明治36。 昭和からの贈りもの 明治時代の出来事 明治31年〜明治40年

明治36年(1903)~明治40年(1907)

明治36

社会状況と国会議員の関係性 1903(明治36)年に行われた第8回衆議院議員総選挙は、直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性日本国民に選挙権が与えられ行われました。 投票率は86. 17%を記録し、前回と比較して2. 2%上昇しています。 第1党は伊藤博文率いる立憲政友会が押さえ、その後を大隈重信が率いる憲政本党が追うという展開となっています。 内閣は、桂太郎が解散前に引き続いて組織しました。 この段階でもっとも多い年齢分布は「45〜49歳」の議員が占めています。 その数、総数367人のうち103人が占め、割合も27. 4%に達しています。 「30〜34歳」の若手議員も24人存在し、6. 4%を占めています。 翌1904(明治37)年、わずか1年で解散総選挙が行われています。 これは、1903年12月に開かれた第19回帝国議会で、新任の河野広中衆議院議長が起こした「奉答文事件」が原因でした。 当時、日本とロシアの関係が問題となっていました。 心中深く決心するところがあった河野は、開院の勅語に対して奉答文で議院の先例を破って内閣弾劾の文を織り込む行動に出ます。 この行動によって、衆議院は解散に至りました。 日露戦争開戦直後に行われた第9回衆議院議員総選挙は、挙国一致ムードに包まれました。 とはいえ、前回の選挙から1年しか経過していないことからも、議員の年齢分布に大きな変化はありませんが、「30〜34歳」の議員が減少し、その分50歳以上の議員が増加している点は注目に値します。 年齢分布に大きな変化が現れるのは1915(大正4)年に行われた第12回衆議院議員総選挙からです。 この選挙から、一部の例外を除いて60歳以上の議員が10%以上を占めるようになっていきます。 当時、選挙権を与えられた有権者の数は154万6411人。 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性日本国民であることが求められました。 本選挙は、大正天皇の治世下で行われた最初の衆議院議員総選挙となり、後に「大正デモクラシー」と呼ばれる風潮の嚆矢となった選挙でもありました。 大正デモクラシーは、、1910〜1920年代に国内で起こった自由主義的な運動、思想を指します。 普通選挙制度を求める普選運動や言論・集会・結社の自由に関しての運動といった政治的な動きはもちろん、男女平等や部落差別解放運動、団結権、ストライキ権などの獲得運動といった社会的な運動も活発に行われました。 また、文化面においても自由教育の獲得や大学の自治権獲得、美術団体の文部省支配からの独立など、あらゆる方面から同時多発的に自主的な運動が起こった点が特徴です。 このような風潮が社会的には広がっていたにもかかわらず、実際の選挙においてはより年配が、よりベテランが当選する方向へと向かっていくのは興味深いところです。 昭和に入るとさらにこの傾向は勢いを増していきます。 1928(昭和3)年に行われた第16回衆議院議員総選挙では、大正デモクラシーの勃興を受けて、選挙権を得るために定められていた直接国税の制限が撤廃されました。 その結果、満25歳以上の男性日本国民に選挙権が与えられ、有権者数も1240万8678人と激増しています。 この激変した選挙環境を勝ち抜いたのは、海千山千で世間を渡り歩いてきたベテラン議員たちでした。 1924(大正13)年に行われた第15回衆議院議員総選挙では、9. 91%まで落ち込んだ「60歳以上」のベテラン議員の割合でしたが、この選挙では一気に2倍以上となる21. 全466人の衆議院議員のうち、98人をベテラン議員が占めることになりました。 一方で、第15回総選挙では2. 16%(10人)いた「30〜34歳」の若手議員は激減し、0. 86%のわずか4人となってしまいます。 当時は、票をお金で買う金権汚職が猛威を振るっていました。 資金があり、地盤があり、人脈もあるベテラン議員が、策謀を巡らせて票を買いあさっていたケースも、少なからずあったようです。 若い世代を中心に、自由と権利を求めて起こった大正デモクラシーの影響で拡大した選挙権であったにもかからわず、結果的にはベテラン議員にとって有利に働くことになったのは、なんとも皮肉です。 1933(昭和8)年に刊行された「政治家を志すために」(野中徹也著)では、議員の高齢化に苦言を呈しています。 「衆議院で最も多数を占めるのは45〜49歳お人々で、30代や42〜43歳ではまだ駆け出しのホヤホヤである。 日本の政治を老衰せしめた原因のひとつはここにある」と評し、次のように続けます。 18世紀末から19世紀はじめにかけてのイギリスの政治家、首相)は24歳にして大英国の宰相の印綬を帯び、ドイツのヒットラーはまだ43歳に過ぎないのである」 ウィリアム・ピットはまだしも、アドルフ・ヒトラーの名前が「良い例」として挙がるのは、時代を感じざるを得ません。 さらに本書では、 「老廃者に果たして本当の政局の担当能力在りしや。 我が国においては、前の国民大衆の政治参加と青年の政治参与とは刻下の急務である」 と、続けています。 とはいえ、健康寿命も飛躍的に伸びた昨今、「若ければ良い」ということはなくなりました。 ベテランならではの判断力や人脈、経験に基づいた適切な判断は、年齢を理由に投げ捨ててしまうのは少々惜しいようにも思われます。 令和2年2月現在、衆議院、参議院ともに60歳以上のベテラン議員の割合は4割を超えています。 これは、各選挙区の支援者たちが、その実力を高く評価している証左とも言えます。 その一方で、政治の高齢化が「シルバー民主主義」に代表される、若年世代の政治に対する無関心を招いている部分も否定できません。 若手の目線による問題提起と行動力、ベテランの知見と経験、これらをさらに融合して、より一層国民に寄り添った政治が行われることを祈るばかりです。

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明治36

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1885年 大阪府地理課 (項目なし) 207 50. 0 x 42. 5 1888年 千羽傅三 山田信景 208 86. 0 x 125. 0 1879年 ト部精一 臥龍軒 209 69. 0 x 47. 0 1872年 若林喜兵衛 (項目なし) 265 74. 0 x 160. 6 1878年 齋藤直光 (項目なし) 273 49. 5 x 37. 8 1903年 大澤静務 光彰館 274 50. 0 x 37. 8 1904年 (項目なし) 光彰館 277 85. 5 x 96. 0 1878年 地理局地誌課 地理局地誌課 282 51. 0 x 37. 0 1885年 山本良助 鈴木卯兵衛 289 71. 0 x 50. 5 1869年 一曜斎国輝 蔦屋吉蔵 294 57. 5 x 41. 0 1899年 (項目なし) 合資会社 名古屋光彰館 295 51. 5 x 37. 5 1895年 浅井光政 精行社 296 53. 7 x 39. 1 1897年 霧島巴凌 東濤舎霜鳥巴凌 297 52. 2 x 38. 3 1901年 松岡友吉 次木孫三郎 301 74. 0 x 37. 2 1880年 井上茂兵衛 三宅半四郎 304 100. 0 x 73. 0 1897年 武部龍三郎 田村鐵之助 308 81. 7 x 88. 9 1911年 東京逓信管理局 (項目なし) 310 166. 7 x 151. 2 1884年 (項目なし) (項目なし) 316 35. 5 x 49. 5 1880年 酒井捨彦 (項目なし) 313 90. 5 x 66. 0 1878年 内務省地理局 内務省地理局 320 99. 0 x 72. 0 1890年 伊藤静齋 (項目なし) 番号 名前 サイズ(cm) 作成年 作者 版元 1001 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1002 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1003 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1004 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1005 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1006 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1007 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1008 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1009 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1010 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1011 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1012 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1013 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1014 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1015 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1016 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1017 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1018 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1019 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1020 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1021 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1022 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1023 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1024 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1025 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1026 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1027 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1028 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1029 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1030 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1031 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1032 31. 0 x 39. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 1033 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1034 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1035 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1036 31. 0 x 39. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1037 59. 0 x 57. 0 1883年 参謀本部 (項目なし) 1038 59. 0 x 57. 0 1884年 参謀本部 (項目なし) 番号 名前 サイズ(cm) 作成年 作者 版元 10010 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10020 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10030 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10040 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10050 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10060 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10070 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10080 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10090 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10100 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10110 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10120 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10130 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10140 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10150 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10160 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10170 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10180 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10190 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10200 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10210 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10220 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10230 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10240 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10250 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10260 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10270 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10280 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10290 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10300 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10310 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10320 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10330 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10340 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10350 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10360 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10370 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10380 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10390 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10400 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10410 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10420 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10430 40. 0 x 32. 9 1885年 参謀本部 (項目なし) 10440 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10450 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10460 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10470 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10480 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10490 40. 0 x 32. 9 1884年 参謀本部 (項目なし) 10500 40. 0 x 32. 9 1883年 参謀本部 (項目なし)• まえへ• Copyright. 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明治36年から昭和5年までの衆議院議員年齢分布を見る|政治ドットコム

明治36

明治の自然災害史 年代月日 場所 種類 備考 明治8年(1875) 4月 天然痘が流行 前年から3424人が罹患 明治12年(1879) 3月 から全国へ コレラ発生 10万5784人死亡(明治期最大規模) 明治16年(1883) 8月16日 干ばつ 干ばつのため和歌山48ヵ村で大騒乱。 明治17年(1884) 8月25日 から 台風 1992人死亡 明治18年(1885) 6月18日 洪水 2日前からの豪雨で枚方堤防が決壊。 翌月も決壊したため、被害は大阪全域に。 死者293人、流失家置2万戸 明治21年(1888) 7月15日 火山噴火 磐梯山が1000年ぶりに突如大爆発。 死者461人 明治24年(1891) 10月28日 濃尾平野() 地震 午前6時30分の朝食時に史上内陸最大地震M8.0の濃尾大地震が襲った。 必然火災も発生し、死者は7273人、全壊焼失14万戸。 明治27年(1894) 10月22日 地震 M7.3の庄内大地震で739人死亡 明治29年(1896) 6月15日 三陸地方 大津波 釜石沖での海底火山の爆発によって生じた大津波で死者2万7千人、流失破壊家屋1万戸 明治29年(1896) 8月31日 地震 M7.5の陸羽大地震で209人死亡 明治32年(1899) 8月28日 中国四国地方 台風 別子銅山で山崩れが起き584人死亡するなど1410人死亡 明治33年(1900年) 4月20日 火事 大火で1700戸焼失し、7人死亡。 明治33年(1900) 7月17日 火山噴火 安達太良山大噴火、硫黄鉱山施設が全滅し70人余死亡 明治34年(1901) 10月7日 台風 福岡県筑後川の氾濫で死者10人、また長崎県沖で「鶴彦丸」沈没し、48人死亡 明治35年(1902) 1月24日 遭難 八甲田山で訓練中の歩兵210人が大吹雪のため遭難し、内199人が死亡。 明治36年(1903) 7月7日 近畿、東海、北陸 豪雨 死者不明は愛知県中心に42人 明治38年(1905) 6月2日 地震 M7.3の芸予地震起こる。 死者11名、家屋損壊6232戸 明治39年(1906) 10月23日 九州山陰 台風 鹿児島で死者700人以上、長崎で600人以上 明治40年(1907) 7月20日 炭塵爆発 豊国炭坑で炭塵爆発、死者365人 明治40年(1907) 8月24日 豪雨 18万7千戸余が流失 明治41年(1908) 1月18日 天然痘 大阪で天然痘発生30人罹患、年内に全国に蔓延し4265人死亡 明治42年(1909) 8月14日 ・ 地震 M6.8の姉川地震で死者41人、家屋全壊1653戸 明治44年(1911) 6月15日 奄美大島沖縄周辺 地震 M8.0の喜界島近海地震で死者12人、家屋全壊422戸 明治44年(1912) 9月21日 山津波 霧島温泉郷で大雨のため山津波が発生し約50人死亡 明治45年(1913) 4月29日 ガス爆発 夕張炭坑でガス爆発し276人死亡.

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