俺ガイル最終巻。 【俺ガイル】もうひとつの物語『another』完結!比企谷八幡のラブコメはまちがってない!

俺ガイル14巻~平塚先生の告白と渡先生アオハル説~【ネタバレ】 │ どくだみ

俺ガイル最終巻

13巻・14巻同時発売は白紙 当初は俺ガイル13巻と14巻は同時発売する予定でした。 正確には 同時くらいに発売です。 ガガガ文庫10周年の俺ガイルのイベント時に13巻と14巻の発売という情報がありました。 そのときのツイートはこれです。 同時くらいに、くらいに、、、 このイベントが2017年9月にありました。 当時は同時くらいに発売する予定だったのでしょうが、結局なかったことになりましたね。 大体そんな気もしていました。 これまでも延期がありましたし。 俺ガイル14巻の発売日 俺ガイル13巻が2018年11月20日に延期になったのが原稿が出来上がっていないとみて良さそうでう。 つまり14巻の原稿も……な状態でしょう。 渡航先生の状況 もともと俺ガイル13巻と14巻は同時くらいに発売する予定だったので、そこまで遅くはならないでしょう。 お知らせです。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』13巻、11月20日頃発売です。 今回もあとがきがございませんので、ご注意ください。 待ってくださっていた方々、本当にありがとうございます。 発売までもう少しです。 どうぞよろしくお願いいたします。 — 渡航 watariwataru 渡航先生のツイートです。 13巻は無事11月20日に発売されます。 しかし、14巻の現状はどうでしょうか? パソコンを注意深く見てみると 『 やはり俺の青春ラブコメは間違っている14』というタイトルが、、、 これは全く書いていないのかそれとも調子よく執筆しているのか、はたまた書きあがったのかどれなのでしょう。 真相は先生のみぞ知っています。 勝手ながら推測しましたが、おそらくまだまだな状態だと考えられます。 俺ガイル13巻が延期したのは原稿が間に合わなかったと思われるので、余裕はないでしょう。 しかも最近twitterのツイートも全くないです。 忙しいのでしょう。 一文字も書いていない!? 2018年の11月20日のガガガチャンネルに渡航先生がゲストで登場しました。 俺ガイル13巻の執筆について語っていました。 缶詰状態だったらしいです。 缶詰とは出版社の独房みたいなところで軟禁状態で小説を書かされることです。 週6で小学館に通うほどで、小学館がマイホームだったそうです。 「またしばらくここにこまらないといけない」「1文字も書いていない」と言っていました。 1文字も書いていないといっても構想はあるらしいのであとはひたすら執筆するだけです。 まあ言うまでもなく当分先のことになりそうです。 発売が決定してもまた延期になることを覚悟しておく必要があります。 公式のおもらし 公式のガガガ文庫さんがおもらしをして、14巻がいつごろ発売なのかちらっと見えたそうです。 ちなみにおもらしとは 未発表の情報とかが写りこんだ写真を配信してしまったことです。 それをこのブログで公開するのは気が引けるので、気になる方は自分で調べてください。 ただ、元の画像は消されてるっぽいです。 最終巻の14巻を早く読みたいですけど、これでラストだと思うと発売されてほしくないです。 とりあえず程よく頑張っていただきたいです。 3月発売……だけど期待しないほうが良さげ ガガガ文庫のサイトでは3月発売予定。 年度中に終わらせたかったのかもしれません。 学校や仕事とちょうど別れの時期なので俺ガイルとマッチした季節の発売になりそうです。 ただ期待しないほうがいいです。 私は3月に発売されるとは思っていません。 ここ2巻とも俺ガイルは延期しています。 2度あることは3度あると言うのでまた延期の可能性は十分にあります。 それか3度目の正直、発売に間に合わせてくるのか? 最終巻の内容よりも俺ガイルの発売の方が気になってしまいます。 2月中旬の更新時にISBNや定価などが未定ならば延期の可能性は十分に高くなります。 13巻のときはそうでした。 軟禁生活中だゾ — 渡航 watariwataru こんなことをツイートしていました。 うん、がんばれ…… 重大発表 中高生新聞に重大発表があるかも!という情報が!!俺ガイル14巻の発売日と共に何らかの発表があるようです。 予想だと• アニメ3期• 映画化 の二つです。 可能性としては映画化が濃厚です。 実写化の可能性もなくはないですがやってほしくないです。 何にせよ俺ガイル14巻で完結。 どのような結末を奉仕部は迎えるのか楽しみです。

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俺ガイル14巻の感想@ついに三角関係に決着!ラノベ史上最高の恋愛青春物語でしょ!

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』は、渡航さんによる日本のライトノベル。 2011年3月から2019年11月にかけて全17巻(本編14巻、外伝3巻)がガガガ文庫(小学館)より刊行された。 略称は「はまち」。 通称は「俺ガイル」。 シリーズ累計発行部数は約900万部。 「俺ガイル」14巻完結、U-NEXTで観ることができるんですよ!! 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』14巻完結!! (出典:) シリーズ全世界累計900万部を突破、青春ラブコメの金字塔、『やはり俺の青春はまちがっている。 』(俺ガイル)がついに完結!! 最終巻となる第14巻が発売となりました。 同作品は、『このライトノベルがすごい! 2014-2016』(宝島社)で3年連続、作品部門第1位に選ばれ、唯一の殿堂入りを果たした作品です。 「第1回SUGOI JAPAN Award 2015」でもラノベ部門第1位。 これまで2度のTVアニメ化、さらにはゲーム化もされるなど、ライトノベル界で圧倒的な支持を得ています。 2020年春には、TVアニメ第3期の放送も決定(TBS・BS-TBSほかにて放送)。 さらに、短編集とアンソロジーの企画も進行中です。 「俺ガイル」14巻の付け替えカバー・1000名に!! 世界に1000冊しかない最終巻をゲットするチャンスです! (出典:)イラストの特製カバーが1000名に当たる!! 『やはり俺の青春はまちがっている。 』14巻完結・あらすじは? (出典:) 過ぎ去った季節と、これから来る新しい季節。 まちがい続ける物語が終わり・・・・・・ そしてきっとまだ青春は続いていく。 500ページを超えるボリュームたっぷりの最終巻。 あなたの満足度もたっぷりの、充実の内容です。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』14巻(完結)• 著:渡 航• 定価:本体850円+税• 小学館・ガガガ文庫• 2019年11月19日発売• 本書紹介ページはこちら まとめ 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』14巻(完結)、11月19日発売されました。 2020年春には、TVアニメ放送もあるようですが、過去の「俺ガイル」と併せて、まとめて読んでみたいですよね。 「俺ガイル」14巻完結、U-NEXTで観ることができるんですよ!! 「俺ガイル」ファンには、残念ですが・・・ 最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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俺ガイル12巻ネタバレ感想!由比ヶ浜エンドの可能性が高い!?

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言葉への批判意識 言葉一つじゃ足りねぇよ。 本音も建前も冗談も常套句も全部費やしたって、伝えきれる気がしない。 そんな単純な感情じゃない。 たった一言で伝えられる感情が含まれているのはまちがいない。 けれど、それを一つの枠に押し込めれば嘘になる。 (中略) こんな言葉でわかるわけない。 わからなくていい。 伝わらなくても構わない。 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 398より) この 言語への批判意識が、『俺ガイル』の 核心部分だと思います。 疑り深い人は 「言葉」の裏を読みたくなる。 すると人の心理が見えた気がして、その人を「知った」気になる。 そうして人を「知る」と今度は心理だけではなく感情が伝わってくる。 そうするともう「うわべ」だけでは我慢できない。 だからこの終わり方は、結果だけ見れば当然の帰結だとは思います。 しかしここまでの筆致で、リアルな等身大で、絶妙な「青春ラブコメ」を書いた作品が他にあったでしょうか? 私はないと思います。 だから私は『俺ガイル』が本当に素晴らしい作品だと思っています。 今読み終わったところなので、考えもまとまっておらず、一発書きなのですが、いまここで感じていることをメモさせてください。 「言葉」という殺害行為 言語化というのは、基本的に 殺害行為です。 ある感覚、ある感情を言葉にすると、 その感覚や感情はある意味死にます。 例えば、「犬のふわふわした温かみのある触感」と書いたとき、読み手はリアルな毛並みや体温を想像するでしょうが、そこにあった本当の犬の感触を言葉だけで完全に再現することはできません。 そのように、 本当にそこにあったはずのリアルな「感覚」というのは、言葉で完全に再現することは不可能です。 だから言葉はその意味で 「殺害行為」だと言えます。 他にも例えば、「彼と彼女は恋人だ」と言えば、聞き手は各々の想像する 「恋人」という概念にその二人をおしこめるでしょう。 「恋人」は「普通」デートをするとか、キスをするとか、そういう 「恋人」という言葉の枠に二人を当てはめようとするでしょう。 でも、実際には二人はもっと特殊な関係かもしれません。 「普通の恋人たち」のようにデートはしないかもしれない、キスもしないかもしれない、傍から見れば仲が悪く見えるかもしれない…… そういう独自の関係性は、「恋人」という言葉に押し込めた途端に捨象されてしまいます。 関係を名付けてほしくなかった だから、『俺ガイル』では「普通に」告白してほしくなかった。 「普通の恋人」になってほしくなかった。 なぜなら、 『俺ガイル』で求められている「本物」というものは、言葉にできない関係性、言葉にしがたい関係性だと思っていたからです。 端的に言えば、いわゆる「誰々エンド」というのは 全くナンセンスだということです。 なぜなら「誰々エンド」という言葉で語れるくらいの関係が 「本物」のはずないからです。 八幡は絶対にそんな関係を選び取らないからです。 実際、彼らが得た関係はそんな 既存の言葉に簡単に当てはめることのできないものでした。 その証拠として、例えば一色に「お二人はどういう関係になるんですか」と聞かれたときに、「どう、なるんですかね……」、「こういうのは説明が難しいのだけれど……」と 雪乃と八幡が逡巡している場面が挙げられます。 これは照れ隠しなどでは決してなく、 言葉で説明できない関係性だということを2人も自覚していたからだと考えられます。 また、嬉しかったのは 由比ヶ浜もそのような2人の言葉にならない絶妙な関係を察知していたという点です。 由比ヶ浜はラストで「あたしの好きなひとにね、彼女 みたいな感じの人がいるんだけど」と、 「みたいな」と言っていて、彼らの関係が はっきりと「彼女」という言葉にできるものではないと察していると考えられます。 以上のように、 言葉に批判意識をもちながら、言葉にならない関係性を、「本物」を、彼ら彼女らが求めていたということを確認できた点が、最終巻で本当に良かったと思える点でした。 『俺ガイル』は共同体論である 私は『俺ガイル』は 共同体論だと思います。 人と人がどれほどの関係を結べるか、どこまで深く付き合えるか、人と人との間にどれほどの可能性があるのか、それを真摯に探究したのが『俺ガイル』だと思います。 だから、彼ら彼女らが最後まで彼らなりの「本物」を求めていたことが、私にとっては救いでした。 その点で、最終巻は本当に良かったです。 「舞台装置」? それに加えて良かったと思ったのは、陽乃の扱いです。 『俺ガイル』でずっとネックだな、と思っていたのは陽乃の扱いでした。 彼女だけが少し浮いていて、彼女だけがずっと 舞台装置っぽいなという感じがしていたからです。 「舞台装置」というのは、 陽乃が作品の都合のいいように「アンチテーゼ」として利用されていた感が大きかったということです。 しかしそれも最終巻を読み、さらに考察を深めていくことで かなり解消されたように思いました。 人間味のある陽乃 というのは、最終巻ではとくに陽乃が舞台装置ではなく、 一人の人間として機能していたと思ったからです。 「ちゃんと決着つけないと、ずっと燻るよ。 いつまでたっても終わらない。 わたしが二十年そうやって騙し騙しやってきたからよくわかる……。 そんな偽物みたいな人生を生きてきたの」 (渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 289より) このあたりに陽乃の 人間味が垣間見えていました。 しかし単純に人間味のあるところが描かれたから良かったというわけでもなく、むしろこれで、陽乃の 人間としての「底」がある程度見えてしまったという感じがしなくもありません。 というのは、これだけだと陽乃が 「うわべ」の代表格、あるいは 捻じ曲がったシスコンというふうに読めなくもないからです。 陽乃=「うわべ」の代表・捻じ曲がったシスコン 1. 「うわべ」の代表 「うわべ」の代表格というのは、 『俺ガイル』において陽乃は強化外骨格みたいな「うわべ」を駆使して、「うまくやって」生きてきた人間の代表として描かれているということです(ただもちろん彼女には「裏の顔」もあってそれゆえに彼女は苦悩しているわけですが)。 陽乃は父親の仕事を手伝う過程で、 「うわべ」をうまく使って人と良好な関係を結び、また、その 「うわべ」によって何でもできる「雪ノ下陽乃」像を構築してきたのだと考えられます。 ここにひとつ陽乃の 「底」があります。 つまり、陽乃がそうした「うわべ」だけで生きてきた人間なら、彼女は ある意味で「偽物」の人生を歩んできたわけで、そういう意味で、 陽乃は八幡の言う「本物」に近いものにすら触れたことがないと考えられるからです。 <追記 2020. 14> しかしむしろここに陽乃が「本物」を求める理由があるわけで、このことによって陽乃はより舞台装置ではなく一人の人間として描かれていると今では考えています(詳しくは参照)。 捻じ曲がったシスコン 「捻じ曲がったシスコン」というのは、陽乃が雪乃のためにわざと嫌がるような行動をとり続けているという読み(解釈)のことです。 この解釈では、陽乃には、自分の通る道を綺麗にたどる雪乃を本当にかわいいと思いながらも、 彼女に違う道を歩んでほしいという願いがあった、と読むことができます。 あるいは、「うわべ」の人生しか選べない自分を自己批判し、 それとは違う「本物」を彼女も求めていて、その「本物」の夢を雪乃に託したと読むこともできます。 どちらかというと個人的には、 陽乃も「本物」を心の底で求めていた、そしてその実現を雪乃に託したという読みの方がしっくりくる気がします。 <追記2020. 14> 陽乃の雪乃に対する感情はそんな生半可なものではないように今では思います。 なぜなら陽乃は雪乃に「偽物」の人生を突き付けられると同時に、 いわば自分の人生をまるごと否定されたようなものだからです。 だからここの読みは甘いと今は思います。 これについては追い追いアニメ俺ガイル完の考察とともに記事にするつもりです。 「雪ノ下雪乃の救済」というテーマ 雪ノ下雪乃の救済というのが後期『俺ガイル』のテーマでした。 「救済」というのは、9巻で 「いつか、私を助けてね」という雪乃のセリフに起因しています。 「いつか、私を助けてね」とはどういうことか そもそも「助けて」とはどういうことかというと、 依存してしまう自立できない私を助けてねということです(もちろん助けを他者に求めてしまう時点でむしろ依存しているわけですが)。 雪乃が依存体質であることは13巻でも陽乃から指摘がありましたが、1巻から雪乃はそのような面を見せていました。 というより、それこそが 雪乃が奉仕部を創った理由だと考えられます。 雪乃が奉仕部を創った理由 そもそもなんで雪乃が奉仕部を創ったかというと、 依存せず自立したいからだと考えられます。 ただそれはいわば隠された理由(はっきりと書かれてはいない理由)であって、彼女が言葉で言っている理由は違います。 彼女が口で言っていた理由は、「持っているもの」が損をする世界はおかしいから、 「変えるのよ、人ごと、この世界を」というものでした。 ではどういうふうに変えるかというと、 魚の獲り方が分からない人=自立できていない人に、 「魚の獲り方を教える」というやり方で「自立」をうながすのでした。 つまりみんなが 「自立」して、皆が 「持っているもの」に近くなる世界を目指していたわけです。 「持っていない」 ただそれは、 雪乃がある意味で「持っていない」ことの裏返しだと考えられます。 たしかに雪乃は何でもできます。 勉強もスポーツも、容姿も端麗。 そういう意味では「持っている」人間です。 しかし、それは 「依存」の延長線上として得てきたものです。 というのはそれらは 誰かに与えられたものを完璧にやり遂げて得たものにすぎないからです。 では誰が救われたかったのか この点で雪乃は「自立」できていないと言えます。 しかしだからこそ雪乃は奉仕部を立ち上げたと考えられます。 すなわち、雪乃は誰かから与えられたことを完璧にこなすのではなく、 自分から主体的に何かを成し遂げる経験をするために奉仕部を立ち上げたと考えられるのです。 したがって、 人に「自立」をうながしながら、本当に「自立」したかったのは雪乃の方だったのではないでしょうか。 人に救いの手を差し伸べておきながら、本当に救われたかったのは雪乃自身だったのではないでしょうか。 「別のものが欲しかった」 おそらく、生まれてからずっとなんでも完璧にこなしてきた雪乃は、それでも常に自分の上をいって何でもそつなくこなす 陽乃に コンプレックスを抱いていたのでしょう。 というよりも、 陽乃に自分のアイデンティティを奪われてきた(消されてきた)という言い方の方が正確かもしれません。 完璧にやる陽乃がいる、親から必要とされているのは陽乃だ、では自分(雪乃)の居場所はどこにあるのか……と、雪乃はそう考えていたのではないでしょうか。 そうして彼女は 「なんで私はそれを持っていないんだろうって、持っていない自分に失望」した。 だから、「別のものが欲しかった」。 そして雪乃は奉仕部を創った。 姉が持っておらず、自分だけが持っている、 雪乃自身のアイデンティティ、それが 奉仕部だったのではないでしょうか。 そのように奉仕部は、 雪乃が自立してできるのだということを示す証のようなものだったと考えられます。 救済は果たされたか? だから、 雪乃が最後に救済されるのか? ということが『俺ガイル』の1つの大きなテーマでした。 雪ノ下雪乃は「自立」という奉仕部設立当初の目的を達成出来たのか、それが1つの大きなテーマだったわけです。 では14巻で雪乃は「救われた」でしょうか? 私は 救われたと思います。 というのは、 雪乃は彼女の意志で父親の仕事を手伝いたいということを伝えたし、また、 八幡を選ぶという選択もしたからです。 父親の仕事を手伝うというのは、一見陽乃の後追いのようにも思えますが、これは 雪乃の意志だと解釈してよいのではないでしょうか。 というのは別に誰にそうなれと言われたのでもなく、彼女自身が言ったことだからです。 それよりも、「わからない」といっていた雪乃が八幡を自分で選択し、そのことを由比ヶ浜にきちんと自ら打ち明けたことは、 明確な「自立」(誰から与えられたわけでない主体的な選択)と言ってもよいのではないでしょうか。 これも一見すると、雪乃が八幡への依存を深めたように見えるのですが、「ちゃんと言うわ」と自ら気持ちを口にする選択は、依存ではないでしょう。 以上のことから、雪ノ下雪乃の救済という大きなテーマは果たされたと、今のところ私は考えています。 <追記>ここの読みは甘かったと思います。 雪乃は一時的に「救われた」に過ぎないというのが今の読みです。 <追記2019. 26>俺ガイルの結末にある意味絶望している話 わけあって、俺ガイルの結末に絶望しています。 詳しくは以下のツイートをご覧ください。 相変わらず俺ガイルの感想を見たり聞いたりしているのですが、14巻で八幡が本物を見つけたという解釈は、私の解釈から言うと絶対に違うのではないかなと思いました。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 私は「本物」は、そこに究極的に近づくことはできても原理的には到達不可能なものだと思っていて、八幡が最後にたどり着いた雪乃との関係性は、あくまで「本物」までの一過程にすぎないと考えています。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 何も言わなくても分かり合える、その関係性の一形態として、八幡は雪乃の人生を歪める許可をとろうとした。 人生を分け合った。 でもそれはそれでしかなくて、それが「本物」の到達ではない。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 大事なのはむしろその後で、その人生を分け合った関係性で、果たして「本物」に近づけるのかということ。 場合によってはその関係性は、人生を歪められた挙句他者に依存してしまう、まさに「共依存」のような関係へと堕ちてしまうこともあるだろう。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail そしてもちろん場合によってはうまく関係を構築して、「本物」に近づくこともできるだろう。 でも問題は、その「うまく関係を構築する」というのはどういうことかということ。 「本物」に近づくには果たしてどういう関係をもてばいいのかということ。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail ここに、私にはある種の絶望があって、「本物」を担保するものなんてあるのか、ひいては「本物なんてあるのだろうか……?」という疑問にたち戻らざるを得なくなった。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail 「本物」なんて、あるのだろうか。 — 才華 俺ガイル zaikakotoregail まとめると八幡たちは「本物」に到達したわけではなく、その途上であるということに気が付いたので、そこにある種の絶望があるという話なのです。 しかしその経過が見事なのであって、またその経過自体を「青春」と名付けることもできるでしょう。 問題はやはりでは「本物」を求めた先に、14巻で八幡と雪乃がたどり着いたその先に何があるのかということです。 例えば人は「恋人」のように親密になっていろいろなことを知った後に互いを嫌いになるということもあるわけで、もちろん八幡と雪乃は「恋人」ではないのですが、では彼らが結んだある種の関係の先にももっと多くの困難が横たわっているのではないかということは思わざるを得ないということです。 終わりの始まり もしも言葉がなかったら、私たちはどういう存在になっているのだろうか。 言葉のおかげで私たちは、現にあるような存在になっている。 言葉だけが、限界で、もはや言葉が通用しなくなる至高の瞬間を明示するのである。 (ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健 訳 ちくま学芸文庫,2004 p. 470) いささか大げさかもしれませんが、『俺ガイル』はこれに非常に近いところまでいったと思います。 言葉は無力です。 言葉には限界があります。 しかし 言葉はそれが表現しようとするところに究極まで近づき、その当のものを指し示すことができます。 そこに言葉の力があります。 『俺ガイル』が「本物」という言葉で語ろうとしていたことは、そのようなものなのではないでしょうか。 <追記> 後から見返すとかなり甘いところもあったように思います。 甘いところはアニメ3期1話ごとに考察を書きながら、さらに深く考えていきたいと思います。 <俺ガイルの記事一覧> ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・.

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