コンクリート 女子 高校生 生き埋め 事件。 女子高生コンクリート事件の詳細!犯人のその後・現在、再犯、家族

犯行少年が再犯で逮捕、女子高生コンクリ殺人事件の凄惨さ|NEWSポストセブン

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ゴーっと大きな音を立てて大型トラックが通り過ぎる。 道を歩く人はほとんどいない。 太い道路の間に物流倉庫などが立ち並ぶ、東京都江東区若洲の一角。 平成元年3月、この場所に放置されたドラム缶から、ボストンバッグに詰められコンクリートで固められた女子高生=当時(17)=の遺体が見つかった。 当時は工事現場。 有刺鉄線に囲まれた土地には雑草が生い茂っていた。 近くを通りかかった男性(41)は言う。 「昔はこの辺は不法投棄が多く、家電製品なんかがごろごろしていた。 ドラム缶があったとしても、誰も気に留めなかっただろう」 五輪に向けて開発 四半世紀が過ぎた。 24年に東京ゲートブリッジができて以降、現場から数百メートル離れた道路には、サイクリングを楽しむ人の流れが生まれつつある。 2020年東京五輪・パラリンピックに向け、湾岸エリア一帯は大規模な開発も予定されている。 「この周辺、という実感がわかないのが正直なところ」。 男性はこう話して通り過ぎた。 現場に戻るといまも車が走るとき以外、しんとしている。

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女子高生コンクリート事件の詳細!犯人のその後・現在、再犯、家族

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罰則がつけられていないのは、新聞の自主的規制に待とうとの趣旨によるものなので、新聞はいっそう社会的責任を痛感しなければならない。 すなわち、20歳未満の非行少年の氏名、写真などは、紙面に掲載すべきではない。 (後略)〉 日本雑誌協会には、これに類するものはない。 『週刊文春』は、前週の4月13日号の記事タイトルでも、「彼らに少年法が必要か」と疑問を呈している。 少年法に関する疑問と世の中への問題提起は、事件発生時から大きなテーマであり、取材を進めるにつれ、編集部内で議論はさらに高まっていった。 犯人4人の名前を特定する取材 論点は2つ。 ひとつは、犯行の凶悪さに対して、予想される刑期が軽すぎるのではないかということ。 もうひとつが実名報道だ。 被害者が美少女だったこともあって、週刊誌もテレビも彼女の写真は大映しで、プライバシーに関する報道も続いていた。 一方、犯人4人は同じ未成年なのに、一貫して匿名のまま。 おかげで、保護者たちも雲隠れを続けることができていた。 取材班は、少年法について学んだ。 多くの識者にも意見を求めた。 彼ら4人の名前を世に知らしめ、少年法の在り方について論議を促すことは、新聞やテレビにはできない。 しかし週刊誌ならできる、という意見が大勢を占めた。 実名報道を決めるのも大変な判断だが、その裏ではさらに大変かつ地道な努力が続けられていた。 4人の名前を特定する取材だ。 そもそも名前がわからなければ、報じることはできない。 さらに、もしも名前を間違えようものなら、少年法の意義を問うどころの騒ぎではない。 その取材を一身に担ったのが、前出の佐々木弘記者だった。 鉄壁の少年法に守られて、警察からの発表はもちろんない。 担当デスクの私は、佐々木さんに、 「実名でいきたいので、なんとか4人の名前を特定してください」 と頼んだ。 佐々木さんは事件現場の綾瀬へ連日通い、少年たちの自宅や盛り場周辺で聞き込みを続け、中学校時代のクラスメイトや遊び仲間を訪ね回った。

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【あの現場は今】「鬼畜」の所業40日間 女子高生コンクリ詰め事件 加害者はもう40代 生かされない教訓 (1/3ページ)

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女子高生コンクリート事件の主犯少年と家族の現在… マジで鬼畜だった… 女子高生コンクリート事件とは 昭和の終わりに起きたこの 残虐な殺人事件。 この事件は 加害者が全て未成年者であったこと 犯罪内容が重大・悪質で長期であったこと 少女の監禁に気づいていた 周囲の人間も被害者を救わなかったこと そして、 被害者をコンクリート詰めにするという類の無い悪質性が 社会に大きな衝撃を与えました。 被害者:古田順子さん 埼玉県立八潮南高等学校3年生(当時) 1988年11月25日を最後に行方不明となっていたが、 翌年3月29日、本事件の主犯格や共犯者の供述によって 江東区若洲の埋立地(現在の若洲海浜公園の敷地)でドラム缶にコンクリート詰めにされた遺体として発見された。 発見当初は 元の顔がわからないほど原形をとどめていなかったが、 司法解剖と指紋鑑定の結果、行方不明になっていた本人のものと一致した。 事件現場となった家庭は両親が共働きで留守がちであったこと 家庭内暴力で子供を恐れていたことから 自宅2階6畳間居室が不良交友仲間のたまり場と化していたと見られている。 被害者は17歳の女子高生、加害者4名が刑事処分相当として 東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。 主犯少年と家族の現在 これほどの犯罪を犯したにもかかわらず、 この元少年共は現在社会に出てのうのうと暮らしています。 少年法というおかしな縛りの元に 実名も顔写真も当時は隠されていました。 しかし、週刊誌などでは当時でも少年たちを実名で報道していました。 「鬼畜共に人権は必要無い」という編集部の判断に因るためです。 現在、ネットでも彼らの履歴がかなり公開されています。 主犯格A 宮野 裕史 主犯格。 懲役20年の刑。 すでに刑務所から出所。 父親 当時47歳 …証券マンを経て証券外務員に。 母親 当時47歳 …私大音楽学部卒業後、ピアノ教室の講師に。 妹…事件当時11歳 事件後、両親ともに辞職。 宮野裕史は2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕されていました。 (その後不起訴処分) パチンコ必勝法の情報料名目で現金を騙し取る振り込め詐欺で 2013年1月10日に口座の所有者だった宮野裕史 当時42歳 は逮捕された。 髪が薄くて体は細いらしい。 素人集団に近いグループでした、 末端要員が口を割らなければ突破口もないため、 不起訴になることも少なくない。 末端の役回りだった宮野裕史はそれを知っていて黙秘を貫き1月31日不起訴処分。 不起訴は無罪判決ではありません。 性犯罪と詐欺は常習犯が多く再犯率も高いので今後も再犯する可能性が高い。 新興宗教にはまる母親 宮野静江 は平成21年夏に 宮野裕史が出所する数年前まで綾瀬にいたそうです。 準主犯格B 小倉 譲 すでに刑務所から出所。 (出所後は神作譲に改名) 出所後に同じような犯罪を犯し、逮捕されている。 父親 当時42歳 …運送会社の配達員。 愛人との間に2人の子供がいるが、母親との籍はなぜかそのまま。 母親 当時43歳 …都内デパート勤務を経て結婚後は得意だった洋裁で内職。 父親が女に走り別居。 その後水商売にて一家の大黒柱に。 姉 当時20歳 …私立高校卒業後、都内会社員 C 湊 伸治 すでに刑務所から出所。 犯行現場の部屋の提供者。 父親靖人 当時48歳 …東京湾近く、 隅田川沿いに近い町工場が密集した一角にある診療所にて事務。 仕事と酒で子育てはすべて母親任せ。 出所後はムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合していた。 当然の事ながら味方は少なく、 入場するたびに彼を快く思わない観客からブーイングを浴びせられていた。 選手としてはそこそこの実力だったが、大した戦績も上げられないまま引退した。 ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていた。 母親ます子 当時47歳 … 父親と同じ診療所にて看護婦主任を勤める。 事件後、23年間勤めた診療所を辞職。 兄 当時17歳 …小倉譲(サブリーダー)と中学の同級生。 ほとんど一部始終を目撃し、時には食事を運んでいたにも関わらず事件発覚まで沈黙を守る。 D 渡邊 泰史 現在引きこもり症候群。 四人の少年達の中では一番痩せていて、声が小さく、右後頭部、 中学教師の体罰を受け出来た10円玉程の白髪が公判時にはこぶし大にまで広がっていた。 定時制の工業高校へ進むが1週間で行かなくなる。 ファミコンが好き。 父親:幼少時に離婚。 その後まもなく交通事故で死亡。 母親 当時44歳 :元美容師。 離婚後、生活保護を受けながら時計部品の工場でパート勤務。 姉 当時18歳 :母親との面会拒否の為、姉が面会・差し入れを続けていた。 その他3人の少年E,F,G:少年院送致 少年院送致された少年Eは事件のことを面白おかしく語って反省していない様子だといい 少年Fは結婚して娘が高校生になっているとか・・・ 結局、事件を心から反省し更生した人間は1人もいません! 少年法とは一体誰のためなのでしょうか? 事件の概要を振り返るとやりきれない思いと犯人たちに激しい怒りを覚えます。 こいつらは本当に制裁を受けたとは言えません。 少年法がある限りこのような非合理が罷り通るというと言い過ぎでしょうか?

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