ばく 祭 山梨 コロナ 顔。 飲食店様への「もち麦」提供のご案内 (2020年6月17日)

地元メディアが厳選 中部地方のおすすめお取り寄せグルメ10(2020年6月27日)|BIGLOBEニュース

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川崎市川崎区の多文化交流施設「川崎市ふれあい館」に「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」と書いたはがきを送ったなどとして、神奈川県警は12日、同区大島1丁目、元市職員荻原誠一容疑者(69)を威力業務妨害容疑で再逮捕し、発表した。 捜査1課によると、荻原容疑者はふれあい館にはがきを送付。 川崎市役所の男性職員に宛てて「ふれあい館を爆破する」などと書いたはがきも市の事業所に送った。 ふれあい館宛ては1月4日、男性職員宛ては同27日、それぞれ職員が読んで対応を取ったことで、ふれあい館の業務を妨害した疑いがある。 男性職員宛てのはがきについては「覚えていない」と容疑を否認しているという。 市の関係者によると、荻原容疑者は下水道部門で長く勤務し、約10年前に退職。 はがきの宛先の男性職員は、20年近く前に同じ職場にいた後輩という。 ふれあい館宛てのはがきについて荻原容疑者は「男性職員とトラブルがあり、陥れるために送った」という趣旨の説明をしているという。 ふれあい館を運営する社会福祉法人「青丘社」は、「差別の被害実態を見据えて捜査が進められた。 引き続き、卑劣な行為に対して厳正な捜査と処罰を期待します」とのコメントを出した。 荻原容疑者は、横浜市鶴見区の私立高校に「御校を全て、ばく破し、取りこわす」などと書いた手紙を昨年11月に送った威力業務妨害の疑いで、今月2日に逮捕されていた。 差出人として、同じ男性職員の名前が書かれていたという。 (土屋香乃子、大平要).

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川崎市川崎区の多文化交流施設「川崎市ふれあい館」に「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」と書いたはがきを送ったなどとして、神奈川県警は12日、同区大島1丁目、元市職員荻原誠一容疑者(69)を威力業務妨害容疑で再逮捕し、発表した。 捜査1課によると、荻原容疑者はふれあい館にはがきを送付。 川崎市役所の男性職員に宛てて「ふれあい館を爆破する」などと書いたはがきも市の事業所に送った。 ふれあい館宛ては1月4日、男性職員宛ては同27日、それぞれ職員が読んで対応を取ったことで、ふれあい館の業務を妨害した疑いがある。 男性職員宛てのはがきについては「覚えていない」と容疑を否認しているという。 市の関係者によると、荻原容疑者は下水道部門で長く勤務し、約10年前に退職。 はがきの宛先の男性職員は、20年近く前に同じ職場にいた後輩という。 ふれあい館宛てのはがきについて荻原容疑者は「男性職員とトラブルがあり、陥れるために送った」という趣旨の説明をしているという。 ふれあい館を運営する社会福祉法人「青丘社」は、「差別の被害実態を見据えて捜査が進められた。 引き続き、卑劣な行為に対して厳正な捜査と処罰を期待します」とのコメントを出した。 荻原容疑者は、横浜市鶴見区の私立高校に「御校を全て、ばく破し、取りこわす」などと書いた手紙を昨年11月に送った威力業務妨害の疑いで、今月2日に逮捕されていた。 差出人として、同じ男性職員の名前が書かれていたという。 (土屋香乃子、大平要).

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作家・夢枕獏から、彼が親しくしているある編集者に電話があったのが、4月11日夕方。 何度かのやりとりを経て、このあまりにも強い意志とメッセージ力を持つ原稿は、瞬く間にその夜には完成を見た。 「拡散していいよ!」という夢枕氏の言葉からFacebookにアップされ、今は氏のオフィシャルHPにも掲載されている。 「共感どころの話じゃねえぜ」とはその編集者の談。 数々の名作、名文を生み出し、我々の心を揺さぶり続けてきた大作家からのメッセージを、よみタイからも改めて全文お届けします。 もしも、共感して、心が動かされて、少しでもパワーになれば幸いです。 もしかして我々も今、スタート地点に立たされているのかもしれないーー 【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】〜夢枕獏 心の中に湧きあがってくるものがあるのである。 原稿を書いていても、窓から外を眺めていても、それは湧きあがってきて、消えない。 怒りと言えば怒りなのであるが、その半分は哀しみのようなものだ。 それは、うまく表現できないのだが、 「馬鹿だなぁ、人間は……」 という思いのようでもある。 「愚かだなぁ、人類は……」 というあきらめのようでもある。 人は馬鹿で、愚かで、つい保身に走りたくなる。 自分が可愛い、そういうものでできている。 だから、できるだけ、人の愚かさを愛そうと努めてきた。 許そうと努めてきた。 当然ここには下心もある。 だから、ぼくの馬鹿や愚かも許してねという下心である。 けっこういやらしい。 こういうことや、これから書くようなことは、あまり声高に発言するものではないとも、ずっと考えてきた。 小説の中に書くことはあっても、このような文章で書くというのは、うまく言葉にならないということがわかっているし、誤解も生みやすく、うまく伝える自信もなく、これまでためらいがあったのである。 しかし、この湧きあがってくる思いがなかなか消えない。 小説を書くことや、日常生活の中に、夾雑物のように入り込んできて、消えない。 なんだか苦しい。 書いてしまえば、多少は楽になるかもしれないと考えて、原稿用紙のマス目に、下手な丸っぽい字を埋めながら、今、この文章を書きはじめたところなのだ。 ぼくは、かつて、何度か国家と戦ったことがある。 正確に書いておけば、戦っている人たちの端っこの方に混ぜてもらって、ささやかな発言をしてきたくらいなのだが、たとえば、意味のないダム建設に反対する運動などを、何度かお手伝いしたことがあるのだ。 具体的に言えば、長良川の河口堰建設に反対したことであり、川辺川ダムの建設に反対したことであり、四国の吉野川の河口堰建設に反対したことである。 その他いくつか。 こういう運動は、時間と精神とエネルギーをとられるだけで、得られる果実はあまりに少ない。 このような運動は、そもそも選挙の票をどれだけ持っているかどうか。 一国の政治をひっくり返すだけの票を、その運動が持っているのかいないのか。 そういう力を持たない運動は、無力に近い。 一票は重いと言ったのは誰だ。 一票はあまりに軽い。 その軽い一票に、かなしいことに我々はすがらねばならない。 すがるしかない。 これまで、どれほどの無力感にさいなまれようと、この軽い一票を投じ続けてきた。 原発についてもそうだ。 原発はいかがなものかと、昔も今も思っている。 なら、ダムでいいのか。 化石燃料でいいのか。 太陽光発電、風力発電でよいのかというところで、いまだぼくは答を持っていないのだ。 その理由や細かいことを書けばきりがないのだが。 原発のことでいえば、どれだけ理屈や理論で大丈夫と説明されても、一番不安なのは、それを管理するものが人間だからである。 人間が不完全だからだ。 資本主義は、お金を神にした一神教となりはてているし、共産主義だって、似たようなものだろう。 これはもう、資本主義がいかん、共産主義がいかんという話ではなく、それを運用するのが人間だからいかんのじゃ、というミもフタもない結論になるしかない。 人間は愚かである。 自分の身は守りたい。 言いわけ大好き。 このぼくもそう。 当然政治家もそう。 答えがない。 これはもう、ただただ仕事をして、釣りをすることを、自分の善として生きてゆくしかないんじゃないの。 どうなのよ。 ぼくにはわからない。 六十九歳になったが、今もわかんない。 世の中のことのおおかたは、答えがない。 正解もない。 そのくらいはわかる歳にはなったが、自覚できたのは、自分の愚かさのみである。 コロナウイルスのことだ。 紀元前555年から548年にかけて、古代中国の 斉 せいという国に 荘公光 そうこうこうという王がいたのである。 宰相が 崔杼 さいちょというやり手の政治家だ。 この崔杼が、荘公光を殺して、自分の言いなりになる荘公光の息子を新しい王とした。 これを 太史 たいしが、 「崔杼、荘公を 弑 しいす」 と書いた。 太史というのは、簡単に言ってしまえば国家の記録がかりである。 歴史官といってもいい。 すると崔杼は怒って、 「書きなおせ」 と命じたが、太史は、 「できません」 顔をあげてこう答えたのである。 それで、崔杼はこの太史を殺してしまった。 次の太史となったのは、殺された太史の弟である。 この弟もまた、 「崔杼、荘公を弑す」 と書いた。 それで崔杼はまた、この弟も殺してしまった。 次の太史となったのは、一番下の弟である。 この一番下の弟もまた、 「崔杼、荘公を弑す」 と書いた。 これで、ようやく、崔杼はあきらめたというのである。 このこと、司馬遷の『史記』にも書かれている。 もとネタは、さらに昔に書かれた『春秋左氏伝』に記されている。 かつて、中国においては、これほどに『公文書』というものは重いものだったのである。 なんのことか、わかるよな。 「がんばっている」 「よくやっている」 は、子どもにかけてやる言葉だ。 がんばったことで、許され、称讃されることは、もちろんある。 格闘技であれ、スポーツであれ、敗者にかけられる言葉は、まず、ない。 それでも、我々は、言う。 泣きながら言う。 「よくがんばった」 「よくやった」 これは、しかたがない。 周囲は本当にそう思っているのだ。 誰かを応援するということは、その誰かに自分の人生の一部をあずけることである。 だから、応援している者が敗れると、深い喪失感を味わうのである。 政治は別ものだ。 「よくがんばっている」 「よくやっている」 でも戦争になってしまいました、はない。 政治は結果だ。 結果が全てだ。 コロナ問題もそうだ。 感染症と闘うことができるのは、医療と政治しかない。 その政治が、今、何をやっているのか。 政治家として、きちんと闘っている人間は、わずかだ。 何故、多くの政治家が沈黙しているのか。 細かいことは、ここでは書かないよ。 今後、コロナのことで死ぬ人が出てくれば、それは政治のせいであると思う。 その政治や、政治家を作ったのは、我々だ。 このぼくだ。 ぼくは、今、六十九歳、高齢者である。 高血圧、糖尿病だ。 身体はよれよれだ。 感染すれば、命があやうい。 ぼくは、仕事と、釣りと、友人と、そして家族によって生かされている。 困った時は、仕事と釣りにすがって生きてきた。 今のところは、無事だ。 書くべき仕事、書きたいものは、山のようにある。 もう一回、虫に生まれかわっても書いてゆきたい。 今の感触で言えば、書くことで原稿料をいただくようになって、四十数年、やっとこの歳になって、スタートラインに立ったような気がしている。 これまでの人生はこれのための準備期間だったとわかる。 これから、やっと、書ける。 ようやく、考えていたこと、やろうとしていたことに手をつけられる。 そう思えるようになった時には、もう七十歳が目の前だよ。 人生なんて、そんなもんだ。 志村さんも、そうだったろう。 どれほど無念であったろう。 いいか、書いておくぞ。 ちゃんと見ているからな。 誰が何を発言したか、どんな目つきをしていたか、忘れないからな。 必ず覚えておくからな。 もしも、この命ながらえたら、次の選挙の時、おぼえてろよ。 二〇二〇年四月十二日 夢枕獏 夢枕 獏(ゆめまくら・ばく) 作家、1951年1月1日、神奈川県生まれ。 東海大学文学部日本文学科卒。 1977年に作家デビュー。 以後、『キマイラ』『サイコダイバー』『闇狩り師』『餓狼伝』『大帝の剣』『陰陽師』などのシリーズ作品を発表。 1989年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、1998年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。 2011年『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞と舟橋聖一文学賞を受賞。 同作で2012年に吉川英治文学賞を受賞。 漫画化された作品では、『陰陽師』(漫画 岡野玲子)が第5回手塚治虫文化賞、『神々の山嶺』(漫画 谷口ジロー)が2001年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞をそれぞれ受賞。 映画化された作品に『陰陽師』『陰陽師2』(東宝)、『大帝の剣』(東映)などがある。

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