イレギュラー ひとりじゃない。 星空の小夜曲~鉄腕美少女魔法使いの恋は、異世界に侵略された世界を救う~(由希)

第144話 史上最大の決戦―kiss of war―①

イレギュラー ひとりじゃない

80万人の中学生がいっせいに不登校を始める小説を2000年に発表した作家の村上龍は、NHKの討論番組で、教師や親たちに「あなたは子どもにどんな人生を望みますか」と問いかけた。 雇用不安、学歴社会の終焉など、既存の社会システムの崩壊に直面した大人たちが、子どもの未来に対し鮮明なビジョンを持ちえずにいることは、村上が彼らから明確な答えを得ることができなかったことにも象徴されている。 「いじめによる自殺未遂」、「非行」、「極道の妻」と人生のどん底を体験してきた著者が、29歳で弁護士になるまでの軌跡を描いた本書は、変わった経歴を持つ女性の単なる「波瀾万丈記」ではなく、いじめ体験や、司法試験受験の際の勉強法などが克明に記されているように、子どもたちが直面するであろう問題に対して、具体的な対処法を伝えることに主眼が置かれている。 本書が100万部を越えるベストセラーとなったのは、「いい学校からいい企業へ」といったモデルが通用しなくなった20世紀末の社会が、即効性のある新たな人生のモデルを切望していたからだろう。 村上は自身の作品の主人公の中学生に、日本には「希望だけがない」と発言させた。 本書は「やればできる」という「希望」を提示する。 両者は「生きぬく」、つまり、自らの意志でサバイバルせよというメッセージを発している点で共通しているが、現実を生きぬいてきた著者の言葉にはより力強い説得力がある。 (中島正敏) 内容(「BOOK」データベースより) 本著はショッキングかつ、当時の著者のような立場の人に手を差し伸べる人もいるのだなと初見では印象に残る本でした。 しかしその反面、また読みたいとは思えませんでした。 それは内容が重いからではなく、著者の辿った人生と、何より思考が極端でそこが苦手だなと思ったからです。 人ひとりの人生として見れば、確かによく更生したものです。 プラスとマイナスの落差が凄まじく、著者を助けた「おっちゃん」も大胆かつ懐が深いなとは思いました。 しかし文章を読んで思うのは、どこか悲劇のヒロイン気取りな感じがすることでした。 私は当レビューを書いた当日、別の「落ちこぼれ更生」系の本のレビューを書きました。 しかしあちらは少なくともヤクザに身をやつすどころかヤンキーですらなかったのに、こちらは社会人デビューが裏社会なのです。 私は個人的な信条として、犯罪さえ起こさなければ更生のチャンスを一回は与えてしかるべきだと思いますが、この人に対してはそう思えない。 たまたまおっちゃんのような方に巡り会えたから良かったようなもので、そうでなければ想像だに恐ろしい道筋を歩んでいたかもしれません。 この点から、この人自身はこれで良かったかもしれないが、周囲の人は果たしてどう思っていただろう?と思わずにいられません。 また、他のレビューでも指摘されていますがタイトルがどうも腑に落ちない。 取りようによっては「こんな自分でもこんな風に変わることが出来たのだから、頑張ればあなたも私みたいになれるわよ。 なってみなさいな」と言っているようにも聞こえます。 このタイトルでかつ、この内容では、気休めか、下手すると嫌味にすら聞こえるでしょう。 あまりにイレギュラー過ぎるので。 あるいは「あんたラッキー過ぎるよね。 ここまで運に恵まれてりゃ弁護士になれるかはともかく更生出来るに決まってるさ」と冷めた感想を持つ人もいるでしょう。 弁護士になられた後、非行・不良少年少女の更生に携わったそうですが、著者が本当にすべきことは「既に落ちこぼれてしまった」子供を助けることだけではなく、落ちこぼれを生まないように弁護士の立場から働きかけることではないでしょうか?自分と同じ思いをさせたくないと思うなら、まず落ちこぼれさせないように尽力すべきです。 落ちこぼれはレールから外れ、自分が貫き通したいものがあるから敢えてレールから外れた訳でもなく、自分でどうしたら良いかわからない立場です。 私は著者が弁護士になりおおせたことまでは百歩譲ってまあ立派かなと思いますが、弁護士としてあるいは職業人として見るとどうなのか?と首を傾げてしまいます。 最後に。 こういう方の存在は確かにある程度の人数に勇気を与えたかもしれません。 しかし実際このように取り上げたからといって、似た境遇にある人が「実際に」救われるかといえば甚だ疑問です。 もっときついことを言いますと、著者の人間性を見るに、著者が更生・立身出世を果たし現在に至るまでの間に、励まされた人や救われた人よりも、振り回された人や迷惑を被った人の方が多いのでは。 著者は全くの善意でこの本を著したのだと思いますが、私が著者の立場であればこんな過去をわざわざ公表しようとは思いません。 文章を読むと尚のこと「そういう前半生になるのも仕方ないか」と失礼ながら思ってしまいます。 ベストセラーになったことから見るに、この本は読者にカタルシスを与えたかもしれません。 しかしそれ以上の影響は与えていない。 今の時代にあっても余り役に立たない本だと思います。 人間生きていくうえでいつだって 笑いながら自由でいたいのに 実際は嵐や雨が降り注ぐ人生。 負を人生の序盤に経験した大平さんは その後大人になり弁護士になることを決意します。 もともと頭のいいかたじゃないと到底無理だと思うのですが。。。 ただ大平さんは常に生きることに必死でたたかいつづけているのが わかりました。 いじめで苦しみ自殺未遂をしたときも洗礼をうけて 誰も頼る人も助ける人もいない。 そこで大平さんは強さを 手に入れます。 何にもまけない強さ。 お父様とのお別れのシーンは涙が こぼれて本が濡れました。 単なるお涙頂戴ではなく本当に生きることの厳しさとつかの間の 幸福を教えてくれる。 弱くて怠け者の私を後頭部から打つような 作品でした。。 なんど読んだかわからないし何度も買いなおしています。 かつていじめで苦しんだ彼女が今度は裁く側になるという ところも感慨ぶかくてべんきょうになりました。 僕がトラックに乗っていた頃、ある工場での設備の仕事がありました。 朝、工場まで行くとある女性がいて、その女性にトラックの助手席に乗っていただいて、広い敷地内の現場まで道案内をしてもらいました。 虚飾のない大人しそうな眼鏡の女性でした。 女性「えーっと、道どうやったかな。 私、資格取得の勉強中でお仕事休んでて、どうしても人が足らないから出て来てくれって大平の社長に言われて、久しぶりで・・」 僕「あぁ、そうなんですか」 女性「あ、そこを右です」 僕「はい」 僕は右へウインカーを出して、往来を確認して右へハンドルを切りました。 仕事が終わって伝票にサインをもらおうと思って、「大平社長はどこですか?」と僕が現場の男の人に尋ねると、「休憩時間なんで休憩所にいるでしょう。 一緒に行きましょう」と言われました。 休憩場所に缶コーヒーを持った若い男女が10人ぐらいいて、道案内をしてくれた女性もいました。 僕が「大平さん」と言うと、休憩場所の男女たちがみんな一斉に「はい」と言って、一瞬間があって彼らは笑い出しました。 「あの、大平社長のサインが欲しいんですけど」というと、おじさんが奥から出て来てサインをしてくれました。 僕が「みんな大平さんなんですか」というと、みんなが明るく笑いました。 大平社長は「いろいろあってね」と仰いました。 現場で彼らと共に肉体労働の仕事をしていた時、彼らと僕は対等だったし、彼らは身の丈で飾り気がなく、懸命に現在を生きていました。 その後、本書を手にして驚きました。 あの道案内をしてくれた女性が大平光代さんだったのかな。 本を読んでいると、自己言及をして複雑な心境によくなります。 この本は他人にその生き様を強要するものではないし、読者が自己正当化したり、著者が人から嫉妬されたり、審判されたりするものでもないと思います。 大平光代さんが良くも悪くもそのように生きたという彼女の生き様の記録です。 そういうひとりの女性が生きているということです。 読書は自分自身が試されるという危険な面もあります。 ある本を読んだ時に出てくる自分自身の感想は、良くも悪くもそのように生きている自分自身の生き様を表に出しています。 自分自身の生き様から来る主観とは無関係な、客観的な感想というものはありません。 己の主観の「糸」と他人の主観の「糸」を使った織物が、我々が構成している現実の幻想です。 人に優しく。

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就活は決して「ひとりじゃない」

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80万人の中学生がいっせいに不登校を始める小説を2000年に発表した作家の村上龍は、NHKの討論番組で、教師や親たちに「あなたは子どもにどんな人生を望みますか」と問いかけた。 雇用不安、学歴社会の終焉など、既存の社会システムの崩壊に直面した大人たちが、子どもの未来に対し鮮明なビジョンを持ちえずにいることは、村上が彼らから明確な答えを得ることができなかったことにも象徴されている。 「いじめによる自殺未遂」、「非行」、「極道の妻」と人生のどん底を体験してきた著者が、29歳で弁護士になるまでの軌跡を描いた本書は、変わった経歴を持つ女性の単なる「波瀾万丈記」ではなく、いじめ体験や、司法試験受験の際の勉強法などが克明に記されているように、子どもたちが直面するであろう問題に対して、具体的な対処法を伝えることに主眼が置かれている。 本書が100万部を越えるベストセラーとなったのは、「いい学校からいい企業へ」といったモデルが通用しなくなった20世紀末の社会が、即効性のある新たな人生のモデルを切望していたからだろう。 村上は自身の作品の主人公の中学生に、日本には「希望だけがない」と発言させた。 本書は「やればできる」という「希望」を提示する。 両者は「生きぬく」、つまり、自らの意志でサバイバルせよというメッセージを発している点で共通しているが、現実を生きぬいてきた著者の言葉にはより力強い説得力がある。 (中島正敏) 内容(「BOOK」データベースより) 本著はショッキングかつ、当時の著者のような立場の人に手を差し伸べる人もいるのだなと初見では印象に残る本でした。 しかしその反面、また読みたいとは思えませんでした。 それは内容が重いからではなく、著者の辿った人生と、何より思考が極端でそこが苦手だなと思ったからです。 人ひとりの人生として見れば、確かによく更生したものです。 プラスとマイナスの落差が凄まじく、著者を助けた「おっちゃん」も大胆かつ懐が深いなとは思いました。 しかし文章を読んで思うのは、どこか悲劇のヒロイン気取りな感じがすることでした。 私は当レビューを書いた当日、別の「落ちこぼれ更生」系の本のレビューを書きました。 しかしあちらは少なくともヤクザに身をやつすどころかヤンキーですらなかったのに、こちらは社会人デビューが裏社会なのです。 私は個人的な信条として、犯罪さえ起こさなければ更生のチャンスを一回は与えてしかるべきだと思いますが、この人に対してはそう思えない。 たまたまおっちゃんのような方に巡り会えたから良かったようなもので、そうでなければ想像だに恐ろしい道筋を歩んでいたかもしれません。 この点から、この人自身はこれで良かったかもしれないが、周囲の人は果たしてどう思っていただろう?と思わずにいられません。 また、他のレビューでも指摘されていますがタイトルがどうも腑に落ちない。 取りようによっては「こんな自分でもこんな風に変わることが出来たのだから、頑張ればあなたも私みたいになれるわよ。 なってみなさいな」と言っているようにも聞こえます。 このタイトルでかつ、この内容では、気休めか、下手すると嫌味にすら聞こえるでしょう。 あまりにイレギュラー過ぎるので。 あるいは「あんたラッキー過ぎるよね。 ここまで運に恵まれてりゃ弁護士になれるかはともかく更生出来るに決まってるさ」と冷めた感想を持つ人もいるでしょう。 弁護士になられた後、非行・不良少年少女の更生に携わったそうですが、著者が本当にすべきことは「既に落ちこぼれてしまった」子供を助けることだけではなく、落ちこぼれを生まないように弁護士の立場から働きかけることではないでしょうか?自分と同じ思いをさせたくないと思うなら、まず落ちこぼれさせないように尽力すべきです。 落ちこぼれはレールから外れ、自分が貫き通したいものがあるから敢えてレールから外れた訳でもなく、自分でどうしたら良いかわからない立場です。 私は著者が弁護士になりおおせたことまでは百歩譲ってまあ立派かなと思いますが、弁護士としてあるいは職業人として見るとどうなのか?と首を傾げてしまいます。 最後に。 こういう方の存在は確かにある程度の人数に勇気を与えたかもしれません。 しかし実際このように取り上げたからといって、似た境遇にある人が「実際に」救われるかといえば甚だ疑問です。 もっときついことを言いますと、著者の人間性を見るに、著者が更生・立身出世を果たし現在に至るまでの間に、励まされた人や救われた人よりも、振り回された人や迷惑を被った人の方が多いのでは。 著者は全くの善意でこの本を著したのだと思いますが、私が著者の立場であればこんな過去をわざわざ公表しようとは思いません。 文章を読むと尚のこと「そういう前半生になるのも仕方ないか」と失礼ながら思ってしまいます。 ベストセラーになったことから見るに、この本は読者にカタルシスを与えたかもしれません。 しかしそれ以上の影響は与えていない。 今の時代にあっても余り役に立たない本だと思います。 人間生きていくうえでいつだって 笑いながら自由でいたいのに 実際は嵐や雨が降り注ぐ人生。 負を人生の序盤に経験した大平さんは その後大人になり弁護士になることを決意します。 もともと頭のいいかたじゃないと到底無理だと思うのですが。。。 ただ大平さんは常に生きることに必死でたたかいつづけているのが わかりました。 いじめで苦しみ自殺未遂をしたときも洗礼をうけて 誰も頼る人も助ける人もいない。 そこで大平さんは強さを 手に入れます。 何にもまけない強さ。 お父様とのお別れのシーンは涙が こぼれて本が濡れました。 単なるお涙頂戴ではなく本当に生きることの厳しさとつかの間の 幸福を教えてくれる。 弱くて怠け者の私を後頭部から打つような 作品でした。。 なんど読んだかわからないし何度も買いなおしています。 かつていじめで苦しんだ彼女が今度は裁く側になるという ところも感慨ぶかくてべんきょうになりました。 僕がトラックに乗っていた頃、ある工場での設備の仕事がありました。 朝、工場まで行くとある女性がいて、その女性にトラックの助手席に乗っていただいて、広い敷地内の現場まで道案内をしてもらいました。 虚飾のない大人しそうな眼鏡の女性でした。 女性「えーっと、道どうやったかな。 私、資格取得の勉強中でお仕事休んでて、どうしても人が足らないから出て来てくれって大平の社長に言われて、久しぶりで・・」 僕「あぁ、そうなんですか」 女性「あ、そこを右です」 僕「はい」 僕は右へウインカーを出して、往来を確認して右へハンドルを切りました。 仕事が終わって伝票にサインをもらおうと思って、「大平社長はどこですか?」と僕が現場の男の人に尋ねると、「休憩時間なんで休憩所にいるでしょう。 一緒に行きましょう」と言われました。 休憩場所に缶コーヒーを持った若い男女が10人ぐらいいて、道案内をしてくれた女性もいました。 僕が「大平さん」と言うと、休憩場所の男女たちがみんな一斉に「はい」と言って、一瞬間があって彼らは笑い出しました。 「あの、大平社長のサインが欲しいんですけど」というと、おじさんが奥から出て来てサインをしてくれました。 僕が「みんな大平さんなんですか」というと、みんなが明るく笑いました。 大平社長は「いろいろあってね」と仰いました。 現場で彼らと共に肉体労働の仕事をしていた時、彼らと僕は対等だったし、彼らは身の丈で飾り気がなく、懸命に現在を生きていました。 その後、本書を手にして驚きました。 あの道案内をしてくれた女性が大平光代さんだったのかな。 本を読んでいると、自己言及をして複雑な心境によくなります。 この本は他人にその生き様を強要するものではないし、読者が自己正当化したり、著者が人から嫉妬されたり、審判されたりするものでもないと思います。 大平光代さんが良くも悪くもそのように生きたという彼女の生き様の記録です。 そういうひとりの女性が生きているということです。 読書は自分自身が試されるという危険な面もあります。 ある本を読んだ時に出てくる自分自身の感想は、良くも悪くもそのように生きている自分自身の生き様を表に出しています。 自分自身の生き様から来る主観とは無関係な、客観的な感想というものはありません。 己の主観の「糸」と他人の主観の「糸」を使った織物が、我々が構成している現実の幻想です。 人に優しく。

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#ワートリ #米屋陽介 17歳組のお泊り会

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どーしよっかな~。 普通にね、今日お休みでずっと家におってずっとパソコン付けとったのに、普通に、ほんとふつーにブログを更新するのを忘れとった・・・。 日付いじるのどうしよっかなー。 ってことをここで書いたらいけんよね・・・。 というのはね、ここ最近の悩みの種が芽を出し始めまして、なんかつらくなって、ひとりで考えてもどうしようもなくなったので教室長に相談の電話してました。 携帯で1時間以上話したのって記憶がないくらい久しぶりやったー。 結局のところ、同じところを教室長も悩んでいらっしゃってて、明確な答えは出んかったけど、なんか話を聞いてもらえただけでも随分気持ちが楽になりました。 私の感覚は正しいらしいです・・・。 今は正しい感覚を持った人が悩んでる状態らしいです。 超イレギュラーの集まりなんだそうです、今の職場。 某Dソー時代の個性の強いみんなの「超イレギュラー」な性格とは意味の違う「超イレギュラー」ね。 人としての「超イレギュラー」ね。 困ったもんです。 でもどうしようもすることができんのが現状。 この環境でやっていくしかないんです。 ここで私が流されてしまったらおしまい。 しっかり元気に笑顔でやっていかんとね。 しかしね、今日の電話で普通の感覚を持った人で名前が出てきたのが、私と教室長といつも私が話を聞いてもらってる女の先生の3人ってどういうことなんやろね? イレギュラーな人の方が多いっていうね。 難しいとこよね。 「人としての感覚」というのは育ってきた環境とかなんとかが大いに影響するもんね。 それを変えるなんてねぇ。 私も自分を変えれなかったからDソーを辞めたわけであって。 だからこの悩みには解決策がないんやろうね。 まぁ、私のお得意の「うまいこと適当に」やっていくのが良いかと。 もちろん、ちゃんと教室長についていってね! それでも生徒は来てくれるわけだから、やるしかない!頑張るしかない!! ひとりじゃないから大丈夫!!

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