新日本プロレスワールド。 新日本プロレスワールドをFire Tv Stick 4Kを使ってテレビで視聴する方法!【2020年版】|みるわなブログ

【新日本】YouTube、新日本プロレスワールドにて『新日本プロレス入場曲メドレー動画」を公開(2020年5月24日)|BIGLOBEニュース

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定額制の主要な動画配信サービス• Amazonプライム・ビデオ• Netflix(ネットフリックス)• Hulu(フールー)• U-NEXT(ユーネクスト)• FODプレミアム• dTV(ディーティヴィー)• Paravi(パラビ)• Disney THEATER(ディズニーシアター)• dアニメストア• DAZN(ダゾーン)• バンダイチャンネル などなど… 基本無料の主要な動画サービス• YouTube(ユーチューブ)• TVer(ティーバー)• AbemaTV アベマティーヴィー• GYAO! (ギャオ)• niconico(ニコニコ)• Twitch などなど… 今回ワールドをテレビで視聴する方法と同じような手順を踏めば同じように楽しむことができちゃいますよ! Fire Tv Stick(4K)の価格 2020年1月現在、発売されているfire tv stickは 「fire tv stick」と4Kテレビにも対応した 「fire tv stick 4K」の2種類。 Fire Tv Stickに詳しくない方は「Fire Tv Stick」と「Fire Tv Stick 4K」のどちらを購入するべきかわからないと思います。 結論を言いますと、 新日本プロレスワールドを視聴するのであれば、より最新の「Fire Tv Stick 4K」の方がオススメです。 ウチのテレビは4Kに対応していないけど…と思うかもしれませんが、金銭的な余裕がある方は4Kの方が遥かにオススメです。 その理由は、「Fire Tv Stick 4K」の方がデータの処理速度が遥かに上がっているから。 この処理速度が低いと動画が重くなったり、操作のレスポンスが遅れる原因となります。 プロレスといえば特にジュニアヘビー級はスピーディーで迫力のある攻防が見所の一つ。 そんな時に動画が重くなったり停止してしまうと興味が削がれてしまいますよね? 確かに4Kテレビに対応していないテレビでは4Kの画質で視聴することはできませんが、 スポーツなど素早い動きはより高度な動画の処理が必要になりますので、データの処理速度が高いFire Tv Stick 4Kの方がオススメというわけです。 しかしながら、一つ前の世代である「Fire Tv Stick」では全く視聴出来ないというわけでもありません。 Fire Tv Stickでも十分に視聴出来ている人もいるようですし、Fire Tv Stick 4Kが必ずしも完璧というわけではなく、処理性能が良い分よりリスクが少ないということです。 また、通信スピードはお使いのWi-Fiの環境にも左右されることもありますので、Fire Tv Stick 4Kでも動作が重いという場合はそちらを確認してみることをオススメします。 (公式は下り10Mbps以上の環境を推奨) また無線より有線の方が回線スピードは早くなるので、Fire Tv Stickを有線で接続する場合は 「Amazon イーサネットアダプタ」を使ってみるのも良いでしょう。 fire tv内の新日本プロレスワールドのアプリからログインする 手順を見てみましょう。 ダウンロードした新日本プロレスワールドのアプリをクリックすると以下の画面が表示されます。 この空白に新日本プロレスワールドに加入した際に登録したメールアドレスとパスワードを入力します。 ウィルオスプレイのサスケスペシャルも非常に滑らかに再生してくれます。 スマホやノートパソコンで視聴するのとは迫力が桁違いですよ! まとめ ということでfire tv stick(4K)の説明と新日本プロレスワールドをテレビで視聴する方法をご紹介させていただきました。 一回テレビで見始めてしまうともうスマホやノートパソコン、タブレットには戻れなくなることでしょう。 人によっては会場で遠くから見るくらいなら派手なカメラワークと解説が楽しめるワールドで見た方が楽しめるって人もいるかと思います。 fire tv stick(4K)はそんな人が最大限自宅でプロレスを楽しむには必須と言っても良いアイテムです。 きっとネクストレベルの興奮をあなたに与えてくれることでしょう! fire tv stick.

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新日本プロレスワールド会員数と加入者の4割が○○!オススメする絶対的な理由4つ

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1972年9月29日から金曜20時台に一本化。 この情報を聞きつけたは、同年1月下旬に企業防衛を開始し、をアメリカに派遣し東郷による新団体旗揚げ阻止工作に動いた他、国内においても専務がに対して「ルー・テーズが極秘来日」(実際には1969年にテーズは来日していなかった)などの記事を書くよう要請するなど、東郷による新団体の旗揚げやNETにおける中継阻止に動いた。 日本プロレスは1969年2月に、NETの辻井博編成局長に対して「東郷による新団体の中継は中止してほしい。 日本プロレスの試合を中継したいのなら協力する」とアプローチをかけ、同年3月には『・』として日本プロレス中継を独占放送してきたに対し、NETの参入許可に関する打診を開始し、同年4月に日本テレビは日本プロレスに対し、以下の試合は日本テレビの『日本プロレス中継』内の放送での独占中継とし、NETでは放送してはならないという条件で放送を許可することを通達した。 やの両選手に絡む試合• そして、NETと日本テレビとの間で放送協定が結ばれ、NETは1969年5月12日ににおいて、日本プロレスから社長、遠藤専務、、、が、NETから辻井編成局長がそれぞれ出席の上で、同年7月2日からNETでも日本プロレス中継を開始することを発表した。 NETは猪木を番組上でのメインイベンターに抜擢し、猪木・大木・吉村の試合を中心に放送することになった。 これにより、東郷による新団体旗揚げ計画は頓挫した。 放送開始 - NET独占放送へ [ ] 7月2日より、毎週水曜日21:00 - 21:56において『 NETワールドプロレスリング』としてNETにおける日本プロレス中継が開始された。 開始当初からカラー放送であり、日本プロレス中継時代は一貫してNETの局名を冠していた。 開始当初は録画中継であった。 開始当日の新聞に掲載されたキャッチコピーは「 NETプロレス中継開始! 」「 世界最強の男たち10チャンネルに登場! 」であった。 なお、吉村は本番組の放送初回当日に裏番組である『』(日本テレビ)にも馬場と共に出演していた。 本番組で中継される日本プロレスの興行におけるリング横幕は、がスポンサーに付いていた『日本プロレス中継』と異なり、などの本番組の番組スポンサーが付いたNET仕様の横幕が使用された。 開始当初の視聴率は、NET局内でベスト5に入っていた他、同年12月31日には、VS猪木との戦(12月2日にで開催)の録画中継を通常放送したが、『』の影響で視聴率は4. 日本陣営の中堅クラスでは、、、が登場していた他、初期にはも登場していた。 4月6日から毎週月曜日20:00 - 20:56に変更されると同時に生中継も開始され(生中継初回は4月27日開催の「第12回ワールドリーグ戦」大会)、同時に坂口の試合中継も同年4月20日から解禁されたが 、同年に開催された「第1回」が引き金となり、日本プロレスは馬場派と猪木派に二分し、後に分裂の危機に立たされることとなった。 「第1回NWAタッグ・リーグ戦」に凱旋帰国したが、この時期から本番組に登場するようになった他、3月に帰国したも本番組に登場するようになるなど、日本陣営の中堅選手が登場するようになった。 にはワールドリーグ公式戦中継も解禁された。 しかし、1971年11月19日に開幕した「'71ワールド・チャンピオン・シリーズ」放送期間中で、かつ同年12月13日の大会の録画中継(12月4日開催、猪木VSのなどを放送)当日に、猪木が追放処分となってNETにおける看板を失った。 猪木は3月にを創立)。 そのためNETは、ザ・ストンパー()、、などが参戦した「'72新春チャンピオン・シリーズ」から、坂口を新たなメインイベンターに起用して放送することになった。 本番組自体の視聴率は、同年2月21日に録画中継されたキング・クローVS坂口のUNヘビー級選手権戦(2月11日にで開催)は視聴率に影響しなかった他、同年3月13日に「'72ダイナミック・シリーズ」宮城県スポーツセンター大会から生中継された坂口VSのUNヘビー級選手権戦も10. NETは、放映権料を100万円アップした1週あたり約450万円にすることを提示した他、馬場を本番組に登場させるという要求が受け入れられなければ1972年3月一杯をもって番組を打ち切ると警告し、最終的に日本プロレスはNETの要求を飲むことになった。 日本テレビは三菱電機との協議の末、同年5月15日の記者会見において同年5月12日放送分の大会(「第14回ワールドリーグ戦決勝戦」である馬場VSなどを放送)をもって『日本プロレス中継』を打ち切ることを正式発表した(1972年5月19日以降は『日本プロレス選手権特集』として過去の名勝負集を同年7月14日まで放送)。 日本プロレスの中継は、日本テレビが打ち切りを発表した同年5月15日以降はNETが独占する形となり、日本プロレスのリング横幕も完全にNET仕様となった。 NET独占中継初回は、偶然にも本番組のスポンサーであった小松製作所の本拠地がある小松市からのスタートとなった。 ゴールデンタイムで放送されるプロレス実況中継番組は『日本プロレス中継』打ち切りの他にも、馬場のNET初登場前日である1972年4月2日に『』が日曜18時台へ移動したことも相まって、1972年5月15日から10月6日までは本番組のみとなり、同時にNETにおける馬場の試合中継や 、日本テレビの独占状態であったからの実況中継も無条件で放送されるようになった。 しかし、NETによる日本プロレス中継の独占中継化の代償は大きかった。 当時はANNフルネット局が少なかったことや、クロスネット局でもメイン系列の番組を放送していたため、大半の地域では日本プロレス中継自体が遅れネット化され、特に石川・・の3県は、NETの日本プロレス中継独占中継化以降、実況生中継で放送されるレギュラー中継のプロレス中継が完全に消滅することになった他(この3県におけるプロレス中継は、本番組はフジテレビ系列局で〈「第14回ワールドリーグ戦」小松大会の中継協力局であった、は途中打ち切りとなった後にとにてネット再開、は途中打ち切り〉、『』はTBS系列局で〈は開局まで放送、とは途中打ち切り〉でそれぞれ放送)、「第14回ワールドリーグ戦」新潟大会の中継協力局でかつ『日本プロレス中継』も放送していた新潟総合テレビ(現:)では、と開局まで、本番組並びに『』は遅れネットで放送された他、当時変則クロスネットを組んでいた中京広域圏(本番組を放送していたと『日本プロレス中継』を放送していた)でも、1972年10月に実施された名古屋テレビにおける土曜20時台の日本テレビ同時ネットからNET同時ネットへの変更も相まって(これにより『全日本プロレス中継』は中京テレビでの放送となった)、馬場の試合の放映権が中京テレビへ完全に移行することになった。 馬場は「第14回ワールドリーグ戦」新潟大会直後に日本プロレスを退団する意向を示していた。 また日本テレビも「第14回ワールドリーグ戦」新潟大会直後からNETに対する報復手段を取り始め、猪木に対し新日本プロレス中継開始を打診していた他、『日本プロレス中継』打ち切り直後に極秘裏に馬場に接触し、新団体旗揚げなどを持ちかけるようになっていた。 国際プロレスも、『TWWAプロレス中継』のネットを打ち切ったり、遅れネットへ変更した局があったものの、の人気が沸騰して超満員札止めの会場も現れるなど 、人気面で日本プロレスに猛追する勢いになっていた。 「金8枠」進出 - 新日本プロレス中継への変更 [ ] 7月28日、日本テレビでの日本プロレスの過去の名勝負を放送した『日本プロレス選手権特集』が終了した2週間後、同局の「 金8枠」(毎週金曜日の20:00 - 20:54)の中継を引き継ぐ形で『 NET日本プロレスリング中継』という中継枠が設けられた。 当日の新聞に掲載されたキャッチコピーは「 金曜よるの興奮プロレス中継!! 今晩8時から10チャンネルがおとどけします」であり、なおかつ馬場と坂口の写真を掲載することで今後の「金8枠」におけるプロレス中継はNETで放送することをアピールした。 「金8枠」第1回は7月24日にで開幕した「第1次サマー・ビッグ・シリーズ」第4戦後楽園ホールからの生中継で、メインイベントは馬場VSのシングルマッチだった。 「金8枠」開始以前に、馬場は日本テレビと新団体設立や新団体のテレビ中継に関する協議がすでに合意に達していた(馬場は同年9月に旗揚げも発表し、同年10月7日から日本テレビにおいて『』がスタート。 これにより日本テレビによる新日本プロレス中継開始計画は頓挫)。 なお馬場は、日本プロレス退団後はテレビ朝日の番組には長年出演しなかった。 NETが放送した馬場の出場試合は下表のとおりである(特記がない場合は録画中継並びに『NETワールドプロレスリング』にて放送。 『NET日本プロレスリング中継』は1972年8月4日は放送休止)。 しかし、馬場と猪木の抜けた穴は大きく、馬場離脱後は本番組の視聴率や、日本プロレス自体の観客動員数も大きく減少した他(実況を担当していたは「観客よりも中継スタッフの方が多い会場があった」と公言している )、選手に対する給料の未払いも発生するようになる。 このため、NETは日本プロレス中継の週2回放送は視聴率的に無理と判断し、月曜20時の『NETワールドプロレスリング』は同年9月25日に行われた「第3回NWAタッグ・リーグ戦」開幕戦宮城県スポーツセンター大会の生中継をもって終了し(当日は坂口VSラリー・ハミルトンなどを放送)、同年9月29日からは金曜20時の『NET日本プロレスリング中継』枠に一元化された。 NETは1972年10月に日本プロレスを相手取り、馬場の退団は契約違反としてに告訴した。 日本プロレスの低迷を受けてNETはこの頃から本番組打ち切りをちらつかせるようになる。 この時点ではNETは新日本プロレス中継への変更は明言していなかったものの、「金8枠」一本化時からNETは馬場と日本テレビとの関係同様に、日本プロレス首脳陣や選手会長である大木に極秘裏でNET専務と辻井NET編成局長が「猪木・坂口合体計画」プランを進ることになり、NETは猪木や坂口(も数回出席)に接触し(最初にNETが坂口に接触し、後に坂口が猪木に接触) 、新日本プロレス中継開始に関する話し合いを持つようになった。 新日本プロレス自体も、テレビ中継がないことに加え、外国人招聘ルートが脆弱だったため日本プロレスや国際プロレスと比べて外国人選手の質が低く、累積赤字に苦しんでいた。 それでも、旗揚げシリーズ第2弾となる「オープニング・シリーズ第2弾」では1972年5月11日に大阪府立体育館、5月22日に宮城県スポーツセンター、シリーズ最終戦である5月24日には(における日プロの興行は、1971年6月13日開催の「'71ゴールデン・シリーズ」をもって撤退しており、とにおける日プロの興行成績も、国際プロレスよりも興行成績で劣勢に立たされていた )でそれぞれ初興行を行い 、旗揚げシリーズ第3弾となる「オープニング・シリーズ第3弾」では、前年の日本プロレス「'71ワールド・チャンピオン・シリーズ」に参戦したやを招聘。 7月開幕の「ニュー・サマー・シリーズ」では初のサーキットを行い、8月7日に、8月14日にでそれぞれ初興行 を行うなどして、や県庁所在地(主に日本プロレスの興行から撤退した都市)に所在する大会場で積極的に興行を打って地盤を固めていき、9月開幕の「ニュー・ゴールデン・シリーズ」では、初のサーキットを行った他 、旗揚げシリーズ以来となる猪木VSが再度実現、その模様は東京12チャンネル(現:)で録画中継された(後述)。 一方の日本プロレスは、、、などを「第3回NWAタッグ・リーグ戦」に招聘したが、1972年10月に旗揚げを控えていた全日本プロレスは、、、、、らを旗揚げシリーズの「'72ジャイアント・シリーズ」に招聘。 国際プロレスも、同年9月12日に開幕した「'72ダイナマイト・シリーズ」には常連外国人だったの他、前年の日本プロレス「第2回NWAタッグ・リーグ戦」に参戦したやなどを招聘した。 さらに、国際プロレスよりも興行面で劣勢に立たされていた岩手県と宮城県における興行は 、開幕戦の仙台大会と翌9月26日開催の青果市場特設リング大会をもって撤退に追い込まれた他、当時ANNフルネット局がのみだった地方における興行並びに、当時ANNフルネット局がのみだった地方における興行(本シリーズでは、10月1日には坂口の日本プロレス時代最後の凱旋興行となった小頭町公園広場特設リング大会が行われていた)も本シリーズが最後となるなど、日本プロレスは本シリーズ以降、悪化傾向が進むことになる。 本番組の放送時間も、同年10月6日から金曜20:00 - 20:55に1分短縮された。 馬場が返上して空位となっていたインターナショナル・ヘビー級王座決定戦並びにインターナショナル・タッグ王座決定戦が行われることになった「'72インターナショナル選手権シリーズ」でも、興行を大都市中心のサーキットとした上で、シリーズ自体も前年よりも5戦削減された。 外国人選手も、、、(、)、ザ・ストンパー()、などの豪華外国人を招聘して人気回復に努めようとした。 全日本プロレスも「'72ジャイアント・シリーズ第2弾」に、同年の「第14回ワールドリーグ戦」に参戦したブッチャーとなどを招聘した。 における国際との興行戦争(日本プロレスが11月21日に、国際プロレスが11月27日にそれぞれ開催。 日本プロレスは12月8日に録画中継、全日本プロレスは実況生中継)、興行成績でも2ヶ月前に『全日本プロレス中継』を開始した全日本が猛追を見せるなど、末期症状を呈していた。 インターナショナル・ヘビー級王座は、12月1日に実況生中継された横浜文化体育館大会にて行われた王座決定戦において、ブラジルが大木を破って新王者となったが、12月4日開催の広島県立体育館大会(12月15日に録画中継)において、大木が奪取した。 同時に日本プロレスは、本シリーズをもって蔵前国技館、、広島県立体育館から撤退した。 本シリーズ終了後には、星野、、、の4人が海外遠征へ出発した。 一方の猪木、坂口、NETの3者は、1972年12月末には新日本プロレス中継開始に関する基本合意に至り 、新日本プロレスも、1972年11月シリーズである「ニュー・ダイヤモンド・シリーズ」では、前半に日本プロレスが「第3回NWAタッグ・リーグ戦」をもって撤退した四国・九州地方中心で 、次期シリーズである「'73新春バッファロー・シリーズ」でも九州・四国・東北中心でサーキットを組み、1973年1月27日に、シリーズ最終戦である2月20日にはでそれぞれ初興行を行うなど、地盤をさらに固めていった。 外国人選手はゴッチを窓口に欧州やを主要な招聘ルートとし、「ニュー・ダイヤモンド・シリーズ」には、次期シリーズの「'73新春バッファロー・シリーズ」にはや、ザ・タイガー()などが参戦したが、ネームバリューのある外国人は招聘できない状況だった。 、日本プロレスは最期の年を迎える。 「'73新春チャンピオン・シリーズ」では、6人招聘した外国人選手はを除きやなどすべてという布陣となったが、観客数の減少傾向には歯止めがかからなかった。 この時期から、各選手を日替わりで欠場させるという異常事態に陥り、をシリーズ中に海外遠征へ出発させた。 同シリーズでは、都道府県庁所在地における興行も後楽園ホールと大阪府立体育館(大阪府立体育館は「第2次サマー・ビッグ・シリーズ」から4シリーズ連続の興行となった)のみとした上で、かつ・中心のサーキットとなり、1月20日から1月25日まで6日間も休養日が設定された。 1月26日に後楽園ホールから生中継されたVS小鹿戦で14. 同時期には日本プロレスと新日本プロレスの合併話が持ち上がり、NETは日本プロレスに対して「猪木・新日本プロレスとの合併を認めなければ中継を打ち切る」と強硬姿勢に出るに至り、2月8日には猪木・坂口・NETによる合併記者会見を一旦は行った。 同年2月16日より、日本プロレスはをエース格として「'73ダイナミック・シリーズ」を全11戦の日程で開幕させた。 猪木・坂口・NETの方針に対し、大木が開幕戦後楽園ホール大会にて合併反対会見を行い、一部を除く日本プロレスの役員や選手会も大木に賛同したため、合併交渉が白紙に戻ったが 、NETは4月から新日本プロレス中継を放送する方針には変わりはなかった。 これにより合併賛成派だった坂口は1973年2月に、、大城勤(大城大五郎)の3選手を連れて3月8日の「'73ダイナミック・シリーズ」終了を以って日本プロレスを脱退すること並びに新日本プロレスへの入団を決定し、吉村も3月3日の記念会館大会をもって引退することを決断した。 これにより、日本プロレス残留を決めた大木派と新日本プロレスへ移籍する坂口派との対立は、シリーズが進むにつれて深刻さを増し、日本プロレス幹部と大木派は本シリーズにおいて、猪木の日本プロレス除名時と同様に、坂口派に対する妨害工作を開始した(引退が決定していた吉村と、すでに坂口派に付いていたNETは中立の立場を貫いていた)。 同年2月23日の大阪府立体育館大会(テレビ未収録)当日に行われた選手会の会合では(大木派はレフェリーの長沢日一を加えた8人、坂口派は4人の他にレフェリーのを加えた5人がそれぞれ出席。 大木派についていた高千穂とは出席せず)、大木が坂口に対し、日本プロレスへの慰留を強く要請したものの物別れに終わるなど紛糾した。 坂口も、猪木から「適当な理由を付けて欠場したほうがいい」と勧められていたほどだったという。 坂口が保持していたユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座も、最後の実況生中継となった同年3月2日の大会にてバレンタインに敗れて王座を陥落したが、シリーズ最終戦かつ最後の番組収録となった同年3月8日開催の民会館大会にて、高千穂が勝利して、日本陣営が王座を奪還した。 大木派の坂口派に対する不満は佐野大会で頂点に達していた。 開催日当日に前日の開催地であるから帰京した坂口派は、大木派と別行動をとった上で自家用車で佐野市へ向かい、会場控室ではなく佐野市内のビジネスホテルを控室代わりに使用し、着替えた後に会場入りした。 小沢は羽田を下し、木村は伊藤と引き分けたが、大城は桜田によるを仕掛けられて顔面流血を負い、リングアウト負けしてしまう。 坂口は大城の救出へ向かおうとしたが、木村と小沢に静止させられた(救出に行った場合、大木派に袋叩きにされるのは目に見えていた)。 坂口組も勝利したが、猪木から「'71ワールド・チャンピオン・シリーズ」の経験で、「控室に行くな。 若いのを自家用車に乗せて新日本プロレス道場に来い」とアドバイスを受けていた坂口は試合終了直後に、木村、小沢、大城の3人を引き連れて、メインのバレンタインVS高千穂を見届けることなく自家用車で佐野市内のビジネスホテルへ一旦戻った後に、新日本プロレス道場へ直行した。 その際、到着が深夜にもかかわらず、山本やが出迎えたという。 NETは坂口に同調する形で、「'73ダイナミック・シリーズ」終了翌日で、かつ近大記念会館大会の録画中継当日である1973年3月9日に、3月30日限りで『NET日本プロレスリング中継』を打ち切った上で、翌週4月6日から新日本プロレス中継に変更することを正式発表した。 これを受けて日本プロレスは25戦で予定していた次期シリーズ「アイアン・クロー・シリーズ」を一旦キャンセルするとともに、NETも、近大記念会館大会(吉村道明引退興行、吉村の引退試合である吉村VSファーレスと前述のアジアタッグ王座決定戦を放送)の録画中継の他にも、日本プロレス中継終了と同時に中京広域圏における本番組の放映権が名古屋テレビに移行することになる中京テレビ(1973年4月以降は『全日本プロレス中継』のみ放送)の制作協力で、名古屋大会と同年3月7日に行われた津市体育館大会を3月16日と3月23日に録画中継した他、佐野大会の録画中継を「NET日本プロレスリング中継」最終回とすることにした。 NETによる新日本プロレス中継開始正式決定後も大木は、に対し、「NETは日プロを見捨てることはないだろう。 新日本中継を開始しても、隔週で日プロを放送するだろう」と楽観する意見を述べていたが、NETは当然ながら、日本プロレスに対してそんな温情を見せるはずもなかった。 坂口の新日本プロレス移籍並びにNETの新日本プロレス中継への変更により、NETは予定通り1973年3月30日限りで3年7カ月続いた「NET日本プロレスリング中継」を終了した。 最後の日本プロレス中継は、NETの新日本プロレス中継開始会見の前日である佐野大会で行われたバレンタインVS高千穂のUNヘビー級選手権戦の録画中継であった。 これにより日本テレビ単独中継時代から19年1カ月続いた日本プロレスのテレビ中継は幕を下ろしたと同時に、終了同日には翌週4月6日から実況中継される新日本プロレス「'73ビッグ・ファイト・シリーズ」がで開幕した。 木村、小沢、大城は大田区大会から、坂口も同年4月1日の第2戦大会からそれぞれ新日本に参戦した。 メイン実況を務めていた舟橋は「NET日本プロレスリング中継」最終回当日、新日本プロレス「'73ビッグ・ファイト・シリーズ」開幕戦に直接出向き、新日本プロレス中継開始に備えて新日本の試合内容などをチェックしていたという。 なお、『NET日本プロレスリング中継』最終収録地となった佐野市民会館では、新日本プロレス中継開始前日の同年4月5日に「'73ビッグ・ファイト・シリーズ」第4戦が行われている。 前史 [ ] 1972年3月に旗揚げしたはテレビ中継がないままに旗揚げし、それが故に旗揚げ半年で累積赤字が1億円に達するなど経営難に陥っていた。 『日本プロレス中継』打ち切り直前から新日本は日本テレビから試合中継開始を打診され、新日本も交渉に応じようとしたが(『日本プロレス中継』のプロデューサーだった原章は猪木と親密だった)、日本テレビは馬場に付いた上で『全日本プロレス中継』を開始したため日本テレビにおける新日本中継は実現しなかった。 初の新日本プロレス中継は東京12チャンネル(現:)が放送し、単発放送として2回放送され、1972年10月4日に行われた猪木VS戦を当日の22時30分から、10月10日に行われた猪木VSゴッチ戦を11月6日の20時からそれぞれ1時間枠で特別番組として録画中継した。 単発放送ながらも、猪木の試合中継が10か月ぶりに復活した。 猪木と当時日本プロレス所属だった坂口は、東京12チャンネルにおける単発放送前からNETとの新日本のレギュラー中継開始交渉を日本プロレスと日本プロレス選手会に極秘裏で開始し、1973年1月には最終合意に達し、同年3月9日にNETによる新日本プロレスレギュラー中継開始が発表された(前述)。 放送開始 - 古舘の全盛期 [ ] 1973年4月6日、新日本プロレスの中継番組として、半年ぶりに『 ワールドプロレスリング』のタイトルが復活したうえで再スタートして放送開始。 それまでの『NET日本プロレスリング中継』枠同様に「金8枠」に主に生放送され、猪木の試合が1年4カ月ぶりに全国ネットプロレス中継に復活したと同時に、定期的に放映権料が入ることになったことで旗揚げから経営難にあえいでいた新日本プロレスの経営も立て直すことができた(新日本プロレス中継開始当初は、中継席やカメラの設置位置を決める前にチケットを販売したプロモーターもあったが、座席を買い戻すのは制作費が増加してしまうため、後にチケット発売開始前に中継席やカメラの設置位置を決めるようになった )。 本番組の新日本中継への変更と同時に、テレビのレギュラー放送が開始するまでという条件で参戦していたは新日本を退団した。 が初来日した同年5月開幕の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」以降は、開幕戦から放送されるようになったと同時に、猪木vsシンの抗争がスタートする。 1974年2月には、が国際プロレスを退団し、新日本へ移籍。 同年3月19日に行われた猪木VS小林の初対決は19. 同年10月には大木が新日本へ参戦し、10月10日に行われた猪木VS大木は、20. 1975年3月27日にはにて、猪木が大木が保持するインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。 その模様は3分間のダイジェストではあったが、本番組で録画中継された。 2月6日の「格闘技世界一決定戦・猪木vs」の生中継(途中で放送終了)で、最高34. 9月19日にで行われた上田VSシンは、大阪府立体育館で行われた興行としては初の超満員札止めとなった。 試合は生中継や録画中継に関わらず、現在とは異なりノーカットで放送された。 また、テレビ朝日は金曜にを基本的に編成しなかったため、の有無で放送時間が左右されていたゴールデンタイム時代の『全日本プロレス中継』や、特別番組放送による放送休止が頻発していた『』()とは異なり、放送時間が当日時差ネットに変更されたり、休止となったりすることは、ほとんどなかった。 テレビ朝日で放送休止となった場合に備え、通常の素材とは別に遅れネット専用素材(番販素材)も用意されていた。 4月7日に『全日本プロレス中継』が「土8枠」(土曜20時枠)から土曜17:30枠へ移動し、3月28日に「土8枠」で放送していた『』()が終了したのに伴い、全国ネットで生中継を実施し、かつゴールデンタイムで放送されるプロレス中継は1981年4月3日から10月18日まで本番組のみとなった。 新日本プロレスの海外遠征に帯同しての現地からの中継や各シリーズの最終中継日に次期シリーズ来日レスラーの紹介(BGMとしての『』が流れる)など、現在では見られなくなった企画もあった。 後者は当時、現在とは違って日本人VS外国人という図式がメインで、シリーズ毎に目新しい外国人選手の出場が多かったため。 日本人同士の抗争がメインになって以降は、登場する外国人もほとんど変わらず、対戦カードの変更こそあれ総体的な陣容に特に変化が無い、日本人同士の対決に重きを置いたため、行われていない。 これから戦う選手名(つまり対戦カード)のテロップが表示されるのは、この頃にはすでに導入されている。 また前述の「次期シリーズ参加外国人選手」の予告にも同様に、古舘の実況の文言がテロップで矢継ぎ早に表示された(例:「マット上、戦況は混沌としております。 同時に放映ネット局のロールも流れていた。 生中継を行っていたころは、それが故のトラブルもあった。 1982年3月26日にで行われた「」第21戦の生中継では、セミファイナルのVS戦が30分引き分けに終わったために放送尺がなくなり、メインイベントの猪木VS戦では、放送終了前にアンドレが勝利したことに不満を持った観客がリングに乱入するという騒ぎとなった。 スポンサー付マットは現在は復活している。 さらに、1984年8月26日に開催された全日本大会を新日本プロレス興行主催の売り興行とし、同年9月21日から25日にかけて、、浜口、カーンなど13人が新日本プロレス興行に移籍したことから、新日本の危機が噂されるようになり、新日本とテレビ朝日は同年9月26日に、同年10月以降も番組を継続するという緊急記者会見を行った(すでに1984年4月から1986年3月までの放送契約を締結していた)。 ブロディ、エリック兄弟、サクラダ、、、などが参戦するも、1985年10月4日に開幕した「'85バーニング・スピリット・イン・オータム」は、新日本プロレスや番組が悪循環に陥ってしまう。 本シリーズでは開幕戦の大会(実況生中継)と10月31日開催の東京都体育館大会(11月1日に録画中継)で行われた猪木VSブロディを軸とし、北海道サーキットからシリーズを開始したが、サーキットに突入した当日である10月8日には『』事件が発覚したと同時に、テレビ朝日全体の不振が本格化し 、10月18日の後楽園ホール大会(実況生中継で、ブロディVSサクラダなどを放送)の翌10月19日には『全日本プロレス中継』がゴールデンタイムに復帰、最終戦当日である10月31日には新日本とWWFとの提携が終了した。 これらの要因により、1985年10月以降の本番組の視聴率はジャパンプロレス勢が登場していた『全日本プロレス中継』よりも下回るようになっていく。 WWFとの業務提携終了以降の外国人出場選手は、シリーズ毎に主にルートやのMSWAルートでブッキングした新しい外国人選手(やなど)の出場が多くなって行く傾向が強まると同時に、前田などの勢の参戦による日本人対決もあって徐々にではあるが持ち直したが 、1986年にはアンドレの特例での出場契約が終了した。 10月24日から放送される『』の番組立ち上げに伴い、テレビ朝日は同年10月13日から本番組を「 月8枠」(月曜20:00-20:54)に移動することを決定した。 「金8枠」最後のシリーズとなった「チャレンジ・スピリット'86」は、中継を行った4会場(後楽園ホール〈8月29日〉、〈9月5日〉、〈9月12日〉、〈9月19日〉)全てで実況生中継を組み、ブロディも9月16日開催の大会(テレビ未収録)と福岡大会に特別参戦したが、エース格のドゥガンは自身の都合により、同年9月8日開催の大会(テレビ未収録)からの参戦となった。 そして1986年9月19日・9月26日の2週に渡って放送された「チャレンジ・スピリット'86」福岡大会(9月19日は生中継で当日のメインイベントは藤波vsブロディ、9月26日は録画中継)を以って日本プロレス中継時代から14年2か月間続いた「金8枠」における放送が終了し、同時に日本テレビが「金8枠」にプロレス中継が進出した9月から続いてきた「金8枠」におけるプロレス中継も、28年の歴史に幕を下ろした。 1986年10月13日から「 月8枠」(月曜20:00-20:54)に移動し、14年ぶりに「月8枠」で放送されることになった。 「月8枠」への移動と同時に海外武者修行から帰国したを大々的に売り出すなどマッチメイク面でテコ入れを図るが、「月8枠」移動後は「金8枠」と異なり休止が頻発していた。 以降、4月6日の90分スペシャル(1987年3月26日開催の大会の録画中継)をもって古舘が番組を降板し、「月8枠」における放送が終了したと同時にレギュラー放送における生中継も終了した。 「ギブUPまで待てない!! 」へリニューアル [ ] 翌日の1987年4月7日、火曜日の20:00からの放送に移行。 の要素を加えた『 ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』として番組をリニューアル。 」といったコンセプトのもとに、をメインパーソナリティとしたスタジオ収録のバラエティを中心にそれに試合中継を挟み込む構成とした。 これに伴い、試合は全て録画中継となり、製作もスポーツ局からバラエティ部門である編成局制作3部(実際にはが制作)に変更され、が制作(チーフプロデューサー)に就任する。 時間変更やリニューアルを行った背景には、前番組である『』が、とによるが発生した影響で番組打ち切りを余儀なくされ、穴埋め番組として枠を移動したうえで、たけしと同じ所属の山田邦子を起用したバラエティスポーツ番組を製作することになったという。 このバラエティー部分は後にスタジオでの選手へのインタビュー中心に変わり、末期には消滅した。 この番組の中期、山田が一時帰国中のにインタビューした際「(試合中の怪我による)血って簡単に止まるものなんですか? 」と聞いたのに対し、馳が「止まる訳ないだろ、つまんないこと聞くなよ! 」と山田に向かって憤慨したエピソードがある。 これに限らず、新日本の選手からの番組の評判は「おちゃらけている」「素人が土足で俺達のリングに上がっている」などと概して悪かった。 同時期にはが分裂し、やなどの一部選手が新日本へ復帰した。 1987年10月5日からは再び月曜日の20:00に復帰し、「ワールドプロレスリング」のタイトルが復活したうえ番組も元の試合中継のスタイルに戻った。 この時オープニングテーマとして使われたのは自局のスポーツテーマではなく、の『』だった。 放送時間変更と同時期にはアブドーラ・ザ・ブッチャーとブルーザー・ブロディは全日本へ復帰した他、視聴率はプロ野球シーズンオフだったことも重なって『全日本プロレス中継』よりもさらに悪化していた。 「'87ジャパン・カップ争奪タッグリーグ戦」ではによる長州力への顔面襲撃事件が発生し、前田は2月に新日本との契約解除となり、後に第2次UWFを旗揚げした。 1987年12月27日に行われた大会では、との登場に激怒した観客が設備を破壊するなどの暴動が発生し、これを受けては新日本に対し無期限使用禁止を通告。 これにより、新日本はを使用していなかったことやが当時建替工事中だったことも相まって、1989年2月の両国国技館の使用解禁まで都内における大会場を失い、大会場におけるビッグマッチ並びに中継は新日本と提携していた時代の国際プロレス並びに『国際プロレスアワー』同様、・・に頼らざるを得なくなった。 ゴールデン撤退、夕方・深夜枠へ [ ] 4月よりかつて『』を放送していた土曜日の16:00 - 16:54に移行。 タイトルも「'88(エイティエイト) ワールドプロレスリング」と改められた。 日曜22時30分枠へ移動したライバルの『全日本プロレス中継』共々ゴールデンタイムを外れたため、ゴールデンタイムで放送されるレギュラー放送のプロレス中継は消滅した。 「ギブUPまで待てない」時代から引き続き皇達也がチーフプロデューサーを務めており、皇は「」シリーズをモチーフに、による長いオープニングナレーションを冒頭に入れるというスタイルを導入する。 1989年1月から再度タイトルが「ワールドプロレスリング」に戻る。 この時間帯はゴルフ中継が優先的に放送されたことから毎週の放送ができず 、同時にローカルセールス枠での放送となった。 4月から土曜の深夜時間帯に移動し、ほぼ毎週放送されるようになった。 同じく1994年4月に『全日本プロレス中継』が30分に短縮されたのに伴い、それ以降は本番組が唯一の1時間枠で放送される全国ネットのプロレス中継となった。 猪木が引退した1998年の東京ドーム大会などは、特番としてゴールデンで放送された。 4月、大会(4月9日)の特番に突如としてタレントのが「ワールドプロレスリングイメージガール(番組イメージキャラクター)」なる肩書で登場、以後、までの約1年にわたりビッグマッチの度にゲスト解説を務めた。 この起用の狙いを番組プロデューサーは「プロレスを知らない彼女が出来たとしたら、貴方はどのようにしてプロレスに興味を持たせるかという一種のシミュレーションと考えてくれればいい」と当時語っていた。 、タレントのをイメージキャラクターに起用したが、数回登場した後に番組の縮小もあり「イメージキャラクター」そのものが事実上立ち消えとなった。 以後は番組イメージキャラクターの設定はない。 放送時間短縮 - 現在 [ ] 4月には、放送時間が30分に短縮されたと同時に、1時間枠で放送される全国ネットのプロレス中継は消滅した。 時を同じくしてBS朝日では全カードを中継する『ワールドプロレスリング 完全版』がスタート。 2005年4月からは地上波未放送試合をカバーする目的で『』と題した60分のレギュラー番組にリニューアルしたが、これも2008年に終了。 2008年4月からはの(2013年3月までテレ朝チャンネル)で再び新作の『-完全版』が放送されている他、2012年4月に『-完全版』の放送を開始したテレ朝チャンネル2(2013年3月まで)では月1回生放送も実施しており、「ワールドプロレスリングLIVE」として2012年5月27日放送の「BEST OF THE SUPER Jr. XIX」開幕戦を第1弾に生中継を再開した(放送は不定期)。 この放送時間の短縮は、「年6回の特番を放送するというとの条件付き」とされた。 しかし、2013年現在では大会などのビッグマッチはおける特別編成での放送は新春スペシャルとして一部系列局で深夜に放送されているのが現状である。 かつてはゴールデンタイムでの特番や日曜夕方の生放送特番を年数回行っていたが、2002年5月の放送を最後にプライムタイムでの特番は放送されていない。 またかつてはの決勝戦を日曜夕方にて放送していたが、こちらも2003年が最後となっている。 2012年からは内でG1 CLIMAXの決勝戦が中継されている。 3月をもって『プロレスリング・ノア中継』が終了したため、同年4月以降は地上波において全国中継されるプロレス中継では本番組が唯一の番組となった。 このように、地上波でのプロレス中継自体が減少している現在、毎年3月頃になると絶えず打ち切りの噂が広まるが実際に打ち切られておらず噂の範囲内にとどまっている。 新日本プロレスの中継がメインだが近年はプロレス団体の門戸が開いたことに対応し、他団体に乗り込む新日本プロレス所属選手の戦いぶりを映像素材を借りて放送することも多くなった。 特にやといった団体の試合も登場する。 最近は放送されるほとんどの大会をで収録している。 同じ映像素材を使用するBS朝日の『闘魂スーパーバトル』は番組開始当初からHDでの放送であったが、「ワールドプロレスリング」は2007年9月まで4:3SDでの放送であった。 同年10月からHDでの放送がスタート。 、主宰のというプロレス団体が発足。 同団体の設立に際し、同年3月に藤波の個人芸能事務所「シーホース・コーポレーション」社が「ワールドプロレスリング」の商標登録申請をした(しかし結果は拒絶査定となっている)。 12月よりにおいて過去の当番組の映像を再放送する「ワールドプロレスリング クラシックス」の放送が開始されたことに伴い、同じテレ朝チャンネルで放送される他の番組でも過去映像の使用が解禁された。 これに伴い「」など一部の番組で、過去の試合を振り返る企画がスタートしている。 これとは別でスポーツプラスでも「ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説」を以前から放送している。 実況担当アナウンサーに対する因縁や襲撃が多く(例:1999年頃の、真鍋由アナウンサーとの因縁。 2011年4月の、による野上慎平アナウンサーへの襲撃)、2012年には、その2件を中心にアナウンサー受難映像をまとめた「ワールドプロレスリング 実況アナウンサー2大受難史 〜飯塚vs野上 大仁田vs真鍋〜」というDVDが発売された。 10月1日からの本番組は、アニメ『』との連動放送となり、テレビ朝日の日曜2:45 - 3:45(土曜深夜)はプロレス番組枠となる他、など、多くの系列局(など一部は除く)では、左記番組との一体編成()、またはそれに準じる番組日程が組まれていた。 これは、左記番組に新日本プロレスが監修・協賛していることによるものである。 2020年4月9日よりBS朝日において『ワールドプロレスリングリターンズ』として金曜日20時 - 21時枠で放送開始予定。 これによりBS朝日に放送局を変える形となるものの、ゴールデンタイムかつ1時間枠でのプロレス中継が1987年以来、33年ぶりに復活する形となる。 主な実況アナウンサー [ ] 現在 [ ] テレビ朝日 [ ]• (2002年10月 - )• (2007年10月 - )• (2007年10月 - )• (2010年4月 - )• (2012年4月 - )• (2015年11月 - )• (2016年5月 - )• (1991年4月 - 2000年3月、2017年10月 - ) ANN系列局 [ ]• () ワールドプロレスリングリターンズ [ ]• 過去 [ ] テレビ朝日 [ ]• ()(1977年7月 - 1987年3月、1984年7月以降はフリーの立場で出演)• (1979年4月 - 1980年3月)• (1984年7月 - 1991年3月)• (1992年10月 - 2003年3月)• (2001年1月 - 2002年3月)• (レポーターとして参加。 『'88〜』時代)• (2006年4月 - 2008年6月)• (2001年10月 - 2012年6月 )• それ以外にも(1983年4月3日)、(1992年6月26日)など女性アナウンサーがレポーターとして参加した。 ANN系列局 [ ]• (当時、福岡市長)• (メ〜テレ) 主な解説者 [ ] 現在 [ ]• (元編集長)• (元「プロレスTODAY」編集長、元)• 岡本佑介(東京スポーツ)• (気象予報士)• 試合に出場しない選手をゲスト解説に迎えることがある。 過去 [ ]• (東京スポーツ)• パーソナリティ、イメージキャラクター [ ]• (「ギブUPまで待てない!! 〜」時代)• (同上)• (同上)• (同上)• ナレーター [ ]• (『ギブUPまで待てない!! 〜』時代)• (同上)• (同上)• (『'88〜』時代)• (同上)• (VHS・DVD作品)• テーマ曲 [ ] オープニング [ ]• 上記の演奏者は、レコードのクレジット上のもの。 上記は、完全な形でのソフト(音源)化が現在でも成されていない。 『』(1982年4月 - 1987年4月) - 本番組のオープニングで流したものは、他の競技の中継でのバージョンに若干アレンジを加えていた。 『』(1987年4月 -? 『』(1987年? 月 - 9月) - スタジオ収録中止に伴い男闘呼組が降板し、それに合わせてオープニング・エンディングも変更。 同曲のインストゥルメンタル・バージョンを、エンディング後の提供読みのBGMに使用。 その後1987年10月から、下記のとおりオープニング・エンディング共にテーマ曲が変更されたが、同上のインストゥルメンタル・バージョンは1987年10月以降もくの間、エンディング後の提供読みの際に引続き使用された。 『』(1987年10月 - 1988年3月)• 製作、曲名不詳(1988年4月 - 12月) - 『'88ワールドプロレスリング』時代に使用。 『』(1989年1月 - )• 『Jet Black Soul』 エンディング [ ]• 男闘呼組『』(1987年4月 -? 久保田利伸『』(1987年? 月- 9月)• 『』(1987年10月 - 1988年3月)• MECO『MOONDANCER』(1988年4月 - 12月)• DAH PROJECT『ターン・バック』(? 月 -? 『GET OUT』• 『ヤマアラシイズム』• 『世直しGOOD VIBRATION』• 『Knock Out』• 陰陽座『』• NUMBER. 42 『男達の道』(2012年1月-3月) ファイティングテーマ [ ]• 『LiON'S DEN』(2018年12月 - 2019年1月)• 『』(2019年2月 - 3月)• 『SWEAT 17 BLUES』(2019年4月 - 5月)• 『Shine』(2019年6月 - 7月) その他 [ ]• 『StarCycle』来日外国人紹介時 この節のが望まれています。 古舘伊知郎のエピソード [ ] ワールドプロレスリングで実況を担当したの多くは、テレビ朝日の中核をなすアナウンサーへと成長した。 そのなかでも古舘伊知郎が実況を担当していた時期(レギュラーはから3月30日まで。 その後、当時猪木の最後の試合になると噂された8月8日の藤波vs猪木の、及び4月4日の猪木引退試合を担当)は、新日本プロレスの隆盛と共に番組のも最高潮だった。 プロレスを「 闘いのワンダーランド」と形容するなど、豊富なボキャブラリーを総動員する手法で、数々の名実況を残した古舘はプロレス実況を卒業した後もフリーアナウンサーとしての実況やバラエティ番組の司会として大活躍した。 1982年には局アナの立場でありながらの応援歌として作られた『燃えろ! 吠えろ! タイガーマスク』を歌っている。 これはシングルレコード化されただけでなく、ボーカル入りのバージョンがそのまま、タイガーマスク自身の入場テーマ曲としても使われた。 地方大会の中継の場合、各ネット局が「制作協力」としてクレジットされる場合がある。 現在は新春特番として深夜帯に年1回程特別番組が組まれることがあるが、レギュラー枠と異なり、同時ネット放送もしくは最大でも8日遅れネットとなるため、編成上の都合で未ネットとなる局もある。 2017年1月4日の東京ドーム大会当日に放送された特番は、系列局が通常編成を取ったため、関東ローカルのみでの放送となった。 スポーツ中継や機器メンテナンスなどにより、ネット局によっては遅れ幅が縮小・拡大する場合がある。 テレビ朝日はスポーツ中継が1時間30分以上延長された場合(本番組が日曜4:30以降の放送になる場合)は休止となる。 現在はANN24局とTBS系列局であるテレビ高知での放送となっており、福井放送・テレビ宮崎のクロスネット2局でもかつては放送されていたが、2局とも途中打ち切りとなっている。 一方でANNフルネット局が所在しない地方大会の中継は現在は行っておらず、ANNフルネット局が所在しない地域で行われた地方大会の中継を行っていた頃は、クロスネット局や日本テレビ系非マストバイ局で放送されていた地域で行われた大会の中継が中心で、TBS系列やフジテレビ系列局で放送されていた地域で行われた大会の中継は稀であった。 ゴールデンタイムで放送されていた当時は、ANNフルネット局でなおかつ同時ネット局が少なく(新日本時代の月曜20時台における同時ネット局はANNフルネット12局と当時フジテレビ系列とのクロスネット局だった秋田テレビの13局)、大半の地域は深夜帯など時差ネットでなおかつ録画放送で放送していた。 なお頃より、テレビ朝日系列においても他系列局同様に深夜帯など時差ネットに切り替えるようになった(例:1990年4月に、朝日放送と名古屋テレビが深夜帯に移動)。 一時期他局に移行していた地域 [ ] 地域によっては、一時期他局へ放映権移行が行われ、ネットを開始した放送局に放映権が復帰した地域もあった(太字は一時期ネットした放送局、一時移行先の放送局の系列は当時の系列)。 一時期放送していた局の内、山形放送と中京テレビの2局は本番組の中継協力に携わっていた他、『全日本プロレス中継』もネットしていた(中京テレビは本番組は同時ネットで、『全日本プロレス中継』は1972年12月までは遅れネットで、1973年1月以降は同時ネットでそれぞれ放送。 山形放送は本番組は遅れネットで、『全日本プロレス中継』はローカル枠時代は遅れネットで、ゴールデンタイム時代は同時ネットで放送)。 現在のネット局におけるケース• 名古屋テレビは日本プロレス中継時代の7月にネットを開始し、本番組と『日本プロレス中継』の両方の日本プロレス中継番組を放送することになった。 同年10月に開局した中京テレビ(日本テレビ系列・NETテレビ系列)に本番組の放映権を移行したものの(名古屋テレビは1969年10月以降は『日本プロレス中継』のみ放送) 、本番組が新日本プロレス中継に移行した4月に変則クロスネット終了に伴いANNフルネット局となった名古屋テレビに再移行し、名古屋テレビにおけるプロレス中継が1972年7月の『日本プロレス選手権特集』終了以来9か月ぶりに復活した。 山形テレビはフジテレビ系列時代の3月まで放送されていたが、編成上の都合で同年4月に山形放送(日本テレビ系列・テレビ朝日系列)へ放映権を移行したものの、4月に行われた山形テレビのテレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い再移行。 過去のネット局におけるケース• 秋田放送は9月まで遅れネットで放送されていたが、同年10月の月曜20時枠への移行とともに、当時月曜20時台がテレビ朝日系同時ネット枠だった秋田テレビ(フジテレビ系列・テレビ朝日系列)へ放映権を移行したものの、半年後の4月に火曜20時枠への移行と秋田テレビのANN脱退・FNS再単独系列化に伴い秋田放送に再移行されたと同時に再度遅れネットへ変更され、10月に秋田朝日放送開局に伴い秋田朝日放送へ再々移行。 関連番組 [ ] 放送中の番組 [ ]• 地上波ワールドプロレスリングの1時間再編集版。 おおむね数か月前の試合を放送。 テレ朝チャンネル2でも再放送を行っていた。 2020年4月3日からかつての地上波時代と同じ金曜20時から20時54分までの1時間番組として復活 、同年7月3日には、7. 3「NEW JAPAN CUP 2020」準決勝LIVE~と称して試合の生中継を実施した。 ワールドプロレスリング完全版() 地上波ワールドプロレスリングの完全版として、主にPPV大会の全試合をノーカット放送する。 ワールドプロレスリング クラシックス(テレ朝チャンネル1・2) 過去のワールドプロレスリングから名試合を厳選して放送。 ワールドプロレスリングLIVE(テレ朝チャンネル2) 注目大会を生中継する。 終了した番組 [ ]• 闘魂スーパーバトル(BS朝日) 2005年 - 2008年。 地上波中継を補完する意味合いでスタートした1時間番組。 のちに中継から漏れたジュニアヘビー級に特化した編成に移行した。 () 「ワールドプロレスリング完全版」を2時間に再編集して放送。 6月でサービス終了したため、放送終了となった。 ()テレ朝チャンネルが「ワールドプロレスリング クラシックス」放送を開始する時期に打ち切られた模様。 映画 [ ] 2011年から2014年までの期間、ワールドプロレスリング製作スタッフとテレビ朝日の3D推進プロジェクトが組み、試合映像を使用した劇場用ドキュメンタリー映画を製作。 第6弾となる「ワールドプロレスリング3D第6弾1. 4東京ドーム2013」では国際3D協会 ルミエール・ジャパン・アワードでドキュメント/ライブ部門・作品賞を受賞している。 ワールドプロレスリングG1クライマックス3D(2010年10月2日劇場公開)• ワールドプロレスリング1. 4東京ドーム3D(2011年2月26日劇場公開)• ワールドプロレスリングG1クライマックス3D 2011(2011年10月1日劇場公開)• ワールドプロレスリング3D第4弾 1. 4東京ドーム2012(2012年2月25日劇場公開)• ワールドプロレスリング第5弾G1CLIMAX3D 2012(2012年9月29日劇場公開)• ワールドプロレスリング3D第6弾 1. 4東京ドーム2013(2013年2月23日劇場公開)• ブシモ Presentsプロレス3D第7弾 ワールドプロレスリング G1 CLIMAX 2013(2013年9月28日劇場公開)• バディファイトPresentsワールドプロレスリング3D第8弾 1. 4東京ドーム 2014(2014年2月22日劇場公開) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• CS()の(2013年4月以降は)では、『ワールドプロレスリングLIVE』として2012年5月から生中継を再開している(放送は不定期)。 日本テレビにおけるプロレス中継最長寿番組は『』の27年9カ月。 1987年10月にマイナーチェンジが施された。 舟橋によると、1972年8月28日に『NETワールドプロレスリング』で実況生中継された「第2次サマー・ビッグ・シリーズ」金岡体育館大会において、観客の入りが極端に少なかったために(主催者発表で2500人であったが実数はそれ以下であった)、NETや中継協力局であったの中継スタッフを総動員してリングサイドに座らせたうえで、中継用の照明を暗くして番組収録を行ったとされる。 極端な場合はANNフルネット局で行われた大会のみ金曜に日程が組まれることもあった。 例として、「金8枠」終了直前のシリーズであった1986年の「バーニング・スピリット・イン・サマー」の地方開催における生中継の制作協力局は、名古屋テレビ(テレビ朝日系列)・テレビ信州(当時はテレビ朝日系列・日本テレビ系列)・秋田放送(日本テレビ系非マストバイ局)であった。 地方の小会場で最終戦が行われた場合は、例外で最終戦直前の都内や大阪・福岡などの大会場の試合を録画中継していた。 広島ホームテレビでは、時折本番組を深夜枠等での遅れネットとしたうえで戦中継を県域ローカルで放送することがあった。 例外として、1982年10月8日にプロ野球セ・リーグの優勝争いに関わる対のナイター中継が組まれていたが、試合が雨天中止となったため、長州の造反劇を生放送で流すことができた。 日本プロレス中継時代は、日本テレビのの方式に同じく、メインイベントなどの前に行われた花束贈呈で、「試合に先立ちまして、(スポンサー社名)より、両選手・レフリーに花束の贈呈でございます…」と番組スポンサー協賛の読み上げが行われた。 「ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング」の第1回では、以下のような演出が行われた。 個人の、今でいう「煽りビデオ」を放映。 ビル街のセットからビガロが顔を出して吼えるという、怪獣映画チックな作り。 試合前の猪木の控室に、レポーターとしてが登場。 一通りインタビューを行ったが、その後スタジオから山田が「今日ビガロにかける技を笑瓶さんにかけてください」と呼びかけ、猪木を唖然とさせる。 一方のビガロの控室では、アナウンサーがビガロへのインタビューを試みたが、激高したビガロが、藤井のスーツの両袖部分を一気に引き裂き、さらに尻を蹴るという暴行を加えた。 前月(1987年3月)の試合で猪木との遺恨が出来たマサ斎藤が、突如スタジオに現われ、手錠を片手に猪木との再戦をアピール。 「こんなんで試合出来るか!? 」と言いつつ、に手錠をかけてその場を去っていった。 会場での猪木の入場時に、花道はおろかエプロン下までスモークが焚かれる。 なお、当時の東スポによれば、マサ斎藤はアメリカ流のプロパガンダ的なTVインタビューに慣れていたこともあって『ギブUPまで-』の開始に関しては「日本にもこういう番組が現われたか」と喜んでいたという。 試合中継のパートの途中で、スタジオにいる山田邦子を始めとする出演者の表情が、(いわゆるワイプではなく)一瞬アップで断続的に挟み込まれる演出は、当時のプロレス雑誌の読者欄に「山田邦子のギブアップ顔は見たくない! 」という投書が寄せられるほど不評だった。 また『ギブUPまで-』の第2回では、試合中継パートが事前収録でありながら、メインイベントの試合中に「ここで放送時間がなくなってしまいました! 」と突然途中でカットしてしまうという、本末転倒な演出が行われた。 土曜日の16:00 - 16:54という時間帯に移動したものの、移動からしばらく後よりこの時間帯において、不定期かつ単発でゴルフの各大会の中継が行われるようになり、さらにそれが度重なる状況になったため、その割を食うかたちで当番組が不規則な形で休止される機会が多くなった。 当時の「」誌には、読者コーナー「あぶない木曜日」にて、ゴルフ中継を渋い顔で見ているファンの絵に「鬼のテレ朝! 冷血な10チャン! 」という一文が添えられた投書が大きく取り上げられたり、また、やはり不規則な休止に不満を持っていたという、当時のリングアナウンサー・が、地方大会のMCで「この次の土曜日は…ゴルフを見ていただきます」と口にしたという話が伝えられていた。 前述の年6回の特番に関しては番組解説者でもあるが発言したものであるが縮小以後はせいぜい年1回特番を放送する程であり、安田の創作である可能性も指摘されている。 これにより、ANNフルネット局がない地域では地上波の全国ネットのプロレス中継が視聴できなくなった。 現・番組プロデューサー。 実際には、2012年7月1日に行われた『&創立40周年記念興行』での実況が最後の出演である。 大会の開場時にも使用されている。 かつては金曜 2:55 - 3:25(木曜深夜)や日曜未明(土曜深夜)などに放送していた。 2015年1月から6月までは金曜 2:25 - 2:55(木曜深夜)、2015年7月から2018年9月までは金曜 1:55 - 2:25(木曜深夜)、2018年10月から2019年9月までは金曜 2:00 - 2:30(木曜深夜)。 2019年10月より、現在の時間で放送。 2012年5月5日 - 8月11日は『日食なつこのコトテン』放送のため、5分繰り下げ。 1969年10月8日から、中京テレビにてキー局と同時ネット。 第2日曜は2:15 - 2:45。 2018年3月(本番組の2017年度最終放送日)までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送。 2011年3月以前は日曜深夜に放送されていたが、編成の都合で放送時間が不定期に近かった。 週によって時間変動あり。 当初はテレビ高知でネットを開始し、後に高知放送へ放映権移行。 2014年10月5日から高知県における放送が29年ぶりに再開。 1970年代末期まではネット局に名前を確認できる。 後年のIBCでのネット開始までは、岩手は当番組について長らく空白地区となった。 当初はテレビ岩手で放送されていたが、テレビ岩手のテレビ朝日系列脱退に伴う途中打ち切り後は放送空白期間となった。 IBC岩手放送が1983年から深夜で時差ネット再開したが、岩手朝日テレビへのテレビ朝日系番組の移行準備のため、IBC岩手放送が放送していた他のテレビ朝日系番組と同様に1996年3月に途中打ち切り。 静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ)開局後もスポンサーの関係で10月改編まで引き続き放送した。 これに先駆けて静岡放送では、1970年8月29日(土)15:00 - 15:56に 「特別番組 『日本プロレス サマー・ビッグ・シリーズ』」が放映されている。 同年8月24日(月)に静岡県・で行われた大会より、アントニオ猪木、組vs、プリンス・ピューリン組及び、坂口征二vsカール・ハイジンガーを録画にて放送したもの。 これはキー局において、同年8月24日(月)に生中継という形で放送された、当番組と同じ内容である(当時の新聞のテレビ番組表では、猪木のパートナーはとなっているが、実際には星野とのタッグで出場した)。 なお、土曜15:00 - 15:56という時間帯は、そのまま同年10月から、同局での当番組の枠として使用された。 石川テレビは、新日本プロレスの中継に移行した頃から時差ネットを行っていた。 なおは、石川テレビの打ち切りでネットの空白期間があった際、金沢市での試合の中継についてのみ、単発で放映した経験あり(当時の週刊プロレスに、そうした内容の情報が掲載)。 1969年7月 - 10月の名古屋テレビでは土曜22:30から。 7月12日に開始、10月4日に終了。 中京テレビでの開始は10月8日から。 1979年3月までの放送エリアは岡山県のみ。 2017年現在も、新日本プロレスの広島県での興行時に、テレビ朝日・広島ホームテレビとともに後援に名を連ねている。 開局当時は同時ネットだったがのちに日曜10:05 - 11:00に遅れネット。 中京広域圏は名古屋テレビにおける『日本プロレス中継』終了と同時にの試合の放映権が中京テレビへ完全に移行。 山形県におけるの試合の放送は、山形放送への放映権移行直前にブロディが新日本プロレスに移籍したため、一貫して山形放送での放送となった。 出典 [ ]• 東京スポーツ 2009年11月25日付• Puroresu. com 2018年4月25日閲覧• Puroresu. com. 2018年8月17日閲覧。 Puroresu. com 2018年4月25日閲覧• Puroresu. com. 2018年8月18日閲覧。 Puroresu. com. 2018年8月18日閲覧。 Puroresu. com. 2018年8月18日閲覧。 『Gスピリッツ Vol. 23』P10(2012年、、)• 東京スポーツ・2009年12月2日付 6面 『格斗半世紀』第83回• ミック博士の昭和プロレス研究室• com 2020年6月22日閲覧• com 2015年7月21日閲覧• 2007年6月12日• Puroresu. com 2017年10月27日閲覧• Youtube 山田邦子 クニチャンネル 2020年2月29日• ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。 134-135• デイリースポーツ 2016年9月7日• スポーツ報知. 報知新聞社. 2020-02-09. 2020年2月10日閲覧。 スポーツ報知 2020年2月11日. 2020年2月22日閲覧。 多重ロマンチック. 2019年7月7日閲覧。 文化通信. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 www. kinenote. com. 2019年7月7日閲覧。 関連項目 [ ]• - おでかけエリアの「テレビ朝日ランド」内に当番組を題材とした「プロレス広場」がある。 - 新日本プロレスとテレビ朝日による有料動画配信サービス。 過去のワールドプロレスリングの試合映像の配信に加え、注目大会の生配信も行われる(ビッグマッチはスカチャンPPVもしくはテレ朝チャンネル2「ワールドプロレスリングLIVE」との同時放送。 での生中継試合はサムライTVと同内容での配信。 一部ビックマッチはワールド独占生配信(テレビ朝日制作)。 前哨戦の一部は定点カメラによる実況なしでの配信)• - とテレビ朝日による無料動画配信サービス。 格闘チャンネルで主要大会の映像が全試合配信されているが、一部入場曲は著作権上の理由により、挿し替えになっている。 参考文献 [ ]• 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 2』、2014年。 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 3』、2014年。 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 8』、2015年。 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 10』ベースボール・マガジン社、2015年。 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 12』、2015年。 『想い出のプロレス会場物語』ベースボール・マガジン社、2016年。 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 Vol. 29』ベースボール・マガジン社、2017年。 外部リンク [ ]• (、2013年7月11日) -•

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【前編】新日本プロレスワールドの改善考察|しんごさん|note

新日本プロレスワールド

新日本プロレスワールドの魅力 新日本プロレスワールドでは、ビッグマッチを中心とした大会生中継や過去の名試合を視聴することができます。 ビッグマッチは実況解説つきで、ワールドプロレスリングのように試合を楽しむことができます。 一つの大会を通して見ることができるので、会場にいるような感じで楽しめます。 地方大会中継ではカメラは定点固定、実況解説なしの場合もあります。 生中継を見逃しても、すぐに丸々アップされるので安心です。 新日本プロレスワールド独占生中継もありますし、 G1やニュージャパンカップなどのシリーズは全大会配信されるのも大きな魅力です。 生中継以外にも、過去の新日本プロレスの試合を視聴することが可能です。 シリーズ別・年代別・選手名などで検索することができ、古いものでは70年代の試合まであります。 最近ファンになった方には古い試合もぜひ見て欲しいですね。 試合以外にもバックステージコメントや記者会見の生配信、選手へのインタビュー動画などが不定期配信されます。 新日本プロレスワールドでしか視聴できないインタビューや密着取材などもあるので、選手の違った一面が見れます。 残念なことに、 新日本プロレスすべての試合がアップされているわけではないというのは、お知らせしておかなければなりません。 例えば「小川直也」が新日本プロレスに参戦したときの試合は一切ありません。 また、入場シーンでは権利上の理由で音声がカットされていたり、別の曲に差し替えが行われていることがあります。 どうしても見たい過去の試合がある場合は、入会前に選手名で検索しておくのがいいでしょう! 新日本プロレスワールドの料金は? 新日本プロレスワールドの料金は 「税込み月額999円」たったこれだけです。 999円で新日本プロレスワールド内のすべての動画が視聴できます。 わずらわしいプランもありませんし、ビッグマッチは別料金が必要ということもありません。 新日本プロレスワールドの支払方法は? 新日本プロレスワールドの料金は、以下の支払い方法が用意されています。 Paypal• クレジットカード決済( VISA・Master・JCB・AMEX・NICOS)• VISAデビット• ドコモケータイ払い• auかんたん決済• ソフトバンクまとめて支払い お好みの決済方法で登録を進めましょう! 注意点として、 ビッグマッチ直前に入会登録しようとするとサーバーが重くエラーになってしまうことがあります。 どうしても見たい生中継がある場合は余裕を持って入会しておくことをオススメします。 新日本プロレスワールドは無料で見れるの? 新日本プロレスワールドでは、以下のように無料で見れる動画もあります。 バックステージコメント• 選手インタビュー• あおりVTR• グッズプロモーションVTR たまに大会生中継を丸々無料配信するときもあり、などで告知があるのでチェックしておきましょう。 「フリーマッチ」という、期間限定で無料視聴できる過去の名試合がアップされることもありますよ。 も、ぜひチェックしてみてください! 新日本プロレスワールドの退会方法は? 新日本プロレスワールドの退会方法ですが、複雑な手順は必要ありません。 から簡単に行えます。 月の途中で退会しても999円全額の支払いが必要です。 間違って退会してしまった場合、再入会するとさらに1か月分の料金がかかるので、ご注意ください。 新日本プロレスワールドはテレビ視聴できる! 新日本プロレスワールドは、「スマホ」「iPadなどのタブレット端末」「パソコン」で視聴することが可能です。 もっと大きな画面でプロレスを楽しみたい! 家族や友達と一緒に見たい! といった人もいると思いますが、 新日本プロレスワールドはテレビ視聴も可能です! 具体的には• を使用します。 ととは、USBより少し大きいぐらいのデバイスで、TVのHDMI端子に挿して使います。 wifi環境があることが条件ですが、TVの大画面で新日本プロレスワールドを視聴できるのは魅力ですね! Fire TV Stickの方がサクサク動作するので、今から購入するならFire TV Stickにしておきましょう。 詳細は下の記事を参考にしてみてください。 新日本プロレスワールドはPS4で視聴できない 新日本プロレスワールドをPS4で視聴したい人も多いようですが、残念ながら出来ません。

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