笑福亭 鶴瓶。 アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~|テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ|出演:笑福亭鶴瓶 生田斗真|テレビ東京

笑福亭鶴志さん死去 64歳 鶴瓶の弟弟子、18年に肝臓がん手術― スポニチ Sponichi Annex 芸能

笑福亭 鶴瓶

この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2012年7月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2012年7月) 6代目 笑福亭 ( しょうふくてい ) 松鶴 ( しょかく ) 「戎松日曜会」。 後列右が六代目松鶴(当時は三代目光鶴あるいは四代目枝鶴)。 左に、、。 子供は。 上方落語界で「六代目」と言うと、この六代目松鶴を指すと言うのが広く浸透している。 本名 竹内 ( たけうち ) 日出男 ( ひでお ) 別名 六代目、おやっさん 生年月日 没年月日 1986-09-05 (68歳没) 出生地 ・ 死没地 ・大阪府大阪市 師匠 名跡 1. 竹内日出男(1944年 - 1947年) 2. 初代(1947年 - 1948年) 3. 4代目(1948年 - 1953年) 4. 4代目(1953年 - 1962年) 5. 6代目(1962年 - 1986年) 出囃子 舟行き 活動期間 1944年 - 1986年 活動内容 家族 (父) (息子) 所属 (? - 1960年) (1960年 - 1986年) 主な作品 「月宮殿星の都」「」「」 備考 2代目会長(1968年 - 1977年) 五枚笹は、笑福亭一門の定絞である。 京町堀に父5代目松鶴の次男として生まれる。 、を卒業し、家・の紹介でのお茶屋に丁稚奉公に出る。 しかし仕事はそこそこに落語やの鑑賞に入れ込み、新町、松島、飛田でも遊ぶ。 遊興費は父の着物を質に出したり父松鶴のサークル「楽語荘」の資金にまで手を出すほどであった。 周囲は松鶴の御曹司ということと世話になっていた噺家も多く叱責されなかった。 元は役者志望だったが、少年時代に片足に重傷を負い引きずるようになったため、断念せざるを得なかった。 、兵役検査を受けるが不合格。 これを機にお茶屋を辞め、遊蕩の日々を過ごす。 その傍ら、5代目松鶴が手がけた「楽語荘」や雑誌「上方はなし」編集などを手伝い、落語に関わるようになる。 中之島のにて、出番に遅れた出演者の穴埋めとして芸名無しで初舞台。 演目は「寄合酒」。 以降定期的に主に本名で高座に上がる。 父松鶴に正式に入門。 、双葉館にて正式に初舞台。 目の大きい容貌だったことから、父の片腕であったより、「目玉の松ちゃん」と親しまれたにあやかって初代 と命名される。 演目は「・発端」。 、の新春興行より4代目 (こかく)と改名。 、4代目 を襲名。 戎橋松竹にて襲名披露興行(の襲名披露と同時におこなわれた)。 出囃子を「だんじり」とする。 衣笠寿栄と3度目の結婚。 (現)に居を構える。 、が設立され、副会長に就く。 、の専属タレントとなる。 にからへ移籍。 、6代目 笑福亭松鶴を襲名。 にて襲名披露興行。 出囃子を「船行き」とする。 、大阪府民奨励賞を受賞。 、大阪厚生年金会館にて初の「笑福亭一門会」(弟弟子の2代目松之助、門下のも参加)を開く。 同年6月、死去した3代目林家染丸の後任として上方落語協会第2代会長に就任、まで務める。 、大阪厚生年金会館にて初の独演会を開く(まで)。 この年、に転居する(現在の「無学」)。 、大衆芸能部門優秀賞受賞。 8月31日、で行われたの親睦パーティーの席で泥酔して騒ぎ、来賓として出席した本社の社長を激怒させるなど周囲の顰蹙を買った。 松竹芸能の所属タレントはもちろん、親会社からも松鶴の解雇を要求する声が挙がる中、松竹芸能の社長が仲裁に入り、松鶴が勝に謝罪することで事態は収拾した。 皮肉にも松鶴はこのあとメディアでの露出が増えるが、勝は『六世笑福亭松鶴はなし』にて、有馬温泉の一件での松鶴の謝罪が影響したと回顧している。 、千年町(現・)の教会内に定席「」開場。 、「」を受賞。 、制作のドラマ『』に「将軍」こと大石老人役でセミレギュラー出演(まで)。 この年、協会運営の落語会「千里繁昌亭」をスタートさせる。 、の受賞作の映画『鬼の詩』に特別出演する(オープニングで藤本義一と音声対談)。 、の東灘文化センターで、落語など演芸関係の蔵書300点余が公開される。 の近くに転居。 1月、還暦記念落語会「六世松鶴極め付き十三夜」をの毎日国際サロンにて開催した。 公開の映画『』に安宿の老人役で出演。 同年、紫綬褒章を受章。 上方落語家としては初。 この際、市民税を滞納していたことが発覚し、急遽支払ったとされる。 1月、惣領弟子・仁鶴との親子会「松鶴・仁鶴極め付き十三夜」を本町のにて開催した。 、北御堂で行われたの落語会で「二代目林家染丸の思い出噺」を口演し、これが最後の高座となる。 、肺炎に伴う呼吸不全と心不全のため、入院先の大阪市天王寺区のにて死去。 68歳没。 この日は奇しくも父・5代目松鶴と長男・5代目枝鶴の誕生日に当たっていた。 同じ時期に同じ病院にのが入院しており。 その後左近は松鶴が過ごした個室に入ったがその数日後亡くなった。 最期の言葉には諸説ある。 笑福亭鶴瓶によれば、最期に「ばば(大便)したい」と言い残し直後に息を引き取った(『』での談話)。 また当時の新聞記事には「主治医に『戦争じゃ!』と呼びかけた」という記述がある(『落語ファンクラブ』より)。 NHK等、媒体で発表された辞世の句は 「煩悩を我も振り分け西の旅」である。 これは、父・5代目の辞世の句「煩悩を振り分けにして西の旅」(作)を踏まえたものである。 作者は甥の(『六世笑福亭松鶴はなし』桂米朝の回顧より)である。 戒名は「笑福亭楽翁松鶴居士」。 墓所は上本町9丁目の(別名・紅葉寺)。 没後 [ ]• 3月、大阪市上方芸能人顕彰に選ばれる。 、(ワッハ上方)よりに選定される。 6代目の旧住居は現在は寄席小屋「無学」となっており、弟子のが月1回「帝塚山 無学の会」というイベントを開催している(後述)。 生誕100年となる9月にはと動楽亭を会場に「六代目笑福亭松鶴生誕百年祭記念落語会」が7日間開催され、筆頭弟子の笑福亭仁鶴以下74人の現存する弟子・孫弟子の噺家がいずれかの日に出演する「一門そろい踏み」の催しとなった。 人物 [ ] 芸風など [ ] 入門当時、消滅寸前だったの復興を目指し、らと奔走。 埋もれていた演目を掘り起こし、また多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たす。 米朝、3代目桂小文枝(後の)、とで「上方落語界の四天王」と讃えられた。 豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(頃にを患った後遺症による)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。 特に酒を題材に取った噺(など)や芝居噺(など)を得意としていた。 松鶴襲名のころまではまさに他の四天王たちやほぼ同年代の噺家たちよりは頭ひとつ抜けた存在であったと評判であった。 また、枝鶴、染丸同時襲名の折は看板は枝鶴(6代目松鶴)が上であった。 父が5代目松鶴だったこともあり、上方落語のサラブレッドやプリンスと呼ばれたことがあった。 立川談志は初対面の時「随分汚ねえプリンスだな。 」とあきれたが、松鶴は「わてがプリンスですねん。 そう見えまっか。 」と逆手に取って周囲を笑わしていた。 若手の頃は好きであった。 が制定されるまでヒロポンの市販は合法であったが、どれだけのヒロポンを打てるかが芸人のステータスとなっていた当時、松鶴は一升瓶に入ったヒロポンの溶水を掲げ「一日に30本打ったった」と自慢、「ワシや春団治は楽屋でヒロポン打っとったけど、米朝はリンゴ食うとった」との思い出を語っている(同じ松竹芸能所属だったのラジオでの談話)。 3代目桂米朝は、自分は注射が嫌いだったのでヒロポンに手を出さなかったと述べている。 話を覚えるのがうまく、2代目松之助によると、5代目桂文枝が若手の頃に5代目松鶴から『天神山』の稽古をつけてもらっていたのを隣で盗み聞きし、文枝よりも先に高座でかけてしまった。 また、3代目桂米朝も、5代目松鶴から『池田の猪買い』の稽古を付けられたときに横で6代目松鶴が聞いて覚えてしまったと述べている。 紙切り芸人のが、舞台で使った残り紙を利用して年賀状用に翌年のであるを切っていたのを見つけ、喜利平の不在の間にそれを全部捨てた上で、自己流のを紙で切って置いておいた。 用事から帰って破り捨てられた鼠と松鶴の切った猫を前にした喜利平は「これで腹を立てたらシャレの通じん奴やと思われるやろな」とぼやいた。 1964年頃、桂春団治との飲み屋で、それぞれの弟子を連れて飲んでいた時に、近くの席でヤクザが女に因縁をつけているのを見つけた松鶴は、春団治にアイコンタクトを取りつつ「三代目」と代数で呼びかけた。 状況を察した春団治も松鶴を「六代目」と呼び、弟子たちも師匠を「おやっさん」と呼ぶなどしてしばらく会話しているうちに、件のヤクザは席を立っていた。 弟子や若手の育成 [ ] 若手の芸人を非常に可愛がっていた。 師匠()を早くに亡くしたには、大ネタである「らくだ」の稽古を直に付け、小染の最初の独演会(1979年)のプログラムには「この調子でたゆまず精進してくれれば四代目染丸襲名も近いうち夢でない」と記して将来を嘱望していた。 その小染が1984年に若くして事故で急逝した際には、不祥事による謹慎中の身で通夜に参列した桂きん枝(現・)に声をかけ、その後「桂勝枝」の名前で復帰したものの芸能活動をほぼやめていたきん枝を伴って3代目桂小文枝の自宅を訪れ、「もう戻したれ」と持ちかけた(小文枝も「タイミングの問題」と考えており、1986年に「きん枝」に復名して本格的な芸能活動を再開した)。 弟子のがのプロデュースで「」をリリースして大ヒットしたが、それを聞いた松鶴は「ろくに落語もできんくせに流行歌手かい! 」「ストリップの歌うたいやがって」と激怒し、これを契機に鶴光は本格的に落語に取り組むことになった。 鶴瓶の弟子で松鶴の孫弟子にあたるは落語家志望だったため、鶴瓶に弟子にしてほしいと懇願した。 そこで鶴瓶は「ウチの嫁と、師匠の松鶴に気に入られれば入門を認める」と条件を出す。 鶴瓶の妻には認められ、その後松鶴と対面した際に「君は人を笑わせるのが好きか」と問われ、笑瓶は「好きです」と即答した。 松鶴は笑瓶に対し、「こいつ(鶴瓶)の生き様を見習え」と告げたという。 プライベート [ ] 私生活においては、酒と借金にまつわる数々のエピソードなど、豪遊で知られる。 これらは松鶴の弟子たちによって今でも面白おかしく語られ、「六代目」の生き方を偲ぶよすがとなっている。 実際は家ではほとんど酒を飲まず、外では芸人「松鶴」を演じていたのではないかと筆頭弟子の仁鶴ほかが証言している。 生涯3度結婚している。 最初の妻とは死別し、最後の妻は元であり、出会った当初は新地で店を開いていた。 当時は別の男性と結婚しており、店に夫が姿を見せると機嫌が悪くなり、今里駅前から自宅までの200メートル余りの間を大声を上げながら歩き帰り、家の中でも壁や柱に当り散らしていた。 結婚後は家族・弟子から「あーちゃん」と呼ばれて親しまれ、名物的なおかみさんだった。 一時期「笑福亭」という名の割烹料理屋を営んでいた事がある。 芸人が毎日出入りし食事代を踏み倒すのですぐに店を潰した。 ベルが鳴っている電話に出るのが苦手で、まず弟子か家人に受話器を取らせてから電話を代わった。 やむを得ず電話に出なければならないときは受話器を取るなり開口一番「だっだっだ、誰や!」と怒鳴っていた。 1971年からまでを務めたの支持者として知られ、黒田の選挙応援を度々行った。 東京とのつながり [ ] 東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。 特にととは同じ世代でもあり無二の親友であった。 松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、とは松鶴に心酔した。 後年、談志は松鶴について、外見は豪放だったが実に繊細で面倒見がよく、毎晩のように御馳走になったり、普段の高座は「」などの軽いネタしかやらず「大したことないな」と思っていた矢先、「」をたっぷりと演じたのを聴いて体が震えるほど感動したなどと証言している。 東京の噺家が角座に来演するときは、必ず松鶴自らはトリに出ず東京方に取らせた。 「わざわざ遠いとこから来てくれてんのやさかい、気持ちよう出てもらわなあかん」というというのが口癖で、その心遣いにみんな感激した。 弟子の鶴光は東京のにも加入した時、周りの芸人たちが「世話になったから」と手厚く扱ってくれた経験から、松鶴への感謝の念を著書に記している。 また、も短期間ではあるが、松鶴に世話になったことがある。 得意としたネタ [ ]• 月宮殿星の都• 桜ノ宮• 三十石• 先の仏• 平の陰• 狸茶屋• 明石名所• 大師めぐり• 吉野狐• 棟梁の遊び• 寄合酒• 有馬小便• 阿弥陀池• 馬の田楽• 普請褒め• 借家怪談• 犬の眼• 天神山 など 過去に出演したテレビ・ラジオ番組 [ ]• てれこ談義(朝日放送ラジオ)専属時代には多くのラジオ番組に出演。 その一つがてれこ談義で米朝と共に落語のネタを2人で芝居仕立てで演じるラジオドラマ。 (、鶴瓶主演)女性アイドル歌手等とトークを繰り広げる「松鶴のお部屋」のコーナーやオープニングで素人等と銭湯に入ったりした。 (毎日放送、解答者)2006年末の同局『』では以下のように語っている。 松鶴は2度の不正解で退場となってしまった。 その後、ある問題で他の5人の解答者が誰も答えられなかった。 この問題を松鶴が正解できれば復帰できる。 構成作家が小さな声で松鶴にそっと正解を教えてくれたのだが、松鶴は小声で話されるのが大嫌いで「何でっか? 大きな声で言うとくんなはれ! 」と言ってしまい周囲を慌てさせた。 (、解答者、鶴光とともに出演)• (、解答者、鶴瓶とともに出演)• (お正月特番鶴亀大喜利)• () 笑福亭松鶴一門 [ ] 弟子に関しては「来る者拒まず、去る者追わず」の精神で多くの弟子を受け入れたが廃業した者も多い。 詳細は「」を参照• (にも籍を持つ)• (前名は鶴三、2013年7月30日死去)• (1996年9月22日死去、死後に7代目松鶴を追贈)• (入門時期は鶴瓶と鶴志の間だが、一時破門され東京の漫才師「青空ポン児」となったため、序列は末尾である。 廃業期間が長く、上方で活動していないため協会の系図には記載されていない。 2013年12月14日名古屋大須演芸場にて夏川贋二郎として活動再開したが、2014年8月2日死去)• (2020年5月8日死去)• (5代目枝鶴の弟子。 1984年に枝鶴が最初の破門を受けた際、6代目松鶴預かりとなる)• (前名は猿笑)• 鶴三(6代目松鶴が枝鶴時代の1953年に入門、後に廃業)• 呂鶴(1961年に入門、後に廃業)• 5代目 1961年入門、のちに廃業、6代目松鶴の実子• 手遊(10月に入門、中学生で初高座、高校生で廃業。 鶴瓶のエピソードによく出てくる。 後の実業家・役員の)• 松橋(8月に入門、4月に同門の雛鶴と結婚。 松喬襲名時里鶴に改名後死去。 (龍谷大学卒業後、1972年に入門、後に廃業)• 一鶴(10月に入門、タレントとして活動したが廃業。 (3月に入門、3月に廃業、笑福亭の大名跡「しょちく」ではなく「まったけ」と読む。 遊鶴(1974年4月に入門、後に廃業)• 幸鶴(1月に入門、後に廃業、女性)• 雛鶴(幸鶴と一緒に入門、1979年4月に同門の松橋と結婚し廃業、女性)• 小遊(1973年4月に入門、後に廃業)• 千羽(1月に入門、後に廃業)• 朝一(元東京のの門下だったが、訛りがあった為松鶴の預かり弟子になるもに廃業)• 千鶴(ちかく、松葉前後に入門女性 廃業後女優タレントとして活動)• 福輔(1984年6月に入門、2010年に詐欺容疑で逮捕、これに伴い協会から離籍している) 通常では、惣領弟子の仁鶴を筆頭に呂鶴までが一門の幹部と認識されるが、仁鶴は八代目襲名問題以降一門と疎遠になっている。 鶴光・福笑は一門の会合には滅多に顔を出さなかったものの、六代目の法要等は福笑が仕切っている。 仁鶴と鶴笑は所属。 福笑はフリー。 後の殆どは松竹芸能所属である。 落語会 [ ] 帝塚山・「無学」(2013年11月撮影) 「帝塚山・無学」は粉浜にあった笑福亭松鶴の旧自邸を鶴瓶が買取をし改築した純和風ホールである。 「落語会」を開催し一般にも開いている。 今までのライブのゲストに、甥弟子に当たる、、桂米朝、ら豪華な顔ぶれを迎えている。 のから東へ約5分のところにある。 著書 [ ]• 〜松鶴極道ばなし〜ほな、いてこまそ(グリーンアロー出版社)1973年ーエッセイ。 六代目松鶴 極めつけおもしろ人生(神戸新聞出版センター 1986年4月)• 上方落語(講談社 1987年10月) - 三田純市の選考による、ネタ100篇の速記録。 六代目笑福亭松鶴 その芸・人・一門(1986年1月)• 古典 上方落語(講談社、1973年) 関連書籍 [ ]• 松鶴一家の様々なエピソードの他に、鶴瓶の奇行などが描かれている。 「」 -上方落語の重鎮が亡くなった通夜の晩の狂騒劇を描いた短編。 のちに、監督により映画化され、橋鶴役は、が演じた。 『ハナシがちがう! 主人公の師匠(タイトルロール)として、松鶴を忠実にモデルとした「笑酔亭梅寿」なるキャラクターが登場している。 時代や世代は二十年ほど後ろにずらし、CD時代にも矍鑠とした老落語家として描かれている。 脚注 [ ] 注釈 [ ].

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アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~|テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ|出演:笑福亭鶴瓶 生田斗真|テレビ東京

笑福亭 鶴瓶

笑福亭 松之助(しょうふくてい まつのすけ)はの。 当代は2代目。 初代笑福亭松之助 - のちの。 2代目笑福亭松之助 - 本項で詳述。 2代目 笑福亭 ( しょうふくてい ) 松之助 ( まつのすけ ) 1955年正月、「宝塚若手落語会」 前列左から2人目が松之助 本名 明石 ( あかし ) 徳三 ( とくぞう ) 生年月日 没年月日 2019-02-22 (93歳没) 出生地 ・ 死没地 ・兵庫県 師匠 弟子 出囃子 『』 活動期間 - 活動内容 家族 (長男) (次男) 所属 公式サイト 主な作品 『テレビアラカルト』 受賞歴 1999年 大阪市市民表彰文化功労 日本マスターズ水泳協会短水路大阪大会100m自由形1位 1994年 日本マスターズ水泳協会短水路大阪大会200m自由形1位 2010年 ベストスイマー賞 備考 上方落語協会会員(1957年 - 退会時期不詳) 目次• 概要 [ ] タレントのの師匠として一般的に知られている。 落語家としては関西を拠点にを演じ、寄席で演じられるの俳優兼としても長く活動していた。 所属は(1959年4月 - 1961年3月、1967年3月 - 、所属歴は後述)。 2000年代以降、逝去に至るまで、上方落語界における最年長の落語家であった (東西落語界通しての最年長は松之助よりも生まれが4か月早い)。 愛称は「松ちゃん(まっちゃん)」。 略歴 [ ] 生い立ち [ ] (のちの)で、父・徳松(とくまつ)と母・ちょうのあいだに、長男として生まれる。 父親は俗に「手伝い職(てったいしょく)」と呼ばれる建築作業の補助的な部分を担当する職人だった。 母親はだった。 生家はの西側、との交差点付近 で繁華街のが「目と鼻の先 」にあった。 徳三は母に連れられ、新開地でよく遊んだ。 近所のや、芝居小屋に親しんだ。 では・にあこがれた という。 1、2年生の頃、同級生の家に大量にあったのレコードを聞かせてもらったのが、落語の面白さを知ったきっかけだったという。 また、「向いの家のおばさん」に雑誌『』を借り、連載されていた落語速記を耽読した。 同誌に掲載されたの新作落語をクラスメイトの前で演じたという。 卒業後の1940年4月 、徳三は「養成工として 」へ入社。 戦争が激化しつつあったため、入社と同時にの扱い になり、またにあたる、三菱電機の幹部養成校であったの生徒 となる。 当初は潜水艦工場の設計課に配属され、写図工(トレーサー)として設計図の作成に従事していた が、すぐに工場に転じ、仕事をサボって倉庫で寝たり、長期の病欠を取って「ニュース館」と呼ばれる専門館のフィルムを自転車で運ぶアルバイトをやったりした。 ある時、徳三を「ニュース館」に誘った友人が次に「余興屋」(機材のレンタルを兼業したのような事業)のアルバイトを紹介した。 この頃徳三は奇術に凝っており、「余興屋」の社長が奇術師のを紹介しかけたが、空襲の激化のため弟子入りの話が立ち消えになった。 徳三は徴兵適齢期であり、健康であったにも関わらず、終戦にいたるまで「どういうわけか、がこなんだ(引用注=来なかった) 」。 一家はのにあった姉宅への疎開をへて、終戦をで迎えた。 芸界入り [ ] 終戦後徳三は、日雇いの土木作業に従事していたが、ある時「好きなことして生きてやろ 」と思い、「死んだときに新聞に名前が出る(略)ちょっとでも人に知ってもらえる 」として芸人になることを思い立った。 「漫才は(略)相方と喧嘩するやろし、噺家ならその心配はない 」として、落語家を目標に定めた。 徳三はこの頃、雑誌『』に掲載されていたによるの評論を読み、「大阪の噺家の中では、松鶴が一番落語に情熱がある」という一節を記憶していた。 また、徳三はかつて5代目の『』を聞き、賃搗き屋が火に当たりながらを歌う様子を演じるのを見て、「おっ師匠はんの前に、火がボーッと燃え上がったような」気がして、「客席でブルブルッと身震いするほど、ええなあと思うた」ことがあった。 こうして「入門するならここや」と決意を固め、当時松鶴が出演していたに飛び込み、支配人を通じて松鶴に面会を申し出た。 楽屋で寝ていた5代目は、徳三を見て起き上がるなり、「ご飯食べられへんで」とつぶやいた。 徳三は「それはもうわかってます」と答えた。 5代目は「そうか。 そんなら明日からおいで」と答えた。 のことだった。 これ以降、若手時代の事項の日付が精細なのは、当時の徳三が入門当初の稽古ネタや演じた場所・日付・報酬などを細かくA5判のにつけていたためである。 入門わずか12日後のに、徳三は初舞台を踏んだ。 の寮 で、本名のままで 『』を演じた。 徳三は師匠の家に住み込んだり通ったりすることなく、戎橋松竹の楽屋に通って弟子修行をおこなった。 師匠との稽古は楽屋の片隅で小声で行われた。 そのかたわら、兄弟子の笑福亭光鶴(のちの)とともに囃子場を手伝った。 のちに松之助は、この時期に一度だけ「笑福亭徳利」という名で出たことを回想している。 入門半年後、5代目から、「この名前やったら続くやろ」と、光鶴の前名だった「松之助」を与えられる。 の京都での高座をへて、11日のが寄席での正式デビューとなった。 同年7月に5代目が死去。 松之助は5代目の妻で下座囃子のとともに、の自宅2階に1年ほど寄寓する。 米團治からもネタを教わった。 松之助はの『若手演芸家の時間』で放送デビューし、米團治から教わった 『』を演じた。 3月から1月にかけ、のの発案で、において「宝塚若手落語会」が開催された。 松之助は宝塚で軽演劇の公演に参加しながら(後述)、ここで落語の腕を磨いた。 4月には、の結成に参加している (のちに退会)。 喜劇役者としての活躍 [ ] 小林一三は、上述の落語会に先立つに、「宝塚新芸道場」という様々なジャンルの芸能人を集めた、バラエティーショーのためのグループを旗揚げしていた。 翌年、拠点をに移し、「」という軽演劇の劇団に模様替えさせた。 10月、松之助は新芸座の一員だった漫才コンビ・の八郎に誘われ 、『懐かしの映画五十年』と題する公演にゲスト出演した。 松之助はやがて新芸座の正式な座員となり、喜劇役者の道を歩んでいく。 入団当初の松之助は「自分は噺家なのか、役者なのか、どうも気持ちの整理ができなんだ(引用注=できなかった)」といい、「『噺家やがな』という腹」で、セリフを覚えずに出て舞台袖のスタッフに忘れた部分を聞きに行くなど、強引な方法で笑いを取っていた。 そのような松之助を見た先輩座員のが、「そらあんたは落語家や。 そんなつもりでええ加減にやってんねやろけど、今は役者として給料貰うてんのと違うんかいな。 それやったら、そのお金が取れるだけの芝居やってんか」と厳しく叱責した。 また、小さな落語会にばかり参加していた松之助に対し、が「もうあんたは(引用者注:役者として)やてな大きな所へも出られるようになってんねんさかい、落語をやる時も場所を選びや」とアドバイスした。 これらの体験から、松之助は「区分は小さいこだわりなんや」「自分は『芸人』なんや」と意識を変え、「芝居をやれと言われれば役者を演じ、落語をやれと言われれば噺家を演じる」と決心した。 4月、新芸座の人気演目から中継番組となった『』()が開始され、松之助は番組のヒットとともに人気タレントとなった。 松之助は、『漫才学校』のヒット以降座長格になっていた・の退団を追うように新芸座を去り 、翌年4月 、門下の元芸人で興行師のの紹介で吉本興業と契約する。 吉本は3月に「」を開館させたばかりであり、独自の新たな軽演劇のプログラムのため、役者を求めていた。 松之助いわく、昭和中期の大阪の芸界は「実力さえあれば、なんぼでも替われる。 会社より芸人のほうが強かった」という環境であり、松之助はこれ以降の10年間、気の向くままにプロダクションを渡り歩いた。 吉本で松之助は「吉本ヴァラエティ」、のちの「」の座員となった。 当時の新喜劇には、オリジナル脚本と演出を担当していたのが、進行係のだけしかおらず、の誘いで松之助も「明石 光司」(あかし こうじ)のペンネームで脚本を書くことになった。 新喜劇では、一時退社した時期をはさんで「50本ほど書いた」という。 松之助のインタビューを収めたの著書『笑福亭松之助聞書 いつも青春ずっと青春』には、「明石光司」による、うめだ花月2月第3週の、、、、らが出演する公演『三寒四温』の台本が完全収録されている。 4月 、が『松竹爆笑コメディ劇場』旗揚げのため、松之助の引き抜きを図り、松之助は誘いに応じて松竹に移籍した。 このとき松之助は吉本との契約期間を勘違いし、契約を1ヶ月残して移籍したため、幹部のを激怒させている(再度吉本に復帰したときに八田から明かされ、松之助は冷や汗をかいた)。 松竹では率いる「」のための台本執筆と演出を、とともに担当し、自身も役者として出演した。 ワカサ・ひろし退団後は、松之助が座長となり、、との3組主演公演などを手がけた。 このかたわら、第2期の「」にゲスト参加した。 松竹には3年在籍し、4月、千土地興行の後身・に移籍した。 千土地では、で落語を演じるかたわら軽演劇の「松ちゃん劇団」を率い、で芝居を演じた。 また、司会の番組『』にレギュラー出演した。 この時期に、、、とともに「実験寄席」を主宰し、高座の左右に置いたスピーカーから効果音を出す、当時の洋画を落語にして演じるなどの演出を試み、若い観客を増やした。 吉本復帰以降 [ ] 3月 、「もう外で十分勉強したやろ」と八田竹男に呼び戻され 、吉本に復帰。 新喜劇の台本執筆をしばらく担当したほか、芸人たちと幕間のコントを演じた。 4代目染丸は、当時の出し物のうち、のパロディや、のをもじった「寺川右近ショー」などを記憶している。 やがて落語に専念するようになる。 6代目松鶴が立ち上げた「落語会・繁昌亭」の出番組みを引き継ぎ、後身の育成にたずさわるようになる。 1970年代以降、テレビのCMや番組の内容をこき下ろす漫談調の『テレビアラカルト』(別名『』『』)で落語家としての人気を得た。 俳優としては、映画やテレビドラマの出演多数(後述)。 6月から9ヶ月間、ニュース番組『』(系)のコメンテーターを担当していた。 1月、4代目林家染丸とともに若手の勉強会『落語はやらせ隊』の顧問となる。 松之助自身がではじめて落語を演じたのはだった。 、にて自身の芸能生活60周年を記念する落語会『五世松鶴 弟子生活六十年記念の会 自称天然記念物認定』開催。 80歳代に入っても40分を超える長ネタを演じ、映画監督をつとめ、ブログを開設して自ら積極的にメッセージを発信するなど、エネルギッシュに活動していた。 6月には、若手に交じって賞レース「」に挑戦した。 、より初の著書『草や木のように生きられたら』を出版した。 2019年2月22日午前3時過ぎ、のため、兵庫県の病院で死去。 93歳没。 芸風と評価 [ ] 五枚笹は、笑福亭一門のである。 いわゆる四天王(6代目笑福亭松鶴・3代目桂米朝・・)よりも遅れて入門したこと、大きな一門を形成していないこと、喜劇役者として活躍し落語界から離れた時期があること、で名が売れたこと、上方落語協会を離脱したことなどから、同年代の落語家よりも一段低い評価を受ける傾向がある [ ](本人はそれを逆手にとって師匠5代目松鶴のから取った「楽悟家」と自称している)。 は、松之助は大阪の落語家から総スカンをくらっているが芸力は6代目松鶴と同じだと語っていた [ ]。 で豊富な持ちネタを持つ。 上記の通り、松之助は若手時代に習得したネタについて、教わった時期や師匠を記録している。 5代目松鶴から - 『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』 4代目米團治から - 『』『』『』『』『』『』 から - 『』『』 1980年代ごろから、5代目が『』に速記録として残した『』『』などの、上方であまり演じられなかった演目の復刻に取り組んだ。 このほか、『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』など。 古典落語にさまざまな新演出を加えている。 『三十石』で、舟歌とともに自身の出囃子でもあるの『』を歌うなど。 弟子 [ ]• - 前名は「明石家つる松」。 さんまより先に「明石家」の亭号を名乗った。 - 2代目露乃五郎門下で「露の小治郎」を名乗ったのち、松之助門下に移り「明石家小禄」「五所の家小禄」を経て「右京小禄」。 - 元「笑福亭さんま」• - 実子(長男)。 前名は「笑福亭梅之助」• - 実子(次男)。 前名は「笑福亭亀之助」• 松之助は、多くの弟子に自身の本名にちなむ「明石家」の亭号を与えた。 さんまによれば、さんまが内弟子だった当時の松之助は弟子に実家の生業をもとにした、変わった芸名を付けており、さんまのほかにも、実家が理髪店の、実家が自転車屋の 、実家が下着店の などが過去に存在していたとされる。 人物・エピソード [ ] 趣味・嗜好・交友 [ ]• 水泳は趣味を越え、で優勝するほど没頭した。 明石徳三として全日本マスターズ水泳短水路大会に出場し、1994年度の大阪大会・65歳以上の部の100メートル自由形、200メートル自由形で優勝した。 また、1995年度の京都大会・70歳以上の部の200メートル自由形で個人優勝、「マックスポーツ」チームとして混合100メートルメドレーリレーで団体優勝した。 2010年により、第11回を受賞している。 三菱電機時代に覚えたの技術を、芸人になったのちも活かした。 前述の新喜劇の台本には、セットの寸法や材質を細かく指示した見取り図が記載されている。 また1990年代に、落語用のと膝隠しを設計して、に提供した。 生き物が大の苦手だという。 宝塚新芸座時代、巡業中に松之助が一人で部屋にいたところ、同行していたミヤコ蝶々がいたずらで猫を部屋に放り込み、外から戸を閉めた。 松之助は『』のように大騒ぎしたという。 吉本新喜劇のと親交が深い。 落語界 [ ] 6代目笑福亭松鶴との関係 [ ]• 松之助は6代目笑福亭松鶴の前座名を継いだまま、ずっと改名・襲名をおこなっていない。 6代目の一存では改名させられなかった事情(6代目は5代目の死後、松之助を預り弟子とはしていない)のためとみられる。 松之助は、5代目松鶴の弟子だった頃から長く6代目と寝食を共にし、幼少の頃から抱いていた兄の存在への憧れもあって、6代目を、芸能の世界における兄弟子への呼称である「兄さん」ではなく「兄貴」「兄ちゃん」と呼び、心から慕っている。 松之助が6代目と同じ事務所(松竹芸能)に所属した期間は前述の通り短かったが、1962年のでの襲名披露興行にちょうどめぐり合った。 所属事務所が異なれば同じ一門であっても襲名披露の口上に参加できない慣習だったため、松之助は参加がかなった当時を「これも運やね」としている。 6代目は、松鶴襲名に際して松之助に「松、俺と一緒(の柄)や。 着てくれ」と言って、揃えで仕立てた縦縞柄のを譲っている。 6代目のために新作落語を数本書き下ろしている。 6代目が死去した際、松之助は通夜・葬式に一切出なかった。 このことを6代目の弟子で松之助の甥弟子に当たるは当時の松之助に対して、「何で来はれへんねん? 」と思っていたが、のちに鶴瓶の直上の兄弟子の(のちに7代目松鶴を追贈)が死去したときにあまりの悲しさに葬儀に出たくない感情がこみ上げ、そのときに松之助の気持ちがわかったと語った。 明石家さんまとの関係 [ ] 「」も参照• 、さんまが弟子入りを希望してきた際、松之助が「なぜ僕を選んだのか」と問うたところ、『テレビアラカルト』を聞いて感銘を受けたさんまは「あんたはセンスがあるから 」と答えた(さんまは、弟子入りする師匠を探すために一日中落語を見た中で、松之助が一番と判断した)。 さんまに悪意がなかったとはいえ不遜な返答だったが、それに対して松之助は「それはどうも、褒めていただいてありがとう 」と答え、決して怒ることはしなかった。 松之助は弟子を付き人として連れ回すより、自宅で勉強させたほうがいいという主義だったが、「兄ちゃん(=さんま)は、昼まで寝ている」、つまり松之助を見送ったさんまが二度寝をしている、という息子からの告げ口を聞き知った。 これ以降、松之助が忘れ物をした際などは、自宅に入る前にわざと大きな音をたて、一声かけた後、さんまが起きて松之助を迎えるのをしばらく待っていた。 「何で師匠が弟子に気を使わんといかんのや」と苦笑しながら回想している。 これは甘やかしていたのではなく、普段のさんまが掃除や炊事など、住み込み弟子としての仕事を果たしていたので、大目に見たものだという。 さんまは、米を研ぐのを得意としており、テレビなどで披露するたび、弟子時代に鍛えたと自慢している。 さんまは松之助といるときには、師匠と弟子という間柄を厳しく守り、座ることなく必ず立っている。 これはスタッフや関係者に対し松之助の存在の大きさを知らしめる結果となっているという。 また、遅刻魔としてのエピソードの多いさんまは、松之助と共演する際は早めに現場入りし、松之助の楽屋の前で長時間直立不動の姿勢で立つという。 食事の際には素早く食べ終わり、師匠を待つという。 松之助は、さんまの今日までの活躍について好意的である。 修業時代にナンパしながら女の子を笑わせていたことについて、他の師匠であれば眉をひそめるところを「芸人としてむしろ勉強している」と褒めた。 さんまが売れ出した頃、高座で必ず開口一番「売れているさんまの師匠の笑福亭松之助です」と言っていた。 現在も、さんまの出演するテレビ番組をよく見ており、そのたびに「彼は常に全力投球で、絶対に手を抜いていない」と、感心している。 ある時松之助は、襟に大きく「さんまの師匠」と書いた羽織を仕立て、高座で着用した。 松之助がかぶり物をしてテレビに出ていたことを、「いい歳をして」と、さんまに止めるように忠告する人がいたが、さんまは「それができる人だから、師匠に選んだ」という旨の返事をした。 松之助夫人が足の怪我で入院した際、さんまはすぐに東京からの病院まで見舞いに駆け付けた。 松之助は数年に1度の割合で、さんまの冠番組『』にゲスト出演している。 松之助とさんまは電話よりも手紙でやり取りすることが多いという。 さんまは、週刊誌 [ ]の「私の宝物」という取材で松之助からの手紙の束を紹介した。 ただし、松之助が2006年に入院した際は、松之助はさんまに一切連絡せず内緒で通した。 孫が誕生したときも一切連絡をしなかった。 理由として「君が『それがどないしたん? 』って思うと思った」と語り、さんまは苦笑して「口が裂けても言えません! 」と語った。 2008年に行われた松之助の芸能生活60周年を記念した吉本主催の舞台「よしもとの天然記念物保護の会」(2008年、)に際し、さんまは「何か手伝わせてください」と松之助に協力を願い出た。 松之助は「君が来たら僕が目立たなくなるがな! 」とかたくなに拒否した。 それでも食い下がるさんまに「えぇ? 、来るの……? 」と呟き、さんまを苦笑させた。 舞台本番では、さんまは弟子時代同様に松之助の落語を長時間直立不動の姿勢で聞き、終了後におしぼりを手渡している。 舞台で「弟子はもういりまへん。 さんまの看板が大きいので十分」と自慢の弟子を誇らしげに語り、さんまは「僕が53歳(引用注:当時の年齢)になって、とっくに師匠は死んでると思っていたが……。 一緒に舞台共演するなんて思わなかった」と語った。 『』スペシャルに出演した松之助は、次のようなさんまにちなむ回答をした。 「さんまにジャンケンで負けて、弟子になった」(2006年)• 「夢で良いから 見てみたい 弟子のさんまにお年玉」(2009年)• 「弟子のさんまが、さあ来るぞ! 今年もお年玉をもらおう」(2010年) 家族 [ ]• 松之助自身の語るところによると、松之助は2度結婚歴がある。 最初の妻はの団員で、松之助が宝塚新芸座にいた4月 に結婚し、2児をもうけたという。 離婚時、慰謝料として家を含む全ての家財道具を前妻側に譲り、2人の子供が20歳になるまで養育費を払い続けたという。 のんき、パーポの生母である2番目の妻はの座員・逗子みさを。 大阪劇場の本公演に出るかたわら、角座の「とんぼり座」にも出演していた。 松之助と逗子は1967年12月に結婚した。 その他 [ ]• 松之助は吉本復帰後の一時、「毎日酔うてた」というほど酒浸りになり、芸が荒れた時期があった。 酔ったまま客前に現れ、「隣の家に囲いができたな。 もうええやろ。 こんな酔っ払いの落語聞いてても面白うないで。 おあとと交替いたします」と言うなり、3分で高座を降りた松之助の姿を見た八田竹男は、楽屋の黒板に書かれた香盤表の、トリ前の松之助の表記を消し、前座より前に書き換えた。 そんな中、突如「もっとすっきりした頭で、ちゃんと世間を見たろ」と思い、翌日から酒と煙草を断った。 松之助自身の記録によるとのことだったという。 68歳の時、三菱電機の徴用工だった当時の5年分をとして受給できることが判明し、突然80万円ほどが転がり込んだ。 「厚生年金をもろてる芸人は僕だけとちがうか」と語っている。 CD・DVD [ ]• 主催の「」などの音源からCD18席、『』(NHK)などの録画からDVD27席を収録。 プロデュースはが担当。 「よしもとの天然記念物保護の会」での明石家さんまとの対談なども収録。 著書 [ ]• 草や木のように生きられたら(2016年3月31日、) 出演 [ ] 映画 [ ]• 昔話ホルモン物語(1952年、)• 漫才長屋は大騒ぎ(1956年、東映)• 漫才長屋に春が来た(1956年、東映)• 橋蔵の若様やくざ(1961年、東映)• 一心太助 江戸っ子祭り(1967年、東映京都)• (1989年、ムービーギャング)• (1991年、ムービーギャング)• BOXER JOE(1995年、シネセゾン)• (1996年、)• (1996年、シネカノン)• 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(1997年、シネマ・ドゥ・シネマ)• ヒロイン! なにわボンバーズ(1998年、)• (1999年、)• (2000年、)• 岸和田少年愚連隊 野球団〈岸和田少年野球団〉(2000年、セディックインターナショナル)• REFLECTION 呪縛の絆(2002年、h. ピーピー兄弟(2002年、シネカノン)• ぼくんち(2003年、アスミック・エース)• 蛇イチゴ(2003年、ザナドゥー)• 六ノ珠 「エドちゃん」(2003年、衛星劇場)• (2003年、ザナドゥー)• (2004年、シネカノン)• (2004年、パル企画)• (2004年、)• (2007年、キュービカル・エンタテインメント)• (2007年) - 監督を兼務• (2007年、松竹)• (2008年、東映)• (2009年、)• (2010年、松竹) テレビバラエティ、コメディ舞台中継 [ ]• (関西テレビ 1958年)• (朝日放送 1961年)• (朝日放送 1962年-1968年) - 準レギュラー• (朝日放送 1964年-1966年)• (関西テレビ 1965年-1967年) テレビドラマ [ ]• 第3話「赤面ゑびす」(2000年7月20日、WOWOW) - 常念 役• (2001年、NHK)• (2001年、NHK)• (2001年、ABC)• (2001年、ABC)• (2001年、)• (2001年、)• (2002年、NHK)• 神の手を持つ絵師 (2002年・NHKBS2)-• (NHK)• (2001年)• (2003年)• (2005年)• (2008年)• 新しい朝が来た 8月15日のラジオ体操(2003年、NHK)• (2003年、毎日放送)• (2003年、)• (2004年、)• ・(2004年、日テレ) - 東野昇一 役• (2007年、NHK)• 病院のチカラ 星空ホスピタル(2007年、NHK)• (2008年) - 島田老人• (2009年、NHK)• (2010年、)• 石坂線物語 華の火(2012年、) ほか多数 笑福亭松之助を演じた俳優 [ ]• (舞台、「これで誕生! 吉本新喜劇」、)• (テレビ、第5弾、さんまが泣いた日、) 関連項目 [ ]• - 6代目松鶴の一門について。 2代目松鶴以来の系図。 脚注 [ ] []• 前列左より、 松之助、橘家円二郎、、、、。 後列左より見浪よし(夫人)、、、、桂麦團治、奥野しげる(宝塚若手落語会世話人)。 (桂米朝『桂米朝 私の履歴書』日経ビジネス人文庫、2007年、p. 93)• でございます• 207-208 略年譜• 2-5• 『いつも青春ずっと青春』p. (2015年没)は同い年だが、松之助より3か月生まれが遅かった。 79-81• 16-20• 『いつも青春ずっと青春』p. 11 生家の位置を示す手書きの地図• 21-27 このうちp. 23に松之助作のによる見台・膝隠しの。 29-31• 34-36• 37-40• 『いつも青春ずっと青春』p. 66-73• 『いつも青春ずっと青春』p. 『いつも青春ずっと青春』p. 104• 『いつも青春ずっと青春』p. 156• 107-109• 110-149• 『いつも青春ずっと青春』p. 151• 152-153• 156• 『いつも青春ずっと青春』p. 172• 165-168• 『いつも青春ずっと青春』p. 173• 、2016年6月9日• 、2016年6月18日• S-1バトル大会事務局• 朝日新聞デジタル 2019年2月23日. 2019年12月20日閲覧。 毎日新聞WEB. 毎日新聞社. 2019年2月22日. 2019年2月22日閲覧。 2019年2月22日. 2019年2月22日閲覧。 - デイリースポーツ online 2019年2月22日• 『いつも青春ずっと青春』pp. 49-54• 178-181• さんまは三番弟子であるが、兄弟子2人は他の一門から移門してきた者であり、かつ今はので、松之助一門においては総領弟子に当たる。 162-164• 『いつも青春ずっと青春』pp. 200-201• 『いつも青春ずっと青春』pp. 86-87• 187-189• 『いつも青春ずっと青春』pp. 189-196• オリコンスタイル. 2008年11月16日. 2008年11月16日閲覧。 『いつも青春ずっと青春』p. お笑いナタリー. 2016年3月31日. 2016年4月1日閲覧。 外部リンク [ ]• - (2008年2月7日アーカイブ分)(2014年3月31日まで)• - (2019年11月1日アーカイブ分)(2014年4月1日以降)•

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アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~|テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ|出演:笑福亭鶴瓶 生田斗真|テレビ東京

笑福亭 鶴瓶

後妻となり、大磯の別荘で共に生活をしながら茂の世話に勤しみ、日本のトップへと上り詰めた茂を、持ち前の頭の良さと気配りで静かに支え続けたこりん。 その奥ゆかしくも凛とした佇まいを見事演じ切っています。 さらに、 劇中では吉田茂役の笑福亭鶴瓶と、陽気に仲睦まじくお座敷遊び「お開きさん」をするシーンも!美しさと儚さを兼ね備えた、松嶋版こりんにぜひご注目下さい。 日本はいかに敗戦から立ち直り、再び独立国として歩むことが出来たのか?令和時代を生きるすべての人に贈る、熱き人間ドラマ放送まであと3週間!豪華キャストでお送りする壮大な物語をどうぞお楽しみに! キャストコメント こりん 坂本喜代 役 松嶋菜々子 元新橋の芸者『こりん』。 吉田茂の後妻となり、身近で吉田を支えた。 吉田の生前も死後も、報道陣には門前払いを貫き、何も語らず亡くなった。 メイクや衣装でもその「粋」を意識しました」 「見どころは、なんと言っても吉田茂を鶴瓶さんが演じられるところです」 <コメント> Q.実在するこりんを演じてみていかがでしたか。 また松嶋さんが考えるこりんの人物像とは?役作りや心がけたことなどあればお聞かせ下さい。 芸者さんでいらした方なので意識したのは「粋」。 その定義は難しいものでしたが、表に出ることなく吉田茂に寄り添い影で支え続け、吉田茂の娘・和子とも良好な関係を築いていることから、賢い居心地の良い素敵な女性だったのではないかと思い、メイクや衣装でもその「粋」を意識しました。 Q.テレビ東京開局55 周年ということで豪華な顔ぶれとなった本作ですが、鶴瓶さんはじめ共演されての印象は? 鶴瓶さんとは、この作品で2度目の共演になります。 とてもユーモアがあり温かくスマートな人柄は、吉田茂の魅力を表現するのにピッタリ。 現場でお会いした時は、似ているその風貌も含めて驚き、この企画でキャスティングされた方のセンスが凄いと感心しました。 新木優子さん、生田斗真さんとは初めてお会いしましたが、それぞれに吉田茂の娘・和子と白洲次郎を品良く魅力的に演じていらしたと思います。 Q.鶴瓶さんとの撮影中のエピソードはありますか? 現場では、いつも笑わせていただき楽しく撮影をする事が出来ました。 二人で御座敷遊びをするシーンで思わず関西弁が出てしまった鶴瓶さんが、とてもチャーミングでした。 Q.最後にドラマの見どころなど視聴者のみなさまへメッセージをお願いします。 このドラマの見どころは、なんと言っても吉田茂を鶴瓶さんが演じられるところです。 どうぞご期待ください。 撮影現場で二人の長年積み上げた信頼関係を見て、深まっていく役の奥深さを知って、改めて感動してしまいました。 このドラマには、たくさんの志に燃えた男たちが出てきますが、熱い志は、ときとして激しくぶつかります。 その筆頭となる吉田は、アメリカや日本国内で、始終闘っています。 その中で、こりんとのひと時が、きっと吉田がふっと息を抜く瞬間だったのだ、と鶴瓶さんと松嶋さんの二人の空気感が思わせてくれました。 今の時代を作ってくれた先人たちに敬意を払いつつ、ドラマ「アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜」は様々な人間ドラマが詰まったエンタメ作品となっています。 どの世代にも見てほしい、知ってほしいドラマです。 放送まであと少しありますが、24日、是非ご覧ください! 番組概要 あらすじ 第二次世界大戦前、駐英大使の吉田茂(笑福亭鶴瓶)は、極東情勢の悪化に心痛めていた。 時を同じくして、世界各国を飛び回っていた白洲次郎(生田斗真)も、世界情勢の機微を敏感に感じとっていた。 白洲と親交の深い吉田は、娘・和子(新木優子)らが見守る中、戦争回避に向けて動くが、その甲斐も虚しく、日本は第二次世界大戦に踏み切った。 1945年、終戦。 総司令部GHQと向き合う外務大臣のなり手が誰も見つからない中、先の大戦に猛反対し投獄された過去を持つ吉田に、白羽の矢が立つ。 かくして吉田は、外務大臣として、のちに総理大臣として、日本の独立と復興を担うことになる……。 吉田は白洲を参謀に据え、最高司令官マッカーサーらと必死の交渉をする。 過度な内政干渉など、幾度も緊迫した事態に陥るが、和子や麻生太賀吉(矢本悠馬)、のちに総理大臣となる「吉田学校」の池田勇人(佐々木蔵之介)、佐藤栄作(安田顕)、田中角栄(前野朋哉)、宮澤喜一(勝地涼)らの助け、内縁の妻こりん(松嶋菜々子)の献身的な支えを受け、日本の独立に向け尽力していく。 番組情報 番組名 テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ 「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」 放送日時 2020年2月24日(月・休) 夜9時~11時24分放送 放送局 テレビ東京系列(TX、TVO、TVA、TSC、TVh、TVQ 出演者 笑福亭鶴瓶 生田斗真 新木優子 矢本悠馬 前野朋哉 / 安田顕(特別出演) / 勝地涼 佐々木蔵之介 松嶋菜々子 原案 麻生和子『父 吉田茂』(新潮文庫刊) 監督 若松節朗 脚本 竹内健造 森下直 守口悠介 音楽 住友紀人 チーフプロデューサー 中川順平(テレビ東京) プロデューサー 倉地雄大(テレビ東京) 椋樹弘尚(角川大映スタジオ) 佐藤雅彦(角川大映スタジオ) 製作著作 テレビ東京 制作協力 角川大映スタジオ 歴代総理大臣など「吉田学校」を はじめ吉田茂を取り巻く 重要な 5人の男たちに 超豪華俳優陣が集結! 池田勇人役 佐々木蔵之介 佐藤栄作役 安田顕 宮澤喜一役 勝地涼 麻生太賀吉役 矢本悠馬 田中角栄役 前野朋哉 戦後75年という節目を迎える来年8月を前に、 2020年2月24日(月・休) 夜9時~11時24分、テレビ東京では開局55周年を記念した大型特別番組として、 開局55周年特別企画 スペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」を放送致します。 吉田茂のもとで経済政策を推し進めていた池田勇人は、1960年に総理大臣になると「所得倍増計画」を打ち出し、戦後日本の高度経済成長の基盤を作りました。 テレビ・映画と活躍する佐々木ですが、本作の撮影前に、池田の生家のある広島県竹原市まで足を運こび、入念な役作りをし、本作に挑みました。 もう一人の『吉田学校』の代表格の佐藤栄作は、個性派俳優の 安田顕が演じます。 本作にも出演する生田斗真も出演した「俺の話は長い」や連続テレビ小説「なつぞら」、2月より放送の「アリバイ崩し承ります」など話題作に次々と出演する安田が、熱い闘志を抱えた佐藤を熱演します。 「コンピュータ付きブルドーザー」という異名を持ち、その人心掌握術が今なお注目される言わずと知れた敏腕政治家・田中角栄を 前野朋哉が演じます。 総理大臣としては、「日本列島改造論」に基づいて、全国の交通網を整理しながら、ロッキード事件で逮捕された後も、政界に強い影響力を持ちました。 また、英語力に定評があり、池田勇人から厚い信頼を受けていた宮澤喜一を 勝地涼が演じます。 宮澤喜一は、55年体制最後の総理大臣です。 さらに吉田茂の娘・和子の夫で、のちに吉田茂の勧めで政治家となり、副総理の麻生太郎の父・麻生太賀吉を 矢本悠馬が演じます。 日本は敗戦から立ち直り、再び独立国として歩むその裏で、また5人の男たちは、吉田茂や白洲次郎らと共に、どう立ち向かい、どんな行動を起こしたのか? いま話題の演技派俳優陣が集結した本作。 令和時代を生きるすべての人に贈る、熱き人間ドラマにどうぞご期待ください! キャストコメント 池田勇人 役 :佐々木蔵之介 1899年~1965年。 大蔵省の官僚で、数字に強いことで有名。 豪放磊落。 素直で明るい性格で大酒飲み。 吉田に大蔵大臣として抜擢される。 「吉田茂を鶴瓶さんが演じるとお聞きし、きっと魅力的な作品になると確信しました」 <コメント> 吉田茂を鶴瓶さんが演じるとお聞きし、きっと魅力的な作品になると確信しました。 バラエティー番組で幾度もお世話になっておりますが、ドラマでご一緒するのは初めて。 とても新鮮で楽しい現場となりましたし、鶴瓶さんが役と真摯に向き合う姿にとても感動しました。 現場で撮影された鶴瓶さんのスチールは、本物の吉田茂かと見紛うほど。 それ程に相当に役に入ってられたのだと思います。 秘書の宮澤喜一役の勝地さんとは初共演。 撮影初日は大磯の海岸で、ザバザバと海に入るシーンでした。 撮影後、共にシャワーを浴びたおかげで初日から一気に距離が縮まりました。 本作では、戦中戦後の日本で舵取りを担った池田勇人が、議員になる前の、大蔵省に勤めるいち官僚からの登場になります。 後に総理大臣となることは、視聴者の皆様も周知のことですので、そこからの逆算で、劇中当時の池田勇人の役をつくる面白さがありました。 数字に強く、情に厚く、親分肌。 豪放磊落。 そして酒豪。 懐が深く、とてもユーモアのある人物です。 劇中には「命を懸けて」という台詞が何度か出てきます。 まさに身命を賭して、日本の独立と平和を願い、為すべきことを果たした男たちのドラマです。 是非お楽しみください。 佐藤栄作 役 :安田顕 1901年~1975年。 鉄道省官僚。 沈着冷静。 岸信介を実兄に持ち、 吉田とは遠縁にあたる。 池田は高校時代からのライバル。 「この作品は鶴瓶さんが吉田茂さんをしないと成り立たない」 <コメント> お話を頂いて嬉しかったです。 中でも主演の笑福亭鶴瓶さんとご一緒できるというのは嬉しく、是非という感じでした。 (撮影中は)我々が思っている通り、周りに対して気遣いをされる方だなという印象です。 スチールの方が撮られた鶴瓶さんの写真を見せて頂いたんですけども、吉田茂さんそのもので。 やっぱりこの作品は鶴瓶さんが吉田茂さんをしないと成り立たないものだと思いました。 今回そんなに役作りはしていないんですけど、残っている映像を拝見したりしながら勉強させて頂きました。 僕が子供の頃の(歴史の)授業は、あまり戦後に時間が割かれなかったので、第二次世界大戦、終戦後にこういったことがあったんだと、脚本を読ませて頂きながら、自分自身勉強になるところが結構ありました。 講和条約というものがいかに結ばれたのか、それによって日本がもう一度独立することができた過程を、ドラマとして楽しんで頂ければと思います。 宮澤喜一 役 :勝地涼 1919年~2007年. 大蔵官僚。 池田勇人の秘書官を務める。 後に政治家に転身。 総理大臣として政治改革に挑む。 「夜の飲みの場での姿とは全く別の、真面目な鶴瓶さんを間近で見ることが出来ました(笑)」 <コメント> まさか自分が政治家の役をやる事になるとは…と少し不思議な気持ちでしたが、そういう年齢になったのかと実感しました。 歴史を動かした男たちがいて、今の日本があると思うので、自分に与えられた役を全うしたいと思いました。 実在の人物を演じるというプレッシャーはもちろんありましたが、台本を読んで、佐々木蔵之介さん演じる池田勇人大臣との関係性が素敵だと思いましたので、そこは大切に演じたいと。 秘書官として大臣を尊敬しているからこそ、陰で支えながらも、尻をたたいたりできる2人の関係性をうまく表現できればと心がけました。 宮澤喜一は生真面目で無口だけれど、熱い想いを持っている人物。 そういう秘めた想いがあるからこそ、歴史を変える力を持った男たちの一人だったのだと思います。 豪華な出演者の方々に囲まれての撮影は、とても刺激的でした。 (鶴瓶とは)ドラマでの共演は今回が初めてでしたが、夜の飲みの場での姿とは全く別の、真面目な鶴瓶さんを間近で見ることが出来ました(笑)。 風貌も「吉田茂」そのものでしたし、にこやかな笑顔の裏に、鋭い意見を持つ部分なども、役に通じるところがあるように感じました。 あと以前から、佐々木蔵之介さんとはご一緒したいと思っていましたので、今回、共演することができて嬉しかったです。 撮影をしていく中で、大臣と秘書官という2人のキャラクターがどんどん膨らむ現場でしたので、とても良い経験ができました。 今の時代だからこそ、見てもらいたい作品、見るべき作品だと思います。 多くの人に知ってもらいたい歴史が描かれています。 その歴史が今の日本に繋がっていることを改めて考えさせられました。 ぜひご家族そろってご覧下さい。 田中角栄 役 :前野朋哉 1918年~1993年。 国会議員。 農家の出身で、最終学歴は今でいう中卒。 民主党に所属していたが、党内の方針に逆らい離党。 吉田に目をつけられ、のち法務政務次官に抜擢される。 「佐々木蔵之介さん、安田顕さんと肩を並べて激論するシーンは役者としてスリリングで刺激的でした」 <コメント> 田中角栄さん役と聞き「えっ?僕がですか?」と最初は耳を疑いましたが、挑戦させて頂く気持ちで受けさせてもらいました。 角栄さんは皆さんの記憶にも新しく、なかなか演じられる機会は無いと思います。 熱意と愛嬌を持ち、さらに頭の回転が鋭く、今の時代にはいない政治家だなぁ、と大変興味深く人となりを調べました。 計算が立つことが目立つ一方、根本はとても正直な方。 また戦地から病気で帰還され、悲惨な状況を繰り返してはいけないと、政治で戦争をしない日本を作ろうとする角栄さんの姿勢が印象的に感じ、芝居するにあたり、その熱意や人間味を大切にやろうと心掛けました。 あと角栄さんの濁声が好きです。 僕は声が高いのですが、監督とも話し合いちょっとだけ低い声で演じました。 現場に来て「あ、そっか!」と思ったのですが、鶴瓶さんの標準語は新鮮だと思います。 標準語やセリフ量など鶴瓶さんはかなり大変だったと思うのですが、ユーモアを絶やさない方で、吉田学校がまさにそうであったように、鶴瓶学校に通っているような不思議な気持ちにもなりました。 僕のアップの際、わざわざ立ち会って下さったことも感動しました。 座長・鶴瓶さんが本当に楽しく素敵なチームを作って下さり、その一員になれたことが嬉しいです。 また佐々木蔵之介さん、安田顕さんと肩を並べて激論するシーンは役者としてスリリングで刺激的でした。 戦後日本をどうするか?当時の政治家たちがいろんな想いで議論し、動き、決意します!今後の日本をどうするか?このドラマを通して、現代の僕ら一人一人が考えるきっかけになれば嬉しいです。 麻生太賀吉 役 :矢本悠馬 1911~1980年。 麻生和子の夫。 実業家だったが、吉田に請われる形で総選挙に立候補し、政治家になる。 「(出演が決まって)これをきっかけに学生服とおさらばできる!なんて思いました 笑 」 <コメント> (出演が決まった時は)こういう社会派なドラマに兼ねてから出てみたかったので素直にワクワクしましたね。 それに若松監督の作品は、役者を始めるずっと前から見ていたので、やった!と興奮しました!そして何と言っても、これをきっかけに学生服とおさらばできる!なんて思いました 笑。 今回は、台本の中に存在する麻生太賀吉さんを大事に、まじめで誠実で優しくて優しくて優しくて優しい人柄に柔らかなイメージと笑顔!!を忘れないように心がけました。 他の演者さんとも話したんですけど、やっぱり歴史に名を残した方を演じるというのは、奇妙にもテンションが上がると言いますか、気持ちいいものでしたね。 鶴瓶さんとは初対面で初共演だったんで「初めまして!」と挨拶したら、「初めてちゃうやろ!」って言われたんです。 詳しく聞くと師匠の番組で何回か僕の宣材写真だったり話があったから、会うてるもんやと思ってたみたいです 笑。 とても笑顔の絶えない素敵な方でした!というか吉田茂さん、そっくりですよ!!あと新木優子さんをお嫁さんにできただけで大満足です 笑。 自慢します。 蔵之介さんや安田さんたちと政治を討論するシーンはなんか痺れました。 先輩かっこいい!勉強になります!!って…いい体験をさせて頂きました。 今の若い子は特に…自分も含めてですけど…平和な日本が当たり前で、生まれる前もこれから先もずっと続いてるみたいな感覚がどこかあって。 でも今の日本があるのは、死ぬ気で日本の未来を考え戦ってくれた人たちがいたからなんですよね。 当たり前だと思っちゃいけない。 適当に生きてちゃダメですね。 歴史を知らないと。 母国に興味を持たないと。 僕はこの作品を通してそう感じました。 スタッフコメント 倉地雄大 (テレビ東京 プロデューサー) このコメントを書く前日に、ドラマ本編の編集を行いました。 皆さん、「戦後の話でしょう」「政治モノでしょう」と題材から敬遠されるかもしれませんが、全然そんなことありません!昭和63年生の僕は宮澤喜一さんですら、リアルタイムでは覚えていません。 今回出演発表する5人の熱き男たちは、吉田茂の元に集った癖者たちです。 決して馴れ合わず、大きな野心を抱え、それぞれの考える方法で日本を良くしようと必死になって闘って、後にそれを実現した人たちです。 テレ東初出演の佐々木蔵之介さんは、険しさ・変わり者の中にどこか愛くるしさを併せ持つ池田勇人を作ってくださり、佐藤栄作演じる安田顕さんは圧倒的な芝居力で、吉田学校の代表格を見事に演じてくれています。 前野朋哉さん演じる田中角栄の物怖じしない真っすぐな姿勢も、矢本悠馬さん演じる多賀吉の包むような優しさも、勝地涼さん演じる宮澤喜一の池田との距離感や聡明さも、本当にどこを切り取っても素晴らしいです! 2020年が始まり、想像以上に激動のスタートとなったと感じています。 皆さんの期待に応えられるようなドラマになっていると思います!是非ご覧ください! 吉田親子を支え続けた 元芸者・こりんは 一体誰が演じるのか? 詳細は 近日発表! 番組概要 あらすじ 第二次世界大戦前、駐英大使の吉田茂(笑福亭鶴瓶)は、極東情勢の悪化に心痛めていた。 時を同じくして、世界各国を飛び回っていた白洲次郎(生田斗真)も、世界情勢の機微を敏感に感じとっていた。 白洲と親交の深い吉田は、娘・和子(新木優子)らが見守る中、戦争回避に向けて動くが、その甲斐も虚しく、日本は第二次世界大戦に踏み切った。 1945年、終戦。 総司令部GHQと向き合う外務大臣のなり手が誰も見つからない中、先の大戦に猛反対し投獄された過去を持つ吉田に、白羽の矢が立つ。 かくして吉田は、外務大臣として、のちに総理大臣として、日本の独立と復興を担うことになる……。 吉田は白洲を参謀に据え、最高司令官マッカーサーらと必死の交渉をする。 過度な内政干渉など、幾度も緊迫した事態に陥るが、和子や麻生多賀吉(矢本悠馬)、のちに総理大臣となる「吉田学校」の池田勇人(佐々木蔵之介)、佐藤栄作(安田顕)、田中角栄(前野朋哉)、宮澤喜一(勝地涼)らの助けを受け、日本の独立に向け尽力していく。 09 新キャストを発表! 吉田茂の娘・麻生和子役は 新木優子 に決定! このたび、吉田茂の娘・麻生和子役に、人気ファッション誌『non-no』で専属モデルを務めるとともに、ディズニー/ピクサーの人気シリーズ最新作『トイ・ストーリー4』(2019)では吹き替えにも初挑戦し、今クールではドラマ『モトカレマニア』(フジテレビ/2019)で初主演を果たすなど、多方面で活躍中!さらに、インスタのフォロワー数は335万人を超える注目度の高い若手女優・ 新木優子が決定いたしました。 戦前から戦後まで、政治家・吉田茂を一番近い場所から、一番長く寄り添った娘が感じたこととは…?日本はいかに敗戦から立ち直り、独立国家として世界的に確固たる地位を築いたのか?そのトップに立つ吉田茂を和子はどのように支え、父をどう見つめていたのか? 今最も勢いのある旬な若手女優・新木優子が、父・吉田茂を厳しくも温かく見守る愛に溢れた娘・和子を熱演します! 令和時代を生きるすべての人に贈る、熱き人間ドラマにどうぞご期待ください! キャストコメント 麻生和子 役 :新木優子 1915年~1996年。 吉田茂の娘。 元総理・麻生太郎の母親。 自由奔放な父の反動でしっかり者に成長するも、男勝りな気質は父譲り。 <コメント> Q.ご出演が決まった時のお気持ち、作品の印象をお聞かせ願います。 大変な時代に逞しく生きた女性は、いつか挑戦してみたかった役なのですごく嬉しかったです! この作品では男性のたくましさや覚悟が描かれている印象です。 Q.歴史上に実在した麻生和子を演じてみていかがでしたか。 役作りや心がけていらっしゃることは? 麻生和子さんは作品の中に出てくる男性に負けないくらい強くたくましかったので、演じている自分自身もそうなれたような気がします。 Q.新木さんが考える麻生和子の人物像とは? 父である吉田茂にも負けない強さと信念を持つたくましい女性です。 Q.テレビ東京開局55周年特別企画として豪華キャストの皆様との共演となりますがいかがでしょうか。 初共演の方はいらっしゃいますか? いつかご一緒したいと思っていた方々と共演させていただけると聞いて夢のようでした。 特に父役の笑福亭鶴瓶さんとはバラエティで一度共演させていただいたことがあるのですが、今回はお芝居でご一緒できて嬉しかったです。 Q.撮影中、特に印象的な鶴瓶さんとのエピソード等ありますでしょうか?また、鶴瓶さんが演じる吉田茂の印象はいかがでしたか? 鶴瓶さん演じる吉田茂は優しさの中に厳しさや強さを感じる印象がありました。 鶴瓶さんはすごく優しくお茶目な方なので、現場の雰囲気をいつも盛り上げてくださっていました。 Q.最後に、ドラマのみどころなど、視聴者の方々へメッセージをお願いします。 吉田茂の生き方を通して、どう強くあるべきなのか、いざという時の決断力がいかに大切かを感じていただけるドラマだと思います。 ぜひたくさんの方々に見ていただきたいです。 スタッフコメント 倉地雄大 (テレビ東京 プロデューサー) 戦後の日本の骨格を作った吉田茂や白洲次郎を、陰で支え続けた女性・麻生和子。 この和子役を、笑福亭鶴瓶演じる吉田茂の娘役を、誰が演じたら面白いのか…。 恋愛モノからコメディーまで、幅広い作品ラインナップの中で、様々な表情を見せ、演じきる新木さん。 そしてドラマ全体を通して、和子のナレーションが、吉田茂という人物やその時代を伝えていきます。 戦後日本を知らないこれから令和の時代を生きる若い世代にも、和子を通じて、新木優子さんを通じて、あの時代に何が起きていて、あの時代の人々は何を考えていたのかを、多くの人に伝えたいと思っています。 そんな新木さんは、本作が社会派ドラマ初挑戦とのことです!これまで錚々たる女優さんが演じてきた和子役を、新木優子がどのように演じるのか、みなさんご期待ください。 番組情報 番組名 テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ 「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」 放送日時 2020年2月放送! 放送局 テレビ東京系列(TX、TVO、TVA、TSC、TVh、TVQ 出演者 笑福亭鶴瓶 生田斗真 新木優子 ほか 原案 麻生和子『父 吉田茂』(新潮文庫刊) 監督 若松節朗 脚本 竹内健造 森下直 守口悠介 音楽 住友紀人 チーフプロデューサー 中川順平(テレビ東京) プロデューサー 倉地雄大(テレビ東京) 椋樹弘尚(角川大映スタジオ) 佐藤雅彦(角川大映スタジオ) 製作著作 テレビ東京 制作協力 角川大映スタジオ 2019. 混乱を極めた時代に、 男たちは日本の未来を見据え、 何を考え、どう決断したのか・・・? 熱い魂の物語 テレビ東京では開局55周年を記念した大型特別番組として、2020年に、 開局55周年特別企画 スペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」を放送致します。 国内外の情勢が混迷の度合いを増している中、来年は戦後75年という節目の年を迎えます。 終戦直後、日本はアメリカを中心とした連合国軍に占領されました。 そんな混乱を極めた時代に、「日本は絶対立ち直る」という信念のもと、マッカーサーを筆頭としたアメリカ相手に粘り強く交渉を続け、強力なリーダーシップで日本の独立、復興のために突き進んだのが、本作の主人公、稀代の政治家・吉田茂です。 2020年の節目となる今、吉田の時代を見つめ直すことは、戦後日本を見つめることでもあるのです。 雰囲気、貫禄、笑顔といったビジュアルだけでなく、「人たらし」とも言われた性格に至るまで、まさに吉田茂そのもの!限りなくリアルに吉田茂を演じ上げます。 テレビ東京のドラマは今回が 初出演となります。 開局55周年にふさわしい異色の強力タッグが実現しました! 日本はいかに敗戦から立ち直り、再び独立国として歩むことが出来たのか?令和時代を生きるすべての人に贈る、熱き人間ドラマにどうぞご期待ください! キャストコメント 吉田茂 役 :笑福亭鶴瓶 1878年~1967年。 政治家の竹内綱の五男として生まれるが、実業家の吉田家の養子となる。 外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣(第45、48~51代)となる。 「ヨメさんにも吉田茂さんが降りてきたんじゃないかって言われました」 <コメント> Q.吉田茂を演じてみていかがでしたか。 「吉田茂をやる」と決まった時から声がガラガラ声になってきました(笑)。 カメラマンが見せてきた写真を見て「吉田茂は確かにこんな感じやね」と話してたら、「これ鶴瓶さんですよ」って言われて、自分でも(あまりにそっくりで)「えーーー!」ってなって。 ヨメさんにも吉田茂さんが降りてきたんじゃないかって言われました。 (自分自身も)演じれば演じるほど吉田茂を理解していきました。 吉田茂は年を取ると権力にしがみつくようになっていくんですけど、それによって晩年を汚すという部分が、人間味があって更に面白いなと。 人間の業を思わせてくれるのがとても良いですね。 Q.撮影で苦労された点はありますか? 台本を頂いた時はどうしようかなと思って。 英語は丸覚えでどうにかなったんですけど、大変だったのは標準語。 全部覚えてきてんねんけど、一カ所違うといわれたら、どうすればいいのかわからなくなってしもうたりして。 だから(生田)斗真がおってほんまによかったですよ。 監督も秋田の人ですからね、何か直されても不本意なんですけど、斗真に言ってもらったら聞けるんです(笑)。 あと収録で大変だったのは眼鏡。 鼻眼鏡だから喋ってる時に落ちそうになるんですよ。 こんなに鼻先に気を使って、アシカの気持ちがわかりました(笑)。 Q.豪華キャストの皆様との共演はいかがでしたか? 今作品は共演者も凄く豪華で、ゴールデンで主役やるような方々に囲まれて、キャスティングも頑張ってもらったなと思います。 ただ今回は政治の話も出てきますし、長いセリフが多かった。 更にイントネーションと何重苦でしたし、周りに迷惑を掛けないように頑張りました。 すごく印象に残っているのは、講和条約を締結して演説の下読みをするシーン。 本当に「日本は独立するんだ」って気持ちになって声を出して泣きました。 しかもこのシーンでは斗真も涙目だったんです。 「あ、泣いてるな」って思いながら読み始めたら、こちらも号泣したっていう。 普段泣かないので演技で泣くのも珍しいんですが、その中で自然と涙が出てしまうというのは自分でも不思議でした。 Q.ドラマのみどころなど、視聴者の方々へメッセージをお願いします。 『A-Studio』(TBS)では人の人生を掘り起こすんですけど、今度は人の人生を自分が演じるっていう…そして演じてみると、その人の人生がすごく面白いんですよね。 白洲次郎 役 :生田斗真 1902年~1985年。 吉田茂の腹心。 イギリスに留学し、英語が堪能。 家業が倒産し、記者や貿易会社など職業を転々とする中、吉田と出会う。 「人のお芝居を見てここまで心震えたことがあっただろうかっていうくらい感動して衝撃でした」 <コメント> Q.ご出演が決まった時のお気持ちをお聞かせ下さい。 鶴瓶さんが吉田茂をやられるという部分で、非常に心惹かれました。 バラエティー番組とかプライベートのお付き合いとかで何度もご一緒しているんですけど、役者・笑福亭鶴瓶に会ってみたいなと思って、作品に参加させて頂きました。 やっぱり今の日本という国にとって、吉田茂と白洲次郎という人は欠かせない日本のヒーローだと思っているので、そんな大役を務めるっていうのは身が引き締まる思いだなと思って毎日撮影していました。 Q.白洲次郎を演じてみていかがでしたか。 皆さんそれぞれに白洲次郎像がおありにあると思うんですけど、自分なりの日本を愛する気持ちと、何よりも吉田茂という男に惹かれた、歳は離れているんですけど友情に近いような関係性っていうのを、僕と鶴瓶さんの中で出せていければなと。 特に晩年、吉田茂にものを言える人はそんなに多くなかった。 でも白洲さんは物怖じせずにきちんと意見を言っていた方だと思うので、その辺の吉田茂との距離感を出せればいいなとは思って。 特に何をという訳ではないんですけど、変に気を遣うことのない友情関係っていうものが表現できたらなと思って演じました。 Q.生田さんが考える白洲次郎の人物像とは? 男としてあこがれる存在のひとりだと思うんですよね。 外見もすごくかっこいい人だったと思うし、自分の信念を貫き通すっていう部分もそうだし、周りの人間たちが長いものに巻かれていく中で、きちんと「それは違うんだ」「NOだ」ということを叫び続けた人だと思うし、憧れを持ちますね。 Q.鶴瓶さんが演じる吉田茂はいかがでしたか? 平和条約の受諾演説を白洲が手渡して、それを吉田が読み上げるっていうシーンを撮ったんですけど、すごかったですね。 人のお芝居を見てここまで心震えたことがあっただろうかっていうくらい、感動して衝撃でした。 吉田茂と重なる部分があったし、鶴瓶さんの芝居を見て、撮影現場なんで、どの部署も静かにしてなきゃいけない場面なんですけど、みんなが必死に嗚咽を堪えながら、それぞれの仕事をしているという。 瞬間に空気が変わる感じを目の当たりにして、これはちょっと生涯忘れないだろうなというシーンでした。 そのシーンを一緒にやれただけで、この作品に参加できてよかったなと思いました。 Q.ドラマのみどころなど、視聴者の方々へメッセージをお願いします。 日本が、黒船が来航してペリーが来航して、そこから鎖国していた国が開国をして、100年もたたずに日本は戦争という戦乱の渦に巻き込まれていって潰れてしまう…そのもう一つの変わり目が、この時代だったと思うんです。 今回は、戦後、日本が独立をしてもう一度立ち上がって、平和な国としてまた100年続けられるのか、継続する国になれるかということが作品のテーマとしてあるんですけど、世界の情勢とか国内の問題とかある中で、もう一度平和とか、日本という国のことを考える大きなきっかけになると思うし、見て下さった方々に大きなメッセージとして届いてくれたらいいなと思います。 スタッフコメント 中川順平 (テレビ東京 チーフプロデューサー) 吉田茂と聞いて、何をしたのかすぐ分かる人は、そう多くないと思われます。 たいていの人にとっては、「名前を聞いたことがある」や「昔の総理大臣」くらいの存在ではないでしょうか?もちろん私自身もその一人でした。 しかし、吉田は単なる教科書上の人物ではありません。 むしろ現在の日本に最も大きな影響を与えているのが、吉田茂総理の時代であり、彼の下した「決断」と言っても過言ではないのです。 国として自由主義、民主主義を標榜し、アメリカと近い関係で、中国、ロシアとはやや距離感がある。 憲法が論議の的となり、米軍基地問題を抱えている… こうした今ある日本の姿は、良きにつけ悪しきにつけ、実は吉田の選択が関係しているのです。 75年前、戦争に負け、連合国に占領された日本。 このドラマは、「その後、何があったのか?」を描きます。 未曾有の困難に直面した吉田茂と仲間たちは、いかにしてそれを乗り越え、独立を果たしたのか?これは単なる歴史の昔話ではなく、今現在と地続きの、大いなる「決断」を巡る熱い人間ドラマなのです。 吉田茂を演じるのは笑福亭鶴瓶さん。 説明不要の国民的お笑い芸人であり、俳優としても絶大な存在感を示しておれらます。 吉田茂とは、見た目が似てらっしゃる事にお気づきかと思いますが、それだけでなく、ユーモアを愛する所や、おちゃめで人たらしの面でも、吉田本人を彷彿させます。 劇中、吉田が日本の未来を憂い、感情が溢れ出すシーンは、鶴瓶さんご自身の真摯な願いと重なって見える気がしました。 文字通り魂のこもった演技は、このドラマ最大の見どころの一つです。 そして吉田と共に重要な役回りを果たすのが白洲次郎です。 吉田とは二回りも歳の離れた友人であり右腕。 自らの信念を徹底して貫き、当時、圧倒的権力を持ったGHQに対しても一歩も怯まない。 日本で初めてジーンズをはいたとも言われるファッションセンスと合わせ、「カッコいい日本人」の代名詞的人物です。 そんな白洲を演じるのが、今、人気実力とも最も充実している生田斗真さん。 内面的にも外面的にも、日本人のスケールを超えた存在である白洲を、見事に体現して下さっています。 ご期待ください! 作品を彩る 超豪華キャスト陣 もまもなく発表! 吉田の娘・和子、吉田親子を 支え続けた元芸者・こりん、 高度成長を牽引した 『吉田学校』の池田勇人、佐藤栄作、田中角栄といった 超大物政治家たち…演じるのは一体誰なのか? 続報にどうぞご期待下さい! 番組概要 あらすじ 第二次世界大戦前、駐英大使の吉田茂(笑福亭鶴瓶)は、極東情勢の悪化に心痛めていた。 時を同じくして、世界各国を飛び回っていた白洲次郎(生田斗真)も、世界情勢の機微を敏感に感じとっていた。 白洲と親交の深い吉田は、娘・和子らが見守る中、戦争回避に向けて動くが、その甲斐も虚しく、日本は第二次世界大戦に踏み切った。 1945年、終戦。 総司令部GHQと向き合う外務大臣のなり手が誰も見つからない中、先の大戦に猛反対し投獄された過去を持つ吉田に、白羽の矢が立つ。 かくして吉田は、外務大臣として、のちに総理大臣として、日本の独立と復興を担うことになる……。 吉田は白洲を参謀に据え、最高司令官マッカーサーらと必死の交渉をする。 過度な内政干渉など、幾度も緊迫した事態に陥るが、和子や麻生多賀吉、のちに総理大臣となる「吉田学校」の池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、宮澤喜一らの助けを受け、日本の独立に向け尽力していく。 原案:麻生和子『父 吉田茂』(新潮文庫刊) 番組情報 番組名 テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ 「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~」 放送日時 2020年放送予定 放送局 テレビ東京系列(TX、TVO、TVA、TSC、TVh、TVQ 出演者 笑福亭鶴瓶 生田斗真 ほか 原案 麻生和子『父 吉田茂』(新潮文庫刊) 監督 若松節朗 脚本 竹内健造 森下直 守口悠介 音楽 住友紀人 チーフプロデューサー 中川順平(テレビ東京) プロデューサー 倉地雄大(テレビ東京) 椋樹弘尚(角川大映スタジオ) 佐藤雅彦(角川大映スタジオ) 製作著作 テレビ東京 制作協力 角川大映スタジオ バックナンバー.

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