河口湖 台風 被害。 台風19号、東日本各地の鉄道に残した深い爪痕

台風19号、東日本各地の鉄道に残した深い爪痕

河口湖 台風 被害

浸水した車両は、被害の状況によっては廃車せざるを得ないおそれもある。 E7系・W7系1編成あたりの製造費はおよそ32億8000万円とみられ、もし何本も新造しなければならないとすれば相当なコストと時間がかかる。 E7系は、上越新幹線でも2階建てのE4系を置き換えるために導入が進んでいる。 これを北陸新幹線の救済に回すことも考えられるが、もしそうなれば、2020年度末までにE4系をすべて置き換えるというJR東日本の車両計画に影響を及ぼす可能性もある。 東京と山梨県内や長野県を結ぶ特急「あずさ」「かいじ」、富士急行線に乗り入れる「富士回遊」は運休が続いている。 中央本線の大月まではオレンジ色の中央線快速列車も乗り入れ、都内への通勤利用者も多い。 影響は広範囲に及ぶ。 鉄道だけでなく道路にも被害が生じており、中央本線と並行する中央自動車道でも八王子市と相模原市の2カ所で土砂崩れが発生。 国道20号も橋の損壊や土砂崩れで一部が寸断されている。 山梨県内から都内に向かう方法は、道路の場合は中央自動車道を大月経由で河口湖方面に向かい、そこから東富士五湖道路を経て、御殿場から東名高速道路を利用することになる。 中央道の不通で高速バスも軒並み運休となっているが、山梨交通はこの迂回ルートで臨時のバスを走らせ対応している。 鉄道の場合は、甲府から身延線で富士・静岡に出て、東海道本線または東海道新幹線を利用するという遠回りなルートを使用せざるを得ない。 今回の被災により、山梨県・長野県へのJR貨物による石油輸送も困難になる。 不通が長引くことになれば、これらのエリアでは何らかの方法で石油輸送ルートを確保することも必要になってくる。

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災害史年表

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山梨県を直撃した台風は2009年10月以来2年ぶり。 富士五湖地方も相次ぐ台風の影響で各湖でも水位が上昇していた。 特ににできた土地だけに水が湧きやすく被害は甚大で忍野八海を中心に床上浸水などの被害が出た。 以下は忍野ライブカメラが捉えたもっとも増水した時の画像 9月21日17:04。 ライトアップの忍野ライブカメラが捉えた増水時の画像 9月21日18:14。 台風が通過して空も明るくなっている。 普段の忍野ライブカメラは以下の画像であるから如何に水位が上昇したかわかると思う。 さて、精進湖ライブカメラも精進湖の水位上昇を捉えている。 経験的に画像右下の監視塔 実際は競艇用 下が水につかると近くの窪地 赤池 に幻の湖が出現する。 以下は9月22日6:00の精進湖ライブカメラの画像。 はたして現地を訪れると幻の湖、赤池 富士六湖 が出現している。 前回は2004年10月14日ごろ 台風22号 から出現したので、7年ぶり。 ちなみに前々回は1998年10月2日ごろで6年ぶり、その前は7年前の1991年10月10日ごろ、さらにその前は1983年と1982年の2年連続で8年前。 幻の湖は約7年周期で現れると言われているが、今回も7年ぶりで周期に当たった。 ということは次回は2018年ごろか? 幻の湖はしばらく出現 3週間ほど? していそうなので是非。 目安は精進湖ライブカメラの塔です。 以下の画像は前回の赤池 幻の湖富士六湖。 富士山と幻の湖が入るポイントから。 このポイントは瀬之波橋という歩道付の大きな橋から A。 駐車ポイントは以下の場所にある B。 ちなみに、遠州七不思議の一つで同様に7年ごと出現すると言われる浜松市天竜区水窪町の幻の池はどうなった?こちらも赤池と同時期に出現するはず。 また、偏西風と地軸と地震の関係も7年周期ということで台風の進路と関係あるんじゃないかと想像してみる…。 手元にある富士八海 山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・明見湖・泉水湖[須戸湖]・四尾連湖 の本によると、赤池:精進湖の痕跡で閼加 あか 富士山に供える水 を取った場所とある。 全国的に赤池とは赤い池が由来で、この地も当初は溶岩の性質で赤い池だったとみる説を私は採る。 その後… 富士五湖. TVでも第一報から多くの問い合わせを受けました。 また、現地にも多くの観光客が訪れこの珍しい現象を堪能しているようです。 また、三島や富士宮方面でも道路から水が湧いている報道もなされたようで、富士宮焼そばの美味しい店裏の水路も主人と一緒に報道されていました。 まぁ、7年ぶりの出来事なので現地の交通に気を付けて赤池をご覧になってください。

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台風7号はその後毎時50キロメートル内外に速度を速めて北上し、14日6時半頃にはついに富士川河口付近に上陸しました。 その後台風は富士川に沿って北上し、猛烈な暴風雨を伴って7時ごろより山梨県に襲来したのです。 昭和34年8月12日午後から13日にかけて、前線活動による大雨が降り、河川がかなり増水していたところへ(前線による大雨がまだ終息していないうちに)台風7号の襲来となったので、河川の氾濫が続出し、明治40年以来の大水害となったのです。 総降水量と台風の進路は図-2. 1のとおりです。 降雨状況についてはおよそ次のようでした。 3日は台風7号の接近により、山梨県の南部では概ね15時ごろから、中心部では夕刻ごろから次第に雨が強くなり、本格的な台風の豪雨となりました。 台風が300キロメートル以内に接近した14日3時ごろには、顕著な降雨のピークが現れ、釜無川流域の藪の湯では1時間に37ミリが降りました。 このピーク後、一時雨勢は弱まりましたが、台風が富士川河口付近に上陸したころより、太平洋側から降雨は急激に強くなり、特に台風が山梨県に襲来した7時から8時頃にかけては、山梨県下全域にわたって猛烈な豪雨 1時間に30ミリから60ミリ となりました。 なおこの間の総降水量は、早川流域など山岳地帯で500ミリ以上に達しました。 8メートル、瞬間最大風速37. 2メートルに達する暴風雨に見舞われました。 台風7号が実に59年ぶりの記録であった上に、数十年来という大暴風雨が、同じ年に重ねて襲来したことは前例に無く、従来、内陸の山国という条件から、強大な暴風雨の経験に乏しかった被災地の住民にとって、貴重な教訓となりました。 マリアナの東にあった熱帯性低気圧が急速に発達して、22日12時に、台風15号となり、23日15時には、硫黄島の南南西約600キロに達して、895ミリバールという超大型台風となったのです。 その後台風は、26日15時に時速48キロメートルと加速され、紀伊半島に向かって北北東進し、ついに18時15分に潮岬西方15キロメートル付近に上陸しました。 上陸後も台風は中心付近の最大風速50メートル 秒速 、風速25メートル以上の範囲は中心から半径240キロメートルと、強い勢力をもって60キロメー トルの速い速度で紀伊半島を縦断し、23時に岐阜県白川付近を通り、27日0時45分頃新潟県高田と糸魚川の中間から日本海に抜けました。 山梨県下の降雨状況は、伊勢湾台風の接近に伴い、25日昼頃から県下全般に降雨が始まり、26日9時までの前線による雨量は、早川流域や県の南部では、50ミリから100ミリでした。 26日12時頃より全県下に渡り台風直接の降雨が始まり、15時頃から本格的な台風の雨となりました。 その後雨勢はますます強くなり、21時頃から23時頃にかけて県の南部や西部の早川流域と、富士川上流の長坂付近に集中的な豪雨があり、21時から22時までの1時間に御殿山では81ミリ22時から23時までの1時間に、雨畑で61ミリの強雨を記録しました。 24日以来の総降雨量は、図-2. 2のように西部山岳地帯を含む早川流域と、東部山岳地帯に多く300ミリを超え、特に雨畑では487ミリ御殿山では439ミリの大雨となったのです。 特に水害の中心は、山梨県西部の韮崎市から富士川上流に集中し、大武川の氾濫では、武川村で128戸が一瞬にして濁流に飲まれ、23名の死者及び行方不明者を出したのをはじめ、山梨全県下で流失全壊家屋1911戸、死者行方不明者89名に達しました。 また、長野県富士見町でも山津波によって、死者・行方不明者 19名を出しています。 台風15号は、山梨県周辺では台風7号よりも少ない降雨量でしたが、強風のため、多くの家屋損壊を発生させました。 また、台風7号によって堤防が破壊されていたところは、再び河川氾濫による浸水被害を受けました。 市町村 死者 行方不明 重傷 軽傷 全壊 流失 半壊 床上浸水 床下浸水 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 韮崎市 8 1 12 9 96 36 49 10 76 68 568 430 695 423 芦安村 8 2 4 10 15 8 7 4 5 6 武川村 13 10 2 1 10 4 3 128 2 21 10 19 3 75 13 白州町 3 1 4 7 3 16 33 16 40 32 6 13 25 双葉町 1 10 25 9 40 69 18 65 2 明野村 2 2 35 4 27 29 26 須玉町 1 1 2 28 21 57 6 88 高根町 2 4 1 57 27 91 80 長坂町 1 13 1 19 大泉村 8 1 19 小淵沢町 21 80 40 早川町 2 2 2 3 7 29 16 7 25 11 78 24 5 32 24 富士見町 18 1 2 7 2 3 24 10 1 232 132 45 3 371 150.

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