豊郷 町 うさぎ と かめ。 豊郷町の「うさかめマスク」はどこで買える? 予約方法や入荷状況なども!【けいおん!】

豊郷小学校旧校舎群(滋賀県豊郷町)

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豊郷小学校旧校舎 5月末……、豊郷小学校旧校舎の一部が町立図書館としてオープンした。 教室のいくつかの壁を取り払い、書架が設置してある。 かつての学び舎の雰囲気はできるだけそのままに残され、教室ごとにおいてあった掃除用具入れは、塗り替えられ物入れになっていたりする。 長く、広い廊下を歩いていると、ここで学んだことはないはずなのに、自分自身の子どもの頃の思い出とリンクし、チリチリと胸が痛む。 写真を撮っていると、多賀町から来たという老齢の男性に出会った。 「小学校の頃、遠足みたいなものでここに来たことがあって、こんなにすばらしい学校があるのか、と本当に驚いたんです。 豊郷の子たちがうらやましくて……」。 鉄筋コンクリートづくりに加え、プールなどの設備は、当時最高水準の小学校だったのだ。 今、時代を経たこの校舎に、自分の生きた時間を重ねながらノスタルジーを感じる人々は多いだろう。 過去の建築に癒しを感じる人々もいる。 豊郷小学校の旧校舎は、今から72年前、昭和12年の竣工。 滋賀を代表する先人が関わり、校舎設立資金を全額寄付したのが、豊郷町出身の丸紅専務、古川鉄治郎氏だった。 そして、古川氏が設計を依頼したのが、数々の名建築を遺したウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏である。 現在のウサギとカメの像は二代目にあたる こんな話を聞いた。 古川氏は小学校時代に先生から「ゆっくりでもいいから前に進んでいきなさい」とウサギとカメの話を聞かされた。 ヴォーリズ氏はそれを聞き、ウサギとカメを階段手すりに配した……。 戦時中、ウサギとカメは金属供出のため撤去されたが、校舎建設当時、現場監督だった竹中工務店の神谷新一氏のはからいで戦後再び設けられたのだという。 現在のウサギとカメは二代目にあたる。 素敵な話だと思う。 校門から見た真っ白い校舎、講堂……、豊郷小学校の特徴的な風景によく似たシーンが登場するアニメが、今テレビで放映されている。 ウサギとカメの階段も描かれている。 アニメを通して、豊郷小学校旧校舎のような光景が、どのように受け入れられているのか知りたいところではある。 もはや、ウサギとカメも、我々が知っている寓話ではないのかもしれない。 少なくとも、ノスタルジーや癒しではないことは確かだろう……。

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古川鉄治郎という「近江商人」

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豊郷小学校旧校舎群の階段と階段手摺にあるうさかめの真鍮像をデザインしたTシャツです。 シックでおしゃれなデザインですので老若男女問わずご着用頂けます。 5) L(身幅:50. 5) XL(身幅:56. 5) 素人による採寸となりますのでご了承ください。 対象商品2点まではレターパックプラスをご利用頂けます。 3点以上もしくは対象外商品を含む場合はゆうパックをご利用ください。 【なぜうさぎとかめの像?】 豊郷小学校旧校舎群を寄贈した古川鉄治郎氏が、子供のころ色々なことが上手くできなかったことに対して、当時の小学校の先生が「コツコツがんばれ」とイソップ童話のうさぎとかめの話を引き合いに励まし、ゆくゆくは学校を寄贈するまで立身出世したという話があります。 それを聞いた豊郷小学校旧校舎群の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏が階段手摺に設置しました。 今現在うさぎとかめは豊郷町のシンボルとなり、たくさんの方々から愛されています。

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古川鉄治郎という「近江商人」

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丸紅商店専務 古川鉄治郎の銅像 滋賀県犬上郡豊郷町には、江戸時代の五街道のひとつである中山道が通っている。 街道沿いには伝統的な民家が建ち並び、外壁や柵に弁柄塗りをほどこした家も多い中、広大な敷地に噴水を備え、壮麗な佇まいを見せる白亜の西洋建築がある。 豊郷小学校旧校舎群だ。 1921年から1940年まで丸紅商店の専務を務め、丸紅の礎を築いた古川鉄治郎が故郷の子どもたちのために私財を投げ打ち、1937年に完成させた。 設計したのはアメリカ人の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズだ。 小学校は2004年に新校舎へ移り、旧校舎は現在国の登録有形文化財になっているが、その一部は図書館や教育委員会、育児支援施設として使われている。 前面に大きな窓を配して天井を高くした校舎は採光に優れ、電灯を使用する必要はほとんどなかったという。 広々とした廊下の幅は、約3メートルだ。 3階まで続く階段の手すりには、うさぎとカメがかけっこをする真鍮のオブジェが置かれている。 近江商人の精神「陰徳善事」と「三方よし」 伊藤家で商売を学び頭角を現した古川は、のちの伊藤忠商店の支配人を若くして務めた。 1921年に設立された丸紅商店では与信制度や予算制度など近代的な経営管理を導入し、同社を貿易商社へと成長させた。 「古川鉄治郎の経営哲学は、近江商人が到達した精神である『三方よし』(売り手によし、買い手によし、世間によし)と『陰徳善事』の実践に尽きるのです」 こう話すのは、滋賀大学で商業史を研究する宇佐美英機特別招聘教授だ。 古川の視線はさらに遠く、海の向こうにも向けられた。 1928年、実弟である義三の海外視察に同行し、7カ月かけて欧米諸国を旅した。 米国訪問中、製造業やデパートの効率的な経営に古川が驚嘆した様子が、義三の著書『世界ひとのぞ記』に記されている。 古川兄弟がとりわけ感銘を受けたのは、スタンフォード大学だった。 同大は、鉄道王のリーランド・スタンフォードが病気で早世した一人息子を偲び、巨額の私財を寄付したことによって作られた。 「世の中には財産を作る人は沢山にあるが、作った財産の処分をうまくやっている人は少ない。 日本内地の財産家は(自分が作った財産を)無理に子どもに伝えようとして、却って馬鹿息子を出している」と義三は嘆き、日本人はスタンフォードの財産処分法を見習うべきであると書いている。 うさぎを追い抜いたカメ 「世間から得たお金は世間へ還元する」という近江商人の理念を受け継ぐ古川鉄治郎は、スタンフォードの行ないに感動し、みずからも理想の教育を実現するための小学校を作ろうと思い立った。 土地を買収し、建設にかかるすべての費用を個人で負担した。 「いちばん理想的なやり方で学校を作ってほしい。 昼寝をしているうさぎを仰ぎ見るようにして、階段の手すりを一歩ずつ進んで行くカメは、これまで多くの子どもたちに触られて変色し、黄色と緑のまだらになっている。 うさぎを追い抜いたカメは階段のてっぺんから、大きな窓越しに雄大な景色を眺めている。

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