きもい さかな。 KUN

世界最大の巨大魚&水生生物ランキング【TOP50】

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こんにちは、Makishiです! 東京に住んでいた頃、知り合いに「沖縄は変な名前の魚多いよね〜」、「あんなにカラフルだけど、おいしいの?」なんてよく言われました。 そんな変な名前のカラフルな魚たちを、紹介したいと思います。 代表的な 変な名前の 魚達 県外の方に、魚の名前がほとんど通じなかった経験があります。 なんでだろう〜とずっと不思議でしたが、僕の知っている魚の名前が、方言だったということが理由でした。 グルクン 正式名称 : タカサゴ科の魚で、沖縄の県魚としても有名です。 魚にあまり詳しくない人でも「ぐるくん」というキーワードを、一度は聞いた事があるんじゃないでしょうか。 沖縄居酒屋なんかでは、「グルクンの唐揚げ」をよく見掛けます。 海で泳いでる時は宝石のように青く光っていますが、水揚げされると真っ赤に変わってしまう、おもしろい魚です。 イラブチャー 正式名称 : イラブチャーとはブダイ科の総称をさします。 ブダイの特徴は外見がカラフルで、口がインコのくちばしのようになっているところ。 沖縄ではよく刺身で食べます。 味は淡白な白身で味はとてもあっさりしています。 県外の方が「沖縄の魚はカラフル」という印象をもつのもイラブチャーの影響が大きいんじゃないでしょうか。 タマン 正式名称 : フエフキダイ科の魚。 沖縄ではもっとも親しまれていて、釣り人にも愛されている人気の魚です。 口がちょろっと伸びていて外見がとてもかわいいやつです。 ガーラ 正式名称 : アジ一般の総称。 マース煮(塩煮)が多いです。 魚なのに、釣られて陸にあがると悲鳴のように「ぐゎーぐゎー」と鳴きます。 ミーバイ 正式名称 : ハタ類の魚の総称です。 イシミーバイやアカミーバイなど、種類によってさまざまな呼び方があります。 釣り人にも親しみのある魚です。 お汁、マース煮、バター焼きなどで調理されます。 半纏もようが毒々しい感じもしますが、ちゃんと食べられる魚です。 アバサー 正式名称 : 誰でもしっているハリセンボン。 沖縄では方言でアバサーと呼ばれています。 こんな外見ですが、意外に高級魚! よくスーパーや市場で手のひらサイズのアバサーが1匹¥500くらいします。 針と皮を剥ぐと、貧相な外見に変わってしまいますが、なかなか良い出汁を出してくれます。 グルクン、イラブチャー、タマン、ガーラ、ミーバイ、アバサー 残念ながら名前の由来に関する情報は見つけられませんでしたが、改めて、文字だけ見てみると呪文!?のように感じてしまいません? どうしてこんな名前になった!? 不思議です。 笑 沖縄の魚はおいしくない!? よく沖縄の魚はおいしくないと聞きますが、じゃあ実際にどうなのか? 個人的な、沖縄の魚の印象をまとめてみました。 脂がのっている魚が少ない 本土でよく食べる魚 マグロ、ハマチ、鮭、etc のように脂がのった魚があまりいません。 北海道や寒い地方の魚は、体に脂をたくわえやすいですが 脂がのっている 、沖縄のように気候が暖かいところの魚は脂がのっていないので、おいしくない。 となるのかもしれません。 においの強い 癖のある 魚が多い 沖縄の魚は、南国特有の磯臭い魚が多い気がします。 それを好んで食べる人もいますが、一般的ではないのかもしれません。 僕個人の意見ですが、僕は沖縄魚は大好きです。 コリコリとした歯ごたえのある魚が多く、磯臭さも、子供のころから食べていると、それが当たり前で、あまりにあっさりしすぎると「魚」という感じがしません。 あくまで、個人的な意見ですが。。。 新鮮な魚が手に入る「泊いうまち」 20店舗以上の鮮魚店が入っていて、その日水上げされた新鮮な魚を購入することができます。 魚の種類も、県産はもちろん、数多くの魚介類が販売されています。 タイミングが合えば、マグロの解体や、生牡蠣をその場で食べたりすることもできます。 ぜひ一度、足を運んでみてはどうでしょうか。

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勘違い男による被害報告まとめ 改め くぁwせdrftgyふじこ : 【21

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世界にある様々な埋葬の習慣の中でも、最も変わったものという印象があるミイラ。 日本では、肉体が存在する限り魂は天国に行かれないという信仰があるため、遺体の処理にはかつては土葬が、そして現在では火葬が用いられてきました。 これは日本の多湿な気候から言ってもやむを得ないことだったのですが、乾燥した土地では死者がいつまでも存在できるようにと盛んにミイラづくりが行われてきました。 ミイラといえばエジプトというイメージがありますが、世界各地に意図して作ったもの、偶然発生した者など様々なミイラが存在し、それぞれの土地の宗教や死生観を色濃く反映しています。 世界各地に残るミイラや、それにまつわる不思議や思想について紹介していきます。 古代エジプトでミイラづくりが盛んだった理由とは? 古代エジプトではミイラのことを「サアエフ 崇高なるもの 」と呼んでおり、彼らにとってミイラづくりとは単なる埋葬の方法ではなかったことが窺えます。 ミイラの起源は定かではありませんが、史上初めて誕生したミイラは砂漠地帯で自然に体内の水分が蒸発して、干からびたものだった、つまり偶然に誕生したものだったのではないかと考えられています。 そうなると高温で乾燥した環境の場所、例えばオーストラリアなどでも行き倒れた死者が自然にミイラになり得たはずです。 しかしミイラに対して畏敬の念を感じ、精巧な手法を用いて3000年もの間ミイラを作っていたのは古今東西でエジプトのみ。 artnet. オシリス神話は以下のような内容となっています。 オシリス王には弟のセト、妹のイシスとネフティスがおり、名君としてエジプトを治めていたもののセトに殺害されて箱に入れられたまま川に投げ捨てられてしまいます。 オシリス王を入れた棺はシリア海岸のビブロスに流れ着き、イシスはオシリス王を復活させて彼との間にホルスという子供を産みます。 しかし激高したセトは、今度はオシリス王を殺害した後にバラバラにして、2度と復活しないようにしてしまいます。 するとイシスはオシリス王の体のパーツがある場所1つ1つを訪ねて回り、全てに墓を建立しました。 これによりオシリス王は死者の国で復活し、永遠の王となったのでした。 ancient-origins. 死者を正しく埋葬すれば、この神話に基づいて生まれ変わることができ、永遠の命が得られると考えられるようになったのです。 abc. net. オシリス王がセトによってバラバラにされたことで現世での復活が不可能となったため、死後の復活が妨げられないよう、体に欠損がでないように包帯でしっかり遺体を固定したのです。 ちなみにミイラの体に巻き付けてある包帯の長さは、300~400m程度。 目や口、耳などや尖った場所は何重にも覆われていたため、合計すると長大になるそうです。 カーは極めて個人的なもので、人間をつくる神・クヌムがこの世に誕生する人間1人1人に与えるものと考えられています。 2つ目の霊魂が「バー」で、肉体とカーが一体化した時に現れます。 最後が「アクー」というもので、これは神と人間を結び付ける役割を持ち、アクーは人間の体内ではなく天に存在するとされます。 人間が死ぬとアクーは朱鷺となって飛び立ち、バーも黒いコウノトリになって遺体から抜け出すと考えられており、カーも自然消滅してしまうのですが、肉体を保存することでカーを閉じ込めておけばバーも遠くには飛んでいかれないと古代エジプト人は考えたのです。 そのため火葬や土葬のように遺体が朽ちてしまったり焼失してしまう埋葬方法ではなく、できるだけ生前と同じ姿が保てるようにとミイラづくりが行われるようになりました。 ミイラの存在はどのようにして知れ渡ったのか? 英語ではミイラのことを「マミー」と言いますが、これはアラビア語の「ムミア」という単語に由来しています。 ムミアというのは高山から産出される天然アスファルトの一種・瀝青のことで、ムミアは中世のアラビアでは万能薬として重宝されていました。 しかし、本物のムミアは産出する鉱山が少ないうえ採掘できる量も少なく、希少なために価格も非常に効果でした。 なかなか手に入らないことも相まって「幻の秘薬」としてムミアの評判はヨーロッパ中に広がっていったのですが、この時に注目されたのがミイラだったのです。 エジプトにはムミアを使って包帯を巻きつけた死体が大量にあり、ここからムミアが抽出できるとの噂がまことしやかに流れはじめ、ヨーロッパ中がミイラに注目をするようになりました。 実際にミイラに包帯を巻く際に使用されていたのは樹脂だったのですが、薬の原料としてエジプトからミイラを輸入する国が増えていったのです。 smithsonianmag. この不気味な薬は文献にも数多く登場しており、『ロミオとジュリエット』『マクベス』の中でも名前が見られます。 一方でフランスの外科医が残した文献の中には「ムミアを飲むと激しい吐き気に襲われる。 元の痛みから気がそれるため、万能薬として過大評価を受けているのではないか?」との考察も見られ、その効果のほどは疑問視されていたようです。 しかし、薬の原材料としてのミイラの需要は高く、16世紀の後半には処刑や病気で亡くなった人の死体をかき集めて、ミイラを作って卸していた業者まであったと言います。 yomeishu. apec2016. アンデス山脈の西側に連なるペルーなどの沿岸砂漠地帯はミイラづくりに最適の環境であり、この地ではインカ帝国による独自のミイラづくりが行われてきました。 インカ帝国ではミイラは死者ではなく生者として扱われており、人々は家族や大切な人が亡くなった時、死者の肉体をミイラとして残し、生前と同じように話しかけて一緒に暮らしていたのです。 現存する最古のミイラは紀元前7000年前のもの 現存しているミイラの中で世界最古のものと考えられているのが、ペルーとの国境に近いチリのアタカマ砂漠から出土したミイラで、およそ7000年前に作られたものと見られています。 この地域では紀元前7000年前から1000年前にチンチョロ文化という文明が栄えており、ミイラ作りも盛んに行われていました。 チンチョロ文化ではミイラ作りに変遷が見られ、紀元前5000年ほど前に作られたものは「ブラックミイラ」と呼ばれて手足が切り離され、表面が炭化したように黒ずんだものでした。 チンチョロのミイラには子供や赤ん坊のものが多く、これは病や飢餓で早くに我が子を失くしてしまった親が、少しでも長くそばにいられるようにとの思いを込めて作ったものと考えられています。 そして、チンチョロのミイラ作りそのものが子供を想う親の気持ちから始まったものではないのか?と考察されているのです。 スペイン人はインカ帝国のミイラ技術を恐れていた? アンデスには文字という文化がなく、エジプトにおける『死者の書』のようなミイラづくりの文献は存在していません。 しかし薬草知識が進んでいたために、薬草を利用してまるで生きている時のように瑞々しい皮膚を保ったミイラなども存在していたそうで、これらの保存状態の良いミイラは皇帝や皇族などの身分の高い人に限られていました。 そしてミイラとなった皇帝は、生前と同じような権力を持ちました。 このような文化は世界に類がなく、インカ帝国に攻め込んできたスペイン人はミイラを王として祀る文化に恐怖を覚えたと言います。 そのためスペイン人たちは王族たちのミイラを略奪し、壊していったために、インカ帝国の皇帝のミイラで現存しているものは一体もありません。 しかしスペインの年代記にはインカ帝国の王族のミイラが「まるで生きているようだった」ことや、インカ帝国が王族のミイラを配置していくことで領土を拡大していたこと、それに伴って身内の権力争いが絶えなかったことなどを記されています。 インカ帝国滅亡の陰にミイラあり? インカ帝国では死んでミイラになった先代の皇帝の方が、現在の皇帝よりも権力を持っていると定められていたために、新しい皇帝は領土も財産も相続することができず、皇帝として権力を誇るためには自分で新しい領土を探す必要がありました。 ミイラになった皇帝が少ない時にはそれでも何とかなっていたのですが、世代を重ねるにつれてミイラ皇帝の数は膨れ上がり、その側近が権力を持つ、側近同士で権力争いをするといったことが各地で勃発して、国として機能しなくなっていったのです。 この状況に耐えられなくなった皇帝ワスカル 在位1527年-1532年 は、それまでのミイラの財産を没収してミイラ皇帝たちを墓に葬る決意をしました。 このことはインカ帝国に大きな混乱を巻き起こし、そこにつけこんで侵入してきたのがスペインだったのです。 ミイラを巡って混乱していな強大なインカ帝国はあっけなくスペインの手に落ち、民衆の心の拠り所であったミイラ皇帝達も全て焼き払われてしまい、2度と信仰心が復活しないようにと灰まで処分されたと言います。 この時に処分されたのは王族のミイラだけではなく、国中のあらゆるミイラが焼かれ、家族や親しい人のミイラを隠そうとした人々も処刑されたそうです。 museum. これはインカ帝国には古代エジプトのように頑強な棺を作る技術がなかったためと考えられており、麻袋などにミイラを包んでも破損や劣化が少なかったのが、この屈曲位の姿勢だったのではないかと考察されています。 エジプトに並んでミイラづくりが盛んであった中南米では変わったミイラも複数発掘されているのですが、そのうちの2体を紹介していきます。 nikkeibp. 標高6700mという呼吸さえ困難な高山域で発見された3体の子供ミイラは、コールドスリープをしているような自然な状態をしており、考古学者たちに衝撃を与えました。 これらの子供ミイラたちはインカ帝国で生贄に使われていたもので、インカ帝国では人々は山の上の聖なる場所に生贄を捧げていたことが、スペインの年代記によって明らかになっています。 生贄には10代前半くらいまでの子供が選ばれ、金銀や衣服、食べ物などを供物として一緒に捧げていました。 そして後の研究で画像の少女は15歳でミイラになり、胃の中には食べ物が残っており、満腹の状態でコカの葉やトウモロコシで作られたビールを飲まされて、眠るように息を引き取ったことが判明しています。 少女と共に発見された他の2体のミイラは上の画像の左右のものなのですが、向かって右側のミイラが黒焦げになっているのは、埋葬された後に雷が落ちて焼け焦げたものと見られています。 この3体の中で最も生贄として重要だったのが中央の少女と考えられており、彼女は動物の皮と熱帯の鳥の羽で作られた真っ白な帽子を被っていました。 これは身分が高い人しか身につけられない装飾品で、少女が皇帝に仕え、「太陽の処女」と呼ばれる特別な身分を与えられていたと予測されています。 3体の生贄が身に着けていたものは発見された場所の周辺では入手できないものばかりで、インカ帝国の都であったクスコやチチカカ湖周辺で作られていた特別なものと見られています。 つまり子供たちは周辺に住んでいた子から選ばれたのではなく、生贄にするためにわざわざ都から運ばれてきたのです。 そうすることで地方にも中央の権力を固辞し、広大な領土を保持できたものと考えられています。 アンデスの変形頭蓋ミイラ アンデスのミイラにはその頭蓋骨に著しい特徴を持つものが見られ、これはまだ頭蓋骨が柔らかい成長期に、人為的な力を加えて変形させたものと考えられています。 人類学者たちは頭の形状などを計測して他の部族との系統を研究しましたが、このような風習を持つ部族のミイラは他の集団には見られません。 アンデスでは頭蓋骨を変形させる器具をつけたまま埋葬された子供のミイラも発見されており、意図は不明ですが、虐待のために行われていたのではなく、何らかの信仰に基づいて「良いこと」と信じられて行われていたものと考えられています。 一説にはアンデスでは猫科の動物が神聖視されていたため、尖った耳に近づけるように幼児の頭蓋骨を変形させ、健康や幸せを祈ったのではないかとも目されています。 ancient-origins. ヨーロッパにおけるミイラ ヨーロッパにもミイラは存在し、中でもイタリアは骸骨で寺院を装飾するなど少し変わったミイラ文化を持っています。 エジプトやアンデスと違い、イタリアのミイラは意図的に作ったものではなく、乾燥して湿度の低い気候が自然にミイラを生み出したものと考えられており、イタリアでは遺体を8ヶ月の間屋外に放置しておけば、ミイラができあがるとも言われているのです。 そんなヨーロッパ 随一のミイラ大国であるイタリアの中で、最も有名なのがシチリア島の中心都市・パレルモにあるカプチン修道院の地下納骨堂に収められているロザリア・ロンバルトのミイラです。 1920年代に僅か2歳で肺炎により他界した少女のミイラであり、彼女はカプチン修道院最後の遺体でもあります。 防腐処理をしているものの腐敗が見られてきたため、現在では温度と湿度が安定したガラスの棺に納められています。 カプチン修道院の他にもヨーロッパにはミイラや人骨を装飾として使っている寺院は多く、これらには「世俗的な虚栄心や外見へのこだわりが、如何に無意味であるか」「人間は誰しも死すべき存在である」といった宗教観が反映されているのだそうです。 ヨーロッパの変わったミイラ 意図的に作られたもの以外にも、ヨーロッパでは行き倒れた遺体や殺害された遺体などが湿地帯で自然にミイラ化したものも数多く発見されており、中には驚くほど状態の良いものも複数あります。 悲惨な死を遂げたことが分かるものや、どうしてこんなところに人が?と思われるような場所で発見されたミイラなど、ヨーロッパの変わったミイラを紹介していきます。 dailykos. ウコクの王女が発掘されたのはシベリアの永久凍土で、発見当時、2人の男性と鞍をつけた6頭の馬と共に埋葬されていました。 髪の毛は剃られており馬の毛で作られたかつらを装着しており、推定年齢は25歳から28歳で身長は162cm。 死因は癌と考えられています。 体は腐敗して白骨化していますが、気候のおかげで肩と左腕は白骨化しておらず、鷹の嘴と羊の角を持つ神話上の生物の刺青が見られます。 そのため本当は王女ではなく、シャーマンだったのでは?という意見も。 このウコクの女王が発見されてからアルタイ共和国では不吉なことが継続して起きており、女王の呪いではないかとも囁かれています。 ミイラを輸送するヘリコプターが原因不明のエンジン停止を起こす、近隣の村で急激に自殺者が増える、伝染病が流行する、そして2003年にはマグニチュード7のチュヤ地震が発生しており、これらが女王を発掘したことによる祟りだと噂されているのです。 不朽体・聖ジータ 聖ジータはメイドの守護聖人として知られており、12歳の時にメイドとして働きはじめ、50年近くも献身的に主人一家に仕えたと言われています。 彼女が1272年に60歳で亡くなった時には街の教会の鐘が勝手に鳴り出したなど、様々な奇跡が起きたとの言い伝えあるそうです。 聖ジータの棺が発見されたのは1580年に入ってからだったのですが、遺体はほとんど劣化しておらず、1696年に聖ジータは成人の列に加えられました。 カトリック教会にはキリストが遺した物を「聖遺物」としてあがめる風習がありますが、その中でも成人の亡骸は最上位とされ、聖人の遺体は「不朽体」と見なされて、来世を先取りした稀有な存在として信仰の対象となります。 聖ジータの遺体は亡くなってから数百年を経ても保存状態が極めてよく、カトリック教会の考え方によると腐敗しないのは神聖さの証なのだとか。 ちなみに不朽体は普通のミイラと違って防腐処理や加工はご法度とされており、あくまでも自然の状態でありながら朽ちていないことが大切なのだそうです。 イデガール イデガールはオランダのイデ村近郊にある泥炭湿地で発見されたミイラで、紀元前1世紀頃に16歳前後で死亡したものと見られています。 発見されたのは1897年で、当初の保存状態は良かったものの採掘者が損傷を与えてしまったために、残っているのは頭部と胴、右手、両脚のみです。 さらに歯や髪の毛の大部分は村人によって引き抜かれ、売られてしまっており、亡くなった後も悲劇に見舞われたミイラと言えます。 身長は推定137cmと小さく、脊椎側弯症を患っていたことも判明しており、首に羊毛で織られたケープを巻いていること、鎖骨付近に刺し傷が見られることから、処刑されたか生贄にされたかのどちらかだと目されています。 イデガールは2000年代前半に世界中の博物館を回りましたが、死因や外観があまりにも悲惨なことからカナダでは展示がされなかったという過去も持ちます。 weebly. これら湿地ミイラの多くが鉄器時代のもので、ごく最近のものでは第二次世界大戦中のものまで見られるそうです。 特に鉄器時代の湿地ミイラは裸で外傷がある状態で発見されることが大半で、生贄として使用されたか、罪を犯したために処刑されて泥炭に埋められたものと見られています。 また、湿地ミイラは発掘時に状態が良くても大気に触れると急速に分解が進んでしまうため、保管が難しく、綺麗な状態で保存されているものは全世界で合計53体のみです。 日本の即身仏 生きながら土の中に入り、永遠の魂を肉体に宿したとされる日本の即身仏。 和製ミイラとも言える即身仏ですが、死後に特別な処理を行う外国のミイラと違い、即身仏になるためには生前から厳しい修行に耐える必要があったとされます。 即身仏のルーツには弘法大師空海が唱えた真言密教があり、厳しい修行を積み重ねることで「その身が即ち仏になる」という教えに従って即身仏になろうとする修験者が生まれました。 即身仏になるためには、まず山にこもり、1000日から3000日の間、穀物を口にせずに草や花、果実だけで生活をするという「木食行」という修業を積みます。 当然ですが木食行を続けると体はやせ細り、脂肪も水分も体内から焼失していきます。 そして最後に漆の樹液を飲んで嘔吐を繰り返し、完全に水分を絞り出すのだそうです。 死期が迫ると修験者は土中に組まれた石室に入り、水以外は口にせずに絶命するまで無言で祈り続けます。 そして絶命したことが確認されると暫く石室で遺体を乾燥させた後、掘り返されて即身仏として祀られるようになるのです。 ここまで苦しい思いをして修験者が即身仏になろうとしたのには理由があり、肉体と精神の永遠を獲得することで、民衆を病や飢饉から救うことができると信じられていたからでした。 即身仏は自分の存在を永久に残したいという我欲のためでは無く、衆生救済を祈願したものであり、それ故に現存する十数体の即身仏は今でも多くの人々の尊敬と信仰を集めているのです。 先住民族とミイラ 上の画像はアマゾン川上流に住んでいる少数民族、ヒバローが作った干し首です。 ヒバローのような首狩り族にとって敵の部族の長を殺害した後、その首を狩ってミイラ化する風習は珍しいものではなく、昔から南米や東南アジアではよく見られました。 人間の頭部には霊が宿ると信じられていたために、それが漏れ出さないように目や口が堅く縫い合わされているのが特徴です。 nikkeibp. 脂を抜いた後の遺体は小屋に安置されて皮膚と内臓が乾燥されるまで燻され、朽ち果てるまで村を見渡せる崖に並べられ、侵入者を監視する役割を果たすと言います。 この風習は1975年にパプアニューギニアが独立した際にカトリック教会によって禁じられましたが、まだ未開の奥地では続けられているそうです。 まとめ 古代エジプトは当時、世界一進んだ医療を持つ国であったと言われています。 これはエジプト人が意識的に医学を発展させたのではなく、どうやったらより綺麗なミイラが効率よく作れるか?ということを研究した結果、付随して人間の体の仕組みを学ぶことになり、医学が発展したとの説もあります。 この頃のエジプトにはメソポタミアなどから病人が訪れ、さらにエジプトの医者が近隣諸国へ治療の旅に出ていたとの記録も残っており、永遠に生きたいという願望から生まれたミイラづくりの技術が見ず知らずの人の命を繋ぐのに役立っていたのかと考えると、生と死の不思議な連鎖と縁を感じずにはいられません。

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世界最大の巨大魚&水生生物ランキング【TOP50】

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ナイルパーチ 全長2m、体重200kgに達する大型の淡水魚で、アフリカ大陸熱帯域の川、塩湖、汽水域に生息しています。 放流された水域では外来種として在来生物群集の激減、絶滅など非常に大きな影響を与えることからIUCNの「世界の侵略的外来種ワースト100」、日本でも要注意外来生物に指定されています。 オオシャコガイ 熱帯から亜熱帯海域の珊瑚礁の浅海に生息する世界最大の二枚貝です。 その全長は最大2m、体重200kg以上のものも存在します。 そのあまりにも巨大な姿は、情報が乏しかった1960年頃まで、海中に潜った人間が手足を入れると急に殻を閉じて食べてしまう「人食い貝」と考えられていました。 実際は閉じ方が緩慢でそのようなことはありません。 エチゼンクラゲ 大型のクラゲの1種で、傘の直径は2m・湿重量は150 kgに達します。 近年、日本沿岸で大発生を繰り返し漁業に大きな被害を出していますが、その生態はあまり分かっていません。 アムールイトウ 別名タイメン。 シベリア、モンゴルなどの河川に生息し、最大で体長2. 1m、体重105kgに達する世界最大のサケ類の一つです。 キタユウレイクラゲ クラゲ最大種の一つで、北極、北大西洋、北太平洋など寒冷な海に生息しています。 最大で直径2. 3m、長さ37mという触手を持ちます。 デンキウナギ 南アメリカのアマゾン川・オリノコ川両水系に分布する大型魚で、強力な電気を起こす危険な魚です。 成魚は全長2. 5mに達し、デンキウナギ目の魚の中では最大種になります。 メコンオオナマズ 全長は最大3m、体重300kgにもなる世界最大の淡水魚の一つです。 植物を食料としており、植物だけを食べる魚類ではパーカーホと並び最大とされます。 詳しい生態は分かっておらず、乱獲や環境破壊による生息数の減少によりIUCN絶滅危惧IA類に指定されています。 ドクウツボ 最大で全長3m、体重30kg。 北は琉球諸島、ハワイ諸島。 南はニューカレドニア、トゥブアイ諸島。 温暖なサンゴ礁や岩礁の浅瀬に生息しています。 ドクウツボは食物連鎖の頂点にいるため、生物濃縮で体内に高濃度の毒素を保有しています。 バガリウス・ヤレリ インド、タイ、マレーシア、インドネシアなど東南アジアに広く生息しており、最大3m~4m、体重200kgを超えるサイズまで成長します。 餌を見つけると巨大な牙で急に襲い掛かり、口に入るものは何でも捕食する獰猛な魚で、インドでは悪魔の人食いナマズとして恐れられています。 パーカーホ 東南アジアに生息する最大級の淡水魚であり、コイ科の最大種。 植物食の魚類としても、メコンオオナマズと並び世界最大とされています。 最大で全長3m、重量300kgを超えることもあり、通常はメスよりオスの方が大きくなります。 最近では、食用の為の捕獲と生息環境の破壊により個体数が激減しています。 アリゲーターガー 北アメリカ大陸最大の淡水魚ですが、日本でも外来種として生息しており、生態系に大きな影響を及ぼすことから特定外来生物に指定されています。 信頼できる記録では、全長304. 8cm、体重104. 4㎏の個体が、1953年にミシシッピ州で捕獲されています。 マンボウ 最大全長333cm。 体重2. 3トンで、現在生息している世界最大級の硬骨魚の一種です。 全世界の熱帯・温帯の海に広く分布しており、大きな体に愛嬌のある風貌で、水中を悠然とただよう姿はスクーバダイビングなどで人気が高い魚です。 ジュゴン 人魚伝説のモデルになった生物であり、大きなものは全長4m、体重900kgまで成長します。 インド洋、西太平洋、紅海に生息していますが、食用や油用、皮革用、牙の狩猟、海洋汚染、漁業やサメ避け用の網による混獲などにより生息数は減少しており絶滅危惧種に指定されています。 ヨーロッパオオナマズ 中央、南、西ヨーロッパやバルト海、カスピ海近辺で広く見られる大きなナマズで、最大で長さは4m以上、体重は394kgにも達します。 淡水魚としては、オオチョウザメに次ぐ2番目の大きさとされています。 続いて30位~11位を見てみましょう!.

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