蝸牛 角 上 の 争い。 蝸牛角上の争い

蝸牛角上の争い

蝸牛 角 上 の 争い

どっちが先に喧嘩を売っただとか、つまらないことで言い争うなよ。 そんなもの 蝸牛角上の争いだ。 仲間内でもめるのはよせよ。 蝸牛角上の争いはやめて、もっと大きなアイディアを考えたらどうだ。 「蝸牛角上の争い」の由来 「蝸牛角上の争い」ということわざは、中国の思想家が記した『 荘子』という書物の中で語られた話がもとになっています。 中国の戦国時代の魏 ぎ の君主、恵王 けいおう は斉 せい 王の暗殺を企てていました。 そこに、側近 そっきん の恵施 けいし が載晋人 たいしんじん という人格者を連れてきます。 その人格者は、蝸牛 かぎゅう の右の角には蛮 ばん 氏の国、左の角には触 しょく 氏の国があり、両者が争った話を恵王に聞かせます。 両者は 梁 りょう という王朝をめぐって争い、数万の犠牲者を出しました。 このことを受けて人格者の載晋人は、「広大な宇宙に比べれば魏はほんのささやかな存在である。 」としました。 さらに、「その中に存在する梁 りょう はちっぽけな存在でしかない。 恵王のしようとしていることは蝸牛角上の争いでしかない。 」と説得したことから、このことわざが生まれました。 また中唐 ちゅうとう の詩人、 白居易 はくきょい の詩集の中にも、「蝸牛 かぎゅう の角の上に何事をか争う、石火 せっか の光の中に此身 このみ を寄せたり」という一節があります。 「蝸牛の角の上に何事をか争う」は、かたつむりの角のような小さな狭い場所で、人は何を争っているのだろうかという問いかけです。 「石火の光の中に」は、「ほんの一瞬の時間に」という意味で、人間の身を石火のようにはかないものに例えています。 よって、「石火の光の中に此身を寄せたり」は、人生とは、石火のような一瞬のうちにこの身をかり住まいさせているものである、という意味になります。 したがって、つまらないことで争わず、人生を喜び楽しんで過ごすべきであるということを言っています。

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蝸牛角上の争いの意味!原文だとどうなってる?

蝸牛 角 上 の 争い

「蝸牛」は、かたつむり。 【語源・由来】 『荘子』という書物の一節である。 中国の戦国時代・魏の第3代君主として君臨していた恵王(けいおう)は斉王の暗殺を企てていたところ、側近の恵施(けいし)が載晋人(たいしんじん)という人格者を連れてきた。 載晋人は恵王に蝸牛の存在を知っているか尋ね、王は肯定し、さらに載晋人は話を続けた。 載晋人曰く、蝸牛の左の角に触氏という者の国があり、右の角には蛮氏という者の国が存在した。 あるときその両者が角の上で互いの領地を争ったという。 載晋人はその逸話を現世に置き換え恵王に、「広大な宇宙に対し、魏はほんのささやかな存在である。 そんな中に存在する、梁などちっぽけな存在でしかない。 恵王のしようとしていることは 蝸牛角上の争いでしかない。 」そう説得したという話が由来とされている。 【類義語】 ・蝸角の争い ・蝸牛の角争い ・蛮触の争い ・蝸牛の角の上に何事をか争う ・コップの中の嵐 ・石火光中この身を寄す 【英語訳】 ・A storm in a teacup. ・Meaningless argument.

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蝸牛角上の争い:意味・原文・書き下し文・注釈

蝸牛 角 上 の 争い

【意味】 狭い世界のつまらない争いのこと。 説明 「蝸牛」とは、カタツムリのこと。 「角上」とは、カタツムリの角(目の先)のこと。 「ある日、カタツムリの左目にある国と、右目にある国が激しい戦いをしていた。 」という昔話(中国「則陽」著:荘子)がある。 しかし、人にしてみたらどうでもいいことであり、むしろ気にしている方がおかしい、というたとえ。 詳細 注釈、由来 【注釈】「蝸牛」はかたつむりのことで、「角上」はかたつむりの角(目)のこと。 【出典元】「荘子」 【語源・由来】『荘子』という書物の一節である。 中国の戦国時代・魏の第3代君主として君臨していた恵王は斉王の暗殺を企てていたところ、側近の恵施が載晋人という人格者を連れてきた。 載晋人は恵王に蝸牛の存在を知っているか尋ね、王は肯定し、さらに載晋人は話を続けた。 載晋人曰く、蝸牛の左の角に触氏という者の国があり、右の角には蛮氏という者の国が存在した。 あるときその両者が角の上で互いの領地を争ったという。 載晋人はその逸話を現世に置き換え恵王に、「広大な宇宙に対し、魏はほんのささやかな存在である。 そんな中に存在する、梁などちっぽけな存在でしかない。 恵王のしようとしていることは蝸牛角上の争いでしかない。 」そう説得したという話が由来とされている。

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