を獲得したアメリカ兵器メーカーにとって需要は更に増える。 こうして、マクフォールは、一体誰が中距離核戦力全廃条約破棄の本当の受益者かというあらゆる疑問に答えている - アメリカが弾道弾迎撃ミサイル制限条約から脱退した後、既に開発済みで、配備済みの他の何十億ドルのミサイル・システム事業に加えて、こうした新型ミサイル・システムの開発と配備で、兵器メーカーは何千億ドルも獲得するのだ。 包囲し封じ込めるロシアことを目指している連中も恩恵を受けるが、そうすることを正当化する、いかなる合理的口実も欠如している。 マクフォールや、彼のような他の連中は、聴衆はひどく無知で、全く情報不足のままだという想定を前提にして、言説を作り上げる。 ロシアを、アメリカ自身による挑発の背後の首謀者として、でっちあげることで、マクフォールや彼が代表している既得権益団体が、連中が公然と述べている、ロシアを包囲し、封じ込める狙いを更に何段階も前進させようとしていることが、世界平和と安定にとって、一体誰が本当の脅威かを証明している。 記事原文のurl: ---------- [政治・選挙・NHK253] 徴用工問題は本当に「解決済み」だったのか? 日本政府が60年以上にわたり隠蔽してきた日韓基本条約の欺瞞(リテラ) 徴用工問題は本当に「解決済み」だったのか? 日本政府が60年以上にわたり隠蔽してきた日韓基本条約の欺瞞 2018. 周知のように、植民地時代の韓国人徴用工が日本企業に求めた賠償について、韓国の大法院(最高裁)は被告の上告を棄却し、請求を認める判決を下した。 安倍首相は即座に「ありえない判断」と批判、河野太郎外相は「100パーセント韓国側の責任」と追及を緩めない。 安倍政権は判決を受けて、提訴されている企業向けの説明会を開催し、損害賠償や和解に応じないようとのレクチャーを公然と行なっている。 影響はいたるところで表面化している。 岐阜県岐阜市では、教育と文化に関する友好交流の合意書を交わす予定だった韓国側代表団の受け入れを延期に。 国内の大マスコミは揃って韓国側を批判する論調一色にそまり、テレビではキャスターやコメンテーター、芸能人までもが連日、韓国批判を展開している有様だ。 そもそも「朝鮮人徴用工問題」とは、戦前の大日本帝国が、植民地として支配していた朝鮮半島の人々を強制的に動員し、炭鉱など過酷な環境での労働を強いたこと及びその人権侵害に対する、賠償ないしは補償をめぐる問題である。 ところが、メディアはその実態にはほとんど触れようとせずひたすら「徴用工問題は日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済み」という主張を繰り返している。 その解決のために、日本政府は韓国政府に3億ドルを無償供与し、2億ドルを長期低利貸付したのだ、と。 たしかに、1965年の日韓基本条約の際、両国政府によって締結された「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(請求権協定)の第二条一項には「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との文言が含まれており、いわゆる韓国側の「対日請求要綱八項目」のなかにも韓国人徴用工の損害賠償請求権等が記されていた。 しかし、改めて考えてみると、請求権協定のいう「完全かつ最終的に解決された」請求権とは、いったい何を対象として請求する権利なのか。 そして、日本政府が韓国政府に供与した無償3億ドル、貸付した有償2億ドルという大金は、いかなる目的のものだったのか。 たとえば、請求権協定の前文には〈両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望〉するとともに〈両国間の経済協力を増進することを希望して〉結ばれた協定であると謳われている。 また、第一条には〈供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない〉との但し書きがなされている。 日本政府の解釈によると、経済協力と請求権問題の間に法的な相互関係は存在しないという。 すなわち、日本政府としては韓国との国交正常化にあたって、あくまで経済強力として位置付けたものであって、実際に当時の日本国会でも「賠償とは同一視できない」との立場を明確にしていた。 また、請求権協定の条文を読めばわかるが、そこには日本の過去の行いに対する「謝罪」「お詫び」「反省」はもちろん「責任」の類の言葉も一切記されていない。 これはなぜか。 実のところ、その点が日韓基本条約の性質における根幹の問題と深く関係している。 大マスコミはひたすら「判決は日韓関係を悪化させる」と連呼してネグっているが、日韓基本条約から読み取れるのは、1910年の韓国併合以降の両国の歴史に対する日本側の謝罪と責任の回避、とりわけ植民地支配の正当化の結晶である。 そして、これこそが1965年の条約締結以来、現在まで、日本政府が「解決済み」とのフレーズによって隠滅しようとしてきたものに他ならないのだ。 「もはや」という表現は、交渉過程で日本側の強い要望により加えられた。 当時の日本国会では、佐藤栄作内閣の椎名悦三郎外相が「併合条約が無効となった時点は(中略)、大韓民国の独立が1948年8月15日に独立宣言が行なわれたのでございますが、そのときに無効になったという意味であります」(1965年2月26日参院本会議)などと何度も述べている。 今回の韓国大法院判決の大きな要因のひとつは、基本条約と付随する請求権協定における二重解釈の矛盾を、日本政府が60年以上にわたって放置してきたことにあると言える。 事実、あらためて韓国大法院の徴用工判決の趣旨を点検すると、裁判長を含む多数意見は〈「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていない〉(共同通信より)と判断している。 請求権協定によって原告の個人請求権が消滅していないのはもちろん、請求権協定が効力を発揮していると考えられてきた外交保護権における「解決済み」の文脈においても、「植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする」慰謝料の請求権については失われていないという意味だ。 どういうことか。 着目すべきは、明確に「不法な植民地支配」との言葉を使っていることだ。 すなわち、韓国大法院は、前述した「もはや無効」(already null and void)に代表される基本条約および請求権協定の二重解釈について、日本側と同じく「併合条約および植民地支配は有効・合法であった」との解釈を条文上で読み取っているわけである。 一方で、「それでも国と国が決めた法的取り決めを180度ひっくり返すような司法判断はいかがなものか」と素朴に思う向きもあるかもしれない。 しかし、条約締結までの歴史的経緯を振り返れば、そう単純なことではないとわかる。 これもまたマスコミが無視している部分なので、簡単に解説しておこう。 まず、1945年の敗戦からGHQの占領下に置かれた日本は、1951年にサンフランシスコ講和条約へ調印し、翌年の発行をもって本土が独立した(法的な話になるので割愛するが、そもそも日韓基本条約等はサ講和条約に直接的に連関している)。 日韓の国交正常化に向けた会談はその1951年、アメリカの斡旋による予備会談から始まった。 この間、朝鮮半島は米ソの分割統治を経て朝鮮戦争に突入していた。 日本は朝鮮特需を経済成長の足がかりとする。 一方、韓国は戦勝国の一員としてサンフランシスコ講和条約への参加を望んだが、受け入れられず、他の戦勝国のように対日賠償請求権を得られなかった。 これは国家賠償をめぐる軋轢による日韓関係の悪化を警戒した米国の意向という見方が強いが、いずれにしても、時の吉田茂政権と李承晩政権で会談はスタートした。 米国は日韓を北東アジア地域における「反共の防波堤」の拠点にすべく、両国の国交樹立を推し進めていた。 しかし、両国の国内事情や思惑によって日韓会談は何度も中断し、締結までには14年の歳月を要することになる。 当然だが、日本による植民地支配が不当なものであったとの認識は韓国社会で広く共有されていたわけである。 1960年4月、韓国での学生蜂起(四月革命)で李承晩政権が陥落する。 続く張勉内閣は1961年の軍事クーデターで事実上倒れ、朴正煕政権が誕生し日韓国交正常化へと向かう。 日本では米国の意向のもと東アジア外交に積極的だった岸信介政権を経て、池田勇人政権が「所得倍増計画」を打ち出している。 この時期、韓国の経済復興のため、とりわけ米国の介入によって交渉の早期妥結が目指された。 その結果、両国の賠償・補償の認識の溝は埋まらず、日本からの「経済協力」という形で曖昧なままとされた。 韓国側が一貫して求めてきたはず「謝罪」の性質は、結局、玉虫色の表現にして妥協されたわけである。 近年公開された日韓会談文書の新資料の検討によれば、この請求権問題での「経済協力方式」を創設したのは日本外務省アジア局であったという。 1960年7月に、当時のアジア局長の主導のもと起訴された文書には、〈日韓会談を早急に妥結するためには、韓国側に対して何らかの経済協力ないし援助を行うことが不可避であり、またわが国にとっても過去の償いということではなしに、韓国の将来の経済および社会福祉に寄与するという趣旨でならば、かかる経済協力ないし援助を行う意義ありと認められる〉とある。 「謝罪」や「賠償」ではなく「経済協力」を主とした条約締結に対し、韓国国民は「屈辱外交」「韓日癒着」として大きく反対した。 しかし、日本政府はこれ以降、条文の「完全かつ最終的に解決された」とのフレーズを印籠のように振りかざし続けて現在に至る。 それは、1995年の村山談話で「植民地民地支配と侵略」について「痛切な反省」と「心からのお詫び」を日本政府が公式に表明してからも温存されてきた。 逆にいえば、日本政府は意識的に放置してきたのである。 もっとも韓国政府にも問題がある。 朴軍事独裁政権による拙速な妥結の背景には、軍事クーデターによる体制を補強するため、日本からの経済的支援が不可欠との考えがあった。 条約締結後の韓国国民(遺族)個人への補償は十分でなかったし、実際、徴用工問題についても生存者については一切補償がなされなかった。 いずれにしても、こうして日韓基本条約と請求権協定を改めて読み、その交渉の過程を振り返ってみれば、いま、日本政府やマスコミが巻き起こしている「解決済みだ」「ありえない判決」「韓国けしからん」の大合唱は、あまりに多くの日本側の問題点を見落としている。 ましてや日韓関係を憂慮すると嘯くのであれば、その主張は冷静でもなければ、現実的でもなく、ましてや民主的の価値観にも基づいていない。 また、戦後補償の問題が現在に噴出してくる背景には、それこそ韓国司法が指摘するような「植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した反人道的な不法行為」に関する、日本国民の意識の薄まりも関係しているかもしれない。 いずれにしても、安倍政権が「完全かつ最終的に解決された」とのフレーズを繰り返すことで蓋をしているものとは、日本が朝鮮半島の植民地支配を正当と言い張り、賠償を行ってこなかったという事実である。 その視座、すなわち過去に対する反省と真摯な姿勢なくしては、いくら日本政府が強硬策をとったとて、10年後、50年後に、まったく同じことが繰り返されるだろう。 それでいいのか。 マスコミはもちろんのこと、わたしたち日本国民ひとりひとりがそのことをもう一度問い直す必要がある。 」 徴用工問題は「解決済み」だった? 隠蔽してきた日韓基本条約の欺瞞 — AKIRA daruma1953 徴用工問題は本当に「解決済み」だったのか? 日本政府が60年以上にわたり隠蔽してきた日韓基本条約の欺瞞 アベは「完全かつ最終的に解決された」と言うが被害者個人の請求権は消滅していない。 - 北海道は素敵です!! - Yahoo! ブログ — 松本 美紀子 yuuta24mikiko 請求権協定自体は個人請求権を放棄しておらず、互いに外交保護権を放棄した物。 妥協の産物で、その不十分さが有るんでしょうね。 だからこそ、3条に紛争解決条項が有るんだと思いますよ。 既に外交紛争に至ってるのだから、互いに罵り合っても解決しない。 国際司法判断を得るのが一番正しいんです。 — tontonjyo tontonjyo1 人間社会で法の支配が求め続けられる最大の理由は対立解消可能性そのものだからです。 私は最終的に裁判を経て、判決を得る事が、より妥当性を孕む解決に繋がると思いますけどね。 — tontonjyo tontonjyo1 解決しようとせず、思考を止めたことを、「解決済み」と表現しているのですな。 本気で解決を求めるなら論点を明らかにして公にする。 — miyachi Miyachi9Miyachi 戦前は朝鮮を植民地と呼んでいた — ekesete1 ekesete1 当時の日本人が朝鮮を植民地と呼んでいたということは、 当時の日本人が「条約に何と書いてあろうが朝鮮は植民地だ、条約の文言に関係なく植民地だ」と認識していたということ— ekesete1 ekesete1 経緯はどうであれ、「最終的に解決した」と時の政府が認めている以上、日本と韓国の間では「解決済」としか言えんだろう。 経済協力といいながら実質賠償金を払っているし。 まぁ国際司法裁判所でケリをつけるのが一番なんだけど。 6 森山真二:流通ジャーナリスト ダイヤモンド・オンライン 大手のスーパー、コンビニでは、「定番」商品以外のNB商品はほとんど並ばなくなるかもしれない… Photo:PIXTA ナショナルブランド(NB)商品が小売店頭から消える日がくる!? 加工食品の世界で圧倒的なシェアを持っている銘柄を始めとして2番手、3番手につけるNB商品は将来的に、生き残れない可能性が濃厚となっている。

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健康第一!

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

一人の女性が、小さな八百屋から身を起こし、全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語である。 九七年に約二〇〇〇億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏の母親のカツさんがモデルだとされている。 それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。 泣いた。 私の実家の母も、おめでたいというか、その一人だった。 ちょうどそのころ、私の実家の近くに系列の大型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに受けた。 はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。 生きるために食べる。 食べるために働く。 「生きる」ことが主とするなら、「働く」ことは従だ。 しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になってしまった。 それはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。 生きることが本来」母体(マトリックス)であるはずなのに、働くという仮想現実の世界のほうを、母体だと錯覚してしまう。 一つの例が単身赴任という制度だ。 もう三〇年も前のことだが、メルボルン大学の法学院で当時の副学部長だったブレナン教授が、私にこう聞いた。 「日本には単身赴任(短期出張)という制度があるそうだが、法的規制は何もないのか」と。 そこで私が「ない」と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラバラにされて何が仕事か!」と騒いだ。 教育の世界とて例外ではない。 あの電子の生き物(?)が死んだだけでおお泣きする子どもはいくらでもいた。 私が「何も死んでいないのだよ」と説明しても、このタイプの子どもにはわからない。 一度私がそのゲームを貸してもらい、操作を誤ってそのたまごっちを殺して(?)しまったことがある。 そのときもそうだ。 そのときも子ども(小三女児)も、「先生が殺した!」とやはり泣き出してしまった。 いや、子どもだけではない。 当時東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。 ウソや冗談でしているのではない。 マジメだ。 中には北海道からかけつけて、涙ながらに供養している女性(二〇歳くらい)もいた(NHK「電脳の果て」九七年一二月二八日放送)。 中には「たかがゲームの世界のこと」と言う人もいる。 しかし本当にそうか? その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。 この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む信者は、どこが違うのか。 方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみてよい。 あるいはどこが違うというのか。 仮想現実の世界にハマると、人はとんでもないことをし始める。 しかし仮想現実は仮想現実。 いくらその仮想現実で、地位や名誉、肩書きを得たとしても、それはもともと仮想の世界でのこと。 生きるということは、もっと別のこと。 生きる価値というのは、もっと別のことである。 地位や名誉、肩書きはあとからついてくるもの。 ついてこなくてもかまわない。 そういうものをまっ先に求めたら、その人は見苦しくなる。 その息子のW氏にしても、全盛期には世界一六カ国、グループで年商五〇〇〇億円もの売り上げを記録したという。 が、そんな必要があったのだろうか。 私の父などは、自分で勝手にテリトリーを決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さんの管轄だから自転車は売らない」などと言って、自分の商売にブレーキをかけていた。 仮にその町内で自転車が売れたりすると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。 相手の自転車屋に気をつかったためである。 しかしそうした誠意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。 彼らのやり方は、まさにめちゃめちゃ。 それまでに祖父や父がつくりあげてきた因習や文化を、まるでブルドーザーで地面を踏みならすようにぶち壊してしまった。 仮想現実の世界の人から見れば、W氏は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう基準で人を判断することのほうが、まちがっている。 父は生きるために自転車屋を営んだ。 働くための本分を忘れなかった。 人間性ということを考えるなら、私の父は生涯、一片の肩書きもなく貧乏だったが、W氏にまさることはあっても、劣ることは何もない。 おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓鬼のように富と財産を追い求め始めた。 つまりその時点で、おしんは働くために生きるようになった。 おしんはおしんだし、現代でいう成功者というのは彼女のようなタイプの人間をいう。 が、問題はその中身だ。 これも一つの例だが、二〇〇二年度から、このH市でも新しく一つの中高一貫校が誕生した。 公立の学校である。 その説明会には、定員の約六〇倍もの親や子どもが集まった。 そして入学試験は約六倍という狭き門になった。 親たちのフィーバーぶりは、ふつうではなかった。 ヒステリー状態になる親も続出した。 で、その入試も何とか終わったが、その直後、今度は地元に本部を置くS進学塾が、そのための特別講座の説明会を開いた(二〇〇二年二月)。 入試が終わってから一か月もたっていなかった。 商売熱心というべきか、私はその対応の早さに驚いた。 私も進学塾の世界はかいま見ているから、彼らがどういう発想で、またどういうしくみでそうした講座を開くようになったかがよくわかる。 わかるが、そのS進学塾のしていることはもう「生きるために働く」というレベルを超えている。 あるいはそうまでして、彼らはお金がほしいのだろうか。 現代でいうところの成功者というのは、そういうことが平気でできる人のことを言うもだろうが、そうだとするなら「成功」とは何かということになってしまう。 あの「おしん」の中でも、おしんの店の安売り攻勢にネをあげた周囲の商店街の人たちが、抗議に押しかけるというシーンがあった。 そんなものにどれほどの意味があるというのか。 生きるためには便利な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。 自分を見失う。 日本では、あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。 しかしそのW氏のサクセス物語の裏で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣いたことか。 私の父もその一人だが、その証拠として、あのヤオハンジャパンが倒産したとき、一部の関係者は別として、W氏に同情して涙をこぼした人はいなかった。 たとえば政治家。 ある政治家が土建業者から一〇〇〇万円のワイロをもらったとする。 そのときそのワイロを贈った業者は、その政治家という「人間」に贈ったのではない。 政治家という肩書きに贈ったに過ぎない。 しかし政治家にはそれがわからない。 自分という人間が、そうされるにふさわしい人間だから贈ってもらったと思う。 政治家だけではない。 こうした例は身近にもある。 たとえばA氏が取り引き先の会社のB氏を接待したとする。 A氏が接待するのは、B氏という人に対してではなく、B氏の会社に対してである。 が、B氏にはそれがわからない。 B氏自身も仮想現実の世界に住んでいるから、その世界での評価イコール、自分の評価と錯覚する。 しかし仮想現実は仮想現実。 仮にB氏が会社をやめたら、B氏は接待などされるだろうか。 たぶんA氏はB氏など相手にしないだろう。 こうした例は私たちの身の回りにはいくらでもある。 多くの親は、子育ての本分を忘れ、仮想現実の中で子育てをしている。 子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を育てる前に、受験だの進学だの、有名高校だの有名大学だの、そんなことばかりにこだわっている。 ある母親はこう言った。 「そうは言っても現実ですから……」と。 つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間性の教育などと言っているヒマはない、と。 しかしそれこそまさに映画「マトリックス」の世界。 仮想現実の世界に住みながら、そちらのほうを「現実」と錯覚してしまう。 が、それだけならまだしも、そういう仮想現実の世界にハマることによって、大切なものを大切でないと思い込み、大切でないものを大切と思い込んでしまう。 そして結果として、親子関係を破壊し、子どもの人間性まで破壊してしまう。 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。 私が中学一年生のときだった。 「おじいちゃん、これはバイシクルといって、自転車という意味だよ」と。 すると祖父はすっとんきょうな声をあげて、「おお、浩司が英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでみせてくれた。 が、今、その感動が消えた。 子どもがはじめて英語のテストを持ち帰ったりすると、親はこう言う。 「何よ、この点数は。 平均点は何点だったの? クラスで何番くらいだったの? これではA高校は無理ね」と。 「あんたを子どものときから高い月謝を払って、英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親すらいる。 こういう親の教育観は、子どもからやる気を奪う。 奪うだけならまだしも、親子の信頼関係、さらには親のきずなまでこなごなに破壊する。 仮想現実の世界に住むということはそういうことをいう。 親にしてみれば、学歴社会があり、そのための受験競争がある世界が、「現実の世界」なのだ。 もともと「生きるための武器として子どもに与える教育」が、いつの間にか、「子どもから生きる力をうばう教育」になってしまっている。 「今」という時を、いつも未来のために犠牲にする生き方も、その一つだ。 幼稚園は小学校入学のため。 小学校は中学校や高校の入学のため。 さらに高校は大学入試のため、大学は就職のため、と。 こうした生き方、つまりいつも未来のために現在を犠牲にする生き方は、結局は自分の人生をムダにすることになる。 たとえばイギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』というのがある。 愚かな生き方の代名詞にもなっている格言である。 「楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてしまう」と。 あるいは「やっと楽になったら、人生も終わっていた」と。 しかし客観的に自分を見る方法がないわけではない。 たとえばあなた自身は、次の二つのうちのどちらだろうか。 あなたが今、二週間という休暇を与えられたとする。 そのときを楽しむことができる。 休暇中も、休暇が終わってからの仕事のことばかり考える。 あるいはもしあなたが母親なら、つぎの二つのうちのどちらだろうか。 あなたの子どもの学校が、三日間、休みになったとする。 「仕事中毒」とも言われているが、その本質は、「今を生きることができない」ところにある。 いつも「今」を未来のために犠牲にする。 だから未来の見えない「今」は、不安でならない。 だから「今」をとらえて生きることができない。 たとえば仏教という宗教にしても、常に結果主義である。 「結果がよければそれでよい」と。 実際に、「死に際の様子で、その人の生涯がわかる」と教えている教団がある。 この結果主義もつきつめれば、「結果」という「未来」に視点を置いた考え方といってもよい。 日本人が仏教を取り入れたときから、日本人は「今」を生きることを放棄したと考えてもおかしくない。 そしてそのパターンに入ってしまうと、そのパターンに入っていることすら気づくことがなくなる。 脳のCPU(中央演算装置)が狂っているからである。 たとえば私の知人にこんな人がいる。 何でもその人はもうすぐ定年退職を迎えるというのだが、その人の夢は、ひとりで、四国八八か所を巡礼して回ることだそうだ。 私はその話を女房から聞いたとき、即座にこう思った。 「ならば、なぜ、今しないのか」と。 健康だって、あやしいものだ。 あるいはその人は退職しても、巡礼はしないのでは。 退職と同時に、その気力が消える可能性のほうが大きい。 私も学生時代、試験週間になるたびに、「試験が終わったら映画を見に行こう」とか、「旅行をしよう」と思った。 思ったが、いざ試験が終わるとその気持ちは消えた。 抑圧された緊張感の中では、えてして夢だけがひとり歩き始める。 したいことがあったら、「今」する。 しかし仮想現実の世界にいる人には、その「今」という感覚すらない。 「今」はいつも「未来」という、これまた存在しない「時」のために犠牲になって当然と考える。 ロビン・ウィリアムズ主演の映画に同名のがあった。 「今を偽らないように生きよう」と教える教師と、進学指導中心の学校教育。 そのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。 あなたのまわりを見てほしい。 あなたのまわりには、どこにも、過去も、未来もない。 あるのは、「今」という現実だけだ。 過去があるとしても、それはあなたの脳にきざまれた思い出に過ぎない。 未来があるとしても、それはあなたの空想の世界でのことでしかない。 だったら大切なことは、過去や未来にとらわれることなく、思う存分「今」というこの「時」を生きることではないのか。 未来などというものは、あくまでもその結果としてやってくる。 これまたおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついている。 ふつうの人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。 いや、実際にはそれに気づかない人は多い。 退職後も現役時代の肩書きを引きずって生きている人はいくらでもいる。 私のいとこの父親がそうだ。 昔、会うといきなり私にこう言った。 「君は幼稚園の教師をしているというが、どうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事につけなかったのだろう」と。 彼は退職前は県のある出先機関の「長」をしていた。 が、仕事にロクな仕事も、ロクでない仕事もない。 要は稼いだお金でどう生きるか、だ。 が、この日本では、職業によって、人を判断する。 稼いだお金にも色をつける。 が、こんな話もある。 あの創始者は、リチャードマクドナルドという人物だが、そのマクドナルド氏自身は、一九五五年にレストランの権利を、レイ・クロウという人に、それほど高くない値段で売り渡している。 (リチャード・マクドナルド氏は、九八年の七月に満八九歳で他界。 )そのことについて、テレビのレポーターが、「(権利を)売り渡して損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。 当のマクドナルド氏はこう答えている。 「もしあのままレストランを経営していたら、私は今ごろはニューヨークかどこかのオフィスで、弁護士と会計士に囲まれていやな生活をしていることでしょう。 こうして(農業を営みながら)、のんびり暮らしているほうが、どれほど幸せなことか」と。 マクドナルド氏は生きる本分を忘れなかった人ということになる。 母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道をまちがえたあ!」と言って、泣き崩れてしまった。 当時の世相からすれば、母が言ったことは、きわめて常識的な意見だった。 しかし私は道をまちがえたわけではない。 私は自分のしたいこと、自分の本分とすることをした。 一方、これとは対照的に、この日本では、「大学の教授」というだけで、何でもかんでもありがたがる風潮がある。 私のような人間を必要以上に卑下する一方、そういう人間を必要以上にあがめる。 今でも一番えらいのが大学の教授。 つぎに高校、中学の教師と続き、小学校の教師は最下位。 さらに幼稚園の教師は番外、と。 こうした派序列は、何かの会議に出てみるとわかる。 一度、ある出版社の主宰する座談会に出たことがあるが、担当者の態度が、私と私の横に座った教授とでは、まるで違ったのには驚いた。 私に向っては、なれなれしく「林さん……」と言いながら、振り向いたその顔で、教授にはペコペコする。 こうした風潮は、出版界や報道関係では、とくに強い。 少し前、私が愛知万博(EXPO・二〇〇五)の懇談会のメンバーをしていると話したときもそうだ。 「どうしてあなたが……?」と、思わず口をすべらせた新聞社の記者(四〇歳くらい)がいた。 私には、「どうしてあんたなんかが……」と聞こえた。 つまりその記者自身も、すでに仮想現実の世界に住んでいる。 人間を見るという視点そのものがない。 私のような地位や肩書きのない人間を、いつもそういう目で見ている。 自分も自分の世界をそういう目でしか見ていない。 だからそう言った。 が、このタイプの人たちは、まさに働くために生きているようなもの。 そういう形で自分の人生をムダにしながら、ムダにしているとさえ気づかない。 手元には関東地域の中高一貫校、約六〇校近くの入学案内書があるが、そのどれもが例外なく、卒業後の進学大学校名を明記している。 中には別紙の形で印刷した紙がはさんであるのもあるが、それが実に偽善ぽい。 それらの案内書をながめていると、まるでこれらの学校が、予備校か何かのようですらある。 子どもを育てるというのではなく、教育そのものが子どもを仮想現実の世界に押し込めようとしているような印象すら受ける。 でないと、いらぬお節介かもしれないが、結局は自分の人生をむだにすることになる。 子どもの教育について言うなら、子どもたちのためにも生きにくい世界を作ってしまう。 しめくくりに、こんな話がある。 先日、六〇歳になった姉と電話で話したときのこと。 姉がこう言った。 何でも最近、姉の夫の友人たちがポツポツと死んでいくというのだ。 それについて、「どの人も、仕事だけが人生のような人ばかりだった。 あの人たちは何のために生きてきたのかねえ」と。 しかしこの問題は、「生きる」ことにも 関連している。 残り少ない人生を、どう生きるか。 私はそんなことまで考えた。 食べ放題の店である。 平日のランチは、999円(税込み)! 大きな店で、座席数は、数百はある。 私とワイフは、店員さんに案内されて、奥のほうの禁煙席についた。 そして、内心で「食べるぞ!」と思いながら、料理の並ぶカウンターに向った。 料理は、寿司、焼肉のほか、中華料理、サラダ、ケーキなど。 スパゲッティも、ラーメンも、カレーライスもある。 それにイカ、ホタテなどの海鮮料理。 どれも食べ放題。 料理の前に立ったとたん、私は、「安い!」と、感じた。 「料金が安い」という意味である。 私は、寿司を、5〜6個。 それにサラダと、小さなケーキを選んだ。 ふだんの昼食なら、この程度で、満腹になる。 回転寿司屋の寿司を食べることもあるが、たいてい5皿で、腹はいっぱいになる。 先にテーブルについて待っていると、ワイフも、同じようなものを選んでもってきた。 私「999円なんて、安いね」 ワイフ「ホント。 そんな値段でやっていかれるのかしら」 私「ぼくたちは量が少ないけど、高校生たちがやってきたら、赤字だよ」 ワイフ「そうねえ……。 高校生は、たくさん食べるからね」と。 土日でも、1450円という。 ふつう食べ放題の店というのは、料理の質は、あまりよくない。 しかしそのEDという店は、そうでない。 私たちは食べなかったが、肉も、ちゃんとした肉を使っている。 私が、「20年前のぼくだったら、むしゃむしゃと、肉を食べただろうね」と言うと、ワイフも、「あのころのあなたは、たくさん食べたからね」と。 が、こうした食べ放題の店に入ると、心のどこかに、「たくさん食べなければ損」という、いやしい根性が生まれる。 しかし考えてみれば、これはおかしな根性だ。 「たくさん食べなければ損」というのは、金銭上の問題である。 しかし健康上の問題を考えるなら、ほどほどのところで、やめたほうがよい。 たくさん食べたところで、よいことは何もない。 コレステロール値があがるだけ。 病気になるだけ。 しかし人間というのは、おかしなものだ。 ふつうなら、つまりふだんの昼食なら、ある程度のところでやめるのだが、やはり、「もっと食べておこう」という心理が、どうしても働いてしまう。 「まだ、999円分も食べていないぞ」とか、そんなふうに考えてしまう。 そこで私は席を立って、今度は、サラダをどっさりともってきた。 「サラダなら、太らないから……」と。 多分、ワイフも同じように思ったらしい。 私が席にもどると、自分でも、何かを取りに行った。 いろいろなことを考えた。 「世界には、食べるものがなくて困っている国もあるのに……」とか、「この飽食は何か!」とか。 そんなとき、一人、丸々と太った女性が、目についた。 私のななめうしろの席に、すわっていた。 あごと胸がそのままつながり、腹に、大きな袋をぶらさげているような感じの女性だった。 年齢は、30歳くらいだった。 黒いTシャツを着ていたが、そのTシャツが今にもはじけて、破れそうな感じがした。 その女性は、わき目もふらず、いや、ときどき、チラチラと周囲の人たちに視線をなげかけながら、まさに一心不乱に食べつづけていた。 ものすごい食欲である。 「食欲」というよりは、胃の中に、食べ物を押しこんでいるといったふう。 かきこんでいるといったふう。 私が見ていたとき、ちょうどショートケーキ、3、4個を食べていたが、一個を丸ごと口に入れ、パクパクとそのままのみこんでいた。 再び、私は、同じことを考えた。 「食べなければ損なのか。 それとも食べれば損なのか」と。 食べ物は、モノとはちがう。 いくら安いからといっても、たくさん食べれば、体をこわす。 しかしその女性は、明かに、「食べなければ損」と考えている様子だった。 一度、ワイフに、「あの女性を見ろ」と、目で合図を送った。 同時に、あきれた表情をしてみせた。 ワイフも、同じように感じたらしい。 フーッとため息をついたあと、視線を下に落した。 それはわかる。 そして食べるために、働く。 それもわかる。 が、ここで大きな問題にぶつかる。 生きるために働く人間が、いつの間にか、働くために生きるようになる。 一つの例をあげて、考えてみよう。 今から20年ほど前、NHKの朝の連続ドラマに、『おしん』という番組があった。 たいへんな人気で、ほぼ日本中の人たちが、その番組を見た。 決して、大げさな言い方ではない。 まさに国民的番組と言ってよいほどの番組だった。 (おしん……1983〜4年にかけて、NHKの朝の連続ドラマとして、放映された。 平均視聴率は、52・6%。 最高視聴率は、62・9%。 テレビ視聴率調べサイト調査) そのおしんは、最初、生きるために働く。 懸命に働く。 が、いつしか、そのまま今度は、働くために生きるようになる。 自分の店をどんどん大きくする。 あちこちに支店を出す。 さらに商売を大きく、広げる。 そのおしんは、5年ほど前に倒産した、Yジャパンの社長の、W氏の母親のKさんが、モデルだったという。 もしおしんが、生きるために働くのであれば、ああまで商売を広げる必要はなかった。 一度、近所の商店主たちが、おしんの店に抗議に押し寄せるシーンがあった。 大量仕入れによる、安売り攻勢。 おしんの店の周辺の商店は、つぎつぎとつぶれていった。 ドラマ『おしん』は、貧しい女性の物語から、いつしかサクセス・ストリーへと変貌していった。 私が、当時、その番組を見ていて、不思議に思ったのは、その番組のことではない。 私の実家も、近くに大型のショッピングセンターができてからというもの、斜陽の一途。 いつ店を閉めてもおかしくないという状態に追いこまれた。 しかし、である。 私の母も、『おしん』の大ファン。 その時刻になると、テレビの前にすわって、おしんの活躍ぶりに、一喜一憂していた。 ときに、涙までこぼしていた。 で、ある日、私は母にこう言ったのを覚えている。 「どうしてあんな、おしんを応援するのか? うちも、ああいう人の食いものになって、苦労しているんだろ?」と。 すると母は、こう言った。 「あのショッピングセンターと、おしんは、関係ない」と。 こうしたオメデタサは、日本人独得のものと言ってもよい。 長くつづいた封建時代、そしてそれにつづく官僚政治の中で、骨のズイまで、魂を抜かれている。 自分の置かれた世界を、上から客観的に見ることができない。 心のどこかで「おかしい」と思っても、自ら、それを否定してしまう。 そして別の心で、「あわよくば、自分も……」と思ってしまう。 話をもどすが、おしんは、あるときまでは、生きるために働いた。 しかしそのあるとき、自分にブレーキをかけなかった。 かけないまま、さらにその先まで、突っ走ってしまった。 つまり、貪欲(どんよく)になった。 生きるために食べる。 それが原点であるにもかかわらず、食べなければ損とばかり、食べ物を口の中にかきこむ女性。 生きるために働く。 それが原点であるにもかかわらず、稼がなければ損とばかり、どんどんと稼ぎつづけるおしん。 共通点は、その貪欲さである。 が、この問題は、そのまま私自身の問題といってもよい。 「私は貪欲でないか?」と問われたとき、自信をもって、「ノー」と言うことは、私にはできない。 現に、そのレストランでは、いつもの二倍程度の量の食事を食べてしまった。 さらに、私は今、ただわけもわからず、こうして毎日、原稿を書きつづけている。 「懸命に生きている」といえば、まだ聞こえはよいが、その中身といえば、「貪欲さ」そのものといってもよい。 それに今、こうしておしんを批判したが、もし私にも、そういうチャンスがあれば、おしんと同じことをしていたかもしれない。 お金は、嫌いではない。 あれば、あるほど、よい。 お金がなければ、幸福にはなれない。 そういう現実を、いやというほど思い知らされている。 しかしあまりあるお金が、その人を幸福にするかといえば、それはない。 くりかえすと、『お金がなければ、人は不幸になる。 しかしお金があっても、幸福になれるとは、かぎらない』ということになる。 そのお金と、食事を、ここで並べて考えてみた。 食べるものがなければ、人は、死ぬ。 しかしたくさん食べれば、長生きできるということはない。 かえって病気になる。 早く死ぬ。 おいしいものを食べれば、それなりに楽しい。 一つ口に入れながら、別の心で、「もう一つ、食べたい」と思う。 そういうことは、よくある。 性欲もそうだ。 私だって、いつも、いろいろな女性とのセックスを、夢想する。 「教育にたずさわっている者だから、そういうことは考えないはず」と思ってもらっては困る。 教師は、決して、聖人ではない。 そのため教職は、決して、聖職ではない。 今まで、無数の教師をみてきたが、これは確たる結論である。 が、こうした欲望というのは、溺れてよいことは、何もない。 むさぼることによって、自分を見失ってしまう。 が、どこからどこまでが、「適切な世界」で、その先が、「貪欲の世界」なのかということになると、その判断がむずかしい。 たとえその限界がわかったとしても、今度は、自分にブレーキをかけなければならない。 それもまたむずかしい。 おいしいものを見れば、つい食べたくなる。 その上、いくら食べても、値段は同じということになれば、なおさらだ。 お金だってそうだ。 あればあるほど、よい生活ができる。 大きな車に乗って、大きな家に住むことができる。 それこそ人間の欲望には、際限がない。 が、やはり、どこかで自分にブレーキをかける。 かけながら、ほどほどのところで、納得し、あきらめる。 そして自分なりの、充足感というか、幸福感を求める。 それについても、以前、こんな原稿を書いた。 これは私の持論の一つである、「家族主義」について書いたもの。 少しここでのテーマからは、脱線するが、許してほしい。 私は「私たちが求める究極の幸福というのは、そんなに遠くにあるのではない。 「喜んで」だ。 ウソでも誇張でもない。 あるいは自分の子どもの学力が落ちているとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多い。 アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。 が、この日本ではそうはいかない。 子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。 先日もある母親から電話でこんな相談があった。 何でも学校の先生から、その母親の娘(小二)が、養護学級をすすめられているというのだ。 一方、アメリカでは、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。 オーストラリアでもそうだ。 カナダやフランスでもそうだ。 が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにされてきた。 今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。 子どもでも「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。 家族全体で担当しているのは一〇%程度。 夫が担当しているケースは、わずか一%でしかなかったという。 子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、三%(たったの三%!)前後にとどまった。 その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域参加をもっと求める必要がある」と考えていることもわかったという。 内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。 「今の二〇代の男性は比較的家事に参加しているようだが、四〇代、五〇代には、リンゴの皮すらむいたことがない人がいる。 男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、それを支える身分意識がある。 そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐れる。 それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。 言いかえると、この日本では、家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。 たいていの日本人は家族を平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。 カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向こうにあるという「幸福」を求めて冒険するという物話である。 あの物語を通して、ドロシーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。 アメリカを代表する物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。 たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。 あの映画では家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。 (日本では「パトリオット」を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語に由来する。 ) 「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。 家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。 今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。 が、悲観すべきことばかりではない。 九九年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、四〇%の日本人が、「家族」をあげた。 同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが四五%になった。 たった一年足らずの間に、五ポイントもふえたことになる。 これはまさに、日本人にとっては革命とも言えるべき大変化である。 そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。 「家族を大切にしよう」「家族は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。 この一言が、あなたの子育てを変え、日本を変え、日本の教育を変える。 成果を全国的に普及させる予定だという(二〇〇一年一一月)。 しかしこの単語は、もともと「愛郷心」という意味である。 しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。 つまり日本人が考える愛国心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質なものであることに注意してほしい。 それと戦うためには、いくつかの方法がある。 一つは、自分なりの健康論をもつ。 自分なりの価値観や幸福観を確立する。 健康論はともかくも、価値観や幸福観は、こうした貪欲さと戦うための、強力な武器となる。 「本当に大切なものは何か」「どうすれば本当の幸福を自分のものにすることができるか」と。 それをいつも考えながら、追求していく。 その結果として、自分の貪欲さに、ブレーキをかけることができる。 ……しかし、ここで私は、ハタと、こんなことに気づいた。 同じようなテーマを最前面にかかげて活動している、宗教教団がある。 10年ほど前には、いろいろ問題を起こし、話題になった。 名前も、ズバリ『幸福のK』。 つまりここから先のことを書くと、私も、彼らと同じことをすることになる? だいたいにおいて、自分でさえ、本当に大切なものが何かわかっていないのに、それを他人に向って、とやかく言うほうがおかしい。 幸福も同じ。 だからここから先は、私たちそれぞれ、一人ひとりの問題ということになる。 私は私で、自分の欲望と戦う。 あなたはあなたで、自分の欲望と戦う。 そして私は私で、自分なりの価値観や幸福観を確立する。 あなたはあなたで、自分なりの価値観や幸福観を確立する。 どこまでいっても、これは個人的な問題ということになる。 で、最後に一言。 私は、その「ED」という食べ放題の店から出るとき、ワイフに、こう言った。 「もう、この店には、ニ度と来たくないね」と。 私はその店の中で食事をしている間、ずっと、自分の中に隠れていた醜悪な「私」を、見せつけられているように感じた。 「食べなければ損」と考えて食べる。 それはまさに醜悪な私そのものだった。 それにもう一つ。 あの黒いTシャツの女性だが、とても食事を楽しんでいるようには見えなかった。 欲望に命令されるまま、その人自身の意思というよりは、別の意思によって、動かされているように感じた。 その姿は、まさに、畜舎でエサを一心不乱に食べる、あの家畜そのものだった。 だから私は、ワイフに再びこう言った。 「値段は安いけど、もうここへは来たくないね。 一度で、こりごり」と。 ワイフも、同じような印象をもったらしい。 どこか暗い表情をしながら、「私も、いやだわ」と。 料金は安ければ安いほどよい。 しかし、私も、あと何年生きられるかわからない。 平均寿命で計算すると、あと26年。 日数にすると、26x365=9490日。 その中でも、病気の心配をしなくて、食事をとれる日は、どれだけだろうか。 9490日というが、私には、貴重な9490日だ。 「まだ、9490日もある」と考える人もいるかもしれないが、私には、そうは思えない。 その一日一日を、見苦しい生き方で、ムダにしたくない。 食事だって、そうだ。 家畜がエサをむさぼるような食事だけは、もうたくさん。 ごめん。 したくない。 (040422) 希望論 【希望論】 +++++++++++++++++++++++ 希望があれば、生きていくことができる。 たとえ貧しくても、たとえ今は不幸でも……。 しかしその希望をなくしたら……。 「グループ・ホーム」というのは、ひとりでは生活できない老齢者たちが、グループになって共同生活をするという施設をいう。 個室をあてがわれ、三食つき。 1人の老人がいる。 老人といっても、まだ70歳前。 幼いころから、母親に虐待され、精神をゆがめている。 その老人が、毎日、決まった時刻になると、帰りじたくを始めるという。 小さなカバンに、衣服や電気カミソリなどをつめ、服装を整えて、玄関に近い居間の椅子(いす)に座る。 そして毎日、同じセリフを言う。 「もうすぐ、じいちゃんが、迎えにくる」と。 じいちゃんというのは、その男性の祖父のことをいう。 もう30年以上も前に他界し、この世にはいない。 そこでヘルパーが、「来るといいですね」「でも、今日も来ないかもね」と答えることにしているという。 不幸な男性である。 母親に虐待され、精神は萎縮し、内閉した。 そのままの状態で、つまり半ば母親に監禁されたような状態で、70年近く、その母親と生活をともにした。 2人、妹がいるが、1人は、東京に住んでいる。 もう1人は、近くに住んでいるが、その母親のめんどうをみている。 「2人もめんどうをみれない」ということで、その男性をグループ・ホームに入居させた。 で、その男性は、日が暮れて、あたりが真っ暗になるまで、そのままの状態で、そこに座っているという。 毎日のことなので、ヘルパーたちは、そのままにさせておくという。 つまり、それがその男性の希望ということになる。 「いつか、じいちゃんが、迎えにくる」と。 人は、希望があれば、たとえ衣食住に不足があっても、生きていくことができる。 しかしその希望がなければ、生きていくことはできない。 あのルーマニアの作家のゲオルギウは、こう書いている。 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。 ゲルニオウという人は、生涯のほとんどを、収容所や監獄で過ごした人である。 もしその男性が、「じいちゃんが、もう来ない」ということを、本当に知ったとしたら、そのとき、その男性は、最後に残された自分の希望を失うことになる。 だからときどき、不用意な人が、「あなたのじいちゃんは、死んでしまって、もうこの世にはいませんよ」と言っても、その男性はそれを信じない。 「もうすぐ、じいちゃんが、迎えにくる」と。 その男性にやさしかったのは、祖父だけだったようだ。 父親は、若くして、交通事故でなくなっている。 祖母もいたが、祖母は、家庭的な人とは、とても言えないような人だったようだ。 毎日、化粧ばかりしていたという。 エプロンの上に、それが汚れるといけないからという理由で、もう一枚、エプロンをかけるような人だったという。 で、その男性は、折につけ、「じいちゃんが、風呂で、体を洗ってくれた」「じいちゃんが、祭につれていってくれた」「じいちゃんが、ぜんざいを食べさせてくれた」と、そんなことを繰りかえし、繰りかえし、口にした。 かわいそうな男性だが、しかしその男性を不幸な男性と決めてかかってはいけない。 その男性は、まだ恵まれているほう。 グループ・ホームといっても、毎月、11〜12万円前後の費用がかかる。 ほかに雑費や病気の治療代として、2〜5万円がかかる。 そうした費用は、東京に住んでいる妹夫婦が、負担している。 その男性は、快適な老後生活を送っている。 自由はないが、それは認知症という病気のせいであって、だれのせいでもない。 で、私はこの話を聞いて、こう思った。 人は、どんなに年をとっても、またどんな境遇に置かれても、希望を自らつくりながら生きていく。 それがたとえかなわぬ希望であっても、その希望を捨てることはできない。 たとえ他人が、バカだアホだといっても、その希望を捨てることはできない。 希望を捨てるということは、どんな人にとっても、死を意味する。 たとえ体は生きていても、心は死んでいることになる。 その男性は、ひょっとしたら、祖父が死んで、もうこの世にいないことを、知っているのかもしれない。 しかしそれを認めることはできない。 認めたとき、その男性の心は死ぬ。 たぶん今日も、その男性は、その時刻になると、その場所で、来るはずもない(じいちゃん)を待っているのだろう。 そのさみしそうな姿が、私には、目に見える。 (はやし浩司 希望論 希望) +++++++++++++++++++++++ ゲオルギウについて書いた原稿を、 いくつか、集めてみます。 ……以前は、そうだった。 しかしこの八年間、症状は、ほとんど消えた。 最初の一週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花粉症による症状が、消える。 ……消えるようになった。 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。 花粉症のつらさは、花粉症になったことのない人には、わからない。 そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいことはない。 短い期間ならともかくも、それが年によっては、二月のはじめから、五月になるまでつづく。 そのうち、体のほうが参ってしまう。 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。 二月になると、気分まで憂うつになった。 しかし今は、違う。 思う存分、春を楽しめるようになった。 風のにおいや、土や木のにおい。 それもわかるようになった。 ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっきり吸い込むことがある。 どこか不安だが、くしゃみをすることもない。 それを自分でたしかめながら、ほっとする。 よく人生を季節にたとえる人がいる。 青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。 このたとえには、たしかに説得力がある。 しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではないような気がする。 どうして冬が晩年なのか。 晩年が冬なのか。 みながそう言うから、私もいつしかそう思うようになったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。 人の一生は、八〇年。 その八〇年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。 もしこんなたとえが許されるなら、青年時代は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。 あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代は、九合目でもよい。 さらに、だ。 昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。 今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。 冬に冷房をかけるようなもの。 私は、そんな違和感を覚えた。 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。 乾燥した夏に備えるためだ。 まだある。 砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)のほうが、すばらしい季節ということになっている。 そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、その木が死んでいるというわけではない。 寒いから、休んでいるだけだ。 ……とまあ、そういう言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからだ。 自分の人生が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからだ。 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。 若いときのように、がむしゃらに働くということができなくなった。 当然、収入は減り、その分、派手な生活が消えた。 世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。 それ以上に、「だからどうなの?」という、迷いまかりが先に立つようになった。 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。 「どう生きるか」よりも、「どう死ぬか」を、考える。 こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。 さんざん考えてきたし、その結果、どうにもならなかった。 「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいのか! 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。 それが死ぬということなら、死んでもかまわない。 そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。 今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。 「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」 「どうして?」 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」 「そんなこと、ないでしょ。 みんなが、あなたを支えてくれるわ」 「しかし、ぼくは疲れた。 こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」 「同じって……?」 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」 「同じじゃ、ないわ」 「どうして?」 「だって、五月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」 「……」 「新しい家族がふえるのよ。 みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。 今度は、そのセイジがおとなになって、結婚するのよ。 私は、ぜったい、その日まで生きているわ」 セイジ……。 と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。 それは寒々とした冬景色の中に、春の陽光がさしたような気分だった。 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」 「温泉なんて、喜ばないわ」 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」 「まだ一歳になっていないのよ」 「そうだな」と。 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。 一九〇一年生まれというから、今、生きていれば、一〇二歳になる。 そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。 私という人間には、単純なところがある。 冬だと思えば、冬だと思ってしまう。 しかしリンゴの木を植えようと思えば、植える。 そのつど、コロコロと考えが変わる。 どこか一本、スジが通っていない。 あああ。 どうであるにせよ、今は、春なのだ。 それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。 おかげで、花粉症も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。 今まで、春に憂うつになった分だけ、これからは楽しむ。 そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。 今、その憂うつで失った部分を、取りかえしてやろう。 こんなところでグズグズしていても、始まらない。 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるものか! 今は、春だ。 人生の春だ! (03年03月07日) 【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、もうしないぞ。 そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしまう。 人生に、春も、冬もない。 元気よく生きている毎日が、春であり、夏なのだ! ++++++++++++++++++++ 先の原稿を書いたら、読者の方から メールをもらいました。 SZさんという 方です。 それに対する返事が、つぎの原稿です。 一生懸命、励ましているつもりが、逆に私が励まされている? 今朝(三月一六日)も、SZさんから、そういうメールをもらった。 「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。 三月一五日号のマガジンで、つぎのように書いたことについて、だ。 「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。 一九〇一年生まれというから、今、生きていれば、一〇二歳になる。 そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。 」 「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。 内容は、ヨハン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。 あるときはユダヤ人として、強制収容所に。 またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。 また今度は、ドイツ人として、ハンガリア人キャンプに送られる。 そして最後は、ドイツの戦犯として、アメリカのキャンプに送られる……。 人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、この本のテーマになっている。 それはまさに絶望の日々であった。 が、その中で、モリッツは、「今日、リンゴの木を植えることだ」と悟る。 ゲオルギウは、こうも語っている。 「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。 どこによいことがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチャンス」)と。 たいへん参考になる。 もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウが感じたであろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。 明日も、今日と同じようにやってくるだろう。 来年も、今年と同じようにやってくるだろう。 そういう「私」と、明日さえわからなかったゲオルギウとでは、不幸の内容そのものが、違う。 程度が、違う。 が、そのゲオルギウが、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。 私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。 「重さ」というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。 もちろんSZさんにそう励まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はない。 ないが、「これからも、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。 SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大切に。 ゲオルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家ですから、また耳にされることもあると思います。 「よろしく!」……と言うのもへんですが、私はそんなうような気持ちでいます。 (ただし左翼作家ですから、少し、ご注意くださいね。 ) (030316) +++++++++++++++++++++ もう1作、「希望論」について書いた原稿を ここに添付します。 子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。 おとなの世界をなおさない で、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。 子どもがはじめて読んだカタカナが、 「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。 つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。 時として教育をす る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。 あるいはそういうワナにハマり やすい。 ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生 徒を、プールの中に放り投げていた。 その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては どうなのか。 自分に対しては、そこまできびしいのか。 社会に対しては、そこまできびし いのか。 親だってそうだ。 子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。 しかし自分で勉強して いる親は、少ない。 人間の世界が、ほかの動 物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな ってしまったら、何とつまらないことか。 言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の 世界を豊かでおもしろいものにしている。 無数のドラマも、そこから生まれる。 旧約聖書 についても、こんな説話が残っている。 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。 (洪水で滅ぼすく らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。 神はこう答えている。 「希望を与えるため」と。 もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希 望をなくしてしまう。 つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。 神のような人間になることもできる。 旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。 それ がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世 界だけをどうこうしようとしても意味がない。 たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。 問題は、そういう 環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。 そうでないというのなら、あなたの 仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそ れと闘っているだろうか。 私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。 高校 生の娘もいる。 そこで私はある日、その男にこう聞いた。 「君の娘が中年の男と援助交際を していたら、君は許せるか」と。 するとその男は笑いながら、こう言った。 「うちの娘は、そういうことはしないよ。 うちの娘はまともだからね」と。 私は「相手 の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。 こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。 子どもの世界をゆがめる。 それ が問題なのだ。 悪いことをしないから、善人というわけで もない。 悪と戦ってはじめて、人は善人になる。 そういう視点をもったとき、あなたの社 会を見る目は、大きく変わる。 子どもの世界も変わる。 (中日新聞投稿済み) ++++++++++++++++++++++ このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。 その中に、「希望論」を織りまぜ た。 それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間がすべて天使のようになってしま ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。 つまり人間は悪いこと もするが、努力によってよい人間にもなれる。 神のような人間になることもできる。 それ が希望だ」と教えている。 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。 キリスト教では、「堕落(だら く)」という言葉を使って、それを説明する。 もちろんこれはキリスト教の立場にそった、 希望論であり、絶望論ということになる。 だからほかの世界では、また違った考え方をす る。 冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶 望論を説いた。 が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひ かれる。 「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。 それが希望だ」と。 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。 だからいきなり、「そういう 人間になるのが希望だ」と言われても困る。 しかし何となく、この説話は正しいような気 がする。 言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望 論や絶望論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。 つい先日も、私は生徒たち(小四)にこ う言った。 授業の前に、遊戯王のカードについて、ワイワイと騒いでいた。 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。 強いカードをもっていると、心 はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。 幻想にだまされてはいけないよ。 ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線 を引かないと、時間をムダにすることになるよ。 カードなんかより、自分の時間のほうが、 はるかに大切ものだよ。 それだけは、忘れてはいけないよ」と。 まあ、言うだけのことは言ってみた。 しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否 定するのは、正しくない。 もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、 心を休めたり、癒(いや)したりする。 が、それはあくまでも「趣味」。 決して希望ではな い。 またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。 大切なことは、どこかで 一線を引くこと。 でないと、自分を見失うことになる。 時間をムダにすることになる。 そしてそれぞれ のとき、人には、まったくちがう、二つの力が作用する。 希望を感じて前に進むときは、自己を外に向って伸ばす力が働き、絶望を感じて立ち止 まるときは、自己を内に向って掘りさげる力が働く。 一見、正反対の力だが、この二つが あって、人は、外にも、そして内にも、ハバのある人間になることができる。 冒頭にあげた、「子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまった母親」について言うなら、 そういう経験をとおして、母親は、自分を掘りさげることができる。 私はその母親を慰め ながらも、別の心で、「こうして人は、無数の落胆を乗り越えながら、ハバの広い人間にな るのだ」と思った。 そしていつか、人は、「死」という究極の絶望を味わうときが、やってくる。 必ずやって くる。 そのとき、人は、その死をどう迎えるか。 つまりその迎え方は、その人がいかに多 くの落胆を経験してきたかによっても、ちがう。 『落胆は、絶望の母』と言った、キーツの言葉の意味は、そこにある。 そういう意味では、嫉妬、性欲と並んで、人間が原罪としてもつ、三罪と考える。 これら三罪は、扱い方をまちがえると、人の心を狂わす。 この「三悪」という概念は、私が考えた。 悪というよりは、「罪」。 正確には、三罪ということになる。 ほかによい言葉が、思いつかない。 孤独という罪 嫉妬という罪 性欲という罪 嫉妬や性欲については、何度も書いてきた。 ここでは孤独について考えてみたい。 その孤独。 肉体的な孤独と、精神的な孤独がある。 肉体的な孤独には、精神的な苦痛がともなわない。 当然である。 私も学生時代、よくヒッチハイクをしながら、旅をした。 お金がなかったこともある。 そういう旅には、孤独といえば孤独だったが、さみしさは、まったくなかった。 見知らぬところで、見知らぬ人のトラックに乗せてもらい、夜は、駅の構内で寝る。 そして朝とともに、パンをかじりながら、何キロも何キロも歩く。 私はむしろ言いようのない解放感を味わった。 それが楽しかった。 一方、都会の雑踏の中を歩いていると、人間だらけなのに、おかしな孤独感を味わうことがある。 そう、それをはっきりと意識したのは、アメリカのリトルロック(アーカンソー州の州都)という町の中を歩いていたときのことだ。 あのあたりまで行くと、ほとんどの人は、日本がどこにあるかさえ知らない。 英語といっても、南部なまりのベラメー・イングリッシュである。 あのジョン・ウェイン(映画俳優)の英語を思い浮かべればよい。 私はふと、こう考えた。 「こんなところで生きていくためには、私は何をすればよいのか」「何が、できるのか」と。 肉体労働といっても、私の体は小さい。 力もない。 年齢も、年齢だ。 アメリカで通用する資格など、何もない。 頼れる会社も組織もない。 もちろん私は、アメリカ人ではない。 市民権をとるといっても、もう、不可能。 通りで新聞を買った。 私はその中のコラムをいくつか読みながら、「こういう新聞に自分のコラムを載せてもらうだけでも、20年はかかるだろうな」と思った。 20年でも、短いほうかもしれない。 そう思ったとき、足元をすくわれるような孤独感を覚えた。 体中が、スカスカするような孤独感である。 「この国では、私はまったく必要とされていない」と感じたとき、さらにその孤独感は大きくなった。 ついでだが、そのとき、私は、日本という「国」のもつありがたさが、しみじみとわかった。 で、それはそれとして、孤独は、恐怖ですらある。 いつになったら、人は、孤独という無間地獄から解放されるのか。 あるいは永遠にされないのか。 あのゲオルギウもこう書いている。 『孤独は、この世でもっとも恐ろしい苦しみである。 どんなにはげしい恐怖でも、みながいっしょなら耐えられるが、孤独は、死にも等しい』と。 ゲオルギウというのは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)という名言を残している作家である。 ルーマニアの作家、1910年生まれ。 (はやし浩司 希望 希望論 孤独 孤独論 希望とは 生きる希望とは 絶望 絶望論 ゲオルギウ はやし浩司 林檎の木 りんごの木 リンゴの木) 【注】ゲオルギウについて、読者の方から、まちがいを指摘されました。 それについて書いた記事を、ここに掲載します。 私のまちがいと、不勉強を、許してほし い。 私のほうの出典は、明治書院「世界名言 事典」です。 +++++++++++++++++ ゲオルギウの「二十五時」について、掲示板のほうに、つぎのような書き込みがあった。 それをそのままここに紹介する。 『何カ所かで、ゲオルギウについてのコメントを拝見しました。 梶山健編『世界名言事典 新版』(明治書院、1988年)の102頁に、「いかなるときでも、人間のなさねばならないことは、世界の終焉が明白であっても、自分は今日、リンゴの樹を植えることだ。 」の出典が、ゲオルギウ「二十五時」になっていますが、実は、この「二十五時」に、この言葉はありません。 私は、『二十五時』の訳書 筑摩書房、1950年)を入手して、全部通読したので、間違いありません。 梶山健編著『世界名言大辞典』(明治書院、1997年)は前者の改訂版ですが、この239頁には、同じ言葉の出典が、ゲオルギウ「第二のチャンス」に訂正されていました。 ルーマニア生まれの作家、コンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウ(1916〜92年)の第二作、『第二のチャンス』(1952年原著)(訳書:筑摩書房、1953年)の361頁には「たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴの木を植える……」とあり、訳書の文中のドイツ語の原文に「Morgen 明日)」とあるので、「明白」は「明日」が本来の訳文と思われます。 原典にあたらないで孫引きする場合には、細心の注意が必要だと感じました。 二人のゲオルギウの混同は寺山修司もやっていました(ポケットに名言を)。 二人のデータは、インターネットでは、Wikipediaで調べることができます。 ゲオルギウの言葉の出典の探求については、私のHP「ものがたり通信」の「8.真実を求めて」で詳しく報告しています。 確認された上で、正しい情報を発信されることを希望します。 出典の情報が間違っていると混乱が起きやすいので、扱いは慎重にして欲しいと思います(実際、「ミニマルキッチンBlog」で『二十五時』が出典と推定されていて混乱をもたらしていました)。 よろしくお願いいたします』と。 【はやし浩司よりST様へ】 まちがいを指摘してくれた、ST様、ありがとうございました。 今後、気をつけます。 すばらしい言葉である。 私も、何度か、 この言葉に励まされた。 とくに最近は、 なにごとにつけ、年齢を理由に、消極的 になる傾向が出てきた。 自分をふるいたたせる言葉として、この 言葉をよく思いだす。 この言葉について、最初に書いた原稿が つぎの原稿。 日付が、03年となってい るから、4年前の原稿ということになる。 そのままここに掲載する。 ……以前は、そうだった。 しかしこの8年間、症状は、ほとんど消えた。 最初の1週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花粉症による症状が、消える。 ……消えるようになった。 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。 花粉症のつらさは、花粉症になったことのない人には、わからない。 そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいことはない。 短い期間ならともかくも、それが年によっては、2月のはじめから、5月になるまでつづく。 そのうち、体のほうが参ってしまう。 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。 2月になると、気分まで憂うつになった。 しかし今は、違う。 思う存分、春を楽しめるようになった。 風のにおいや、土や木のにおい。 それもわかるようになった。 ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっきり吸い込むことがある。 どこか不安だが、くしゃみをすることもない。 それを自分でたしかめながら、ほっとする。 よく人生を季節にたとえる人がいる。 青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。 このたとえには、たしかに説得力がある。 しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではないような気がする。 どうして冬が晩年なのか。 晩年が冬なのか。 みながそう言うから、私もいつしかそう思うようになったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。 人の一生は、80年。 その80年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。 もしこんなたとえが許されるなら、青年時代は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。 あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代は、九合目でもよい。 さらに、だ。 昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。 今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。 冬に冷房をかけるようなもの。 私は、そんな違和感を覚えた。 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。 乾燥した夏に備えるためだ。 まだある。 砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)のほうが、すばらしい季節ということになっている。 そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、その木が死んでいるというわけではない。 寒いから、休んでいるだけだ。 ……とまあ、そういう言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからだ。 自分の人生が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからだ。 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。 若いときのように、がむしゃらに働くということができなくなった。 当然、収入は減り、その分、派手な生活が消えた。 世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。 それ以上に、「だからどうなの?」という、迷いまかりが先に立つようになった。 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。 「どう生きるか」よりも、「どう死ぬか」を、考える。 こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。 さんざん考えてきたし、その結果、どうにもならなかった。 「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいのか! 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。 それが死ぬということなら、死んでもかまわない。 そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。 今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。 「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」 「どうして?」 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」 「そんなこと、ないでしょ。 みんなが、あなたを支えてくれるわ」 「しかし、ぼくは疲れた。 こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」 「同じって……?」 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」 「同じじゃ、ないわ」 「どうして?」 「だって、五月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」 「……」 「新しい家族がふえるのよ。 みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。 今度は、そのセイジがおとなになって、結婚するのよ。 私は、ぜったい、その日まで生きているわ」 セイジ……。 と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。 それは寒々とした冬景色の中に、春の陽光がさしたような気分だった。 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」 「温泉なんて、喜ばないわ」 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」 「まだ一歳になっていないのよ」 「そうだな」と。 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。 1901年生まれというから、今、生きていれば、102歳になる。 そのゲオルギウが、「二十五時」(実際には、『第二のチャンス』、ST様指摘)という本の中で、こう書いているという。 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。 私という人間には、単純なところがある。 冬だと思えば、冬だと思ってしまう。 しかしリンゴの木を植えようと思えば、植える。 そのつど、コロコロと考えが変わる。 どこか一本、スジが通っていない。 あああ。 どうであるにせよ、今は、春なのだ。 それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。 おかげで、花粉症も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。 今まで、春に憂うつになった分だけ、これからは楽しむ。 そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。 今、その憂うつで失った部分を、取りかえしてやろう。 こんなところでグズグズしていても、始まらない。 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるものか! 今は、春だ。 人生の春だ! (030307) 【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、もうしないぞ。 そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしまう。 人生に、春も、冬もない。 一生懸命、励ましているつもりが、逆に私が励まされている? 今朝(3月16日)も、SZさんから、そういうメールをもらった。 「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。 3月15日号のマガジンで、つぎのように書いたことについて、だ。 「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。 1901年生まれというから、今、生きていれば、102歳になる。 そのゲオルギウが、「二十五時」(実際には、『第二のチャンス』、ST様指摘)という本の中で、こう書いている。 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。 」 「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。 内容は、ヨハン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。 あるときはユダヤ人として、強制収容所に。 またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。 また今度は、ドイツ人として、ハンガリア人キャンプに送られる。 そして最後は、ドイツの戦犯として、アメリカのキャンプに送られる……。 人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、この本のテーマになっている。 それはまさに絶望の日々であった。 が、その中で、モリッツは、「今日、リンゴの木を植えることだ」と悟る。 ゲオルギウは、こうも語っている。 「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。 どこによいことがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチャンス」)と。 たいへん参考になる。 もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウが感じたであろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。 明日も、今日と同じようにやってくるだろう。 来年も、今年と同じようにやってくるだろう。 そういう「私」と、明日さえわからなかったゲオルギウとでは、不幸の内容そのものが、違う。 程度が、違う。 が、そのゲオルギウが、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。 私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。 「重さ」というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。 もちろんSZさんにそう励まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はない。 ないが、「これからも、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。 SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大切に。 ゲオルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家と聞いていますから、また耳にされることもあると思います。 「よろしく!」……と言うのもへんですが、私はそんなうような気持ちでいます。 (030316) Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司 +++++++++++++++ つぎの原稿は、2年間に書いた 原稿です。 この中でも、ゲオルギウについて 触れています。 それはわかるが、これは何も、子どもにかぎったことではない。 おとなだって、そして老人だって、そうだ。 みな、そうだ。 この夢、希望、目的にしがみつきながら、生きている。 もし、この夢、希望、目的をなくしたら、人は、……。 よくわからないが、私なら、生きていかれないだろうと思う。 が、中身は、それほど、重要ではない。 花畑に咲く、大輪のバラが、その夢や希望や目的になることもある。 しかしその一方で、砂漠に咲く、小さな一輪の花でも、その夢や希望や目的になることもある。 大切なことは、どんなばあいでも、この夢、希望、目的を捨てないことだ。 たとえ今は、消えたように見えるときがあっても、明日になれば、かならず、夢、希望、目的はもどってくる。 あのゲオルギウは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』という名言を残している。 ゲオルギウという人は、生涯のほとんどを、収容所ですごしたという。 そのゲオルギウが、そう書いている。 ギオルギウという人は、ものすごい人だと思う。 以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。 『希望とは、 めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。 『絶望の虚妄なることは、ま さに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。 さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。 私のばあい、希望をな くしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言った、シャンフォールがい る。 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。 もう10年にもなるだろうか。 「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子ども たちの世界で流行した。 その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯 王、マジギャザというカードゲームに移り変わってきている。 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。 一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。 そ のときその女の子(小1)は、狂ったように泣いた。 「先生が、殺してしまったア!」と。 つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。 同じように、その反対側に、希望がある。 ある受験塾のパンフレットにはこうある。 「努力は必ず、報われる。 希望の星を、君自身の手でつかめ。 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ くわかる。 希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。 それにまつわる人間たち が、勝手につくりだした虚妄にすぎない。 その虚妄にハマり、ときに希望をもったり、と きに絶望したりする。 ……となると、希望とは何か。 絶望とは何か。 もう一度、考えなおしてみる必要がある。 キリスト教には、こんな説話がある。 あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。 「神よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつ くらなかったのか」と。 それに対して、神は、こう答える。 「人間に希望を与えるため」 と。 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに 転載する。 子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。 おとなの世界をなおさない で、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。 子どもがはじめて読んだカタカナが、 「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。 つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。 時として教育をす る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。 あるいはそういうワナにハマり やすい。 ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生 徒を、プールの中に放り投げていた。 その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては どうなのか。 自分に対しては、そこまできびしいのか。 社会に対しては、そこまできびし いのか。 親だってそうだ。 子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。 しかし自分で勉強して いる親は、少ない。 人間の世界が、ほかの動 物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな ってしまったら、何とつまらないことか。

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